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2009年9月29日 (火)

切断とコミュニケーション

こちらのエントリ まで紹介してきた シンポの記録

  • 浅田彰・東浩紀・磯崎新・宇野常寛・濱野智史・宮台真司 「共同討議 アーキテクチャと思考の場所」 『思想地図』 vol. 3 [特集: アーキテクチャ], NHKブックス別巻, 日本放送出版協会, 2009年5月, 12-75頁)

もうひとつ、 メモしておきたい部分があった

東浩紀さん の発言である (70頁)

確かに人間自体がフィジカルな存在なので、 あらゆる表現において、 メタフィジカルな構想をフィジカルに落としていく局面は絶対に必要になる。 それはそうなのですが、 ただ、 IT化の進行によって、 かなり落とさなくてよくなったジャンルと、 それでも落とさざるをえないジャンルというものがあるだろう。 たとえば、 文章を書くことや音楽を作ることは、 無限のデータストレージさえあれば、 切断を無限に先延ばしできるようになってしまった。 しかし、 建築や演劇のように、 現実の空間や身体を使うような芸術は、 フィジカルに 「落とす」 問題が残り続ける。 ただ、 それはグラデーションの問題で、 全体的にはメタフィジカルに寄ってきたのかなという感触はあります

僕の個人的な話に ひきつけさせていただけば

本や論文を書くことは まさに 「切断」 なのだが

その必要性や有効性、 ひいては意義が どうも

はっきりしなくなっている

これが、 僕があれだけ言われながら 本を書けない理由だし

そのくせ こうしてシコシコと 「ブログ」 を書いている理由だ

メディアとパフォーマティヴなもの、 学問とコンスタティヴなもの

そのあたりの関係が ずいぶん流動化したというか

ほとんど無根拠化した、 と思う

僕にとっての学問とは、 ヒトとつながる場である

お世辞にも高尚ではない青春時代を送ってきた僕が

頭の中をめぐる とんでもなく コムズカシイ事柄を

大学の場で 全面展開してみたら、 聞いてもらえた

あまつさえ 褒められた

これが 僕にとっての 「学問」 の原始であり、 すべてだ

だから コミュニケーションとリンクが 僕の求めるものである

今、 そのためには メディアとコトバを 自分で見つけないといけない

そういう直感がどうやら僕にはあって

それでいろんな模索を ギリギリとやってきた――

と、 今になれば 思うのだ

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