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2009年10月の記事

2009年10月31日 (土)

アート、アナーキズム、開放知

たとえば 「文化人類学解放講座」 ――

イルコモンズさん のお仕事=表現=生命

とにかく面白すぎて もぉ 何がなんだか・・・

ストリートの アナーキズムかぁ

解放と自由は やっぱりグッとくるじゃないか!

それにしても… こんな 「配布プリント」 に心底あこがれる

かっこいいから 言ってるんじゃない。 ここ数年

僕が考えつづけてきたものに即した表現形式として

これは いけるんじゃないか、 と思うのだ

《欲望の政治学》 とか 《宗教/世俗的近代のアーキテクチャ》 とか

コトバはなんとなくできてきたけれど

僕が訓練を受けてきた論文という形式は

それを表現するのに どうも何かが足りない

いろいろ工夫しても 書ききれない、 伝えきれない

だから ブログを 一生懸命やっている

半永久的なトラッキングのなかに 浮かぶ思考の軸――

それを表現するのに、 ブログは最適だ

そしてそろそろ、 もう一丁 別の手法がほしいなぁ、 と感じていた

パカリと切り取られた、 開放的で、 多方向的な

それでいてハンディな表現形式――

そのお手本を 僕は見つけたような気がする

やり始めてみようと思う

映像は… まだ手を出してはいかんな、 僕なんぞが

日本語のひとつも生かせてあげられてないんだから

何をなんで どこにどうやって向かい向けるのか

まだまだ まだまだ 悪戦苦闘だぜ

【再告知】 インドのコミュナリズムとセキュラリズム

こちらでお知らせしましたように、 明日 (2009年11月1日)

「アジア社会研究会」 にて発表をさせていただきます

発表題目はまだ決まっていません

  • インドのコミュナリズムとセキュラリズム (仮)

のまま・・・ お恥ずかしいことです

内容はほぼ定まっています

ご興味のある方は ぜひおいでくださいませ

2009年10月30日 (金)

chaichai

柴田徹之さん のサイト

chaichai: South asian soul

とにかく一見の価値あり! です

ホントに おすすめです!

写真はもちろんステキなんですが

文章がまた よいんですよねぇ

インド文化の紹介、 ヒンドゥー教の紹介は、 どうしても

型どおりの 薄っぺらなものになりがちなんですが

柴田さんは 深いところまで すんなりとすくいとって

(これには知識よりも センスが必要ですよね)

それを 分かりやすい言葉で書いてくれています

個人的にたまらないのは

パチマリの頁 とか 「誰も行かない(?)インドエリアガイド」 です

たまりません

回心による改宗

昨晩のラジオ お聴きになっていただいた方もいるようで

「聴きましたよ」 なんて声をかけていただきました

お恥ずかしいかぎりです

なのが… という積年の思いは湧きあがりますが

ともあれ 役目をひとつ終えたことには 安堵しています catface paper

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不十分なところはあったでしょうが、 あれが精一杯でした

何しろ巨大かつ、おそろしく複雑なテーマです

20分で 皆にわかるように、 というのは至難のわざです

「何 言ってやがんだ コイツ!」 と

イライラした方、 ご教示を賜りますよう (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

ただし!

一点だけ これは言っておくべきだったなぁ というのがあります

反省をこめて それを書かせていただきます

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内情を申し上げれば、 昨日のプログラムは 当初から

不可触民たちの仏教への集団改宗 をテーマにしていました

朝日新聞やAERAでの報道が 背景にありました

これが意味するのは、 次のような理解と観念のフレームが

僕には課せられていた、 ということです

  • 集団としての不可触民
  • 差別への反対、 差別からの解放としての改宗

この固定した枠組みから こぼれ落ちるのは

  • 個人としての不可触民
  • 回心の結果としての改宗

です

あるインド人が 不可触民であれ、 そうでないのであれ

仏教の教えやお坊様の人格に打たれて

回心を経験し、 地縁血縁を脱ぎ捨てて

あらたに仏教徒に生まれ変わる――

こうしたことは 実際に起きています

僕が 直接会っただけでも 二人 そういう人がいました

そこには まさに 改宗の理想 が実現しているわけです

しかし、 上のようなフレームの内側で

昨今の改宗運動を解説するとなれば

つまり、 差別や格差への反対としての改宗運動

しかも、 大集団による一斉改宗 ということなら

そこではやはり 生活改善のための具体的な方策の模索――

分析的に この要素を強く評価すべし、 と判断せざるをえません

「改宗」 と一口で言っても、 そうした複雑さが やっぱり

そこにはあるんだという

そこにも言及したかったのですが・・・ 力不足!

またの機会がもしあれば、 ぜひリベンジしたいと思います

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回心は 宗教研究の一大テーマです

たくさんの研究がありますが、 最近の力作ということで

  • 芳賀学・菊池裕生 『仏のまなざし、読みかえられる自己: 回心のミクロ社会学』 (ハーベスト社, 2007年1月)

を紹介させていただきます

真如苑における回心を 精妙に研究したものです

アマゾンでは あの信頼に足る書評家 ソコツさん

★5つをつけています

氏のレビューもぜひご一読ください

2009年10月29日 (木)

宗教学の積極的解体

新カテゴリー 「宗教学の積極的解体」 ―― 作ってみました

業界関係者には やや過激すぎるタイトルでしょう

わざとです

私の真意は 追々 記事を重ねていくなかで

お示しできればと思っております

ご意見ご感想など、 ぜひお聞かせください m(_ _)m

まずは 前口上をば 述べさせていただきます

よろしくお付き合いくださいませ

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ポスト宗教概念批判の宗教学は もはや宗教学ではない――

なぜなら、 宗教概念を退けるのだから――

まともに考えれば そういうことになる

《宗教/世俗の二分法》 は近代のアーキテクチャの基層だから

近代文明の行き詰まりの度合いに応じて

宗教概念と宗教学は 知の基盤を失っていく

これまでは うまくやってくることができた

《世俗》 に対する 《宗教》 の可能性を

近代的な語彙と理念枠組みのなかで展開してみせることで

宗教学は 制度的な意義と社会的な評価をえてきた

それは 重要な試みだった、 と僕も思う

実際、 僕自身、 「お気軽・お手軽 反近代」 の路線で

宗教学に入ってきたものの一人である!

しかし、 この試み自体が もはや不十分になってしまった

なぜなら、 《世俗》 に対する 《宗教》 の突きつけは

それ自体が 近代のアーキテクチャの再生産でしかないからだ

(批判的な再生産ではあるだろうが)

おそらく、 近代文明は 臨界域にかなり近いところまで来た

それはまだ、 理論的に十分明らかにされたとは言えない

たしかな先行研究はいくつかある。 ここでも紹介していきたい

が、 それにもかかわらず 明らかにすべきことがまだ多い

学的な言説はゆっくりしか進まないから

どうしても追いついていないところがある、 ということだろう

そうこうしているうちにも、 行き詰まりは 現実として起こっている

どんどん進展している

だから、 宗教学の変容は 運命づけられている

「解体」 にまでいたるのは 制度的条件が整ったときだろうが

(宗教学には 明らかに 果たすべき 《役目》 はあります!)

真摯な基礎論的反省は そうとう深いところからの変容を

宗教学にもたらすことになる

これは 論理的展開という意味で規定路線だ

問題は どのように変容するか、 どちらに抜けていくかだ

脱皮、 変容、 組み換え、 拡大深化、 あるいは積極的解体――

この辺りを 少しずつ探ってみたい、、、 です

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以上、 前口上でした

次回から いろいろ記事を書いてみたいと思います

のんびりやっていきます。 よろしくお願いいたします

【再告知】 JAM THE WORLD

こちらでお知らせしました ラジオ出演 ――

行ってまいります

マスメディアで インドを ちゃんと取り上げていただくのは

ホントにうれしいことです!

《不可触民差別と改宗》 ――

おそろしいぐらいややこしいテーマです

博士論文でも 取り上げきれないでしょう

歴史的経緯、 インド人の生活感覚、 新しい社会情況

20分で どこまでしゃべれるものやら…

当然 時間は足りないわけですから

僕がどこまでコンパクトに、 的確に

しかも、 分かりやすく 専門用語を使わないで

どこまでしゃべれるのか―― そこだけが問題です

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夜8時55分から ダイヤルは FM 81.3 MHz 「J-WAVE」 にて

「JAM THE WORLD」 という番組「15 MINUTES」 というコーナー

です

2009年10月28日 (水)

時をかける少女

こちらのエントリ につづき、 アニメ強化月間の報告です

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  • 「時をかける少女」 (細田守, 2006年)

観ました

「サマーウォーズ」 (2009年) が もひとつだったので

評判の高いこの作品で リベンジ! と

よかったです

「アハハハ」 と 声出して笑えるところがありましたし

さわやかで 切ない! まさに青春です!

こういうのに 少しは感じ入ることのできる自分に

ちょっと安心しました catface paper

僕として特筆しておきたいのは キャラクタ・デザインです

担当は 天下の 貞本義行さん

まぁ 賛否両論、 好き嫌いはあるんでしょうが

やっぱり透明でキレイです、 貞本キャラの存在感は!

僕が思い出したのは

  • 「ストップ!! ひばりくん!」 (江口寿史)
  • 「バタアシ金魚」 (望月峯太郎)
  • 「SEX」 (上條淳士)

いずれも、 バンカラ好きの田舎ヤンキー少年の僕に

「オシャレ」 を気づかせてくれたマンガです

実際、 「時かけ」 には 上條淳士さん を彷彿とさせる

そんなカットが けっこう頻繁に出てきますね

「かっちょいいなぁ このセンス・・・」 と

何か あの頃に感じた 都会的なものの感触

それを あらためて感じさせてくれた―― そう思いました

僕の都会へのあこがれって 意外とこんなところにあるのかも

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閑話休題…

本エントリにて、 アニメ強化月間は とりあえずの打ち止めです

ほかに観たい作品、 観るべきと思わされる作品が

見当たらないからです

『パプリカ』 (今敏, 2006年) ぐらいかなぁ、 あとは

どちら様か ぜひ! ご紹介いただけないものでしょうか

お願いいたします  (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

2009年10月27日 (火)

ドライで現実的な大槻教授

「宗教学の方法」 のひとつとしての言説分析――

ひとつの事例紹介をば

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《宗教/世俗の二分法》 仮説からすれば

霊、 墓参りは 《宗教》 の磁場に強く引きつけられる

一方、 「しきたり」 は 《宗教と世俗のあいだ》 に浮かぶ

冠婚葬祭は その両方の特徴を同等にもつものだ

ということで、、、

次の記事を読んでいただきたい

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http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/entame-200901231809/1.htm

霊を信じない大槻教授、 墓参りはするのか?
- 2009.02.01 11:01

超自然現象や超能力などを徹底的に批判する物理学者、 大槻教授。 そんな彼が1月23日のブログで、 『墓参りはするか?』 『日本的しきたり (盆暮れの贈り物、誕生日のお祝いなど)、 冠婚葬祭に出席するか?』 という質問に答えている。

まず、 「『日本的しきたり』 は完全に拒否しているわけではありません。」 と言いつつ、 「年賀状も15通ぐらい出します。 これは住所確認のためもあります。」 と理由はあくまでドライである。

「死んでもお葬式の類はごめんです。」 と断言、 息子にも 「『お葬式などやってもらえると思っていた? お墓など無駄なお金はうちには無いよね。』 と言われました。」 と一家そろってお葬式を出すことを否定している。

さらに 「墓も墓参りもナンセンス」 と続き 「見知らぬ人に墓参りしていただくほど大物ではありません。 いつの間にか墓石は落ち窪み、 カラスなどの鳥の糞にまみれ、 名前の判読もできない。」 と淡々と語った。

『私のお墓の前で  泣かないでください そこに私はいません』 という感動的な歌の歌詞もあるが、 同じことを語る大槻教授はあくまで現実的である。

(熊田)

リンク: 霊を信じない大槻教授、墓参りはするのか?.

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大槻教授のコトバは 現代日本の 《世俗》 の戯画だ

(ご本人がどこまで自覚的かは不明だが)

そして、 それを論評する 「熊田」 記者の言葉は

(《世俗》 の対概念としての 《宗教》 ではなく!)

