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2009年10月28日 (水)

時をかける少女

こちらのエントリ につづき、 アニメ強化月間の報告です

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  • 「時をかける少女」 (細田守, 2006年)

観ました

「サマーウォーズ」 (2009年) が もひとつだったので

評判の高いこの作品で リベンジ! と

よかったです

「アハハハ」 と 声出して笑えるところがありましたし

さわやかで 切ない! まさに青春です!

こういうのに 少しは感じ入ることのできる自分に

ちょっと安心しました catface paper

僕として特筆しておきたいのは キャラクタ・デザインです

担当は 天下の 貞本義行さん

まぁ 賛否両論、 好き嫌いはあるんでしょうが

やっぱり透明でキレイです、 貞本キャラの存在感は!

僕が思い出したのは

  • 「ストップ!! ひばりくん!」 (江口寿史)
  • 「バタアシ金魚」 (望月峯太郎)
  • 「SEX」 (上條淳士)

いずれも、 バンカラ好きの田舎ヤンキー少年の僕に

「オシャレ」 を気づかせてくれたマンガです

実際、 「時かけ」 には 上條淳士さん を彷彿とさせる

そんなカットが けっこう頻繁に出てきますね

「かっちょいいなぁ このセンス・・・」 と

何か あの頃に感じた 都会的なものの感触

それを あらためて感じさせてくれた―― そう思いました

僕の都会へのあこがれって 意外とこんなところにあるのかも

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閑話休題…

本エントリにて、 アニメ強化月間は とりあえずの打ち止めです

ほかに観たい作品、 観るべきと思わされる作品が

見当たらないからです

『パプリカ』 (今敏, 2006年) ぐらいかなぁ、 あとは

どちら様か ぜひ! ご紹介いただけないものでしょうか

お願いいたします  (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

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アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

 久しぶりに先週末『鉄コン筋クリート』を見ました。

 やっぱり、すごくいいです。外国人監督ですし、外国人向きかなぁとかんじなくもないですが(任侠、下町、バトルロイヤル)、松本大洋さんのマンガの映画化は『ピンポン』もおもしろかったですよね。キャラクターの個性が引き立っているところが映画向きなのかもしれません。

 個人の持つ白い部分と黒い部分。それぞれを特化して持ってしまった二人の危ういバランスの表現が、調子が悪い時見たら気持ち悪くなるだろうなぁというような映像で表現されています。さすが、コンピュータグラフィックで世界に認められている監督の作品だなぁと感じ入ります。

 原作の素晴らしいものは、映画化でがっかりというのも多いのですが、この映像化は大成功ですよね。(ちなみに、大振りも成功作です)

 今更ながらですが、映画として先生にご紹介できるものはこのくらいかもしれません。ほかにも『クレヨンしんちゃん』とかいろいろいいのもあるんですが、先生の好みではないかもしれませんね。

 マンガですが『3月のライオン』にはまっています。羽海野チカさんは『ハチクロ』が私はあんまりなので(私にゲイジュツ系の感覚が欠如しているので)読んでいなかったんですが、将棋・下町というコンセプトで人情物とくれば私的にはがっちりです。ぜひ読んでみてください。(なぜ私がはまっちゃうか分かると思います)

 朝5時45分起き生活が活性化しているので、あまりコメントできなくてすいません(汗) 

yokosawa さん>

「鉄コン筋クリート」は 僕も好きな作品です
やっぱり映像センスのすごさが 目立ちますね
原作の味わいも 上手に 出されていて、 超一流と言っていいんでしょう

しかし、 マイ・ベスト映画50に これは入れていません
なんでかなぁ・・・ と考えますと
シロ/クロの補完関係と クロへの誘惑というテーマが
新鮮味がなく思えたからです
ダークサイドの話ですよね、 要するに

新しいものを 無条件に賛美しているのではありません
「スタ・ウォーズ」は 意識的に 神話的な類型をSFにしたのであり
それは よく分かったのでした
(だから、エピソード1~3は 僕にはあまり評価できません)
(アメリカでの高評価 (とくに3への) は やっぱり外れだと思います)

