オウムと中沢
こちらのエントリ でも紹介した
- 佐々木敦 『ニッポンの思想』 (講談社現代新書, 講談社, 2009年7月)
その 240-43頁に、 「オウムと中沢」 という節がある
その締めの部分を抜粋します
筆者自身は、 オウムの 「暴発」 に中沢新一の 「思想」 が本質的に関与していたとは、 まったく思いません。 それは中沢の本を一冊でも読んでみれば明らかです。 だから中沢は自己批判する必要もなければ、 その責任もないと思いますが、 しかし 「責任がない」 ことをきちんと説明する 「責任」 を果たしたかというと、 それは微妙な気もします。 この点をめぐっては、 その意味での 「責任」 に厳しく向かい合って、 かなりの時間を経てから、 「宗教学者」 としての名誉回復を果たした島田裕巳や、 東大の宗教学科で中沢の後輩、 島田と同級だった四方田犬彦があります
243頁
僕自身、 この点についてはあいまいなことしか書いていない
《暴発への本質的な関与》 はない――
《責任のなさを説明する責任》 をはたしていない――
これらは たしかにそうだろう
しかし、 《思想の罪》 と 《暴力への異様な嫌悪》 ――
ここまで踏みこんでいかなくちゃいけない
僕が いま書けるのは 何だかそれぐらいのことだ
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