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2009年9月 2日 (水)

宇宙に立つ花

<連載 中沢新一論> 前便は こちら

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前便 から、 随分と 間があいてしまった

どうやら 僕が語るべき 《中沢新一論》 は尽きたようだ

当初の構想よりは 相当多くのエントリを書くことになった

しかし、 振り返ってみれば それほどたくさんのことを論じたわけでもない

そろそろ とりあえずの締めをすべきときがきたようだ

中沢先生は自分の世界をあれほどむき出しに書かれているのだから

僕も、 僕の世界をちゃんと書き出しておくことが

中締めとしては フェアなんだと思う

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『精霊の王』 に次の一節がある

立花僧や山水河原者 (せんずいかわらもの) は、 さらにストレートなやり方で、 この宿神的思考を表現してみせていた。 「なにもない」 と観念されたところに、 花を生け、 石を立てることによって、 これらの職人は宿神的構造をした空間そのものを、 そこに出現させようとしていたからである。 花を生ける芸能では、 宿神は古代以来なじみの深い植物の世界を潜在空間として後に抱えながら、 出現を果たすのである。 植物の枝じたいを絶対転換のおこる媒介にしながら、 生け花の芸能は生きて振動する空間をつくりだす技に打ち込んできたわけである。

262頁

これを読んで、 名古屋での体験を思い出した

夏のある日、 真昼間 小丘を切り開いてできた住宅街を歩いていた

アスファルトにコンクリート、 ところどころに植え込みの樹

熱暑のなか、日差しをさえぎるものはなく、 出歩く人は僕だけだ

静かさで耳がチリチリして

白々とした日差しが距離感を消してしまいそうになる

僕の左手には、 二階建てほどの高さの崖があった

コンクリブロックでがっちりと固められていて、 土は見えない

その隙間から、 一本の草が スッと伸びていた

地面に対して25度ぐらいの角度で伸びだし

ゆるやかでしなやかな曲線がピンと張り出している

草の先には、 紫色の花

動かない空気のなかで、 ゆっくりとそよいでいるような気がする

僕はそのとき、 そこに宇宙のすべてを見たように思った

人間界の真理はわからないが、 宇宙の物理的な成り立ちが

そこに凝縮されてあらわれているように感じた

僕は少しだけその前に立ち止まった

少しだけ、 その花と草をながめた

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夜、 T師匠にその話をした。

一種の神秘体験です、 と言った僕への、 師匠の反応が意外だった――

コンドウさんはそういうところに感じ入るんですね

僕は違うんですよ。 シミなんです、 僕がそういうのを視るのは

シミから湧き出るもの、 シミを形づくったもの

そういったものに、 自分はもっていかれるんですよ――

凝縮した宇宙の全体を一瞥する眼と

一点に存在の深みを見いだす眼―― その違いですね

ということで、 二人は合点がいった

こういう眼が 僕と中沢先生をつなぐんだと思う

<つづく>

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