《フツー》 や 《ジョーシキ》 を代表する

すなわち

  • 「ドライ」 でない人間関係を大切にしつつ
  • 「感動」 をともなわない 「現実」 を拒否すること

である

【お知らせ】 JAM THE WORLD

「不可触民差別とヒンドゥー教からの脱出」 という記事 を

昨日アップしましたが、 これはすでに書き上げてあったもの

今月末の公開設定にしてあったのでした

なぜ あわてて そういうことをしたのかと申しますと

まさに このテーマについて、 急きょ

ラジオで話をさせていただくことになったのです

変な謙遜ではありませんが、 僕みたいな中途半端な

いろいろな方がたに迷惑をかけてばかりの人間が… と

躊躇する気持ちは大きいのですが

恩師の一人である K先生のご紹介でありましたので

せめてもの恩返しに お引き受けしました

K先生> ご無沙汰いたしております。 この度はご紹介ありがとうございました。 先生へのご挨拶の前に こんなところで本件を公表する無礼を どうぞお赦しください。 後ほど、 お電話させていただきます

学問に 《救われた》 僕です

せめてもの学問への恩返しでもあります

20分と短い出演ですが、 関東圏の方 お時間があれば

ぜひお耳を傾けてやってくださいませ m(_ _)m

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以下、 ご担当の方からいただいたメールの一部を

適宜編集のうえ 切り貼りさせていただきます

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番組概要・・・
放送局   J-WAVE (81.3MHz)
番組名   「JAM THE WORLD」
放送日   月~金 20:00~21:50
番組内容  国内外の様々なニュースを音楽とともに送る110分間のワイド・プログラム
※番組ナビゲーターはジャーナリストの仲野博文 (さん) です。

番組HP・・・ http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/
 
とり上げる内容  番組中の 「15MINUTES」 というコーナーで、 インドでヒンドゥー教徒の改宗が相次いでいる背景について。

※10月29日(木)、 20時55分から約20分間で ナビゲーター・アシスタントとの質疑応答形式です。

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2009年10月26日 (月)

奇跡の脳

本務校の 「現代女性とキャリア連携専攻」 の仕事で

学生さんにお薦めの一冊を! というのがあった

僕はもう 迷うことなく

  • ジル・ボルト・テイラー 『奇跡の脳』 (竹内薫訳, 新潮社, 2009年2月)

を選んだ

今年のマイ・ベストの一冊。 原著まで買ってしまった

僕の書いた短評は こんな風です

たくさんのことが一つの物語として結晶化した、 見事な一冊。 脳卒中で左脳だけが停止してしまったジルは、 どんな世界を体験し、 またどのようにそこから帰還したのでしょうか。 女性性、 キャリア、 家族愛、 友情、 病気、 介護、 さらには脳科学、 至福体験、 哲学、 宗教まで、 《人間存在》 についての深い思索へと、 私たちをすんなり導いてくれます。 翻訳もとても行き届いていて、 読みやすいですよ。

不可触民差別とヒンドゥー教からの脱出

2009年10月16日付 朝日新聞 朝刊に

さらばヒンドゥー教
インド 最下層で相次ぐ改宗

という記事が載った。 記者は 武石英史郎さん

ネット上では読めないのですが

nanachan.umekichiさん のブログ 「素直に生きる」 に

記事の一部が 抜粋されています

記事の小見出しを列挙しておきます

差別放置に嫌気

仏教寺院の破壊頻発

予備軍2.5億人 実態見えず

隠れキリシタンの存在指摘も

佐々井上人の活動 に触発されて書かれた記事

と お見受けします

記事では 仏教徒の動きがフィーチャーされていますが

現地で 量的に (あくまでも 量的に!)

より深刻なのは 反クリスチャン暴力です

カースト問題の核は 不可触民 (ダリト, アンタッチャブル) 差別です

日本での いわゆる 「同和」 の ひどい版です

ここに ヒンドゥー教への反対が生じます

ヒンドゥー教がカースト制度とあまりに深く結びついているからです

カースト問題に対し、 良識ある人たちは 命がけで

一生懸命 取り組んできましたし、 今も取り組んでいます

インド人がこれをほったらかし、 などとは思ってはいけません

しかし、 何しろ うまくいかない

この社会制度は、 歴史の奥底からグネグネとわき上がってきて

近代史のなかで 特定の形に固定化されたものですから

もう 本当に! 解消困難な問題なのです

そのひずみが、 昨今の社会経済的大変動から生ずる不安と不満

とあいまって、 暴力事件として 頻発するようになってきました

ここ数年、 インドでとくに目立つようになった傾向です

仏教やキリスト教への改宗は そうした荒れた状況のなかで

あらためてクローズアップされる選択肢のひとつになってきています

2009年10月25日 (日)

宗教現象学の方法

山中弘先生 からの批判を受けて

宗教現象学と宗教社会学の関係について

ちょいちょい勉強しなおしている

  • 棚次正和・山中弘 (編著) 『宗教学入門』 (ミネルヴァ書房, 2005年3月)

も読みなおしている

この本は とても特徴的な力作で

別エントリで いつかちゃんと論評しなければ、 と思う

ここでは まずは紹介だけ

さらに ネット上で読める論文として

も紹介しておきます

エリアーデへの傾きがほどんどない宗教現象学を跡づける

堀越先生の試みは あらためて勉強になった

一読、 「宗教現象学の方法」 とは やはり

方法というよりは 理論に近いものだと確認した

これを 「方法」 として語らざるをえなかった、 あるいは

語りたくてしかたなかった 20世紀前半の欧州の

知的環境/力学に むしろ注目したほうがいいだろうな、 と

宗教学会ML

先日、 日本宗教学会からの 突然のメール

なんだ なんだ、 と思って見たら、 新企画のMLでした

下に転載させていただきます

研究会とか講演会とかの情報もあります

日本の宗教学/宗教研究が どういったことをやっているのか

皆さまにも 少しはイメージをもっていただければ  拝復

<以下 転載>

─━・▼・━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
日本宗教学会メールマガジン [創刊号]
━─━─━─━─━─━─━─━─2009年10月23日・△・━─

うららかな秋晴れが続いておりますが、 皆様ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。
先日、 京都大学で行われた第68回学術大会での総会でご報告いたしましたように、
このたび日本宗教学会メールマガジンが発行の運びとなりました。
今後、 学術大会に関連したお知らせを中心に配信させて頂く予定です。
創刊号となる本号には、 島薗進会長がご挨拶を寄せて下さいました。

-----●○ INDEX ○●----------------------------------

【1】  島薗進会長挨拶

【2】  学術大会関連情報

【3】  研究会・会議情報

【4】  国際会議開催情報

------------------------------------------------------

<下につづく>

続きを読む "宗教学会ML" »

2009年10月24日 (土)

宗教法人の優遇措置は必要か (3/3)

前便 からつづく

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から

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最後のお三方目は 中村圭志さん (編集者・翻訳家)

異物を抱え込む 「保険料」

このタイトルは 内容をちゃんと反映していない

まるで 単純な優遇措置是認論者 みたいに

聞こえませんか? 僕は 最初そう思いました

ちょっと違うんだと思います、 中村先生のおっしゃることは

近代の世俗国家が求める公益性= 「善きもの」 と、 宗教が説いてきた 「善きもの」 との間には常に緊張があります。 方向性が違う。 キリスト教も仏教も、 そもそもは、 現世・俗世を否定し、 「あっち側」 について語るためのことばの体系です

ここから 「異物」 と 「保険料」 の話になります

その意味で、 宗教は近代国家にとって 「異物」 となりうるものですが、 そんな 「ズレてるヤツ」 を抱え込む戦略を取った。 国家も間違えることがあると見越したからです。 一種の 「保険」、 別枠扱いで宗教を残した。 優遇措置の背景には、 そういう配慮が働いている

念のために言いますが、 これは 違法行為もあり!

なんてことを意味するのではありません

文明論のレベルでの 「異物」 「保険料」 です

宗教は不合理なものです。 ただ、合理では納得できない死や破滅を語り、 論理化してきた蓄積がある。 挫折を取り返しのつかない失敗でなく、 思索を立体化し深めてくれる出来事に変える。 「こっち側」 の損益計算では、 マイナスでしかない何かに目を向けさせ、 考えさせるところに宗教の真の 「公益」 があるのかもしれません

LAZYgunsBRISKY

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

紹介されたバンドです

なかなか カックイイです

もっともっといけそうな感じがして 期待大

2009年10月23日 (金)

宗教法人の優遇措置は必要か (2/3)

前便 からつづく

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お二人目は 高橋卓志さん (臨済宗神宮寺 (長野県松本市) 住職)

情報を開示し説明尽くせ

ご住職の高橋さんは 前便 で紹介した 山口広さん の提言を

言われるまでもなく ご自身で実践していらっしゃる方だ

記事は、 その報告にからめて、 伝統仏教界に

同様の意識改革と具体的なアクションをもとめる

まず、 日本の宗教法人は 本当に 《公益性》 を満たしているか

と 高橋さんは問いかけます

生きづらいこの時代、 助けを求めて 「ご神体」 などを購入した人々を責めることはできません。 本質的には 「宗教的な付加価値」 にいくら払うのかということなのですが、 人々は 「胡散臭いレ連中」 も伝統仏教も 「どっちもどっち」 と思っている

「お札や塔婆でお布施をいただく」 伝統仏教は

「胡散臭い連中」 と 自らの違いを ちゃんと考えていない

と、 高橋さんは言うのだ。 さらに 次の指摘――

全国に8万近くあるお寺は、 なぜ詐欺的な商法にひっかかった人々を救えなかったのでしょう。 伝統仏教は将来ある若者らの人生を誤らせたオウム真理教を 「邪教」 と切り捨てましたが、 「生きるとは何か」 などを厳しく問うこともなく、 人々の心の琴線に触れて宗教に向かわせる力を失っているのです

これでは 胸をはって優遇措置をうけられやしない・・・

お寺が公益性を持つ法人であり、 正しく活動していることを証明する方法は結局、 情報開示と説明責任に尽きます。 僕は様々なNPO (非営利組織) の活動にも携わっています。 NPOには情報開示や説明責任が義務づけられているのに、 宗教法人は本当に甘いと感じます

とくに仏教界に 高橋住職の叫びは むけられます

宗教法人の公共性は社会の様々な 「苦」、 人々の生老病死と向き合い、 寄り添い、 緩和しようとすることで認められる。 しかし、 大半の寺院は世襲と家業化が進み、 檀家制度というシステムに安住し、 社会の苦とは向き合えていない。 争議でも通り一遍のお経をあげるだけで、 納棺にすら立ち会わないお坊さんも多い。 寺の門も夜は締め切っているところが大半でしょう

ルビは省略

つまり、 高橋住職の経験と見識によれば

宗教法人 (伝統仏教教団、 寺院) は本来の姿を

とりもどせばいいだけなのだ!

寺から飛び出し、 世の中の苦と向き合う。 そこからしか寺院の公益性は回復できないと思うのです

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高橋住職の記事から教えられるのは

宗教界/伝統仏教界の可能性の大きさです

そこが活性化するなら、 宗教法人法の厳格な適用も

なにも問題などなくなっていくことでしょう

なぜ、 それができないのか・・・?

僕には 人材不足 だと思われます

《人材》 はむずかしいです

小賢しいくらいで 《人材》 ではない僕が 言うことではないんですが

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次便では 三人目の論考を ご紹介します

<つづく>

恋のマジックポーション

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

いかしてるよなぁ!

