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2009年11月26日 (木)

極点にはひとりくればよい

<エピグラフ>

だがバタイユにとって 〈脱存〉 は、 苦痛と区別されない恍惚であり、 何ものもそれを正当化しないばかりか、 根拠の完全な不在だけがこの 〈体験〉 を支えるという。 それでもバタイユがこの 〈体験〉 を求めるのは、 いっさいの知が、 対象の措定能力が無に帰し、 その空虚の中に感性的強度だけがあらわな自己主張をする、 そのような瞬間が人間の可能性であるかぎり、 それに背を向けてすますのは無知にあまんじることだと考えるからだ。 あるいは知がすべてを知ろうとするなら、 知が崩壊するところまで知らねばならないと考えるからだ。 つまりバタイユは人間であることに逆らって、 可能な生の圏域を踏み超えて、 この 〈体験〉 を求めようとする。 それは 「生きえない」 状態であり、 人間にとっては 〈悪〉 である。 それは人間であることを超え、 人間にとどまることを拒む体験だ。 バタイユは 〈内的体験〉 という 「可能性の果て」 に誰もを誘うわけでない。 「極点にはひとりくればよい」 と言っている。 この 〈体験〉 が明かすことのこだまは人間の日常的活動のそこかしこに見出せるからだ。

西谷修 『戦争論』 (岩波書店, 1992年10月) 87-88頁

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