「鉄コン」 はどうかというと、 そのあたりが まさに
中途半端ではないのか、 と

サイケデリックなら もっと危ういところにいくべきですし
(シロの超人性が際立たねばならない)
神話なら 世界観/生命観がないといけません
(カタキ役が 役不足。社会観はいらない。生命と世界が問題)

とまぁ、そんな具合に 分析はできるわけですが
いかがなもんでしょうか

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「オトナ帝国」 は 観ました
やたらと評判がよかったからです

が、 お察しのとおり それほどはまりませんでした

ベタなのは 決して嫌いではないんですが
それだったら もっといい映画が他にもあるからなぁ、 と
思ってしまったのでした

が、 「はじめてのお使い」 に ウルッくる年齢になってきましたから
あらためて今 観返せば、 違う感想が出てくるかもしれません

=====

コメントできなくて・・・ って お気づかいなく お願いいたします

yokosawa さんからのコメントを楽しみにしておりますが
どうぞ ご無理なさらず、 気楽に 楽しんで 書きこんでくださいませ

 『鉄コン』は宝町という場に引き寄せられた人達の物語で、主人公のシロとクロの人格表現は大切ですが、そこだけを追求してしまうと話が精神面に偏りすぎて、全く違う内面を描く物語になってしまいます。『ジギルとハイド』的な側面と同時に『ユリシリーズ』的な側面を同時に描き出そうとしたら、あのくらいがぎりぎりかもしれません。
 場に引き寄せられる人という意味で登場人物を設定しているとすれば、それぞれが納得のキャラクターです。弱すぎるライバル。強すぎる殺人鬼。やさしくて博学の老人浮浪者。商業化したギャング。時代を引きずるヤクザ。同情する刑事。

 どうでしょう。ほかの物語も想像できるような(ゆるい)設定がよいでしょう?

 先生は一点にこだわる人だから、楽しみも半減していませんか?

※ 実は私はこの映画を見るたびに、20歳くらいの時に聴いた、高田馬場のストリップ嬢に初恋を捧げて通い詰めたあるW大生のお話を思い出します。その当時5歳くらい年上だったAさんから聴いた実話ですが、胸キュンモノでした。(笑)

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 『スターウォーズ』は、なんと中学生の時に、その当時誰も持っていなかったダースベーダーメインのTシャツを着て遊んでいた変な女の子だった私。重い思いをして小遣いはたいてLDを買って、何度も見まくりました。
 最近もあるお店に展示してあったハン・ソロ(ハリソン・フォード)がジャバにつかまって固まっていた時の等身大フィギア(非売品)に見入っていたら、家のものに怒られました。(コメ兵になんかにあるから、だれも何だかわからない)

 3だってそれなりに良かったです。ダースベーダーになるのがあっさりしすぎと言われればそうかもしれませんが、あそこであまりにアナキンが葛藤しすぎたら、ルークの(自分が切り落としてオートメイル化した)手首を見たときの戸惑いや、マスターを裏切って、いよいよ暗黒面を外して臨終に向かう時に、違和感がありまくるのではないかと思います。
 若気の至りではありませんが、そんな感じも含ませる意味は十分あると思います。

 『クレしん』は『大人帝国』ではなく『戦国大合戦』がお勧めです。『大人帝国』はもう少し年が上のジョン・レノン大好きで大阪万博なつかしーという世代にはたまらないのかもしれません。

 内面を見つめたいならやっぱり『カレカノ』や『フルバ』(フルーツバスケット)、『ナルト』、『蟲師』なんかもいいかもしれません。『スカイクロラ』という手もあります。
 でも、きっと文句言うと思いますよ。(笑)

 おもいきって『ジャム ザ ハウスネイル』もすごくお勧めなんですが(特にエンディングだけでも)NHKは・・・でみられないですねぇ。

yokosawa さん>

なるほどぉ・・・ 群像劇としての 「鉄コン」 、主役は宝町 と
あのユリシーズ的な展開も あの場所でおこる挿話のひとつだ、と
そういう見方もあるんですね

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うちの近所のビデオレンタル店の等身大フィギュア・コレクションも
相当 すごかったです!
埃まみれで 誰も見向きもせず、 そのうち撤去されていきましたが
あれは 壮観でした