なかなか こういう曲は生まれないもんです

2009年10月22日 (木)

宗教法人の優遇措置は必要か (1/3)

2009年10月4日付 朝日新聞 朝刊、 オピニオン面に

宗教法人の優遇措置は必要か

ということで、 お三方の論説が載った

  1. 山口広さん (全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長) 「不正の温床になりかねない」
  2. 高橋卓志さん (臨済宗神宮寺 (長野県松本市) 住職) 「情報を開示し説明尽くせ」
  3. 中村圭志さん (編集者・翻訳家) 「異物を抱え込む 「保険料」」

ネット上では読めないようなので

要約しつつ 3回連続で 内容を紹介させていただきます

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から

なお、 この問題については

  • 井上順孝・国際宗教研究所 (編) 『宗教法人はどこが問題か』 (弘文堂, 1996年6月)

がある。 お恥ずかしながら コンドウ未見です (恥)

アマゾンでは取り扱っていないようなので

国際宗教研究所HPから直接注文してもいいかもしれません

また、 資料としては

  • 『宗教法人法: 誰でも読める。 誰でもわかる』 (大空社, 1996年1月)

は必読でしょう

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お一人目は 山口広さん (全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長)

不正の温床になりかねない

宗教法人法の基本精神である 《宗教活動の公益性》

これに見なおしをせまります

死者供養や檀家など特定の信者のケアだけで、 公益性を主張するのは疑問がある

ルビ省略

加えて、 宗教法人による脱税、 それに近い税負担軽減――

さらには、 脅しと詐欺、 所得隠し、 いわゆる霊感商法――

それが不正の温床となり、 悪用されている

こう述べてきて 山口さんは 日本では現状、

「信教の自由」 への配慮から

宗教法人格の取り消しはできない、

「休眠宗教法人」 の転売問題も ここから生ずる、 と指摘する

山口さんによれば、 アメリカの場合、 宗教法人への監査が

かなりしっかりしているとのこと

政治活動に関与した宗教法人は 課税対象となる

営利目的かどうかの審査もしっかりしている、 というのだ

もちろん山口さんは この制度を日本でも! と主張する

日本でも、 税務当局が対極的にチェックする体制を整えるべきだ。 税務関係者と宗教者側が率直に議論して、 あるべき宗教税制を探ってほしい

ただし、 日本もまったくの無策なのではない

文化庁には、 宗教法人法に基づき、 宗教法人に報告を求め、 質問し、 法人解散を裁判所に申し立てる権限もある。 問題のある宗教法人には調査権限を行使し、 違法活動が認められれば事業停止命令を出すべきだ

最後に、 山口さんは 宗教法人側にアドバイスする

ただ、 すべて原則課税ではなく、 非課税の面があっていい。 宗教法人は公益性を果たす意味で、 寺社や教会で広く一般向けの相談活動をやってはどうか。 全国に十数万の寺社や教会があり、 その一部でも相談会を定期的に開けば、 社会のオアシスになる。 一般の人々の宗教に対する理解や認識も深まるだろう

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宗教法人への行政介入をタブー視するのは

そろそろ終っていいのかもしれない

そうでなきゃ、 ちゃんとした法人がかわいそうだし

ちゃんとした宗教家がだれか、 いつまでたってもわからない

ただし、 僕の強調点は 山口さんとは ちょっとだけ違う

まず必要なのは、 国民が 宗教法人問題についての知識と見識を

最低限 もって、 行政を監視・批判できるようになること!

国家政府の権力強化を やすやすと見過ごすわけにはいかないから

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次便では お二人目の記事を紹介します

ハンピ

ハンピが世界遺産だということを、 彼は現地で知ったのだという。

貧乏旅行者向けの分厚いガイドブックで、 3分の1頁がわりあてられていただけの場所。 バンガロールからローカルバスで数時間、 それしかアクセス方法はないというのだから、 まさかそんなご大層な勲章をもったところだとは、 想像できるはずもなかった。

秋の昼下がり、 バスはハンピの街に入った。

街? むしろ村だ。

乾いた土地、 ところどころにため池。

お粗末な舗装をした幹線道の脇を、 トライバルの女性たちが、 籠を頭に載せて一列に歩く。 中身は、 山の物産…だろうか。 彼女たちはきっと、 それを小さなマーケットで、現金や品物に変えるのだろう。

ハンピは奇岩の場所である。 マシュマロのような、 角のとれた直方体の巨岩が列をなし、 層をなしている。 強い風がいつも吹いているから、 そんな光景ができあがる。

することは何もない。

500年前、 隆盛をきわめたヴィジャヤナガル朝の王都であったこの土地では、 無数の遺跡をめぐる以外には、 荒野を歩き、 バナナ畑の畔道をたどり、 岩山によじのぼり、 屋台でチャイをすするぐらいしか、 できることがそもそもないのだ。

三日後、 彼は、 川と荒野のあいだにそびえたつ岩山の上で、 午後いっぱいを過ごすことに決めた。

ナップザックには、 ミネラルウォーター3本。 乾ききった風は、 表皮からも水分を奪いとり、 気づかないうちに脱水症状におちいる、 と彼は聞き知っていた。

町はずれのホテルを出て、 荒野を横切る。 足元は、 土器やレンガのかけらで埋め尽くされている。 風が強い。 日の出ているあいだ、 その風はやまない。

そびえる奇岩の前に立つ。 人はだれもいない。 そういえば、 だれとすれ違いもしなかった。

岩に足をかける。 一辺十数メートルのマシュマロのあいだにできた細い道が、 先人の足跡をのこすものの、 それも途切れ途切れになる。 ときにはザラリとした手触りの堆積岩を、 彼は、 無理やりよじのぼったのだ、 と僕に語った。

ふいに、 開けた場所に出る。

マシュマロの一つが棚のようになって、 中空に突き出ている。 西の荒野に向かって開かれた (そここそは、 かつて王宮のあった空間だ)、 風が削りとったテラス。

彼はそこで見つけてしまったのだという。 水平の岩棚のうえに、 浅く浮き彫りにされたナーガを。

プージャーがおこなわれた様子は、 もう微塵もない。

かつて、 遊行のサードゥーがヨーガ三昧にひたった場所なのか。 王宮の侍女たちが夜な夜な人目をしのんでおとずれた呪術場なのか。 荒野の羊飼いたちが来世への良き転生を祈った場所なのか。

いずれにせよ、 彼はそこが自分の目的地であると知った。

まだまだ日差しは強い。 裏の岩陰に、 薄手の上着をしく (長袖の上着もまた、 大気に水をとられないようにする工夫だ)。

その上に座し、 ナップザックから一冊のペーパーバックを取り出す。

ヒンドゥー至上主義者たちの政党を分析した政治学者の本だ。

175ルピー。 1年前にアメリカで出版されたものの廉価版。 南アジア諸国民のためだけに、 インドから印刷出版されたものを、 彼はデリーで買いもとめてあった。

日が傾くまで、 彼はこの本を読みつづけた。 夕暮れ、 山をおりた。 空のペットボトル三つと、 緑色の本を背負って。

後年、 僕に語ってくれたところによれば、 彼の本棚にはまだその本が、 ボロボロの表紙のままおさまっているのだそうだ。

その後、 彼はその本を開いていない。

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こちらのエントリにいただいた

yokosawa さんのコメント へのお返しとして

2009年10月21日 (水)

宗教、世俗、政治

こちらのエントリ で最初にとり上げた 朝日新聞の記事

どう見る? 宗教の政治参加

二つ目のコメントです

一つ目のコメントは これまで三つのエントリにしてきました

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朝日新聞の記事 の中に 次の一段落がありました

乱れた世俗の秩序を宗教が築きなおす――。 使命感を帯びた宗教が政治に近づく動きは、 特に70年代からのグローバルな潮流だ。 米国での宗教右派の台頭はそうした宗教的ナショナリズムの一例。 幸福実現党という現象もまた、 その文脈でとらえられるだろう

ここで注目したいのは 《宗教/世俗》 の対語法です

こちらこちら で発表したように

この対語法は まだ日本語に一般的ではありません

宗教学的な専門用語、 出来立てホヤホヤではあるが

かなり強力な支持をうけている専門用語といえます

記者の 磯村健太郎さん は それをしっかりすくい取り

大新聞 アサヒ 紙上で 自ら使用なさっているわけです

まったく同様の現象を こちらのエントリ でも紹介しました

たまたま 朝日新聞からの事例がふたつ並びましたが

他のメディアでも 同様の現象が きっと起きているのでしょう

メディアのこうした言葉遣いが

《宗教/世俗》 の対語法を 日本語に定着させていくでしょう

スリランカ 密林の遺跡

ショートノーティスで恐縮ですが

今週末 下の公開講座があります

南アジア系ML "SAAF" より転載です

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第2回公開講座のお知らせ

「ワスゴムワ国立公園周辺の密林遺跡 ~2009年8月のスリランカ遺跡調査から~」

スリランカのジャングルには、 まだまだ 「未発見」 の遺跡が人知れず埋もれています。 当会では、 それらの遺跡を調査する 「密林遺跡探査隊」 をこの夏、 スリランカに派遣し、 仏像 (釈迦坐像) やスリランカ最大規模と思われる 「ソロウワ (暗渠式水路)」 を 「発見」 することができました。 今回は、 それら、 私たちが探査した遺跡を皆様にご紹介したいと思います。 お誘い合わせの上、 ぜひお越しいただきたく、 ご案内申し上げます。

○発表者:  執行一利 (南アジア遺跡探検調査会副理事)、 須藤あけみ (同理事)、 松山弥生 (同会員)、 栗原直矢 (同会員)

○日 時:  2009年10月24日 (土) 午後3時~5時 (入場無料)

○場 所:  東洋大学 白山キャンパス 東京都文京区白山5-28-20
(当日、 キャンパス内に教室番号を掲示します)

○最寄駅:  都営地下鉄三田線 「白山」 駅 A3出口から 「正面・南門」 へ徒歩5分
  東京メトロ南北線 「本駒込」 駅 1番出口から 「正門・南門」 へ徒歩5分

○地図・アクセス:  http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html

○問い合わせ先:  NPO事務局 090-3434-0866 (山嵜)

○詳しくは、 NPOウェッブサイト:  http://sarers.web.fc2.com

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
特定非営利活動法人 南アジア遺跡探検調査会 
(South Asian Ruins Exploration and Research Society)SARERS
NPO法人認証 19生都管法特第1998号 平成20年2月20日
〒177-0033 東京都練馬区高野台1丁目21番6-705 理事長 岡村 隆
問合せは事務局  山嵜 浩司
NPOウェッブサイト http://sarers.web.fc2.com 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

2009年10月20日 (火)

日本の政教分離

前便 からのつづきです

こちらのエントリ で引用した 朝日新聞の記事

どう見る? 宗教の政治参加

に関連して いろいろ書いております

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日本国憲法 第20条 の話にまいりましょう

信教の自由、 政教分離の件です

きわめて特徴的なことに、 幸福実現党は

みずから 「宗教政党」 を名乗っています

党の綱領に こうあります

一、 宗教政党としての 「理想国家」 の実現

宗教と政治は補完し合う関係にあり、 良い宗教と良い政治が協力し合った時、 国民に最高の幸福と繁栄がもたらされます。 幸福実現党は、 寛容を旨とする宗教政党として、 国民が精神的な豊かさを享受し、 経済的にも繁栄する理想的な国家を目指します。

憲法の正教分離原則については こう解しています

 「宗教に入信したら、 一切、 政治的発言や行動ができなくなる。 集会もできなくなる」 ということでは、 信教の自由を保障していることにはならないでしょう。 「信教の自由を放棄したら、 何人も政治上の権力を行使できる」 ということなら、 「信教の自由」 に反し、 唯物論国家になってしまいます。

 一般人が普通にいろいろな政治活動をできるように、 もちろん、 会社が政治活動をしてもかまわないわけです。 違法な献金など、 違法行為を伴わないならば、 自分の会社が有利になるような政党を応援したり、 自分の会社の産業が発展するような候補者を応援しても別にかまわないのです。

 それは宗教団体も同じであり、 法に反しないかぎり、 普通の団体ができることは、 すべてなしうる権利を、 当然、 持っているのです。

 そのように解釈しなければいけません。

 したがって、 第二十条一項後段の規定は、 主として、 国家神道による廃仏毀釈等の歴史上の事実から見て、 政治と宗教が一体になったときに、 他の宗教を弾圧するような行為を戒めていて、 「少数者の信教の自由も保障する」 ということを意味しているのです。
 また、 「国のほうも宗教に介入しないように」 ということを意味していると捉えてもよいと思います。

いかがでしょうか

憲法学者でもない僕が えらそうに言うことでもありませんが

この議論の全否定はなかなか難しいでしょう

そして実際、 幸福実現党は 公明党の例にならいつつ

それよりも明確な態度をもって 結党し 候補者を擁立したのでした

こうした動きに対し、 強い違和感や不安、 恐怖感や嫌悪感が

非信者のあいだには 明確にあります

憲法学と有権者感情の乖離は 健全ではありません

その齟齬は しばしば思わぬ攻撃性に転じます

憲法第20条について 最低限の理解がもとめられる所以です

記紀神話と考古学

<買う本>

素人 考古学ファンの宗教学者としては はずせません!

  • 磯前順一 『記紀神話と考古学: 歴史的始原へのノスタルジア』 (角川叢書 44, 角川学芸出版, 2009年9月)

必ずや オモシロイ本でありましょう!

2009年10月19日 (月)

宗教団体、「事件」、政治参加

前便 からのつづきです

こちらのエントリ でとり上げた 朝日新聞の記事

どう見る? 宗教の政治参加

に関連して いろいろ書いております

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日本の宗教政党にまつわる問題の第3として

  • 違法行為と社会撹乱 (特定宗教団体の特定活動の衝撃)

をあげました

先に言っておきますが 「特定宗教団体」 の話です

《全宗教団体》、 ましてや 《宗教全般》 ではありません!

