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2009年8月23日 (日)

童話と神話 (2/3)

前便は こちら

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すっかり間が開いてしまったが、 前便にて

現代日本における 《宗教的なもの》 を考えるとき

なぜ 《神話と童話》 は 直結し同一化するのか?

《神話=童話》 の特質とは何か?

と書いて、 稿を閉じた

なんとも大きなことを書き散らかしたものだ

これだけでも もぉ、 一冊どころか数冊の本が書けそうだ

まぁ この方面の専門家ではないということで

開き直って 自分が気になるポイントだけ 走り書きしてみよう

====================

問題はおそらく単純で

やわらかなまとまりとつながりで いまここにいきる

人間にはそのようなモードが もうすでに備わっているのだ

中沢新一先生のようなヴィジョナリーは、 それを

人間の脳の仕組みからの直接の、 不可避の様態とみなすが

全てのひとが それを認めるとはかぎらない。 それはむしろ

《前近代》 あるいは 《原始》 の遺物

《子ども》 や 《女性》 や 《余暇》 にだけゆるされる余儀

などとみなされることが少なくない

そのようにして 《世俗的近代》 の市民生活を形づくるわけだ

神話や童話は 《世俗的近代》 の いわばゴミ捨て場だ

そこには、 性や暴力、 転倒や越境、 拡散と凝集などが

ぎっしりと詰まっていて、 相かわらず グリングリンと息づいている

現代日本も含みこむ 《世俗的近代のアーキテクチャ》 とは

そのようなものになっている、 と言えそうだ

童話も神話も、 マンガも小説も、 性も暴力も

そうしたもののなかで あるひとつの力場を形づくっているのだろう

====================

では、 《神話=童話》 は 《宗教》 とどう関係するか・・・?

これまた、 簡単に言ってしまったほうがよいだろう

《世俗的近代のアーキテクチャ》 において

これらは 同じ穴の狢 として範疇づけられ、 位置づけられ

構造化され、 言説化されている――

僕にはそう視えるのだが・・・ どんなもんだろうか・・・

<つづく>

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コメント

 まずは、≪アーキテクチャ≫という語について。
 最近さまざまな場面で乱用されているこの言葉について、私は違和感を覚えています。建築という意味で使われるのなら、都市計画は別物だし、政治的な使われ方もしているようだし、コンピュータ世界のことも言うらしい。新語として便利使いされるのには、あまりにも(私的には)精神世界を無視しているというか。
 私は、建築とは≪ひとと自然空間を断絶するもの≫、あるいは≪ひとのいのちと自然空間をつなぐもの≫であると思っています。そういった意味では非常に宗教的なニュアンスも強く含まれている。
 それに土足でずかずか入られているような、妙な侵害を感じてしまいます。

 つぎに、先生の≪童話と神話≫について

 正直何をおっしゃりたいのか、よく伝わってきません。近代において神話や童話のなかに世俗が入り込んでいるということなのか、それとも、神話や童話には世俗がはじめから入り込んでいたのか。(世俗の解釈が難しいですが)
 ≪アーキテクチャ≫を使用するなら、≪意匠設計≫と≪構造設計≫の分類をしていただくと理解しやすいかと思いました。

 

yokosawa さん>

いつもコメントありがとうございます

=====

童話(およびファンタジー)は 近代社会における神話ですよね

相当に変容をこうむっていますから、神話そのものではないですので
精確にいえば、《神話的なもの》 ですね

それは、《世俗》と《宗教》のどちらでもないところに力場をもっている――
と僕はみなしてみました
《あいだ》にあるものとして、範疇化されていないもの――

そして、それが範疇化されずにすまされているのは
(近代の圧倒的な分類=分析の圧力にもかかわらず、すまされているのは)
それが 子どもや女性、そして余技の領域へと
割り当てられてきたからなのだろう・・・
そんな風に思っているのです

=====

《アーキテクチャ》という語は、たしかに不用意に使ってしまいました
反省です

この語に僕が飛びついたのは、「欲望の政治学」という語で
僕が読んでいる事柄を 非常によくあらわしていると思ったからでした

人間の生理学的=解剖学的構造から 個人の創作と歴史の堆積――
この三者が まったく 《合理的に》 連続しているという視点・・・
それが僕が言いたかったところの 《アーキテクチャ》 でした

まぁ 不用意でしたね  もうちょっと勉強します m(_ _)m

 コメント返しありがとうございます。

 生意気言って申し訳なかったです。
 昨年、鈴木賢次先生から日本建築史の授業を受けましたので、少しだけ建築に対して思い入れができました。建築の生徒さんの必須科目でしたので、鈴木先生の学生に建築の未来を託す気持ちを(アウトサイダーながら)ひしひしと感じることができたからです。
 とても厳しい授業でしたが、得るものが多かったです。

 ≪童話≫=≪神話のようなもの≫の構図はよくわかりました。
 近代の分類に取り残された中間領域に存在するモノたちの総称を≪童話≫として考えるのは面白いと思いました。
 でも、表現という形態をとって中間領域に入り込もうとするものは、実はもっとたくさんあるかもしれません。意図的に芸術が入り込んでいる気もします。
 ≪童話≫のテリトリーをどこまで広げるかが難しいと思いました。

yokosawa さん>

とんでもございません。 生意気とかそういうの、ないですからね

社交辞令でなく、コメントをいつも楽しみにしておりますし、僕自身、とても勉強になっています。 何のお気遣いもいりませんよ ヽ(´▽`)/

=====

そうなんです! この中間領域の位置づけ、価値づけが 肝なのです!

そこから、どういう風に深みと包括性にたどりつけるか・・・
そんなことをいつも考えております
ちなみに、今年の宗教学会では そういう発表をするつもりです
まだ、途中段階の発表になるとはおもうのですが

  こちらが学会の研究テーマでしたか・・・
 これをまとめるのは難しいだろうなぁというのは、素人の私にもよくわかります。

 中間領域が理解されたら、ひょっとしたら≪世俗≫と≪宗教≫の関係に新しい風が吹き込むかもしれません。日本でそのことを研究する価値はすごくあるんだろうなと感じます。
 
 学会発表がんばってください。

yokosawa さん>

応援 ありがとうございます。 とりあえず頑張ってみます

《宗教》 と 《世俗》 のあいだ――
僕の思索のなかで これはもともと
非欧米地域の近代化のあり方について(理論的な関心)
とくに日本を事例に考えていくなかで(日本での授業のための必要)
事実としてうかんできたものでした

それが次第に、実はとても大きな思想的意義をもつのではないか、、、
と思うようになったのです

童話=ファンタジー=神話=芸術=比喩=想像力=子ども=女性・・・

こういった中間領域が 《底》 への通路になっているようです

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