宗教学の積極的解体
新カテゴリー 「宗教学の積極的解体」 ―― 作ってみました
業界関係者には やや過激すぎるタイトルでしょう
わざとです
私の真意は 追々 記事を重ねていくなかで
お示しできればと思っております
ご意見ご感想など、 ぜひお聞かせください m(_ _)m
まずは 前口上をば 述べさせていただきます
よろしくお付き合いくださいませ
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ポスト宗教概念批判の宗教学は もはや宗教学ではない――
なぜなら、 宗教概念を退けるのだから――
まともに考えれば そういうことになる
《宗教/世俗の二分法》 は近代のアーキテクチャの基層だから
近代文明の行き詰まりの度合いに応じて
宗教概念と宗教学は 知の基盤を失っていく
これまでは うまくやってくることができた
《世俗》 に対する 《宗教》 の可能性を
近代的な語彙と理念枠組みのなかで展開してみせることで
宗教学は 制度的な意義と社会的な評価をえてきた
それは 重要な試みだった、 と僕も思う
実際、 僕自身、 「お気軽・お手軽 反近代」 の路線で
宗教学に入ってきたものの一人である!
しかし、 この試み自体が もはや不十分になってしまった
なぜなら、 《世俗》 に対する 《宗教》 の突きつけは
それ自体が 近代のアーキテクチャの再生産でしかないからだ
(批判的な再生産ではあるだろうが)
おそらく、 近代文明は 臨界域にかなり近いところまで来た
それはまだ、 理論的に十分明らかにされたとは言えない
たしかな先行研究はいくつかある。 ここでも紹介していきたい
が、 それにもかかわらず 明らかにすべきことがまだ多い
学的な言説はゆっくりしか進まないから
どうしても追いついていないところがある、 ということだろう
そうこうしているうちにも、 行き詰まりは 現実として起こっている
どんどん進展している
だから、 宗教学の変容は 運命づけられている
「解体」 にまでいたるのは 制度的条件が整ったときだろうが
(宗教学には 明らかに 果たすべき 《役目》 はあります!)
真摯な基礎論的反省は そうとう深いところからの変容を
宗教学にもたらすことになる
これは 論理的展開という意味で規定路線だ
問題は どのように変容するか、 どちらに抜けていくかだ
脱皮、 変容、 組み換え、 拡大深化、 あるいは積極的解体――
この辺りを 少しずつ探ってみたい、、、 です
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以上、 前口上でした
次回から いろいろ記事を書いてみたいと思います
のんびりやっていきます。 よろしくお願いいたします
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「01E 宗教学の積極的解体」カテゴリの記事
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