学問は何のためにやるのか
前便 より連続でご紹介してきた
- 藤垣裕子 『専門知と公共性: 科学技術社会論の構築へ向けて』 (東京大学出版会, 2003年)
最終章で
学問とは何のためにやるのか
という、 おそらくは著者にとっての根底的な問いが示されている
ウェーバー 『職業としての学問』 も引き合いに出しつつ
著者 藤垣先生 は 持論をこう展開する
学問は何のためにやるのか。 洗練された方法論をもって、 専門家としての知識蓄積にはげむと同時に、 社会の意志決定の場では、 各立場の状況依存性と変数結節を解き明かす立場にたつことである。 社会の意思決定の場では、 公共の妥当性境界のために知恵をしぼり、 現場に状況依存した変数も考慮して、 選択肢の提示とその選択結果の予測を事実として提示すること。 それらを解き明かしたのちに、 選択を社会にゆだねるのが、 専門家の責任である
207頁
ここで 藤垣先生 は
「科学技術をめぐる社会的意志決定で用いられる」 (132頁) モデルとして
技術官僚モデル ではなく、 民主主義モデル を推奨しているわけだ
これについては、 別便で紹介したい
<つづく>
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