しかも、 その一部団体の 「特定の活動」 の話です

《宗教活動全般》 ではありません!

さて・・・

(1)

詐欺商法や人権蹂躙、 その他刑法違反行為

これらは 犯罪の問題、 カルトの問題です

オウム真理教の政治参加は ここに関連します

(2)

ただし、 いわゆる 「カルト」 だけが

違法行為をおかすわけではありません

宗教法人は玉石混交ですから いろいろなのがあります

(3)

さらには 違法行為ではないにせよ 社会通念に抵触する行為

これが もうひとつの問題群です

創価学会には 言論弾圧事件

幸福の科学には フライデー事件 がありました

批判的な報道をおこなった各社に対する 集団的な示威行動

訴訟攻勢が その内容です

少数派の宗教集団である彼ら/彼女らは

社会全体から誹謗中傷をうけている、 と真剣に感じています

ピラミッド型組織にもとづく統一行動の日常化も手伝い

それへの抗議活動は 集団の結束力、 熱心さなどにおいて

きわめて激しいものになります

こうした経緯があって、 宗教政党の問題について

大手メディアは どうしても 腰が引けがちです

業務麻痺と 尋常ではない賠償額請求の訴訟を

抱えこむことになるからです

僕自身、 実名をさらすブログで こうしたことを書くのは

大変緊張させられます

こうした記憶は、 各種メディアで再生産され

非信者のあいだに 恐怖と不安を 芽生えさせます

ある種の偏見かもしれませんが、 まったくの無根拠でもない

そうしたところから 《特定宗教団体の政治参加》 に

日本人の多くの人たちには 警戒心をもつことになります

戦前戦中の 国家による少数派宗教団体への弾圧 の記憶は

大変重大なことなのですが

そちらの記憶は 負けてしまうということなのでしょう

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この論点については いくつかの研究がありますが

最近出たものとして

  • 藤田庄市 『宗教事件の内側: 精神を呪縛される人びと』 (岩波書店, 2008年11月)

を紹介させてください

マッカーサーのムシューキョー

<単なるメモ>

紺ガエルさんのブログ 「紺ガエルとの生活」 より

  • 福田和也 『昭和天皇 〈第三部〉 金融恐慌と血盟団事件』 (文藝春秋, 2009年8月)

の読後感のなかに 次の一節がありました

政教分離の建前のもとに、 国家神道が禁じられた直後にクリスマスをマッカーサーがGHQとして祝った際に。

「クリスマスを祝うのは宗教儀式ではなく、 政教分離に反しない」 と強弁したが故に。

不思議な宗教観が日本に根付く一因になった、 という指摘も面白かった。

近代日本の 《世俗化》、 精確には

近代日本における 《宗教/世俗の二分法》 の成立

そして 日本独自の 《無宗教 ムシューキョー》 の成立

に関連して 知っておいてよい情報だと思う

同書コンドウ未見ながら 備忘録として

2009年10月18日 (日)

日本の宗教政党

こちらのエントリ でとり上げた 朝日新聞の記事

どう見る? 宗教の政治参加

予告していたコメント 一つ目です

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本2009年度後期の授業にて

「日本の宗教政党」 を とり上げることになりました

学生さんたちのリクエスト 第2位!

幸福実現党 にビックリしたせいだと思われますが

期せずして 「宗教政治学」 的な関心が

わきあがっているようです

もちろんこうした関心は すぐに消えてしまうでしょう

それはもぉ 仕方のないことなのであって

大事なのは 正教関係の複雑な問題構成、 そして

今後の日本と世界にとっての この問題の重要性

これらを 学生さんの記憶と印象に 少しでも残すことです

僕の授業の方針は、 専門書、 専門論文、 専門語を

できるだけ使わない、 ということです

大学院に進学して 学者になろうという方は ほとんどいません

卒業後の人生において テレビや新聞や雑誌やネット情報やら

マンガやら日常会話 (ガールズ・トーク) や映画や小説やら

そして最後に最も大事なことに、 日常語!

それらで 問題の所在をいかにえぐりだし

いかに自分の意見を構築できるか―― そういう力を

少しでも築いて 卒業していっていただきたい、 と思うのです

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前置きが 長くなりました

まぁ とりあえず、 そんな授業を開くということで

「日本の宗教政党」 について 問題の所在をば

簡単にまとめておきたいと思います

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問題を三つに整理してみたいと思います

  1. 憲法 (政教分離原則)
  2. 社会 (脱世俗化、 その要因と背景)
  3. 違法行為と社会撹乱 (特定宗教団体の特定活動の衝撃)

第1の問題で中心的なのは 憲法第20条 の解釈です

いわゆる 政教分離問題 です

ややこしい問題に感じられるとしたら、 それは誤解です

タブー視されているだけ というのが 実情でしょう

なお、幸福実現党は この面で明確な立場を打ち出しています

これについては 別便を書きたいと思います

====================

第2の問題について 上記記事はこう述べていました

乱れた世俗の秩序を宗教が築きなおす――。 使命感を帯びた宗教が政治に近づく動きは、 特に70年代からのグローバルな潮流だ。 米国での宗教右派の台頭はそうした宗教的ナショナリズムの一例。 幸福実現党という現象もまた、 その文脈でとらえられるだろう

こう述べる 磯村健太郎さん が参考にしたのは

島田裕巳先生 の論説 だと思われます

現象としては 磯村さん/島田先生のおっしゃるとおりです

問題は、 なぜ それが起きていて、 何がどうなっていて

さらには、 各国各地域の事情が どう異なっているか、 です

《宗教の脱私事化》、 《公共領域の脱世俗化》 という潮流――

それがあるからって どうだというのでしょう?

大事なのは、 それを どう理解/解釈するか

そういう世界と国家社会のなかで 僕らがどうするか です!

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第3の問題は、 第2の問題に関連します

しかし、 もうすっかり長くなりました

次便に つづけたいと思います

<つづく>

イーココロ 300円

右サイドバーの 「イーココロ」

Photo

300円の募金ができました

ご協力ありがとうございます

せっかくネットサーフィンするなら

ちょっとだけ 足をとめていただく

引きつづき お願いいたします

あらためて ありがとうございます


恋する瞳は美しい @ Superfly

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

名曲です  カックイイです

この上手すぎるアレンジもすごいんですが

思いっきりシンプルな ベタな演奏でも聴いてみたいなぁ

ヘッタクソで チューニングもくるってるぐらいでも

かっこいいんじゃないかなぁ

越智さんに敬意を表して

ジャニスはもう紹介しましたので

キャロル・キングをば

2009年10月17日 (土)

宗教が現実政治にまみれること

2009年10月5日付 朝日新聞 朝刊、 文化面に

どう見る? 宗教の政治参加

幸福実現党 参院選も戦う構え

という記事が載った。 記者は 磯村健太郎さん

島田裕巳先生 の記事 「宗教政党」 をふまえての論説と

お見受けする

ネット上でも読める ので (タイトルはちょっと変えられている)

下に切り貼りさせていただきます

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から 

なお、 この記事については 言いたいことが 二つあります

数日間 連載予定の続便も どうぞご覧くださいませ m(_ _)m

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どう見る?宗教の政治参加 参院選も戦う構え 幸福実現党

2009年10月5日10時58分

 宗教法人・幸福の科学が、 政治にからんだ動きをしている。 この夏の総選挙では幸福実現党から多くの候補者を立て、 極端な国防論などを展開。 来年の参院選も戦う構えだ。 政治にかかわろうとする宗教を、 どう見たらよいのか。

 幸福実現党は今回、 小選挙区だけでも288人の候補をそろえた。 党首を兼ねた大川隆法総裁も比例区に立ったが、 全員落ちた。 比例区での得票数は計約46万票。 これは実態の分かりにくい教団の大きさを測る一つの目安となる。 小選挙区は計約107万票で、 既成政党への批判票などが回った可能性がある。

 教団は来春、 松下政経塾のように政治家などを養成する機関をつくる予定という。 長期戦にも見え、 教団の単なる宣伝活動とも言い切れない。

 立党は5月。 大川総裁は月刊誌 「文芸春秋」 8月号で、 当時の麻生政権に対する失望感を述べたうえで 「アメリカがオバマ政権になった上に、 日本まで民主党政権になったら、 国防上たいへんな危機」 「政権交代へのせめてもの抵抗」 などと動機の一端を語っている。 党は選挙戦で、 北朝鮮のミサイル基地への先制攻撃論を繰り広げた。

 「今のままでは、 愛する人も守れない」 といったキャッチコピーには愛国的な響きがある。 だが、 依拠するのは大川総裁の霊的な世界観であり、 神道系の神々や天皇制には距離を置くのが特徴だ。

 乱れた世俗の秩序を宗教が築きなおす――。 使命感を帯びた宗教が政治に近づく動きは、 特に70年代からのグローバルな潮流だ。 米国での宗教右派の台頭はそうした宗教的ナショナリズムの一例。 幸福実現党という現象もまた、 その文脈でとらえられるだろう。

 みずからを宗教政党と呼ぶ幸福実現党。 綱領では 「宗教と政治は補完し合う関係」 と述べている。 しかし、 そのような考えを違和感なく受け入れられる人は少ないはずだ。 欧州の国々にキリスト教政党が多くあるのは、 キリスト教が基本的な文化として広く共有されるからで、 日本とは宗教的な土壌が違う。

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金融危機後の世界

<読む本>

  • ジャック・アタリ 『金融危機後の世界』 (林昌宏訳, 作品社, 2009年8月)

そろそろ 読まねば さすがにまずかろう

2009年10月16日 (金)

経済、宗教、政治

こちらのエントリ で紹介して

ことあるごとに つまびいている

  • 大田一廣・鈴木信雄・高哲男・八木紀一郎 『新版 経済思想史: 社会認識の諸類型』 (名古屋大学出版会, 2006年)

その序章

  • 鈴木信雄 「「経済学」 と経済思想史」 (大田一廣・鈴木信雄・高哲男・八木紀一郎 『新版 経済思想史: 社会認識の諸類型』, 名古屋大学出版会, 2006年, 1-7頁)

より、 抜き書きさせていただきます

近代の揺籃期であるルネサンスの思想家たち、 たとえば、 N・マキャヴェッリが、 「権力と安全」 を社会哲学上の主要テーマとして、 「隣人の手による非業の死」 を政治的に防ぎ、 生命の再生産を政治的に保障するシステムを 「君主」 の備えるべき資質を [助詞ママ] 明らかにするという仕方で探求したのは、 「暴力」 と 「貧困」 の克服を思想的テーマとしていたからに他ならない。 また、 社会契約という仮説を立てて人間の自己保存の可能性=社会秩序の成立を説くT・ホッブズやJ・ロック、 あるいは私有財産制に伴う階級的収奪に社会的貧困の原因を見たJ-J・ルソーといった近代市民革命の理論的先駆をなした思想家たちも、 同様な問題を思想的・実践的課題として設定していたといってよい

1頁

経済学が生誕したのは、 まさにこうした思想的・実践的営みの直中においてであった。 こうした営みにおける経済学の際立った特徴は、 宗教的行為や政治的行為ではなく、 生産活動や商業活動といった人々を富裕化させる経済的行為が、 秩序と安全の確立に決定的な役割を担うとした点にある。 つまり、 富裕の問題と秩序形成の問題は密接不可分の関係にあるという認識こそが、 宗教的言説や政治的言説から独立した学としての経済学の成立を可能ならしめたものであった

《宗教/世俗の二元論》 をみとめたとして

《世俗》 の内部は 少なくとも二つに区分けされうる

《経済》 と 《政治》 である

少なくとも A・スミス以来の経済学の強い自己意識では

そうだ、 と鈴木先生はおっしゃる

エコノミーの世界は富と秩序を産出するシステムであるという認識こそが、 経済学という近代的知の成立する基盤であったのである。 経済学の歴史の中で、 あらゆる社会現象を演出する根本的原理は経済過程にあると見る 「経済決定論」 と呼ばれる考え方が有力であるのはこうした理由による

2頁

高級ブランド店、続々閉店?

<気になる記事>

高級ブランド店、続々閉店?

