« 疑似科学と科学の哲学 | トップページ | システムと精神の変化 »

2009年8月 7日 (金)

公共性はたち上がる

こちらのエントリ のコメント欄にて

yokosawa さんと 公共性について意見交換しているところ

昨日 (2009年8月6日) 付け 朝日新聞 朝刊に

静かすぎ車 音出す実験

電子音・擬似エンジン音・・・ 「わかりにくい」 多く

という記事が載っていた

ハイブリッド車や電気自動車が 「静かすぎて危険」 という問題――

国交省が、 視覚障害者の方がたの協力で 実験をおこなったそうだ

チャイム音などを出す実験車を走らせて、 皆さんが気づくかどうか・・・

もちろん気づいたとのことだが、 音の小ささや 綺麗さが

かえって注意力をそぐだろう、、、 といった感想が出たそうだ

さて、、、

これこそは 今まさに公共性がたち上がろうとする現場である

自動車の音が 歩行者の安全確保に役立っているのは事実

それが、 ドライバーの注意力と責任感を削いでいるのも事実

HV、EV の登場が 騒音被害に悩む人たちの希望であるのも事実

ここのすり合わせが これから始まる

ポイントは、 自分の意見をちゃんともっておくことだろう

実際問題、 具体的な処置は、 中央官庁と大企業が先導していく

その政治過程は なかなかとめられない!

しかし、 出てきた結果には はっきりと判断をつけるべきだ

そして、 それをちゃんと行動にうつすべきだ

私的であれ、 公的であれ、 半私半公的であれ

行動にはいろいろあるんだから

最後に・・・

「静かすぎ車」 についての僕の意見――

車が静かなら 静かのままにすべきだ

ドライバーの自覚と責任をこそ 問うべきだ

自転車が静かだからって、 わざわざ音出し機械をつけるだろうか?

歩行者の安全を守るため、 道路構造の改築等に税金を使うべきだ

納税者とその家族は、 それについては文句を言うべきではない

ただし、 業者選択と技術導入には 監視をつけるべきだ

【メモ】

  • 「静かすぎ車 音出す実験」 で Google! →
  • 僕は、 臭覚障害者 (匂いが一切ない) だ。 皆さんは気づかないだろうが、 匂いがないことで 世の中は理不尽だな、、、 と感じることがある。 しかし、 それはまったく 「社会問題化」 することはない。 なぜか。 臭覚障害者の数が 極端に少ないからだ。 いい大学を出て、 大学教員なぞをやっている、 その他の点ではまったく健康な、 喫煙者だけど酒は飲まない、 40過ぎのストレート男性である僕は、 完璧なる 「サイレント・マイノリティ」 の一員なのである・・・  さて、 僕が体現する公共性とはなにか・・・

« 疑似科学と科学の哲学 | トップページ | システムと精神の変化 »

03A 思索」カテゴリの記事

コメント

 齋藤純一先生の『公共性』 さわりの部分を読みました。もう「はじめに」の公共的空間から追放された人びと=<パーリア>のところでガツンときてしまいました。
 「社会がパーリアに与えることのできる、そして現に与えている最大の苦しみは、彼の存在のリアリティと存在意義を彼自身に疑わせ、彼を彼自身の眼から見ても非実在(non-entity)の位置に還元することである。」
 (『公共性』 p.Ⅴ)

 実は<存在意義>は、ここ6,7年私の中で重要な位置にある言葉です。小学校4年生の子ども(うちのでない)に、「自分の存在意義は絶対か」
という問いを立てられて以来ずっとです。(子どもは大人が思う以上にたくさんのことを考えているのです。もちろん私にはきちんと答えられませんでした。)
 <パーリア>にそんなことのできる社会とは何ぞや・・・。

 「神によって造られた自然の秩序において、低次のものは高次のものの指導のもとにとどまらねばならない。人間的なことがらにおいては、劣者は自然法および神法によって立てられた秩序にしたがってその優者に服せしめられている。」
 (トマス・アクティナスb『神学大全』)

 実は齋藤先生は藤原保信先生との関係が大ありらしい・・・。
上の引用は『藤原保信著作集 9.自由主義の再検討』p31「共同体と階層秩序」の段からの抜粋です。藤原先生はコミュニタリアニズム(共同体論)を日本でいちはやく研究されていたということが判明しました。
 「それゆえに、近代自由主義の成立は、このような共同体的階層秩序の解体を前提としていた。むしろそこでは、個人が秩序に先立ち、秩序は自由で平等な個人が人為的に作ったものとされていった。」
 (同p32)

