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2009年9月21日 (月)

社会工学と人間工学

「アーキテクチャ」 という語は 僕にとっては とても便利だ

こちらのエントリ のコメント欄で述べたように

人間の生理学的=解剖学的構造から 個人の創作と歴史の堆積――
この三者が まったく 《合理的に》 連続しているという視点

僕はこれまで 「欲望の政治学」 というコトバを使ってきたのだが

一単語ではないし、 構造性を端的にあらわさないし、、、 等などで

どうも使いづらかった

「アーキテクチャ」 はとても便利なコトバだ、 というのはこの意味でだ

====================

僕の関心は

宗教=世俗的近代性のアーキテクチャ

の解明なのだが、 これは大目標であって

その手前に明らかにすべきことが いくつも いくつもある

その手前の水準にある問題系としては、 たとえば

社会工学 とか、 人間工学 とかいう概念がある

まずは入り口として

  • 藤村龍至 「グーグル的建築家像をめざして: 「批判的工学主義」 の可能性」 『思想地図』 vol. 3 [特集: アーキテクチャ], NHKブックス別巻, 日本放送出版協会, 2009年5月, 77-109頁)

における それぞれの概念の定義を記録しておきたい (79頁)

社会工学 = 「法規、 慣習、 市場などの社会に関わるデータベースに基づく計画の手法」

人間工学 = 「人のふるまいに関わる物理的条件をコントロールする計画の手法」

後者についてはさらに

人間の認知特性をもとに様々な機械の操作性や人の動作環境を向上させる研究のフレーム

という定義も添えられている

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03A 思索」カテゴリの記事

コメント

  坂本光司著『日本で一番大切にしたい会社』を読みました。

 今ではあまりに有名になりましたが、日本理工科学工業の話はやはりジンときました。
 養護学校の先生の熱意に負けた大山会長が、二人の養護学校生を研修生として受け入れることから話は進みます。彼女らの熱心な働きぶりに感動した社員が、二人の就職を(自分たちがフォーローする約束で)社長に直談判する。そうして、受け入れを決めた会社は、彼女たちがどのようにすれば働きやすいか、その都度考え会社自体を変えていきます。

 時計を砂時計にし、ラインをチョークの色ごとに変え、秤を色分けする。
それでも対応できない子がいれば、どのようにしたらその子が働きやすくなるか、一人のことを社員が皆で考え、その子に合わせた方法にする。

 きっとこの会社のしていることは非効率で、利益率は悪いでしょう。利潤追求型の一般的な会社の経営とは全く違った経営方針です。
 
 それでは、この会社がしていることはおかしいですか。特別化(差別化)は一般化には遠く及ばない、世の中を後退させる働きでしょうか。

 アーキテクチャの理論について考える時、私はまず、技術者としてあるべき態度と、商業化がもたらす強固な縛りについて、非人間的な作用があまりに大きすぎることに閉口します。
 それと、人間がありとあらゆることが(計算によって)予測可能な世界に住んでいるという、一方向的な考え方がまかり通ってしまっていることに驚かされてしまうのです。
 それは、まるで専制君主が支配する世界に、必要とされる人だけ(計算可能な人だけ)が生きているような感覚さえもたらします。

 ひとは自然に対応して生きている生物です。自分を様々にいじることで、世界をいじっているような感覚を持つことは、ひどく危険に思えます。まして、自分の多様性について考えることさえ難しいというのに。
 
 多様性から波及する多くの困難については、先生もこの前の「映画の中の宗教文化」のご発表の際お感じになったのではないでしょうか。(少ししか参加することができませんでしたが、とても楽しく拝見させていただきました)
 先生の提示された内容はたしかにすばらしいですが、その内容から他者が判断する内容の統一はとても難しいと私は感じました。問題提起としては価値があっても、積み上げの段階で多様視に耐えられないのが、このシステムの弱点かなと。
 批判と訂正の繰り返しで構築していくシステムなんでしょうか。それはまるで問答法みたいですね。(時代は遡る?)

yokosawa さん>

映画のシンポ、いらして下さってたんですか? 全然 気づきませんでした
これはまた 失礼しました m(_ _)m

=====

日本理工科学工業の話は、どう考えても 美しいです
ある期間、これが実現しえているというのは、歴史にのこる快挙です

僕のアーキテクチャ論では こういうことが 自由ということだと思うのです
yokosawa さんも、まさに それをお感じになっているのでしょう

例の 『思想地図 Vol.3』 で、 東さんらは まさにこの「自由」の問題を
主題化したくて、 鈴木謙介さんや 安藤馨さんらの論文を入れたのでしょう

どこまでうまくいったか、 僕には 若干疑問がありますが
それでも、 この自由の問題は、アーキテクチャ論から はずせませんね!