ブランド信仰とは まさに 「信仰」 の概念がふさわしく

宗教学者としては ちゃんと考えてみないといけないのだが

そういうことよりも、 バブル世代として

時流に違和感をもちつづけてきた者としては

感慨深いものがある記事でした

2009年10月15日 (木)

電脳コイル

こちらのエントリ につづいて、 アニメ強化月間の報告――

  • 「電脳コイル」 (磯光雄, 2007年)

観ました

切れ味抜群の宗教学者 大田俊寛さん のHP ではじめて知って

これはみなきゃ! と思い知らされ

大田さんも 「夏休みにどうぞ」 と書いておられたので

夏休みをかけて ちょっとちょっと 観ていきました

よかった、 というか 正直 圧巻でした

これだから 星雲賞もそうですが、 日本SF大賞!

信頼してるところがあるんです

VRやARという 最先端情報技術を素材にした近未来SF

ということになるんでしょうが

(1)

テーマが ごくごく古典的なんですね

もちろん これは讃辞です!

少年少女の試練と成長、 別離と友情、 冒険と探検

おとなとこども、 想いと技術、 魂と肉体、 男子と女子

魔術と体術、 親分と子分、 お袋のゴハンに親父のゲンコツ

駄菓子屋と校舎、 謎の転校生、 秘密の場所、 秘密の基地

などなど どれもこれも 《子ども》 の世界につきささります

昔ながらの 良質の 《児童文学》 ですね、 これは!

(2)

そこに、 一方で 神社、 自由研究、 地蔵、 鳥居、 入道雲

なんかの 昭和期日本的なものが

もう一方で、 企業、 行政、 情報技術、 いじめ

なんかの 現代日本社会的なものが

この作品を特徴的なものにしています

昭和40年代生まれの僕には このミキシングはたまりませんが

今の子供たちも これを喜んでくれたのかなぁ・・・

(3)

そして、 想いと魂の領域としての異界/霊界と 電脳空間――

これ以上書くとネタバレになりますから 書きませんが

その二つ (ないしは三つ) の空間相の 絶妙な貫通!

見事としか 言いようがありません

終盤なんか もぉ ハラハラしちゃって かわいそうで

すっかり オッサン目線で 感情移入してしまいました

(韓流恋愛ドラマにはまる おばちゃん、 おばあちゃんのごとし)

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DVDだと一気見できてしまうのが かえって残念でした

伏線をはって 思わせぶりに一話を終える

これまた王道の手法は健在

全26話という長さも ちょうどよかったように感じました

毎週毎週 次のお話を楽しみに ワクワクしている

最終回がいやで 悲しくなってしまう――

塾通いでいそがしい小中学生が

そんな体験を もしもってくれたなら、 なんだか

すごくうれしいし、 うらやましいですよ (笑)

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動画は あえてパフュームで

死生観を学ぶ

国際宗教研究所 より 

第8回 「生と死」 研究会

のお知らせをいただきました

下に転載いたします

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拝啓  時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
財団法人国際宗教研究所は、 東洋英和女学院大学・死生学研究所との共催で第8回 「生と死」 研究会を下記の要領で開催いたします。
参加ご希望の方は10月20日 (火) までに国際宗教研究所にメール (info@iisr.jp) かファックス (03-5373-5855) でお申し込みください。
尚、 当日の受付も行います。

日時:  2009年10月24日 (土)
  14:40~17:50 (受付開始 14:10)
場所:  東洋英和女学院大学大学院校舎 201教室
   東京都港区六本木5-14-40
電話:  03-3583-4031

テーマ:  「死生観を学ぶ」

研究発表 (1)  14:40~16:10
宇都宮輝夫 (北海道大学教授)
発表題:  「死生観を学ぶことと死への態度を形成すること」

<概要>
 学問は、 通常、 実践との何らかの関わりを念頭においており、 特に死生学はかなりはっきりした実践的目的を持っています。 死生観を学ぶことも、 知的教養の幅を広げる目的でなされるのではなく、 むしろ通常は、 死に対するいかなる態度が望ましいのかを見極めること、 またそれを実際に形成することを目指しています。 しかしながら、 死生観の学習は、 死に対する態度の形成にどこまで現実的な作用を及ぼしうるのでしょうか。 死生観を学ぶことの意義と限界を、 人格形成・アイデンティティ形成という観点から考えてみたいと思います。

研究発表 (2)  16:20~17:50
藤腹明子 (仏教看護・ビハーラ学会会長)
発表題:  「人の生き様、死に様に学ぶ生死観」
 
<概要>
 個々人の 「生死観」 は生き様を含め、 その人が望むその人らしい最期を迎えるうえでとても大切なものではないかと考えています。 つまり、 その人の 「生き様」 を含め 「死に様」 を決めるのは生死観である、 といっても過言ではないように思います。 看護者として、 いろいろな方の臨終や死に立ち会ってきました。 今回は、 そのような看取りの体験を通じて、 その人の生死観が、 なぜ看取りや看取られ方の在りようを左右することになるのか、 なぜ生死観が大切なのかなどについて、 仏教看護を標榜する立場から考えてみたいと思います。

国際宗教研究所ウェブサイトの案内ページ
http://www.iisr.jp/news.htm#seitoshi
(各発表の参考文献も挙げてあります。)

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2009年10月14日 (水)

秒速5センチメートル

こちらのエントリでの yokosawa さんとの話をうけ

アニメ強化月間 を敢行中

本務校の 「基礎演習」 という授業で 映画を題材に

資料解読の基礎 を教えるという試みをはじめたので

(きっかけは 「シンポ 映画の中の宗教文化」 です)

最近の若者の感性を 少しでも知っておこう

そういう目論見もあります

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ということで、 「ほしのこえ」 がよかった 新海誠監督

  • 「秒速5センチメートル」 (新海誠, 2007年)

を レンタルして鑑賞してみた

よかった

第3話は 二度見してしまった

音楽と映像のマッチングが 絶妙で

このPV (↓) は それではないんですけどね

一口で 叙情的/抒情的な 作品だ

距離と時間、 すなわち速度が引きおこす 

ヒトのココロの切ない移り変わり――

新海監督が いつも追求してきたもの

それが もぉ ここで爆発している

よかった。 キュンときた。 正直 おセンチになった

あわてて レンタルショップの棚の となりにあった

  • 「雲のむこう、 約束の場所」 (新海誠, 2004年)

も借りちゃいました

インドのビジネス環境

(有) アイジェイシー 土肥克彦さんのメルマガ

インドの今を知る! 一歩先読むビジネスのヒント!

No.1059 (2009/10/7) の記事

大変興味深かったです

以下、 部分的に引用させていただきます

土肥さん>  いつも情報 ありがとうございます

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http://archive.mag2.com/0000169005/20091007101000000.html

【 今日の記事 】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━

インドのビジネス環境度133位: 契約の有効度はほぼ最下位

インド新聞    2009/9/10
────────────────────────

世界銀行と傘下の国際金融公社 (IFC) は9日、 世界183カ国・地域の比較である 「ドーイングビジネス (ビジネス環境) 2010」 を発表した。 各国・地域でのビジネス遂行の容易さ・便益性をランキングしたもの。

(後略)

【 今日のキモ 】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■これは、 以下の10のビジネス環境インデックスによってランキングを決定したものです。

■「ビジネス環境2010」 における総合評価トップはシンガポールで、 2位はニュージーランド、 3位が香港、 4位が米国でした。

■日本は15位で、 前年の13位からランクを下げました。

■投資先、 成長力の高さなどで注目されている中国は89位 (前年86位)、 ベトナムは93位 (同91位)、 インドは133位 (同132位) と評価は低いものでした。

■南アジア諸国は、 インドの133位のほか、 パキスタンが85位 (前年85位)、 スリランカ105位 (同97位)、 バングラデシュ119位 (同115位)、 ネパール123位 (同123位)、 ブータン126位 (同124位) と総じて低い評価でした。

■対インドでの個別評価は、 起業の容易度169位、 建設認可取得容易度175位、 従業員雇用容易度104位、 財産の登録容易度93位、 税金支払い容易度169位、 輸出入手続き容易度94位、 契約の有効度182位、 ビジネス清算の容易度138位といずれも厳しい評価でした。

■特に契約の有効度はほぼ最下位でした

<以下略>

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2009年10月13日 (火)

WHOとスピリチュアルケア

「スピリチュアル」 というコトバは 今の日本で

江原啓之さん の影響が強すぎるからだろうか

霊とかオーラとか 超自然的な存在やパワーとか

どうもそっちの方でイメージされがちですね

それから、 癒しとかエコとか そっちもあります

そして もうひとつ、 あまり知られていないのですが

(専門家には まったく周知のことなのですが)

医療現場 で 「スピリチュアル」 というコトバが

大変 重要視されるようになっています

そのきっかけは、 WHOの動きでした

井上ウィマラ先生 (高野山大学 准教授) のコラム

  • 「日本におけるスピリチュアルケアの動向」 (『国際宗教研究所ニュースレター』 第63号, 09-2, 2009.7.25, 3-6頁)

にて、 その辺りが 端的にまとめてありました

シシリーは、 患者のもつ自責の念、 罪の感情、 自分自身の存在に価値がなくなったという感じを伴う苦悶をスピリチュアルな痛みと呼び、 それに対する援助 (スピリチュアルケア) の必要性を説いた。 1989年、 WHO は緩和ケアの定義において、 「スピリチュアルな問題の解決」 を取り上げた。 また、 健康に関する定義に関して、 従来の 「身体的、 心理的、 社会的に良好な状態」 に加えて 「スピリチュアル」 という条件を加えるという改正案が1998年に議論された。 このような流れの中で、 スピリチュアルケアは全人的ケアの重要な一環として注目されるようになってきたのである

3頁

最初の 「シシリー」 とは

1960年代代 イギリスで ホスピス運動を主導し

現代の世界的なこの運動に 大きな影響を与えた

シシリー・ソンダースさん のことである

 

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【メモ】

『国際宗教研究所ニュースレター』 は 同研究所のサイト から購入できます

なかなか面白い小冊子です。 おすすめです

ネパールの保健医療

<読む本>

  • 小野一男・湯舟貞子 (編) 『途上国における国際保健: ネパールの保健医療』 (ふくろう出版, 2009年5月)

気になったので メモ書きとして

2009年10月12日 (月)

世俗世界の道徳、超俗的な宗教

前便 よりつづく

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次の本からの引用です

  • 間宮陽介 『増補 ケインズとハイエク: 〈自由〉 の変容』 (ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2006年)

《超俗/世俗》 の対語 との関連で

ムーアは片足を新しい天国の敷居にかけ、 もう一方の足をシジウィックとベンサム主義の功利計算の中に突っ込んでいた、 とケインズは回想記の中で述べている。 ケインズは 『原理』 の 「理想」 の章に天国を見、 「倫理学の行為に対する関係」 という章に功利主義の計算世界を見た。 一方は超俗的な宗教であり、 他方の実践倫理学は世俗世界の道徳だと彼は呼んだ

21頁

ケインズの 「回想記」 は未見であるから

「超俗」 「世俗」 の原語が何であるかは わからない

当面、 このような日本語

2006年 (文庫版) と 1989年 (原著) に語られていたこと

この点を確認しておきたい

間宮先生は つづけます

宗教はその目的そのものに関わるが、 道徳は手段の正しさに関わる。 目的としての善は直覚されるよりほかに知る道はないが、 目的に対する手段の正しさは、 手段の目的に対する貢献の度合によって知ることができる

「宗教」 とは 「目的そのもの」 すなわち 「善」 の 「直覚」 である――

この用語法が どこまでムーアのもので

どこまでが間宮先生のものなのか 文章からは判然としない

ただここで確認しておきたいのは、 くり返すが

当時の日本語として これが通用していた (おそらく今も)

この事実である

【研究会】 アジア社会研究会

「アジア社会研究会」 にて 発表させていただくことになりました

11月1日 (日) の午後です

場所は 津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス です

近代南アジア史を概観するなかで

コミュナリズムとセキュラリズムの問題を

いくらか理論的に とらえなおしてみたいと思っています

(僕だけ 仮題なのが 面目ないです)

以下、 いただいたプログラムを掲載いたいたします

皆さまのご参加、 お待ち申し上げます m(_ _)m

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アジア社会研究会 研究大会

日時: 11月1日(日)10時~17時半

場所: 津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス(JR千駄ヶ谷駅前)

     別館1階A101教室(津田ホール隣)

プログラム

10:00~12:30 第一部 「インド・中国・イスラーム(研究)の20年」

  • 柳澤悠 (千葉大学) 「1980年代以降のインドの環境研究の動向」
  • 小林寧子 (南山大学) 「変貌するインドネシアと地域研究: イスラーム、 華人、 『地方』」
  • 佐々木衛 (神戸大学) 「現代中国の社会発展の構造ーー移動と地域社会の視点から」