 さて、『公共性』に戻って、p5には公共性と共同体の違いにつて明記されています。全部載せられないので要約すると・・

 ・共同体は閉じた領域を作り、公共性は閉域をもたない
 ・公共性は共同体のように等価な価値に充たされた空間ではない。公共性は複数の価値や意見の<間>に生成する空間である。
 ・共同体では、その成員が内面にいだく感情(愛国心、同胞愛等)が統合のメディアになるとすれば、公共性においては、それは人びとの間にある事柄、人びとの間に生起する出来事への関心(interest)である。

 私には、この理論上での公共性が、単独に存在するとは思えません。
たとえば、複数の価値や意見の<間>に生成する空間は、共通性と共にでなければ存在しないでしょう。そして共通性の裏には、排他性も存在します。また、あらゆる人びとが<間>を取れば、結局はまとまりはなくなってしまうでしょう。
 <あぁ、人の批判はなんて簡単なんだろう!!>
 というわけで、これはもっときちんと読み進めます。
 『藤原保信著作集10 公共性の再構築に向けて 齋藤純一・谷澤正嗣編』も探してみよう・・・。

 すっかり長くなりましたが、最後に私が仕事で必要な自治の話を。
 それは、「自助・共助・公助」についてです。この話題は、今は総理府や自治省の危機管理の範疇で出てくることが多いです。
 これが私の中でまとまりません。自助を役所が市民に向かって口にすべきなのか?では、今の日本で何が自助を支え、共助を当たり前のものとするのか。公助ってどこまで・・・。大混乱なのであります。

yokosawa さん>

コメント ありがとうございます
なんだか どんどんしっかりした書きっぷりになってきて
僕もコメント返しに 前以上に緊張します
どうぞ 思う存分 書いちゃってください
僕も 付いて行けるよう がんばります

=====

齋藤先生の 『公共性』 のご紹介 ありがとうございます
まだ読めてません

公共性と共同性の違いについて 僕も違和感をおぼえました
yokosawa さんの違和感と同じものです
なんだか ちょっと 「絵に描いた餅」 すぎやしないか・・・ と

<そうですね 他人の批判は こんなに簡単ですね>
<僕も 勉強をすすめます (恥)>

また、 まとめていただいたものの第一点
―― 共同体は閉じた領域を作り、公共性は閉域をもたない ――
これにも違和感をおぼえました

公共性だって、 やっぱり、、、 閉域なくしては成り立たないのではないか
完全に解放された場では やっぱり、、、 公共性もありえないのではないか

yokosawa さんご指摘の点と 完全に連結している論点だと思いますが

=====

「自助・共助・公助」 のお話は 大変興味ぶかいです
総理府や自治省の危機管理の範疇・・・ ですね フムフム

今度ぜひブリーフィングしてください

=====

ところで カンケーないことですが・・・ 「パーリア」 は Pariah
パライア、 より精確には パッライア
南インド・タミル地方の不可触民にあたる農業労働者・農奴のことなんです
こういうのって 周知に属するんでしょうかね

  コメント返しありがとうございます。

 <パーリア>の部分はハンナ・ア-レントの“The Jew as Pariah:A Hidden Tradition”(1944)からの引用です。

 大学時代、教授であったハイデッガーの恋人(不倫)であったアーレント。ハイデッガーのところで知ってはいましたが、アメリカの政治学者としてこんなにりっぱなお仕事をしていたのですね。書名で迷っていましたが、やっぱり『人間の条件』は読んでみよう。

 きっとインドとの関係も深いのでしょう。でも、そうだとしたら<自由な欧米><未開のインド>というわたしにとって引っかかる問題が頭から離れなくなる。彼女自身はユダヤ人ですから、このこだわりは理解できますが、自身にも向き合っているのかな。(まだ知る前から批判はいけませんね。)
 また広がってしまう予感が・・・。

 まったく関係のない話ですが、喫煙について。

 私は、ジャーナリストもアナリストもロビイストも、だいたいにおいて大嫌いですが、ゆいいつピーター・ジェニングスは小さい頃から大好きでした(ルックスもいいし!)
 彼が肺がんの治療のため(絶対に帰るからと約束をして)現場を去った時もショックでしたが、あっという間に亡くなった時は、テレビをしばらく見られないほど落ち込みました。

 彼はイラク戦の報道において、視聴率よりも信念を貫いた。

 彼は有名なヘビースモーカーでした。
 私は彼をこんなにも早く連れて行ってしまったタバコを許しません。
 そして、わかっているのに死に急いでいる喫煙者も理解しません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137899/45857234

この記事へのトラックバック一覧です: 公共性はたち上がる:

« 疑似科学と科学の哲学 | トップページ | システムと精神の変化 »

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Twitter


読書メーター

  • mittskoの今読んでる本
  • mittskoの最近読んだ本

鑑賞メーター

  • 最近観たビデオ
    mittskoの最近観たビデオ
2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

イーココロ

無料ブログはココログ