ダースベーダーもありました

僕は エピソード1~3は そもそもいらんだろう、 と思うんですよ
説明してほしくなかった、というのかな
3部構成の真ん中だけを語るというのは、最高の語りだと思います
過去と未来に想像をはせる、という

たとえば、ダースベーダーがなぜあんなスーツを着ているか
なぜあんな全身大ケガか大ヤケドかの跡を残しているのか…
いろいろ想像するところがいいのだ、と

それを 師匠との対決で マグマで焼かれて… と説明されて
それが たった一つのバージョンとなって
「スター・ウォーズ」 の神話的な開放性が 台無しじゃないか、と

エピ4~6をあまりに愛したがゆえの (マイベスト50入り!)
感想なんですが

=====

続々と ご紹介 ありがとうございます m(_ _)m

「カレカノ」 は他からも紹介されました。 イケてるんでしょうね
「フルバ」は はじめて知りました。 ちょっとメモしときます

「ナルト」は もちろん知っております
「蟲師」は 「大振り」同様、原作連載中からのファンです
アニメ版も 全部観ました。 かなりよかったですね
(実写版まで観ましたが、 これは案の定・・・でした)

「スカイクロラ」 忘れてました。 観てみます
以前にも書いたような気がしますが、 押井監督には思い入れがあります
「うる星」から 「パトレイバー」が 僕のなかのメインラインです
マイベスト50には 「PL2」 を入れてあるわけで
押井監督作品だと どうしてもそこが基準になっちゃいます、 僕の場合

「ジャム」は はじめて知りました
観たいですが、シリーズレンタルってのも 腰が引けます (笑)

 あ゛ぁーまた間違えてる!((~_~))
 ご飯作りながら書いたので御勘弁を・・・。
 『ユリシーズ』の私の受け取り方が普通とは違うのかもしれません。でも、ダブリンも宝町も物語の軸であり、場への作者の思い入れがすごく感じられるのです。
 あとは、全体に流れる皮肉なパロディー感が『鉄コン』の中に『ユリシーズ』を見てしまう理由だろうと思います。
 (やっぱり変かなぁ・・・)


 ラジオ出演お疲れ様でした。
先生の一生懸命伝えようという気持ちがわかる、いい解説だったと思います。
生出演だったんですね。知らなかったので、コメンテイターさんが「生放送で・・・」といったとたん、「えぇー!」ってラジオに突っ込んじゃいました。
 やっぱり難しい問題で、詳しく聞きたいなぁと思いました。でも、決してしりきれな感じもしませんでしたよ。


 スターウォーズは、私たちの世代は4,5,6でいいけれど、今の若い人にとっては古臭い感じがするんじゃないかなぁと思います。私は1を劇場で(もちろん公開前に)見た時、CGのあまりのきれいさに驚きました。惑星ナブーの美しさったら、風景も城も、水の中でさえ、ほんとうにショックをうけました。
 あとはもう、私はグワイ=ガン・ジンとダース・モールが大好きなので、会えてよかったです。

 私たちは4,5,6の影響をもろに受けた世代だから、先生の気持ちもよくわかります。私だって『リターン オブ ジェダイ』以上のスターウォーズはないと思いますが、なんだか別物の感覚で見ている自分がいます。
 時代が変わった今、あの時にあの映像を見ることのできた私たちは本当に幸せでした。
 なんだかそんな風に感じてしまうのです。

もちろん公開前―― の 「もちろん」 に吹きました (笑)
何がどうなっての 「もちろん公開前」 なのか、 と

エピ4~6への偏愛 というのも もちろんあるんですけどね
物語/神話ってものの良さが やっぱりあるわけで
語られないからこその・・・ ってところ ありませんかねぇ

僕は そこが残念なんです

CG映像の新しい水準というのは 僕の場合
「ロード・オブ・ザ・リング」 です!!
当然の マイベスト50入り です!!

あれこそは 開かれた物語であり、 なおかつ
監督とスタッフの変態性が いかんなく発揮されているという
久々のファンタジーもの大傑作だったんじゃないか、と

=====

ラジオ ホントに疲れました

例によって 一切の緊張はないんですが
集中した疲れですね
何しろ全力投入しました

なんと言われようと、 あれが僕のフルスペックです
あれ以上は もぉ できません (笑)

 なにがどうあってももちろん公開前の「もちろん」です!

