いくさの空気
こちらのエントリ にて
カテゴリーは主観と客観の 《あいだ》 にあるのであり
動機は 意識と無意識の、 あるいは 個人と集団の 《あいだ》 にある
それを一言でいうなら、 「歴史」 ・・・
そうとしかいえない、 《欲望の政治学》 ・・・
と書いた
いわゆる 《宗教紛争》 の理解における繊細な感性の必要を説いたものだ
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これとの関連で、 こちらのエントリ で紹介した
知花くらら さん のインタビューから
引用しておきたいコトバがある
私のじいちゃんは、 沖縄戦の体験者です。 私は18歳まで那覇で暮らし、 よく行き来していましたが、 一度もその話をしたことはありませんでした。 子ども心に、 話したくない雰囲気を感じ取っていたからです。 ニュース番組のリポーターとして2年前、 初めて話を聞きました
慶留間島 (げるまじま) 出身のじいちゃんが、 米軍上陸を経験したのは15歳のとき。 三つ上の姉と山に逃げて、 防空壕で自決しようとしたそうです。 でもできなくて、 ヤシの葉をひも代わりに、 木に首をつって死のうとした。 「死んではいかん」。 結婚する前のばあちゃんがたまたま見つけ、 そのコトバで正気に戻ったと言います
「げるまじま」 はルビ。 その他のルビは省略
初めて聞く話に衝撃を受け、 涙がぽろぽろ出ました。 カメラが回っていないところでたずねました。 「なぜ自決まで覚悟したの」。 じいちゃんはこう言いました。 「いくさの空気だ。 そのときの時代の流れだ。 それで、 人の気は狂うんだ」
いくさの空気、、、 そのときの時代の流れ、、、
《宗教紛争》 なんていう
いかにもいい加減な概念のせいでわかなくなっているが
僕の知るかぎり、 《宗教紛争》 と呼ばれるものでも
まさに 人びとはこういうものに飲み込まれている
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