12:30~13:30 昼休憩 (運営委員会: 昼食を兼ねる)

13:30~14:00 総会

14:15~16:15 第二部 「インド、 中国、 イスラームに関する研究」 

  • 張玉玲 (山口県立大学) 「華僑文化の創出とアイデンティティ」
  • 近藤光晴 (日本女子大学) 「インドのセキュラリズムとコミュナリズム」 (仮題)
  • 嶺崎寛子 (日本学術振興会特別研究員PD 東京大学東洋文化研究所) 「日本の中東地域研究とジェンダー研究: その可能性と課題」

16:30~17:30 第三部 総括討論

その後、懇親会予定

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2009年10月11日 (日)

世俗と超俗

こちらのエントリ で紹介した 次の本より

  • 間宮陽介 『増補 ケインズとハイエク: 〈自由〉 の変容』 (ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2006年)

いくつかの個所を 書きぬきです

ムーアの倫理学自身が多分にそのような性格をもっていた。 功利主義の倫理学が有用性と便宜性の世俗界の倫理学だったとすれば、 ムーアの倫理学はまさに真・善・美の超俗界のそれであった

18頁

僕が注目したのは、 《世俗/超俗》 の対語です

《宗教/世俗の二分法》 という考え方 にのっとるなら

《宗教=超俗》 で、 具体的には 《真善美》 の決定的重要視

ということになる

この段落に先立っては 次のように書かれている

G・E・ムーアはこのような空間 [公私が融合してしまうところの新しい価値空間: 引用者注] を創造するために格好の価値を提供した。 利害ぬきの人間的交流と美的享受、 という価値がそれである

17頁

「ムーア倫理学の説く善や、 友情、 美的享受といった価値」

こうした 「ムーアの価値」 は、 ケインズが属した

「ブルームズベリー・グループ」 の 「価値空間」 として 「受肉」 された

ブルームズベリー・グループにはミルのような外部世界との確執が稀薄である。 …[中略]… 実際、 彼らは対外的な活動的生活、 世間の物質的生活よりは、 魂の内的生活のほうが重要であり、 価値があるという信念をもっていた

17-18頁

間宮先生は 言葉をつぐ

美や友情といった価値自体がどこか肉体性を欠いたものだった

18頁

引用は文庫2006年版、 原著は1989年刊

日本語における 《世俗》 概念の ひとつの使用法であり

かつまた、 《宗教》 概念の意味内容を充填するものでもある

すなわち、 《宗教》 とは 《超俗的》 である

<つづく>

バングラデシュの先住民族

南アジア系ML 「SAAF」 にて

以下の案内がきました

転載させていただきます

これはなかなかよい企画です!

日本ではほとんど知られていない問題でありますが

これを機会に いろんな方に 関心をもっていただければ

私としても 大変うれしいです

Kさん>  ご連絡ありがとうございます

<以下 引用です>

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.......☆............☆............☆............☆............

「コルノフリの涙」上映会+タンビール・モカメル監督対談のつどい
...................................................................

『コルノフリの涙』 の冒頭はチャクマ族の老女がバングラデシュチッタゴン丘陵の昔の話をするシーンから始まる。 カメラアングルから見た彼の目はきわめて淡々に、 先住するジュマの人々と入植者であるベンガル人を描いていく。 バングラデシュを時間的にも空間的にも、 時代を超えて深い視野で、 作者は描こうとしているかのようだ。 おそらくベンガル人の映画作家によってはじめて描かれたチッタゴン丘陵のドキュメンタリー映画だろう。 『コルノフリの涙』 は、 その質の高い表現にもかかわらず発表後すぐに上映禁止となった。 来日中の監督に、 この作品の製作意図、 映像を通して見えきたベンガル社会の実像について、 ラロン・フォキルにも詳しい福澤氏が聞く。

日時:  2009年10月24日 (土) 14:00~16:30 (開場13:30)
場所:  立教大学池袋キャンパス4号館4406教室 (池袋西口より徒歩約7分)
(〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1)
地図:http://www.rikkyo.ac.jp/access/pmap/ikebukuro.html

定員:100名
参加費:無料

共催:ジュマ・ネット/立教大学法学部/アジア・リーダーシップ・フェロー・プログラム(国際文化会館・国際交流基金共催事業)

申込み:10/23までにメールか電話、FAXでジュマ・ネット事務所までお申込みく
ださい。
※定員に達していない場合は、当日参加も歓迎します。

問合せ・申込み先:
ジュマ・ネット事務所 
〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6 丸幸ビル5F
TEL&FAX:03-3831-1072 Email: jummanet@gmail.com 
URL:http://www.jummanet.org/

★日本語の通訳がつきますので、どなたでもご参加いただけます。

【当日のプログラム】
第1部
13:30~ 開場
14:00~ はじめの挨拶
14:05~ 『コルノフリの涙』上映(1時間)
15:05~ 休憩
第2部
15:15~ タンビール氏と福澤郁文氏との対談
『コルノフルの涙』から見えるチッタゴン丘陵の人々、その歴史・質疑応答
16:30  終了

■Tanvir Mokammel氏プロフィール
バングラデシュを代表する映画監督、 作家。 ダッカ大学で英米文学を専攻後、 左派系ジャーナリストとして働いたあと、 バングラデシュ全土の農民を組織する左派系活動家として活躍。 その後、 大学時代から関心の高かった映画の世界で本格的な活動に入る。 これまで5本の長編映画と11本のドキュメンタリーを作成した。
社会性のあるテーマに対する国内外の評価は高く、映画祭での受賞作品も多数。
ベンガル民謡ラウルの作曲家ラロン・フォキルの生涯を描いた 『ラロン』 (2004年)、 貧しい村に偽りの寺院を作りイスラム聖職者になりきる男を描いた 『根のない樹』 (2001年)、 チッタゴン丘陵地帯の先住民族と入植者との対立を描き、 バングラデシュ国内では上映禁止となったドキュメンタリー 『コルノフリの涙』 (2005年) などは、 日本でも上映された。
作家としても多彩で、 新聞への寄稿のほか、詩、短編小説、文芸批評など数多くの作品を執筆。

■福澤郁文氏プロフィール
グラフィックデザイナー、(株) デザインFF代表。
雑誌や本のデザインを中心に、 国際協力や開発教育などの編集デザインを多く手がけている。 アート系ワークショプのファシリテーター。 亜細亜大学で 「国際NGO論」、 桑沢デザイン研究所で 「視覚伝達論」 などの講師を努める。 バングラデシュの独立戦争 (1970年) 直後に復興ボランティアとして現地に渡り、 帰国後、 海外協力の市民活動を立ち上げる。 それ以来、 約40年にわたり、 シャプラニール=市民による海外協力の会をはじめ、 開発教育、 APEX、 ジュマネットなどでNGOの活動を担ってきた。 アジアの旅と音楽を楽しみ、 特にバウルなど豊潤なベンガル文化に強く魅かれている。

2009年10月10日 (土)

世界最古の土器

こちらのエントリ にまたまたつづいて 考古学の話題です

以前から気になっていたことですが

日本の石器が 世界最古 なんですよね

年表をみたことがあって、 石器の項目のところで

飛びぬけて古いところに 日本というのがある

石器捏造問題があったから、 そういうことであって

外国のライターがそこまでフォローしていないってことなのかな

と 思う一方、 ちゃんとした研究書でも そういうことになっていて

やっぱりどういうことなんだろう、 と疑問でした

さらに、 シベリアでも同じぐらい古い土器がみつかったというのも

聞いていて、 どうなっているのか さらに混乱していた

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この疑問に 端的にこたえてくれた記事が

日本の土器、 世界最古なの?

2009年10月3日付 朝日新聞 朝刊、 文化面に載った

毎週土曜の 「文化特捜隊」 コーナーである

記者は 宮代栄一さん

ネット上でも読める ので、 下に切り貼りさせていただきます

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から 

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日本の土器、 世界最古なの?

2009年10月3日11時6分Photo

「日本の土器が世界で一番古いってホントなの? なんでなの?」。 半月ほど前、 会議の席上、 特捜隊長から突っ込みを入れられた。 「そういえば変ですね。 でも、 なぜか、 そういうことになってるんですよね」 と、 文化財・歴史担当ながら、 答えにならない答えをつぶやいた私。 「土器が生まれた理由も含めて調べてみてよ」 との一声で、 調査を始めることにした。

    ◇

 東京・池袋のサンシャインシティにある古代オリエント博物館を訪ねた。 世界各地の古い土器など、 約200点を集めた展覧会「世界の土器の始まりと造形 ―― ドキドキ! 土器って面白い!」 が、 11月29日まで開かれている。

<下につづきます>

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続きを読む "世界最古の土器" »

週刊新潮

《宗教概念にまつわる言説空間 ―現代日本の場合―》

というテーマを コツコツ追究していると

「宗教」 というコトバの使用法が すごく気になる

電車の吊り広告にも、 それで よく目が留まる

宗教団体系の広告もよくある一方、 一般広告にも

「宗教」 にまつわるコトバがときどき登場している

ふと気づいた

なかでも印象的なのは 『週刊新潮』 のコトバ遣いだ

「宗教」 というコトバに 否定的なイメージをあたえる

(それはそれで もちろん 意義があるのだけど)

代表的なメディアのひとつなんだろうなぁ、 と

あたりをつけるようになってきた

その具体例は 追々 ご紹介するとして

まずは この週刊誌の成り立ちとか読者層とか

その辺りを おさえておきたいと思う

断片的ではあるが、 ネット上の情報をふたつ

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http://www.asyura.com/09/hihyo9/msg/235.html

『週刊新潮』は、 昔は40歳を過ぎたら読む雑誌でした。 今は50歳、 60歳を過ぎたらと年齢層がさらに上がっているでしょうが、 昔から高年齢層に強かった。

しかし、 その後の経済低迷により、 若い人たちが出世に魅力を感じなくなったことで、 『週刊現代』 と 『週刊ポスト』 が部数を落としていく。 『週刊文春』 と 『週刊新潮』 はサロン雑誌的な側面もあって、 サラリーマンだけでなく、 もう少しターゲットが広いから、 あまり影響を受けなかったが、 今やこちらも落ちてきている

これは 元木昌彦さん の談話だそうだ

元木さんについては、 次のような紹介がある

1990年代、 『週刊現代』 編集長として黄金時代を築くだけでなく、 『フライデー』 編集長、 講談社第一編集局長、 インターネットマガジン 『Web現代』 創刊編集長、 市民参加型メディア 『オーマイニュース日本版』 編集長さらに代表取締役社長を歴任した

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http://www.geocities.jp/showahistory/history07/61a.html

こちらのサイトでも 同じようなことが言われている

硬派2大週刊誌を見てみよう。 文藝春秋の週刊文春 (52万部)、 新潮社の週刊新潮 (45万部)は、 週刊ポスト、 週刊現代と違ってヌードグラビアがない事から、 ここでは硬派2大誌として扱う。 どちらもワイド特集などを得意とし、 政治向きには保守的な傾向を帯びた誌面となっている。 週刊文春はエッセイなどにも多彩な執筆陣を取り揃えて、 この手の週刊誌には珍しく、 女性読者層を掴んでいるのが特徴。 週刊新潮はどぎつい見出しと石頭とも揶揄される記事構成が特色で、 週刊文春よりも読者ターゲットは狭い。 若年層、 女性が普通に手を伸ばすか伸ばさないかが、 週刊文春と週刊新潮の違いだろう。 どちらも表紙はイラストを使用している

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http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/about/

『週刊新潮』 による 自己規定はこうです

〈「週刊新潮」 は週刊誌というより、 ほとんど人である。 辻に立って、 夜な夜な紳士貴顕を斬る百六十ページの眠狂四郎である。 ときどき魔剣ないし凶刃になることもあるが、 円月殺法の切り口が見事である。 シバレンではないが、 創刊五十年ようやく「剣鬼」の風格も出てきた〉

 「週刊新潮」 は1956年 (昭和31年) 2月に、 出版社が出す初めての週刊誌として創刊されました。

 それから半世紀後の2006年 (平成16年)、 「週刊新潮」 は創刊50周年を迎え、 その記念企画 「週刊新潮と私」 に、 作家の徳岡孝夫氏が寄せられのが上記の文章です。

 50年という長い時を経ても、 「週刊新潮」 の編集方針は、 創刊当時から全くと言って良いほど変わっていません。

 何より、 文芸出版社から発行される週刊誌として、 常に 「人間という存在」 を強く意識した記事作りをしています。 それはまさに 「殺人事件を文学としてとらえる」 ことでもあります。 偽善を嫌い、 人間の本質に切り込む姿勢は、 時に 「世の中を斜めからシニカルに見ている」 と評されることもあります。

 また、 皇室、 学界、 右翼、 左翼、 宗教団体、 暴力団、 日教組、 動労…… 時代により、 その対象は変わりますが、 あらゆる “タブー” に挑む姿勢も一貫しています。

 最近では、 「加害者の方が、 被害者より手厚く保護されている」 という少年犯罪の不可解な “タブー” を問題にし、 少年法が改正されるに至っています。

 世の中が左に振れても右に振れても、 「週刊新潮」 は常に変わらぬ主張を堅持し、 その一貫した姿勢が読者に支持されてきました。 今後もマスコミ界の 「剣鬼」 として、 「魔剣や凶刃」 に磨きをかけていきたいと思っています。

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このようなものとしての 『週刊新潮』 から

宗教団体のスキャンダルや裏事情についての記事が量産され

「宗教」 というコトバに いやぁなイメージが

付与されていくわけである

(繰り返します。 これは まったく 意義あることです!)

