キリスト教世界 (Christianitas) の解放 (liberatio)
以下、 非常に長い引用になりますが
いろいろな記事を 重ねてきた本ブログにとって
Christianitas 概念は きわめて重要でありますから
ズラズラッと やらせていただきます
どうぞ お付き合いくださいませ (* ̄ー ̄*)
====================
- 八塚春児 『十字軍という聖戦: キリスト教世界の解放のための戦い』 (NHKブックス, 日本放送出版協会, 2008年2月)
ウルバヌス二世が 第一回十字軍の召集を決めたとき
その狙いは何だったのか――
その意図を 推し量ろうとする文脈で
著者 八塚先生 は 次のように語る
その際、 重要な概念が、 「キリスト教世界 Christianitas」 観である。 これは全キリスト教徒の共同体であり、 キリストによって支配される普遍的で、 世俗の国家や民族を超越する単一国家である。 地上におけるキリストの代理人は教皇、 司教、 皇帝、 国王たち、 特に教皇はその筆頭である。 そしてこのキリスト教世界に自由を保障すること、 それがキリスト教世界の 「解放 liberatio」 という用語で表現され、 キリスト教徒の義務になる
76頁
これは教会改革以降の教皇が積極的に主張した理念であった。 したがって、 「解放」 といっても、 それは当然教皇の下での自由を意味する。 それゆえ、 「キリスト教世界」 は 「カトリック世界」 と言いかえることもできるのだが、 もちろんその中に東方の諸教会を始めとしてあらゆるキリスト教徒を含むのである。 そしてまさに十字軍は、 このキリスト教世界の解放のためになされたのであった
76-77頁
そう考えると、 ウルバヌスの意図として列挙したさまざまな政策も、 すべてその根底には、 共通して 「キリスト教世界の解放」 というものがあったことに気が付くであろう。 エルサレム解放が中心主題であったのか、 それとも彼の意向はもっと別のところにあったのかといった難問も、 それによって解決できるのである。 つまり、 エルサレムもビザンツも、 神聖ローマ帝国との闘争や平和運動も、 またスペインや南イタリア等で追求された宗主権政策も、 いずれもこのキリスト教世界の解放という大きな目標の一部であり、 すべてが有機的に関連するのである
77頁
叙任権闘争から十字軍へ この過程のなかで
どんどん形成されていく 「理念」 としての Christianitas――
教皇を中核にいだくキリスト教世界――
これはやがて 近代になり
《文明》 の 《理念》 へとつながっていくことになるだろう
- 無抵抗主義から正戦論・聖戦論への無邪気な跳躍
- 教皇権と皇帝権の分離と緊張
- ローマ=ラテンとビザンツ=ギリシアの分離と緊張
- イスラームとユダヤの排除と弾圧
- ゲルマン人、ノルマン人ら異教徒に対する弾圧と布教
- 正統による異端の排除と弾圧
Christianitas に織りこまれた これらの傾向は
近代へと どのような変容と展開をとげたのか
近代性は それらの傾向と どのような関係にあるのか――
南アジア研究を通じて宗教学をやっている私は
結局 こんなことを考えるようになっております
我ながら 何をやってるんだか・・・
素人仕事ですが ここをやらないと、 前に進めないのです
さらなる参考文献 探索中です
ご教示くださいませ (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ
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