=====

ところで、、、 僕自身は、 宮台真司先生と東浩紀さんの著作等から
アーキテクチャという言葉を 教えられたのですが
僕の希望としては、 東さんの言う「環境管理型権力」だけに
アーキテクチャを限定するのは よしてほしいなぁ、 と

アーキテクチャとは もっと大きなものをさしうる言葉だと思うのですが
何と言いますか、 「全面化したポストモダン」 「徹底化されたポストモダン」
そういう話に この語は あまりにも強く引き寄せられていて
そこが 残念だなぁ、と思います

  はっきりいって『思想地図vol.3 アーキテクチャ』が何を総括しているのか解りませんでした。(おもしろかったのは『「東京から考える」再考』と『ホモ・エコノミックスの書く偽史』)

 アーキテクチャの基本は人工的設計物としてのコンピュータ世界で「不可逆性」も「一回性」もない。したがって、選択と責任が働く一点を見出すこともままならない。
 
 アーキテクチャに「一発逆転の夢を見させる」ことを機能させる社会的要因があることに着目したうえで、社会的な―自己責任を超えた―処方箋が提示されるべき。

 『アーキテクチャ的統治を通じて作動する権力についての適切な規律は快苦の「監視」とフィードバックによって可能になる。』

 上記のようなアーキテクチャ世界の自由を確保する条件と一般社会での差は何でしょう。アーキテクチャは人間が構築する社会や文化の総称として(創造主目線で)使用されているに過ぎず、その制限について定義している段階ではないですか。

 実験的な小さな(大きな)仮想世界としてのアーキテクチャから、実世界にフィールドを移すといいながら、その境界が人によってあいまいな状況なので、簡単に利用可能な便利用語としか私には映りません。
 だれもが共通理解を持って利用できる言語としての価値はまだないように思います。(学者用語なら有りか)

 先生の利用方法だと、前にも記したとおり、受け手の想像によって拡大してしまうので、東氏が限定しようとする意図も私にはよくわかります。
 
 アーキテクチャについては、批判ばかりではずるい気がしてきたので、立場を変えて私ならどう利用するか(しないけれど)を少し考えてみたいと思いました。


 シンポはサッと行ってサッと消えさせていただきました(意外に会場が狭かったのでちょっとビビりました)でも、テンパリ気味の先生はしっかり拝見しましたよ。
 冨澤先生の先生のレスポンスはおもしろかったです。(宗教教える人ってキャパが広いなぁと。一般教養としての宗教を考えるのって大変ですね)
冨澤先生は「真と偽」「factとfiction」 とおっしゃっていましたが、私は「factとfictionとfake」にしたらおもしろいと思いました。
 宗教スイッチがオンになった時、私たちはいったいどこに連れていかれているのでしょう。(という考え方が宗教学的ですよね。哲学との比較のために)その時間・空間・思考については超個人的であるとは思っても、共通する何かが見つかったらおもしろいだろうなぁなんて考えました。

福嶋亮大さんのあの論文は、なんだか話題みたいですね。
僕にはちょっと、面白さがわからなかったです。
この論文だけの話でないけど、福嶋さんの「神話」という概念がどうも……
現代日本を語るわけですが、レヴィ=ストロースまで引いて「神話」を語るなら
論考の対象は、やっぱり「人間」ではないのか、と
そこに踏み込んでいただかないと、僕には評価もできないのです
「まぁ 日本の今の若者は そういうことですかねぇ…」
ぐらいの感想しか出ないのです
この点は、一度ちゃんと論じておきたいのですが
この業界の方がたとそのファンは、没交渉の論争を生業とする傾向がありますので
なんだか… 議論になるのかならないのか、それも分かりません
(念のため言い添えておきますが、《ひとつの、正しい神話論》があるなんて考えてはいません)

=====

アーキテクチャが「便利用語にすぎない」というのは、まさにその通りですね
学者用語としても不十分なままです
まぁ、そういう用語確定に あの業界の方がたが興味をもたないので
なんだか いずれにせよ、空回りですね

