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2009年9月23日 (水)

カルト、不可知論、あいまいな生

前便 よりつづく

【シンポ】 映画の中の宗教文化 追加情報 です

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当日、 最後の 「全体討論」 で いろいろ発言させていただきました

なかでも、 櫻井義秀先生 の質問に対しての私の応答が

具体的な映画作品にかかわっていたので

その点をば 記録させていただきます

 カルト問題、 霊感商法問題などを背景に、 世の中の宗教的なことを、 その肯定的な側面を含めて、 学生さんたちに教えるというのには、 やはり危険な面もあるのではないか。 カルトにはまったり、 非合理的な世界観を強固にしてしまったり、 そういうことを導いていってしまうこともあるんじゃないか。 登壇者らは、 その点、 どんな工夫をしているか

僕は、 三つのことを学生さんたちにお伝えするんだ、 と応じました

  1. 「カルト」 という概念 をしっかり伝える。 何らかの状態に立ったとき、 彼女たちが 「これは 「カルト」 っぽくなかろうか」 と自問できるようにするため
  2. 「不可知論」 という立場 をしっかり教える。 科学だろうとなんだろうと、 わからないことはわからないでよい、 という立場。 あの世があるかどうか、 霊魂は実在するかどうか、 神は存在するのかどうか、 こうした問いは、 考えてみてもわからないことだ、 と ブッダの昔から言われてきた
  3. 「人間的生のあいまいさ」 を率直に見つめる態度をうながす。 《宗教》 か 《世俗》 か、 科学的か非科学的か、 そういったことは大事だけど、 実人生はそんな問いではできていない。 そのあいまいさをそのまま受けとめ、 上手にわたりあっていくという行き方を推奨する

で、 2 と 3 は互いに相当深く関連するわけですが

その事情をよく説明する映画として

  • 「エミリー・ローズ」 (スコット・デリクソン, 2005年)

をあげました。 ただし、 神父さんが車にはねられるシーン!

あれさえなければ、 完璧だった、 と

あれは まったく不要なシーンであって、 非常に残念!

一方、 1については

授業で 映画に引きつけて話をしたことがありませんから

壇上ではすぐに思いつきませんでした

  • 「ある朝スウプは」 (高橋泉,2003年)

が、 日本のカルト問題ということでは思い浮かぶ。 いい映画だ

しかし、 あれではちょっと、 足りないところがある

カルトの 《危険性》 を伝える映画ではないから、 と発言しました

発言の後、 壇上でいろいろ考えていたら

別の映画がいいんではないか、 と思い立ちました

時間がなくて、 マイクを通しては発言できず、 シンポ終了後

櫻井先生 (と、 お隣にいらした 西村明さん) にだけ

口頭でお伝えし、 意見交換をしました。 その映画とは

  • 「悪い男」 (キム・ギドク,2002年)

キム・ギドク監督ですから、 そりゃもぉ 「エログロ」 満載

それが 女子大の授業で紹介するのを躊躇させるのですが

とらえられて抜け出せない、 不幸なのにそれに耐えてしまう

そして、 最後は…

という、 まさにカルト的なものの現場を、 学生さんたちには

わかってもらえるかもしれない、 と申し上げました

櫻井先生> ありがとうございました (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

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