 『ロード・オブ・ザ・リング』は原作が素晴らしいのです。
 原作はファンタジーの生みの親が作った作品ですから、文学として考え抜かれた《物語/神話》が成立していて当然です。

 『ロード・オブ・ザ・リング』の大本は、伝説・おとぎ話です。それらを紡いで紡いで大きな国を作りました。
 そして、人間は人間、エルフはエルフ、ドワーフはドワーフ、ホビットはホビット、それぞれ本当は住む世界が違うのです。

 そう、人間は人間。
 神話に入り込むには理由がいる。
 そして、ことが終われば、自分の世界に戻らなくてはなりません。

 『ナルニア国物語』はファンタジーですが、キリスト教の精神を基にして作られているといわれています。
 その主人公たちが神話の世界に入り込むためには、彼らは命を落とさなくてはなりませんでした。
 そのことは、物語の終わりにあっけなく語られます。

 神話の中には生きた人間は入れない。
 私は『スターウォーズ』と『ロード・オブ・ザ・リング』にはこの決定的な違いがあると思います。
 『スターウォーズ』はSFで伝記です。
 神話ではありません


 『ロード・オブ・ザ・リング』のCGは確かにすばらしいです。ガンダルフが空を飛ぶたびわくわくしました。谷に落ちた特にはびくびくしました。
 エルフの国はあやしく魅惑的でした。

※ ニュージーランドにあるホビット村に行ってきた下のの同級生の写真を見せてもらいましたが、もう大分傷んできているようで残念です。

 でも、ハリーポッターのCGも私は大好きです。
 今回の作品は久しぶりによかったですよ。

 今テレビで『マーリン』が放映中ですが、見た言いたいと思っていてなかなか見れずにいます。
 アーサー王伝説って神話なんですかね。そのあたりが知りたくて興味がありました。

 ディズニーのマーリンは白髭の長いおじいさんでした。
 ドラマのマーリンはアーサー王と同じくらいの若者です。
 さて、いったい何を狙っているのでしょう。
 
 神話と伝記。
 ちょっとおもしろいですね。

yokosawa さん>

『指輪物語』 原作は 僕が唯一英語で読んだ小説なのです!

もう10年以上も前、 英語の実力を伸ばしたかった僕は
敬愛する、 唯一 「天才」 と呼ばせていただいている
ジェームズ・ハイジック先生に 勉強法をおしえていただきました

そのとき、先生が 手放しにすすめてくださったのが
トールキンの『指輪物語』でした

オックスフォードに行く予定があったので、 現地で買い求めました
四冊組みの コンパクトなやつ
辞書を引き引き あの流れるような ポップでいて威厳のある英語を
味わったものです

今でも 本棚のどこかにあるはず・・・ 読み返したいなぁ

=====

ジョージ・ルーカスは 神話学から直接の発想を得て
SWを構想、製作しました

エリアーデと並び称される かのジョセフ・キャンベルが
彼の師匠でした (実際の師事は SW完成後)

ルーカスは 意識的に 神話をつくったのですが
神話の力を いつの間にか 神話の命を忘れたようです

開いていること・・・ つづくこと・・・ 起源が知らされないこと・・・
無意識的であること・・・ 永遠回帰であること・・・
壊れていること・・・ つじつまが合わないこと・・・

僕は そこが とても残念なのです

=====

『ナルニア』 は読んだことはありません
小耳のはさむところでは、 まさにおっしゃるとおり
キリスト教臭すぎて 僕が好きになることは 決してないかなぁ、 と

=====

マーリン、 やってるんですね
知りませんでした。 ご教示 ありがとうございます

「伝説」 というコトバがぴったりなんじゃないでしょうか・・・

 先生いいですか。

 《神話と伝記》の差はそんなに簡単に区分出来ないんですよ。
 いや、むしろ、現在は区分しにくくなっているのかもしれません。

 それは、なんでですか。
 先生が、スターウォーズの1,2,3に神話を感じないのに、ルーカスは神話だとしている意味が、かならずあるはずです。

 そして、マーリンが若者になっている意味もあるはずです。

どうなんでしょう・・・

ルーカスは 70年代のころと同じ鋭敏なセンスで
エピ1~3を 「神話」 と呼んでいるのでしょうか・・・?
(そもそも そう呼んでいるんでしょうか・・・?)