僕の用語法というのも、体系的に説明したことがないので
実はまだ 煮詰まっていません
学会では二度、このコトバを使ってみましたが
yokosawa さんのようなツッコミが出たことはありませんでした(笑)
僕としても、まだまだ危うい言葉遣いだと思うんですけど…

=====

「factとfictionとfake」――
オモシロイ見方だと思いました
「メタ・ネタ・ベタ」と上手に重なるかと思ったら、そうでもないみたいだし(笑)
まぁとりあえずは
fact: ベタ
fiction: メタ
fake: ネタ
ぐらいの対応関係を 想定してみてもいいかもしれませんが…

=====

「宗教スイッチ」―― 実はこれこそ!
今の宗教学に欠けているものです
僕はいつも、田丸先生にしたがい「宗教のヴィジョン」という
穏当な表現を使っていますが
そこには(かなり中沢先生的な意味での)「宗教スイッチ」を組み込むべきじゃないか、と

  まさに、「アーキテクチャな人々」には討論の余地はないですね。

 特に東さんと宮台さんにその意思がないから、討論会じゃなくて意見交換会になってしまったんだろうと思います。

 私個人としては、もっと深いところで《ハイエク的思考》対《ジジェク的思考》とかになってくれて、社会学対心理学で哲学を討論して、次世代的な思考が作り上げられるみたいな期待をしていたんですが、「ハイエク命」、「ジジェク命」じゃ次に繋がらないですよね。嫌いな人を批判的に学ぶほうが進歩に繋がるのかなぁなんて考えてしまいました。(辛いけど)

 先生のおっしゃるとおり、思想を作り上げるには他者(人間)を通じて自己を見つめる能力、そして自己批判、自己破壊、再構築の作業が必要ですよね。それはもちろん一人でしたら自分が壊れてしまいますから、他人の手が必要です。

 そこのところで、絶対的自己が強すぎて他者が入るすきがない場合、いくら本を読んでも、核になる部分は幼児期から作られてきた自分ですから、さなぎのままでどんどんおおきくなってしまうのですね。

 ところで、私は脱皮できないのは、ひょっとして人間関係、愛着の問題かもしれないと想像してしまうのです(かなり自分勝手な想像ですが)。
 そして、彼らが大人の誰かに愛情を持ってこてんぱんにされるような経験を得てこそ、もっとすごい思想家になれるんだろうと。

 ― そう、大人の責任です

 私には怒ってくれる大人がいてくれましてので、今はとても感謝しております。


  ̄ ̄ ̄ ̄
 宗教スイッチの問題は本当におもしろいですね。(中沢先生的な発想と言われればそうですが)

 考えを進めるうちにもう一つ加えたくなりました。

 face。―己が直面しているある面。他者からは認めることのできない私自身が直面するある場所。私の歴史。

 これをはずしては語れないと思うのです。

 宗教スイッチが入って、宗教的空間の中の個人と超個人のベクトルが差す方向に私は誘われていく。
 そしてそこで何を見るのか。
 そこには私自身しか理解できない宗教が存在する?
 それとも皆が同じような場所に着地する?

 なんだかぞくぞくしますが、ちょっとSFチックにしすぎですかね。
 

「ハイエク命」 「ジジェク命」 でいいなら、それはそれで
議論になると思うのですが、 そういう「命」という所作も「ネタ」化させますので
もぉ どこまでいっても、議論がなりたつことはないわけです

根本にあるのは、ポストモダン的相対主義、独我論、不可知論にもとづく
失語症ですね

それを引き受けながら(て言うか、被っちゃったまま、罹っちゃったまま)
なお 発言をつづけていくという、 その苦しさ、無理さ加減――
これが何よりも支配的なんだろう、と思っております

宮台先生なら プラグマティズム
東さんなら お金儲け
真剣な哲学的な思索と感性と反省と反応の果てに
そういうものが ぎりぎりのところで 選択されるわけですね

それは、認識論的にまったく誠実な態度なわけです!
まったく誠実で、しっかり考え抜かれているんだけど…
ややこしいのは、そういうところの発言が とくに大声になっていくという
そういう 《社会歴史的な》 構造です (アーキテクチャ?)

これについて、決してシニカルにならず
僕も向き合っていかねばならないなぁ、と ボンヤリ思うわけです

もちろん、僕なんぞは 箸にも棒にもかからん! と断定されるでしょうが

=====

さなぎのままドンドン大きくなったさなぎ――
大人の誰かにこてんぱんにされる――

これらは、ホントーに! 当っていると思いました

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