ストリートの人類学
<いただきもの>
関根康正先生 より
- 同編 『ストリートの人類学』 (国立民族学博物館, 2009年) 上下巻
「国立民族学博物館 調査報告 81」 と 「82」
を頂戴した
関根先生の 「ストリートの人類学」 については、 紹介したことがある
自作の宗教学リーダー 「YONSH」 にも これはおさめてあったはず
全970頁の超大部!!
読みとおす日が来るのか・・・ 正直 心もとないが、 せめて
断片的な抜き書きだけでもやって、 この労作に敬意を表します
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関根先生ご自身の 「まえがき」 より
ツリー思考の脳梗塞、 これはホームにまどろんでいた者が突然ストリートに投げ出された状態というアレゴリーを夢想させる。 モダニストがもっとも廃棄してきた世界に身を投げ出される。 そこで私はどう動き回りどう思考し、 どう前向きに生を再構築できるだろうか。 いわば、 「ストリートの人類学」 の3年半のプロジェクト活動が、 自らの思考にストリート状況を生み出さんという効果をもたらしたようだ。 それは、 面白くも重要なことであるが、 一種の窮状でもある。 この対応の易しくない窮状こそが、 リハビリの思想への痛みを伴う転換の契機であるにちがいないのだと受けとめている
上巻 7頁
そして、 「結章」 として最後におかれた論文
- 「『ストリートの人類学』 という批評的エスノグラフィーの実践と理論」 (下巻, 519-60頁)
より
もちろんそれはストリートのロマン化なのではない。 むしろ逆であって、 蒙昧に安易にロマン化したホームに向かう主流に対して、 鬼気迫るストリート的な現実を差し出すことが目論見である。 人間の生の根源あるいは剥き出しの生 (アガンベンのビオスに回収できない他者としてのゾーエーに当たるもの) に感応呼応するストリート性を差し出さねばならないほどに、 現代は追い込まれたと言うべきであろうか。 ストリートをロマン化している余地 (特権的外部) など、 もうないのである。
もう一度言うと、 ストリートの人類学は、 脱ネオリベラリズムを標榜し、 知らぬ間に自分が自分で首を絞めていくような自己監査文化 (audit cultures) の檻の中に現実生活を閉じこめていく主流傾向に歯止めをかける意図を有している。 そこにこの人類学的研究の社会的コミットメントの要諦があると辞任している
下巻 525頁: 注記、文献参照は省略した
人は生きる場としてなんらかの 〈場所〉 を必要としそれを求めるが、 それを統一性や本質化の前提を持つものにしないという抑制の効いた機制のなかで獲得するという、 微妙な 「ストリート独裁」 の意義を常に噛みしめつつ、 流動だけの過剰なネオリベラリズムの破壊力にへばりつき逆手にとって、 上記の意味での 〈場所〉 の空隙 (メディオロジーにおける 「媒介する行為」 の意のメディアシオンさらにはトランスミッションの 「物象化された組織」、 またドゥルーズならば非―コミュニケーションの空洞や断絶器と呼ぶもの) を切り出すことが大事なのである。 これを、 いつか辿り着ければいい 「哲学的な理想論」 として述べているではなく [ママ]、 私たちが必ずや緊急に進まなければならない、 新たな分裂的な階層社会化に抗する、 他者を犠牲にしない方向に進む唯一の現実的な未知として記しているのである。 その意味で人類学は実学である。 ストリートの聖人や達人だけがしれいれば良いというような生き方ではない。 ストリートでかろうじて生きているように見える人たちの場所感覚を哀れんだり、 疎んだりしている暇はもうない。 その気構えと身のこなしを真摯に学び、 我がものにしていく努力が皆に求められる
下巻 551-2頁: 注記は省略した
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【メモ】
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