エピ1~3が 「伝記」 であるなら、 僕からすると やはりつまらないだけです
なぜなら、 それは 空想であるからです

《神話と伝記》 は 容易には分けられない――
それは 神話の力と命の喪失という近代社会のお定まりコースを
言い換えただけなのではないでしょうか

だとすれば、 「伝記」 (神話とは異なるものとしての) には 「伝記」 の
別の力と命があってしかるべきです。 それが
ただ消費されるだけではない、 力と命ある 《物語》 であるなら、 です

僕にとって そういう意味での 「伝記」 の力と命は、 《事実》 です
起こりそうにもないことが、 ホントに起こった・・・ という 《事実》

=====

ここでは SWを念頭においてしゃべっています
つまり、 銀河を救う 英雄譚についてです

ありふれた、 日常的なことが無意味だ、 というような
いかにも オウム世代的なことを 言っているのではありません

それはまた、 別の文学ジャンルでしょう

現代の 《ありふれ》 を 芸術化した傑作としては、 とっさに
「ぐるりのこと。」 が思い出されます

そこには、 《世界》 と 《生命》 はありません
でも 《君と僕》 、 《社会》 と 《時代》 はあります
そういうものとして 極度にウツクシイ 《物語》 です

=====

若者マーリン像はなんでしょう・・・・・・・・・・・・

僕には ハリポタの二番煎じ、 マーケティング的発想しか思い浮かびません

何か着想があれば、 むしろ ぜひお聞きしたいぐらいです

 うーん、先生のお話の中には、人間て何っていう根本的な部分が見えません。

 私がここで言いたいのは
 伝記 → 人間の話
 神話 → 神様の話
 という単純な構図です。

 トールキンは根本になっていた北欧の神話から、それぞれの世界は混同できないと判断していた。

 ルーカスは4,5,6にしろ1,2,3のしろ、人間を主人公にした物語を神話にしようとした。スターウォーズで神話的な要素ってそもそも何でしょうか。
 その体内に含まれる物質によって超能力を得た生命体が、ライトセーバーを振り回して悪の帝王から世界を救うこと?

 私がスターウォーズが好きなのは、悪政に向かって弱者が力を合わせて困難に打ち勝ち、強力な支配から解放される物語だからです。
 仲間を何人も失いながらも、地下組織を解体させずに、その意思の力によって救われる、人間臭いところです。

 むしろ4,5,6の良さって、そこのところでは?
 
 マーリンの話で私が反応したのは、イギリス人にとってアーサー王伝説は誰もが知っている昔話で、日本の古事記みたいな感覚の、自分たちの大切な祖先の話だと聞いたことがあるからです。

 ディズニーのアーサー王伝説は、たしかに教育的な子どもに何かを教え込むような感じがありました。
 マーリンはその中でも、アーサー王を導くものですから、象徴的な偉い魔法使いなのです。
 商業的と言えばそうですが、そうだとしても、あえてアーサー王伝説が選らばれていることに、意味がないとは思えません。

 私にはやはり芸術や文学の分野で、今までは離れさせられていた神(不思議)と人間が、何かの意識によってまぜこぜにさせられているように思えるのです。

yokosawa さん>

なるほど なるほど

SWエピ4~6を 人間の話 ととらえるわけですね

僕の図式ですと
伝記 → 人間の話
神話 → 神様と人間の話
ということです

神話は 人間の奥底につながっているもの、 という意味です
つまり、 そこでは 神様なんて フツーにあちこちにいる、 と
神様と人間が ぜんぜん区別なく一緒にいる、 と

エピ4~6が神話だというのは その定型性です
キャラクターの造形、 ストーリーの造形
それを ルーカスは キャンベルの比較神話学から直接引用した

少年が 師の導きのもと 試練をくぐりぬけて、 偉大なる力を獲得し
自らとともに共同体を再生させ、 悪を倒し
姫を獲得して クニを再建する

試練は 自らの出生の秘密を知り、 それを消化すること――
(大概、 少年は王統の嫡子なのに、 あるいは)
(悪の大王の血脈なのに、 何らかの事情で)
(庶民の息子として 愛情深く 育てられている)
(そこを 出立することから 物語ははじまる)