【メモ】  『週刊新潮』 のHPはこちら

イーココロ 強化週間

右サイドバーに 加えました

イーココロ

ぜひ! クリックをばお願いいたします m(_ _)m

2009年10月 9日 (金)

ある島の可能性

本をめくったら メモが出てきた

  • ミシェル・ウエルベック 『ある島の可能性』 (中村佳子訳, 角川書店, 2007年2月 [原 2005年])

の間に はさがっていた

そういえば、 ウエルベックの記事を書いてなかった

断片的なメモ書きが いくつか

そのまま ここに採録しておこう

たまにはこういうのもいい

ウエルベックには ちょうどいい

  • 195  からだ
  • 314f  欧州の 「宗教」 の現状
  • 316ff  世界の 「宗教」 の未来
  • 328  「新たな宗教の発展」
  • 348  現代人の一生… なんともまぁ… 夢も希望もないこと しかし、僕は、まさにこんな人生を背負っているのかもしれない
  • 364  「神秘体験」 の描写だ… これは…
  • 423  「無限、という概念」

6万アクセス

昨晩 本ブログのカウンタが 6万を超えました

管理ページのカウンタでは 先月末に超えていたのですが

どういうわけか ブログ本体の方とは 数字がずれています

ともあれ

いつもご愛顧ありがとうございます

ご報告までに、 過去4カ月で

アクセス数の日平均は 143

訪問者数の日平均は 61 です

「ハードな宗教学ブログ」 を標榜しているわりには

おかげさまで まずまずの数字ではないかと思っております

あれもこれも 皆さんのおかげです

あらためて ありがとうございます

今年4月12日、 本ブログを再開しました

来年の4月11日まで 毎日記事を書くことを決意しています

思うところがあってのことです

皆さんのご意見やご感想も ぜひ聞いてみたいのですが

なかなかコメントしづらそうなブログではありますよね

わかっております m(_ _)m

プロフィールに メアドを 新たに載せておきます

お気軽に お便りでもくださいませ

最後に もう一度――

いつも ご愛顧 ありがとうございます

今後とも よろしくお願いいたします

【シンポ】 現代宗教と対話の精神

次のシンポジウムで

コメンテーターをさせていただくことになりました

現代宗教と対話の精神

2009年11月7日 午後、 巣鴨の大正大学で開催です

国際宗教研究所 の主催

ご発題者は5名 錚々たるメンバーです (女性不在は残念)

この方がたを 僕がひとりで受けるかたちですから

かえって 気が楽です

これらの方がたのお話は、 一介の中堅学者である僕なんぞの

手に負えるもので あろうはずもないですから!!

言いたいことを 言いたいように 言わせていただくだけです (笑)

皆さんのご参加を お待ち申し上げます m(_ _)m

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<以下 いただいたメールの転載です>

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
国際宗教研究所では、 公開シンポジウム 「現代宗教と対話の精神」 を下記の要領で開催いたします。
参加ご希望の方は、 国際宗教研究所にメール (info@iisr.jp) かファックス (03-5373-5855) でお申し込みください。

日時:  2009年11月7日 (土) 午後1時~5時半 (終了後、 懇親会あり)
場所:  大正大学1号館2階大会議室 (東京都豊島区西巣鴨3-20-1)
(都営地下鉄三田線西巣鴨駅徒歩2分/JR埼京線板橋駅徒歩10分)

【パネリスト】 (50音順)
金子昭 (天理大学おやさと研究所教授)「宗教対話は開かれた 「他流試合」 で―― 宗教人間学からの提言」
杉谷義純 (大正大学理事長・前世界宗教者平和会議日本委員会事務総長) 「世界の諸宗教対話の潮流と日本宗教者」
田中恆清 (石清水八幡宮宮司・神社本庁副総長・京都府神社庁庁長) 「日本人の信仰の源流―― 神も仏も」
ムケンゲシャイ・マタタ (オリエンス宗教研究所所長) 「出会いから始まる対話と諸宗教の神学」
本山一博 (玉光神社権宮司) 「宗教的探求としての宗教対話―― 新体験主義」

コメンテーター:  近藤光博 (日本女子大学准教授)
司会:  島薗 進 (東京大学・国際宗教研究所所長)

【シンポジウム趣旨】
国際宗教研究所は1994年から脇本平也理事長の下、 新たに活発な活動を開始しました。 以後、 15年間、 主として脇本前理事長の時代に行われた活動は、 さまざまな宗教団体や宗教伝統の間の、 また宗教教団や宗教伝統と現代社会や市民との間の対話を促進したいという願いに基づくものでした。
これは世界的にそのような気運が高まり、 日本社会においてもそのようなニーズが強まっているという認識に基づいたものでした。 その後、 国内ではオウム真理教事件が起こり、 国際的には9.11の同時多発テロやその後のイラク戦争などが起こり、 宗教をめぐる対話の必要性の認識はますます高まっていったように思われます。 実際、 この15年の間に日本の宗教教団や宗教伝統の継承者たちは、 さまざまな形で対話の精神を発揮すべく努めてきました。 1990年代から2000年代にかけて、 宗教に関わる対話の試みは全体として格段に増大するとともに、多様化し複雑化しているとも言えましょう。
このシンポジウムでは宗教をめぐる対話の試みに参加し、 あるいは関心を寄せて来られた方々にご登壇いただき、 現代宗教が試みてきた対話の意義、 その可能性、 あるいはその問題点について論じようとするものです。 同時に、 国際宗教研究所のこの15年間の活動をふり返り、 今後の指針を得るよすがともなることを願っています。

国際宗教研究所ウェブサイトの案内ページ
http://www.iisr.jp/news.htm#sympo

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2009年10月 8日 (木)

歴史がもたらすもの

前便 にひきつづき

  • 野矢茂樹 『他者の声 実在の声』 (産業図書, 2005年7月)

より 書きぬきメモです

これで 一応の打ち止めとなります

私が理解しうるのは、 ただ私より貧弱な存在論だけでしかない。 それゆえ、 私がここで 「過去それ自体」 と呼びたいものは、 いまの私には理解できない過去世界である。 あるいは、 有意味に思考することのできない過去世界である。 だが、 他方、 もしまったく理解できず、 有意味に思考することができないのであれば、 そのようなものにわざわざ 「過去それ自体」 などという名前を与えて取り上げようとするポイントも失われてしまうだろう。 われわれはそれを理解しようとする。 そしてときに、新たな理解が得られもする。 その運動があるからこそ、 われわれは、 現在から振り返り見られた世界をはみ出るものを、 過去それ自体に期待する。 そしてわれわれは、 たしかに過去の底に、 そうしたわれわれの理解の運動を引き起こす力を感じるのである。 過去それ自体は、 それゆえ、 思考や理解によって捉えられるのではない。 思考や理解の運動において、 その運動を促す力として、 示されるのである。 私はこの力を 「謎」 と呼びたい

323頁

「過去それ自体」 とは 《他者》 すなわち 「謎」 である

それが 結局大事なんだ、 と野矢先生はいつもおっしゃる

そうだと思う!

自分の研究や人生が 《謎=他者=驚き=変化》 を保つこと

これがやっぱり なんだかんだ言っても 大事なことなんだなぁ

LOTTE の Fit's

こちらのエントリ につづいて CMのお話――

「お口の恋人 ロッテ」 のガム

Fit's のCMが好きだ

テレビで流れると、 ほとんど反射的にみる

たむらぱん はすごいなぁ

ア~キ ア~キ アッキタァ~ って

タ~ム タ~ム タムラッパァ~ン といっしょ (笑)

振付のひとも 衣装のひとも すごいなぁ (笑)

2009年10月 7日 (水)

科学、了解、神話

前便 にひきつづき

  • 野矢茂樹 『他者の声 実在の声』 (産業図書, 2005年7月)

より 書きぬきメモです

「科学」 というひと言でくくられるような一枚岩の活動などありはしない。 「科学」 と呼ばれうるすべての活動に共通の目的や方法論などありはしない。 それゆえ、 「科学とは何か」 という問いはひとつの普遍的な答えをもちえない問いでしかない。「科学」 という呼称がつくられるより前に、 われわれは自然の不思議に驚き、 それを自分たちなりに納得しようとしてきた。 だとすれば、 現代においても、 われわれを納得させるように 「なぜ」 の問いに答えていこうとする人間の営みを 「科学」 と呼んで悪い道理はない。 未来の予想に役立つわけでもない。 技術に応用できるわけでもない。 ただひたすら納得しようとする。 それは、 世界を了解するために、 新たな神話を生み出すことに等しいものであるだろう

187頁

念のため 言っておきたいのですが

最後の文で 野矢先生がおっしゃっておられること

「神話を生み出す」 「に等しい」 とは

単なる比喩ではないし、 かつまた 機能的等価物でもない

「なぜ」 の問いに納得しようとする営みは、 現代においても

「神話」 の 「創生」 《である》 !!

イケメン4人集合に女子熱狂

<気になる記事>

イケメン4人集合に女子熱狂

資生堂 『ウーノ FOG BAR』 のCM の一件

記事の〆は

とにかく、女性たちはイケメンを見ると元気になるようだ

との一文

こういうのは いい!

2009年10月 6日 (火)

数学、論理空間、意味の他者

こちらのエントリ にひきつづき

  • 野矢茂樹 『他者の声 実在の声』 (産業図書, 2005年7月)

より 書きぬきメモです

数学の問題は論理空間の設定そのものにかかわっている。 数学において、 可能であることと真であることは等しい。 それゆえ、 ある定理の真理性が証明されるということが、 たんなる計算問題とは異なり、 ある意味で知の拡大と呼びうるものであるならば、 それは、 論理空間そのものが拡大されたことを意味する。 数学の問題は手持ちの論理空間のもとでは謎でしかない。 それは証明されるまで意味不明である。 たとえばゴールドバッハの予想 …… [中略] …… を位置づける論理空間をわれわれはもち合わせておらず、 それゆえいまの段階ではゴールドバッハの予想は意味不明なのである。 事実調査の場合には、 意味の確定した命題の真偽が問われたが、 ここでは意味そのものが問われる。 それゆえ、 数学の問題のひとつの形式は 「私に意味を与えてみよ」 というものになる。 その挑戦、 その誘惑の声に引きずられて、 数学者は論理空間そのものと格闘する

103-4頁

私は、 意味の他者のあり方において、 数学の問題のこうしたあり方はたんなる比喩以上の同型性をもっていると考える。 他者もまた、 謎として、 挑戦として、 そして誘惑として、 私の前に現れるのである

104頁

この観点から見るならば、 従来の他我問題は、 現象言語という特殊な論理空間において 「他人の痛み」 を意味づけてみよ、 という挑戦であったと言うことができる。 だが、 それは最初から不可能な挑戦であった。 現象言語とは、 他人の痛みを他人のふるまいとして読み換える言語である。 だとすれば、 ふるまいとして読み換えるのではないような形で 「他人の痛み」 に意味を与えることは、 単純に現象言語を捨てることでしかない。 それゆえ、 従来の他我問題は、 他我をあきらめるか現象言語をあきらめるか、 その二者択一を迫られた者が、 なおどちらにも執着し、 あきらめきれないでいる場合にのみ、 問題となるものにすぎない

数学における論理空間そのものとの格闘――

謎/挑戦/誘惑としての他者のあらわれ――

現象言語の放棄による他我問題の超克――

野矢哲学のエッセンスのような部分である

そしてもちろん、 これは とても希望的な哲学である!

