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2009年10月30日 (金)

回心による改宗

昨晩のラジオ お聴きになっていただいた方もいるようで

「聴きましたよ」 なんて声をかけていただきました

お恥ずかしいかぎりです

なのが… という積年の思いは湧きあがりますが

ともあれ 役目をひとつ終えたことには 安堵しています

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不十分なところはあったでしょうが、 あれが精一杯でした

何しろ巨大かつ、おそろしく複雑なテーマです

20分で 皆にわかるように、 というのは至難のわざです

「何 言ってやがんだ コイツ!」 と

イライラした方、 ご教示を賜りますよう (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

ただし!

一点だけ これは言っておくべきだったなぁ というのがあります

反省をこめて それを書かせていただきます

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内情を申し上げれば、 昨日のプログラムは 当初から

不可触民たちの仏教への集団改宗 をテーマにしていました

朝日新聞やAERAでの報道が 背景にありました

これが意味するのは、 次のような理解と観念のフレームが

僕には課せられていた、 ということです

  • 集団としての不可触民
  • 差別への反対、 差別からの解放としての改宗

この固定した枠組みから こぼれ落ちるのは

  • 個人としての不可触民
  • 回心の結果としての改宗

です

あるインド人が 不可触民であれ、 そうでないのであれ

仏教の教えやお坊様の人格に打たれて

回心を経験し、 地縁血縁を脱ぎ捨てて

あらたに仏教徒に生まれ変わる――

こうしたことは 実際に起きています

僕が 直接会っただけでも 二人 そういう人がいました

そこには まさに 改宗の理想 が実現しているわけです

しかし、 上のようなフレームの内側で

昨今の改宗運動を解説するとなれば

つまり、 差別や格差への反対としての改宗運動

しかも、 大集団による一斉改宗 ということなら

そこではやはり 生活改善のための具体的な方策の模索――

分析的に この要素を強く評価すべし、 と判断せざるをえません

「改宗」 と一口で言っても、 そうした複雑さが やっぱり

そこにはあるんだという

そこにも言及したかったのですが・・・ 力不足!

またの機会がもしあれば、 ぜひリベンジしたいと思います

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回心は 宗教研究の一大テーマです

たくさんの研究がありますが、 最近の力作ということで

  • 芳賀学・菊池裕生 『仏のまなざし、読みかえられる自己: 回心のミクロ社会学』 (ハーベスト社, 2007年1月)

を紹介させていただきます

真如苑における回心を 精妙に研究したものです

アマゾンでは あの信頼に足る書評家 ソコツさん

★5つをつけています

氏のレビューもぜひご一読ください

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