そして、 一度死んで あの世を通り抜けて 再生すること――
(大概、 あの世/黄泉/冥府は この世と連続していて)
(特徴は 母性/大地性、 つまり闇/子宮)
(つまり ヨーダは 《母》、 ダゴバとあの洞窟は 《子宮》 です)
(少年は、 自失の後、 剣や光を得て そこから押し出される)
(剣と光 すなわち ライト・セイバーの騎士の誕生ですね)

キャンベルは これを 人類に共通する神話の型として抽出した
ルーカスは これを SFと民衆 (デモ) で表現した
(神話へのデモの挿入は 「太陽の王子ホルス」 の試みでもありました)
(「千と千尋」 は同じ定型ですが、 個人化されていて、 デモはありません)
(この点について、 ゴリゴリ左翼の宮崎さんは 完全に自覚的です)
(つまり、 現代 プロレタリアート大衆は 基盤になりえんのでは、 と)
(個人の内面からの再出発とは 左翼にとっては 大転向ですね)
(「もののけ」は、 王子アシタカに黄泉の住人サンを並べたところが ミソ)
(神話的構造の輻輳化 はもちろんでしょうが、 何より)
(客層としての女子をターゲットする戦略でもありましょう)

なるほど 言われてみると、 SWは 「人間くさい」 ですね
僕は今まで、 エピ4~6を そういう風に見たことがまったくなかったです
言われてはじめて 気づきました
強い意志をもった弱者たちの団結による圧制の打倒――
なるほど そうかもしれない

これまで僕の印象に残ってきたのは
上のような意味での 《神話性》 でした

人類史が 《自ずと》 生み出した、 つまり
人間という種の 進化生物学的な条件からの直接の結果としての
ある 《物語》 のあり方――
それを SWエピ4~6に 感じ取っていたのでした

=====

付言するなら、 僕の場合
「悪政に向かって弱者が力を合わせて困難に打ち勝ち、強力な支配から解放される物語」 ――
「仲間を何人も失いながらも、地下組織を解体させずに、その意思の力によって救われる、人間臭いところ」 ――
これを語るのは 《事実》 としての 「伝記」 です

具体的には、 僕のガンディー研究がそれです

=====

「若者」 マーリンにこだわらないでいいとなれば・・・

アーサー王伝説にしろ、 ハリポタ的欧州裏街道にしろ
《宗教的なもの》 が イギリスでも確実に 沸きあがっていますね

《宗教/世俗の二分法》 が 欧州でも 窮屈になりはじめているのでしょう

イギリスを中心にした 「ネオ・ペイガニズム」 の広がりは
かなり前から言われてきたところです
ケルト、エッダへの関心なども その一部です
オリエント好きの英国人が 「メディテイショナル」 へ向かうのも同じ流れ
付言すれば
日本の 「オカルト」 も 「スピリチュアル」も 世界的には同じ流れでしょう

ここまでは はっきりしています

新奇なもの、 秘密の事柄、 自由なもの、 ヒエラルキーから外れているもの
人間がどうやら捨てきることのできない 《あちら的な感性》 が
キリスト教の枠組みの外側に 捌け口をもとめているのでしょう

さて、、、
「若者」 マーリン ということが 問題です

マーケッターたちが ハリポタの成功体験を参照して
「若者」 (「子ども」 を含む) をターゲットに あのドラマをデザインした――
冷徹な後期資本主義のアーキテクチャが そこにありましょう

では なぜ、 今 「若者」 に ネオペイガニズムがウケルのか・・・?
マーケッターは この 「なぜ」 に答える職種ではありませんね
(ウケルから作る、 作って儲ける―― が 彼らの仕事)

ここが yokosawa さんご指摘の点でありましょう
(もちろん 日本のサブカルは 世界的にも その頂点です)

これには 二面があると思います

第一に
「大人」 同様、 自由で羽ばたくもの、 感性と想像力を刺激するもの
つまりは、 理性的で体系的、 自律的で結社的 ではない (!) もの
それが サブカルチャーで開花している