Groove is in the Heart @ Deee-Lite

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

テイ兄さんへの 最大級のリスペクトとともに

もっと画質のいいのもあったんですが

当然ながら 削除されてしまいました

で、 こちら (↓) の動画も 要チェックです

いいえ! ちがいます!

アイドルマスターには なんの思い入れもありません!

ただ、 この動画は まったく素晴らしいと思います

これを けっこうな期間、 削除しない YouTube に BIGUP!

2009年10月 5日 (月)

草野仁とオウム

monodoi さんのブログ 「はかとも(無縁彷徨)」 に

「このように回顧できるとは、あの頃に想定できただろうか?」

という記事が、 2009年9月25日付で載りました

宗教学者 必読のエントリです!

僕は当時 インドにいましたもので

オウム報道の熱気を 肌で感じることができませんでした

十数年が経って こうしてしっかり回顧することは

本当に 本当に 本当に 大事だと思います

monodoi さん>

情報 ありがとうございます。 すいません、ハテナユーザーでないため、 そして新規登録するアレもないので、 コメントも残さないまま、 勝手にTBはらせていただきました

太陽を曳く馬

<読む本>

こちらのエントリ での yokosawa さんのお話をうけて

  • 高村薫 『太陽を曳く馬』 (上下巻, 新潮社, 2009年7月)

を読んでみようと決心

さぁて・・・ 時間をどう作るか

読みはじめたら 止まらないのはわかっているわけだし・・・

2009年10月 4日 (日)

抽象的な構造を感覚する力

言語論的転回について 僕がしっくりくる教科書は

野矢茂樹先生 のものが多い

で、 こちらのエントリ で紹介した

  • 中山康雄 『現代唯名論の構築: 歴史の哲学への応用』 (春秋社, 2009年7月)

で、 野矢先生の著作からの要約引用があったので (207頁)

積ん読状態にあった

  • 野矢茂樹 『他者の声 実在の声』 (産業図書, 2005年7月)

を、 読みはじめてみた

やっぱり面白いなぁ

いくつか書き抜きをしておきたい

おそらく、 数学者にとってもっとも重要な能力は直観力である。 そしてそこにこそ、 数学の妖しい魅力がある。 私が数学を勉強していた頃、 たとえば複素関数論、 あるいはたとえば群論は、 言わば私を別世界へと誘うものだった。 そこで要求されることは、 その世界に 「住む」 ことである。 その抽象的な世界を生き生きと感じ取り、 そこで手足を伸ばし、 その空気を呼吸すること。 そのとき、 具象の現実世界に対する五官とは別の感覚器官のようなものが育ち、 その抽象的な関係と構造の世界を直観することができるようになる。 私はけっきょくそこの住人になりそこなたわけだが、 数学を好きになり、 数学を美しいと感じるようになるということは、 けっきょくそういうことだろう。 それは論理ではない。 むしろ感覚の一種なのである

264頁

僕は、 典型的に 直観型のオトコだと 自分のことを思う

それは、 もともと数学が大好きだったということと関係している

その自覚が強くあった

だから、 次のような一節を読むと、 痛いぐらいの勢いで

「ハタ」 というよりは 「バチッ」 てな勢いで 膝を打つのだ

結論に至るもっとも論理的な叙述法の一例は、 数学の証明だろう。 しかし、 証明の筋道どおりに思考する人など、 いやしない。 もしかしたら、 ここで 「論理的思考」 という誤解が生まれるのかもしれない。 本に書かれた証明を、 結論に至る思考の筋道を表したものだと思ってしまうのである。 しかしそうでないことは一度でもそういう問題をやったことのある人には明らかである。 そしてまた、 証明こそが合理的な無駄のない思考法を示していると考えることも、 まちがっている。 思考というのは本質的に無駄を含みもったものなのだ。 そうして論理では捉えきれないジャンプによって掴みとった結論を、 思考の飛躍を要求することなく他人に説明するものが、 論理的な表現であり、 それは思考の筋道とは別物の後知恵的再構成にほかならない。 だから、 論理力というのは、 けっして思考力ではなく、 思考によって獲得したものをきっちり表現する力であり、 そして表現されたそれを理解する力なのである

258-9頁

自分の研究は 100% これだ!

直観で解がまず見える 多くの場合、 図で見える

それが見えると、 もぉ 書きたくなくなる。 自分はわかったから

なので、 論文や発表原稿を書くとき、 ものすごくつまらない

当たり前のことを書いているような気がして仕方ない

こんなことを書いても、 誰もおもしろがらないだろぉなぁ、 と

これが苦痛で仕方ない

反対に、 解が見えないと 何も書けない

書くことがなんなのか、 とりあえず書きはじめてみるのだが

とにかくつまらない。 で、 書けない

書けない 書けない の言い訳である。 言い訳であるが

これはこれで ケッコウ キツい

440万年前の人類

こちらのエントリ につづいて 考古学の話題

2009年10月2日付 朝日新聞 朝刊 トップページに

最古の人類 森暮らし

ラムダス猿人 全身骨格復元   二足歩行も木登りも

ネット上でも読める (表題は変わっている) ので

下に 切り貼りしておきます

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440万年前、最古の人類像を復元 森に住み木登り得意

2009年10月2日0時39分Photo

最古の時期の人類は森で暮らし、 木登りをする一方で、 二足歩行も可能だった。 東京大総合研究博物館の諏訪元 (げん) 教授らの国際的な研究グループが、 約440万年前の人類、 アルディピテクス・ラミダス (ラミダス猿人) の化石から全身像を復元することに成功し、 生活の様子がわかった。 約400万~100万年前に草原で暮らしていた猿人アウストラロピテクスよりさらに古い人類像が、 初めて描き出された。 2日付の米科学誌サイエンスで発表される。

 ラミダス猿人は諏訪教授らが92年にエチオピアで歯の化石などを発見し、 94年に英科学誌ネイチャーで発表した。 その後、 同じ地域から36体分、 110標本が見つかった。 復元された個体は94年から破片の状態で発見され、 約15年かけて復元と分析を続けてきた。 この成果で、 最古の人類の生活などをめぐる教科書の記述が書き換えられる可能性がある。

 頭蓋骨 (ずがいこつ) がきゃしゃで、 犬歯が他の個体より小さいことから女性と推定され、 「アルディ」 の愛称が付けられた。 身長120センチで体重50キロ、 脳の大きさは300~350ccとみられる。 脳はアウストラロピテクス (500cc程度) よりも小さくチンパンジー (350~400cc) に近い。

Photo_2  骨盤はチンパンジーより丈が短く地上での二足歩行が可能で、 こぶしを地面につけるチンパンジーのような歩き方はしていなかった。 足裏に土踏まずがないなど、 アウストラロピテクスより原始的な特徴も備えており、 木登りもしていた。

 犬歯は、 チンパンジーなどが持つ武器としての犬歯に比べると、 アウストラロピテクスなどと同じく小さかった。 雌雄の体格差も少ないため、 現代人のように雄と雌がペアで生活する社会構造へつながる特徴だという。

 他の歯も含めた分析からは、 硬いものや草原性の植物はほとんど食べないものの、 森の中の果実や葉、 昆虫などを食べる雑食性だったこともわかってきた。

 これまで全身に近い人類骨格は、 「ルーシー」 の愛称を持つ約320万年前のアウストラロピテクスのものが最古だった。 ラミダス猿人より古い人類化石には、 チャドで見つかったサヘラントロプス・チャデンシス (約700万年前)、 ケニアで見つかったオロリン・ツゲネンシス (約600万年前) などがあるが、 化石が部分的で姿や生活についてはよくわかっていない。

 諏訪教授や米カリフォルニア大バークリー校のティム・ホワイト教授を中心とする今回の研究グループは、 これらの化石の特徴がラミダス猿人と似ていることから、 アルディの姿が最古の人類像を代表するものと考えている。

 今回の発表は11本の論文からなる。 同時に発掘された動植物の化石なども分析し、 当時の自然環境やラミダス猿人の食性まで幅広く研究・考察されている。 (松尾一郎)

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から 

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2009年10月 3日 (土)

オウムと中沢

こちらのエントリ でも紹介した

  • 佐々木敦 『ニッポンの思想』 (講談社現代新書, 講談社, 2009年7月)

その 240-43頁に、 「オウムと中沢」 という節がある

その締めの部分を抜粋します

筆者自身は、 オウムの 「暴発」 に中沢新一の 「思想」 が本質的に関与していたとは、 まったく思いません。 それは中沢の本を一冊でも読んでみれば明らかです。 だから中沢は自己批判する必要もなければ、 その責任もないと思いますが、 しかし 「責任がない」 ことをきちんと説明する 「責任」 を果たしたかというと、 それは微妙な気もします。 この点をめぐっては、 その意味での 「責任」 に厳しく向かい合って、 かなりの時間を経てから、 「宗教学者」 としての名誉回復を果たした島田裕巳や、 東大の宗教学科で中沢の後輩、 島田と同級だった四方田犬彦があります

243頁

僕自身、 この点についてはあいまいなことしか書いていない

《暴発への本質的な関与》 はない――

《責任のなさを説明する責任》 をはたしていない――

これらは たしかにそうだろう

しかし、 《思想の罪》 と 《暴力への異様な嫌悪》 ――

ここまで踏みこんでいかなくちゃいけない

僕が いま書けるのは 何だかそれぐらいのことだ

フレブル vs. ロブスター

<好きな動画を紹介するだけのコーナー>

フレブルが どれだけ ブサかわいいか について!

2009年10月 2日 (金)

プチ思想ブームの実像

2009年9月26日付 朝日新聞 朝刊、 文化面

プチ思想ブームの実像は

という記事が載った。 「文化特捜隊」―― 毎週土曜の企画だ

サブタイトルは

生き抜く技術  ノリ優先に疑問も

これは面白い記事だった

広い意味での業界関係者としては、 うなずくところが多かった

記事は ネット上でも読める (表題はちょっと変えられている)

下に切り貼りさせていただきます

【メモ】

記者は 藤生京子さん

彼女の記事は、本ブログでも何度かとりあげた

興味おありの方は、 右サイドバーのサイト内検索でどうぞ

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「プチ思想ブーム」がやってきた?

2009年9月26日

暗くて重くて難解、 そしてエラそう。 そんな印象から、 遠ざけられて久しい思想業界の周辺が、 ちょっぴり活気を帯びてきた。 思想関連の書籍がベストセラーになり、 若手論客が活躍し、 新たな学びの場も立ち上がっている。 人々に届くカジュアルな手法を模索する 「プチ思想ブーム」 の実像を探った。

<下につづく>

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から 

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続きを読む "プチ思想ブームの実像" »

ダレル・メヘンディ

<好きな歌をただ紹介するだけのコーナー>

好きというかなんというか・・・

ダレル・メヘンディさん と言います

しかし、 日本語のウィキペディアに記事があるって (笑)

今も売れているのかどうかは知りませんが

このアレな感じが 忘れられないのです

シク教徒というよりは、 パンジャーブ人のひとつのイメージはこれ! (笑)

2009年10月 1日 (木)

過疎集落 積極的な撤退

2009年9月24日付 朝日新聞 朝刊

いつもお世話になっている オピニオン面に掲載された

林直樹さん (横浜国立大学産学連携研究員) の稿

過疎集落 「積極的な撤退」 で解決を

が面白かった

気になって、 ネット検索してみたら

撤退の農村計画

という 共同研究の成果の一部であることがわかった

読んで字のごとき内容であるから、 解説は不要だろう

これに対するネット上での意見をググってみたが

思ったよりも 反応がない…

まぁ 僕も今回はじめて知ったわけだから

そんなものなのかもしれないが、 もっと注目されてもよいのに…

12万年前の石器

<気になった記事>

島根県の砂原遺跡で 日本最古の石器 (らしき) が見つかった

Photo

ニュースでも大きくとり上げられているので

皆さん よくご存知だろう

僕も、 考古学には 素人なりの興味をもっていて

やっぱり こういうのはすぐ目がいってしまう

今回の発見をうけ、 島根県立古代出雲歴史博物館 では

「速報展」 とか その 「関連講座」 とかが

早速企画されているようだ

Photo_2

近くだったら ぜひ行きたい!

島根はいいところだしなぁ・・・

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