世俗世界の道徳、超俗的な宗教
前便 よりつづく
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次の本からの引用です
- 間宮陽介 『増補 ケインズとハイエク: 〈自由〉 の変容』 (ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2006年)
《超俗/世俗》 の対語 との関連で
ムーアは片足を新しい天国の敷居にかけ、 もう一方の足をシジウィックとベンサム主義の功利計算の中に突っ込んでいた、 とケインズは回想記の中で述べている。 ケインズは 『原理』 の 「理想」 の章に天国を見、 「倫理学の行為に対する関係」 という章に功利主義の計算世界を見た。 一方は超俗的な宗教であり、 他方の実践倫理学は世俗世界の道徳だと彼は呼んだ
21頁
ケインズの 「回想記」 は未見であるから
「超俗」 「世俗」 の原語が何であるかは わからない
当面、 このような日本語 が
2006年 (文庫版) と 1989年 (原著) に語られていたこと
この点を確認しておきたい
間宮先生は つづけます
宗教はその目的そのものに関わるが、 道徳は手段の正しさに関わる。 目的としての善は直覚されるよりほかに知る道はないが、 目的に対する手段の正しさは、 手段の目的に対する貢献の度合によって知ることができる
同
「宗教」 とは 「目的そのもの」 すなわち 「善」 の 「直覚」 である――
この用語法が どこまでムーアのもので
どこまでが間宮先生のものなのか 文章からは判然としない
ただここで確認しておきたいのは、 くり返すが
当時の日本語として これが通用していた (おそらく今も)
この事実である
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