第二に
前の世代の遺産を 「若者」 が継承し (押し付けられ?) た
20世紀後半の 各種文化実験が 固定化した結果
それを 幼い頃から メディアをつうじて 刷り込まれた結果――
そういう理解です

第二の点は
むしろ 《神話的なもの》 が 抑圧になっていることを意味します
自分たちで勝ち取ったのではないんですから

ここで 僕がほのめかしたいのは
《理性と自律と自由》 こそが 現代の 《神話》 なんだ、 と

=====

すいません、 最近 ここら辺のことばかり考えていて
思わず たくさん書いております

yokosawa さんとの議論で 僕も気づかされることが多いです

お時間のあるとき、 ぜひお付き合いくださいませ

 アーサー王伝説をはじめとする、勇者さまが神様の力を授かって国を救う《神話A》は、私のなかでは支配階級がその支配力を誇示するための御勝手神話と解釈されています。

 一方、北欧などの宇宙(世界)をつかさどる神の《神話B》(これが私にとっての神話)では神の世界と人間の世界は時間も空間も別もので、その神の領域に人間は基本的に介入することはできない。その領域に入るときには世俗との関係を断つ(断たれる)あるいは薄くする(薄くなってしまっている)。
 また、神の力を使った場合、人間はかなりの代価を支払う必要がある(もしくは人間界に帰れなくなる)。
 こんなものだと思っています。

 この二つの神話を混同してしまうと、神話について考えるのが難しくなると思います。

 ゲド戦記では、ゲドはまず、自分の奢りによって死者の霊とともに呼び出してしまった、自分の影との長い長い戦いを強いられます。
 それに勝利し(というより影を受け入れ)強力な力を手にすると、他国の巫女であるテナーを救いだし(略奪し?)世界の(自世界の?)均衡を保つ仕事をします。
 そうしてとうとう、強力な力を手に入れようとするクモによって、壊されてしまった死者の国との境界を修復するために、全ての能力を失い、ただの老人になります。

 この境界がなくては神話は生まれないと思うのです。
 そして、境界を犯したときの呪い、代償がなくてはいけないと思うのです。

 この代償については、『千と千尋』でも『もののけ』でも、宮崎駿さんは表現していますね。
 『フルバ』はまさに一族の繁栄のために受けた呪いの話ですからドンピシャ。(つい最近まで北米で一番売れてた少女マンガですよ)
 
 ついでに言えば、私の大好きな渡辺祥智さんの『むこむこ』(その向こうの向こう側)では、究極のアマランザイン(花)はどんな願いもかなえるけれど、使ったものは不死になります。
 (うーん、これも読んでほしい・・・)

 こういうのが神話の条件ではないかと思うのです。そして、神話は境界の向こうの話。

 例えば、またまた大好き『ゼルダの伝説ー時のオカリナー』はもちろん勇者さまものです。ガノンドロフは悪の化身。神の力を得るために試練を与えられ、光りの剣を得て時を超えて姫と戦う。
 しかし、この話の中で神話として出てくるのは、世界を作った3人の女神とトライフォースの話です。
 ゼルダとリンクのお話は伝説です。

 しかし、ファイナリファンタジーⅩなんかは神話を狙っているのかなぁと思っています。
 常に結界と巫女と死者と神。
 そして、帰ってこられない主人公。

 このゲームの根強い人気はそこでしょうね。


 やっぱり、こんな風に感じてしまう私の神話観は、きっとすごく日本人に偏ってできていると思います。

 先生はいつも人間と精神を切り離して考えているように思えます。
でも、私は人間好きなので、常に人、人、人に目が行きます。
そして、場(空間)と時間。

 だから、見えている風景もきっとだいぶん違うのだろうなぁと思います。

yokosawa さん>

バレてますね (笑)

人嫌いではないですが、 孤高好きではあります
人付き合いが苦手ではないですが、 家族とだけでやっていけます

もともと そういうタイプなんでしょうが
友人に裏切られつづけたのが ひとつの理由。 さらに
学問が もともとの孤高好きの性質に 拍車をかけているでしょうね

「人間と精神を切り離して」 ―― というのも
まったく そこから 直接に帰結しているんだと思います

生活 (現実) と 思索 (理想) の乖離は 僕のなかには あります
そこを何とか結び付けようとやってきたので
極端に多様な (種類的に数の多い) 経験をもつことになりました

