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2009年11月 3日 (火)

《無》 は目を塞ぐための装置だ

<書きぬきメモ>

  • 西谷修 『夜の鼓動にふれる: 戦争論講義』 (東京大学出版会, 1995年4月)

〈無〉 というのはこのような生存の次元に蓋をし, 目を塞ぐための装置だとも言えます. 有意味な 〈世界〉 の崩壊のなかには, 名状しがたい 〈存在〉 の充溢があるのに, それを 〈無〉 と言うからです. 〈昼〉 の光が落ちても 〈存在〉 や 〈現実〉 が消滅するわけではない. そこでは 〈存在〉 や 〈現実〉 のまったく違った様相が露呈してくるのです.

人間が人間としては生きられない, 人格的な生存条件の外で, 「私」 という力を抹消されて, 言いかえれば 「主体」 としての死にさらされ, 誰でもない生存として 〈存在〉 の無限に呑み込まれる状況, それこそが実はレヴィナスの言う 〈イリア〉 なのです.

レヴィナスはハイデガーが言うような, つまりは西欧的な哲学がモチーフとする 〈存在〉 が, 〈世界の崩壊〉 という事態のなかで, 事物もヒトもすべてを無差別に呑み込むこのような 〈イリア〉 としてしか体験されないことを示し, そこから出発して 〈人間〉 と 〈世界〉 を再構成し, それも 〈災厄〉 を前提としたニヒリズムに陥ることなく, 〈人間〉 と 〈世界〉 を肯定しうるような, そして 「非人間的生存」 をも 「人間的生存」 のうちに組み込み, い来ることの肯定につながることのできるような思想を, 鍛えあげようとしたのです. そしてそれが 〈アウシュヴィッツ〉 の要請していたことだと言ってよいでしょう.

164-5頁

西谷先生がここで

(そう呼ばれるべきではないのに、 とほのめかしつつ)

〈無〉 と呼ばれてきたもの/いるものとして指示するもの

すなわち、 〈世界の崩壊〉 〈イリア〉 とは、 端的に

《アウシュヴィッツ》 と 《ヒロシマ》 です

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