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2009年10月 4日 (日)

抽象的な構造を感覚する力

言語論的転回について 僕がしっくりくる教科書は

野矢茂樹先生 のものが多い

で、 こちらのエントリ で紹介した

  • 中山康雄 『現代唯名論の構築: 歴史の哲学への応用』 (春秋社, 2009年7月)

で、 野矢先生の著作からの要約引用があったので (207頁)

積ん読状態にあった

  • 野矢茂樹 『他者の声 実在の声』 (産業図書, 2005年7月)

を、 読みはじめてみた

やっぱり面白いなぁ

いくつか書き抜きをしておきたい

おそらく、 数学者にとってもっとも重要な能力は直観力である。 そしてそこにこそ、 数学の妖しい魅力がある。 私が数学を勉強していた頃、 たとえば複素関数論、 あるいはたとえば群論は、 言わば私を別世界へと誘うものだった。 そこで要求されることは、 その世界に 「住む」 ことである。 その抽象的な世界を生き生きと感じ取り、 そこで手足を伸ばし、 その空気を呼吸すること。 そのとき、 具象の現実世界に対する五官とは別の感覚器官のようなものが育ち、 その抽象的な関係と構造の世界を直観することができるようになる。 私はけっきょくそこの住人になりそこなたわけだが、 数学を好きになり、 数学を美しいと感じるようになるということは、 けっきょくそういうことだろう。 それは論理ではない。 むしろ感覚の一種なのである

264頁

僕は、 典型的に 直観型のオトコだと 自分のことを思う

それは、 もともと数学が大好きだったということと関係している

その自覚が強くあった

だから、 次のような一節を読むと、 痛いぐらいの勢いで

「ハタ」 というよりは 「バチッ」 てな勢いで 膝を打つのだ

結論に至るもっとも論理的な叙述法の一例は、 数学の証明だろう。 しかし、 証明の筋道どおりに思考する人など、 いやしない。 もしかしたら、 ここで 「論理的思考」 という誤解が生まれるのかもしれない。 本に書かれた証明を、 結論に至る思考の筋道を表したものだと思ってしまうのである。 しかしそうでないことは一度でもそういう問題をやったことのある人には明らかである。 そしてまた、 証明こそが合理的な無駄のない思考法を示していると考えることも、 まちがっている。 思考というのは本質的に無駄を含みもったものなのだ。 そうして論理では捉えきれないジャンプによって掴みとった結論を、 思考の飛躍を要求することなく他人に説明するものが、 論理的な表現であり、 それは思考の筋道とは別物の後知恵的再構成にほかならない。 だから、 論理力というのは、 けっして思考力ではなく、 思考によって獲得したものをきっちり表現する力であり、 そして表現されたそれを理解する力なのである

258-9頁

自分の研究は 100% これだ!

直観で解がまず見える 多くの場合、 図で見える

それが見えると、 もぉ 書きたくなくなる。 自分はわかったから

なので、 論文や発表原稿を書くとき、 ものすごくつまらない

当たり前のことを書いているような気がして仕方ない

こんなことを書いても、 誰もおもしろがらないだろぉなぁ、 と

これが苦痛で仕方ない

反対に、 解が見えないと 何も書けない

書くことがなんなのか、 とりあえず書きはじめてみるのだが

とにかくつまらない。 で、 書けない

書けない 書けない の言い訳である。 言い訳であるが

これはこれで ケッコウ キツい

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