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2009年10月 7日 (水)

科学、了解、神話

前便 にひきつづき

  • 野矢茂樹 『他者の声 実在の声』 (産業図書, 2005年7月)

より 書きぬきメモです

「科学」 というひと言でくくられるような一枚岩の活動などありはしない。 「科学」 と呼ばれうるすべての活動に共通の目的や方法論などありはしない。 それゆえ、 「科学とは何か」 という問いはひとつの普遍的な答えをもちえない問いでしかない。「科学」 という呼称がつくられるより前に、 われわれは自然の不思議に驚き、 それを自分たちなりに納得しようとしてきた。 だとすれば、 現代においても、 われわれを納得させるように 「なぜ」 の問いに答えていこうとする人間の営みを 「科学」 と呼んで悪い道理はない。 未来の予想に役立つわけでもない。 技術に応用できるわけでもない。 ただひたすら納得しようとする。 それは、 世界を了解するために、 新たな神話を生み出すことに等しいものであるだろう

187頁

念のため 言っておきたいのですが

最後の文で 野矢先生がおっしゃっておられること

「神話を生み出す」 「に等しい」 とは

単なる比喩ではないし、 かつまた 機能的等価物でもない

「なぜ」 の問いに納得しようとする営みは、 現代においても

「神話」 の 「創生」 《である》 !!

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コメント

  野矢先生の著書は『哲学・航海日誌』しか読めていないので、まだ先生のお考えを理解しているとは思えませんが、私としては全体性の部分で納得できないところがあります。
 (文系女子の私はとにかく感覚重視だからか・・・)

 そこで対比のため、前々から読みたいと思いつつ、挑戦を先延ばしにしてきた野家哲一先生の『科学の解釈学』を読むことにしました。

 《自然性》ないし「生活世界のアプリオリ」
 科学は自然というテクストを解釈していく営み
 ビルドゥングスロマン的

 などなど、魅力的な言葉が満載ですが、何より私が知らない世界、クワインやローティなんかを垣間見ることが可能かなぁと。

 ローティといえば・・・
 なので少しは勉強しないと。

yokosawa さん>

野矢先生のものは 部分要約でありますので
その点は どうぞよろしくご承知おきくださいね

野矢先生はたしかに 《全体性》 の哲学というよりは
《切れ味》 《ポイント》 の哲学 をやっていらっしゃるように思います

「そうそう そこさえ押さえられれば あとは何とか自分で・・・」 と
元理系・現文系男子の僕は 強く思わされるのです

=====

今回 野矢先生の積ン読本を読みはじめたきっかけは
中山康雄先生の 『現代唯名論の構築』 でありました

中山先生の哲学は 野矢先生と似たところがあるのですが
そのご著書の後半部は 歴史論です

そして その軸となっているのが 野家啓一の物語論への批判です

「野家の哲学的歴史論の弱点を乗り越えていくこと」 (198頁)

「野家啓一が描く歴史叙述は、 小説の叙述に似ている。 これに対し、 私が描く歴史叙述は、 自然科学に似ている。 歴史叙述を文芸の方向へ近づけるのは、 私の観点からは、 誤りである。 正しい歴史叙述にいたるためには、 自然科学の研究に匹敵する細密な観察と厳密な推論が要請される」 (242頁)

断片的な引用で 偏った 《印象》 をあたえることとは思いますが
ともあれ 僕は こうした中山先生の歴史論を 大変説得力のあるものと思います

とにかく 歴史修正主義者とは いやになるほど 論争してきましたから
(僕の場合、 インドで ですが)

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