宗教現象学の方法
宗教現象学と宗教社会学の関係について
ちょいちょい勉強しなおしている
- 棚次正和・山中弘 (編著) 『宗教学入門』 (ミネルヴァ書房, 2005年3月)
も読みなおしている
この本は とても特徴的な力作で
別エントリで いつかちゃんと論評しなければ、 と思う
ここでは まずは紹介だけ
さらに ネット上で読める論文として
も紹介しておきます
エリアーデへの傾きがほどんどない宗教現象学を跡づける
堀越先生の試みは あらためて勉強になった
一読、 「宗教現象学の方法」 とは やはり
方法というよりは 理論に近いものだと確認した
これを 「方法」 として語らざるをえなかった、 あるいは
語りたくてしかたなかった 20世紀前半の欧州の
知的環境/力学に むしろ注目したほうがいいだろうな、 と
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コメント
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どんな学問でもそうですが、歴史を縦方向の流れではなく、横方向の断面で捉えて構造や思想と関連付ける大切さはわかっても、その繋がりを説明するのはとても難しいし、ましてやその断片をつないで時間の連続として捉えなければ、その意味を比較して表現することはできないので、どんどんどつぼにはまる感じですね。(私がこの問題で思い浮かぶのは、やはりソシュールです)
フッサールのように不器用にひたすらに書きつづることの意味も、堀越先生がこの文章を発表された時代よりさらに、もっともっと薄くなってしまっているような気がします。
時間が早く流れすぎているからでしょう。
私はと言えば、宗教の持つひとが必要とする普遍の部分を表象化できればと思っていますが、それは哲学的であるといわれてしまえばぐうの音も出ないと自覚しておりますので、宗教現象学とは別のものとして捉えられてしまいますね(笑)
投稿: u.yokosawa | 2009年10月27日 (火) 00時07分
yokosawa さん>
まさに yokosawa さんがおっしゃるところが 問題なんですよね!
「宗教を持つひとが必要とする普遍の部分」 の 「表象化」!
僕のコトバで言いますと
《人間=社会=歴史について宗教というコトバでおさえようとしてきたもの》
ということです
単なる 《排除概念 (=ゴミ箱)》 としての宗教概念ではなく、 という意味です
この局面にアプローチするには、 むしろ 《宗教》 というコトバが邪魔です
これを使ってしまうと、 かえって問題が見えなくなる
宗教学は そこが最大の弱点なんだ、 と思っております
繰り返しますが、 宗教というコトバを使わないで
そのコトバでおさえようとしてきたもの (単なる 《非-世俗》 ではないもの) を
とらえなおす、 ということです
これは哲学的な作業になると思いますよ!
ただし、 観念論ではなく、 かなり科学的知見を取り入れたものとして!
(ここでもまた 中沢先生が 顔を出しますね 笑)
投稿: コンドウ | 2009年10月27日 (火) 00時36分
宗教スイッチ的な概念は科学的に証明することも可能かと思いますが、まだ私の中では《科学:歴史:思想》の関係の整理ができないので、科学的なアプローチの境地に達するまでには時間がかかりそうです。
加藤洋子先生が著書『それでも日本人は「戦争」を選んだ』の中で取られている歴史へのスタンスは素敵だなぁと思います。若い人たちに繋がる歴史観というのを感じられたのは初めてでした。
いろいろ読みたいものが山積みで全部読めていませんが、子どもたちにもきちんと読むように勧めています。
ラジオ出演おめでとうございます。鉄の心臓の先生のこと、アガルということはないと思いますが、がんばってください。
面白いお話を期待しております。
投稿: u.yokosawa | 2009年10月27日 (火) 07時43分
yokosawa さん>
「宗教スイッチ」 は よくおっしゃられることですね
きっと ご自身の実感からきているコトバなのでしょう
大変重要なポイントだと思います!! ぜひ もっとお話を聞かせてくださいませ
=====
加藤先生の本、 やっぱりいいですか
あちこちで話題になってますね
=====
ラジオはまぁ 先方にご迷惑をかけないことを第一に
リスナーに少しでもインドのことをわかっていただけることを第二に
がんばってきたいと思います
基本、 ディレクターの掌のうえにいるしかないんですから
投稿: コンドウ | 2009年10月27日 (火) 16時02分