=====

実際に残っている、 いかにもな 「神話」 では
AとBは やっぱり 区別は難しいでしょうねぇ・・・

(いずれにせよ、 僕は 『金枝篇』 から 勉強しなおさないと)

しかし、 yokosawa さんの感覚で
人間の世界 (こっちの世) と 神様の世界 (あっちの世) の区別が
どういった理由からでしょうか、 とにかく 大事なんですね

タブーで取り囲まれ 切り取られた あっちの域――
そこに触れてしまえば ノロイを引き受けざるをえないという定め――

これはたしかに 《神話》 全般に 強くみられる特徴ですね

話を拡散させないため、 SWに限定していきますと
この 《あっち/こっちの二分法》、 タブーとノロイ――
そう言われれば、 SWに なくはないですが あまり強くないですね

フォースは 訓練で引き出される人間の潜在能力みたいなもの
(カウンターカルチャーでの アートマンのことなんでしょう)
ジェダイは 特級騎士として 完全に制度化されている
(隠遁はするかもしれないが、 こっちにいつづける)
ダークサイドは 避けられぬサダメではなく 回避可能な落とし穴
(アシタカの腕のアザのような 物質性がない)

《あっち》 に触れることで 引き換えに差し出されるものが
あまり深刻じゃない、 というか
人間の努力範囲での対応が可能、 というか・・・

法則として決まっている破滅がない――
当たり前の帰結としての消滅、 行ったきりの消滅がない――
ということなんでしょうか

 金枝編かぁ。
 私もきちんと読んだわけではありませんが、人間から見たというより、男の子から見た神話と人間という感じはぬぐえません。

 私はと言えば、私たちをこちら側にしっかり定着させるべく

 毎日毎日殺生しておいしいものを作って家族に食べさし
 家の中を整理して空気の通りを良くし
 早くぐうぐう寝る(寝せる)

 こんな生活をすることの必要性に縛られているものですから、「ちょっと、ちょっと・・・」と思ってしまうところがあるわけです。
 (まあ、神話にはなりませんが)

 だからこちら側とあちら側にこだわるのかもしれません。
私には、家族をこちら側にとどめさせる責任がある。(それが母親であるということなんじゃないかと)

 あちら側とこちら側の定義には《神:人間》と重なって《心理:深層心理》というものも見えてきます。
 私はこのあたりに関する人間の直感的なものや経験が、神話における神と人間を分断する境界を作らせていると考えています。
 だからこそ、この境界があいまいになることに、すごく危険を感じます。

 男の子は境界を越えてあちら側に行きたがりますよね。
 でもそれをぐっと引っ張ってこちら側に引き戻す《愛》
 この辺もきちんと考えたいところですが、考えるときりがない。

 でも、男性と女性がいるのは単に生殖のためだけでなく、精神面で補える部分があるからで、実は男の子があちら側から獲ってくる何かが人の未来に重要な資材になる。
 だから、呪われたり帰れなくなったりするのを覚悟の上で、あちら側に行く必要がないわけではないのです。

 そしてその必要を血で感じるから、あえて行ってしまうんでしょうね。
 

yokosawa さん>

お返事 遅くなり、失礼しました。 何しろ 昨日の発表にてこずりまして、すいません

=====

いわゆる神話、いかにもな神話において
おっしゃるとおり、 女性よりは男性が主役になることが多いですね

神話という語りと 男性性には 何か強いつながりがあるんでしょう

たしか中沢先生は、南アメリカの先住民の研究を引きながら
女性がもうすでにわかっていること、 女性にはわかりきっていること を
男性は わざわざ秘儀によって 獲得しなくてはいけないんだ、 と
おっしゃっていました

たとえば そんな解釈もありうるでしょうね

=====

深層心理の語り(たとえば夢)と いかにもな神話との類似/同型性は
つとに指摘されてきたところです
おそらくは 同じところから 発出しているものなんでしょうね

いわゆる「未開人」にも理性は当然あるわけですが
語りのモードとして 夢=酩酊=忘我=神話 というのがある、と
そういう理解が
エリアーデ=真木(見田)=中沢のラインには
はっきりとありますね

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