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2009年11月 7日 (土)

地方ができること/すべきこと

前便 よりのつづき です

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mika さん>

半日 間をあけてしましまして、 失礼しました

つづきを書かせていただきます

自分の田舎のことを想定しつつ

できるだけ一般的なコトバで 書いてみます

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地方ができること、 すべきこと――

それについての 「知恵」 ということでした

「知恵」 までは 到底いきませんが、 とりあえず

考えていることを 書いてみます

結論を先に言ってしまえば、 僕の提言の根本は

できないことは何か、 引き時がいつか 自ら見極める

ということになります

こうした見極めは、 言うまでもなく 最終ラインということになります

このラインが引けていないことが 地方の苦境の根本にある

と僕には思われるのです

しかしもちろん その前には たくさんの前段階があります

mika さんには すっかりご承知のことばかりとは思いますが

あくまでも 最後のところにたどり着く道程として お付き合いくださいませ

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【初期条件】

  • その地域の物理的な特性、 歴史的な資産

港町で有機農業による村おこしはできない、 と

そんな単純なことを言っているにすぎません

一方、 歴史というのも そんな大層なことではなく、 たとえば

鹿児島であれば 台湾や沖縄との交易と交流の歴史――

これは 資産でしょう

他地域との連携、 情報交換の実績――

これも 資産でしょう

これらについて、 各地域ごとに 初期条件があると思われます

資産と思われていないものも実は資産… ということも

しかし、 それを見いだすのは かなり偶然の条件によるし

何より 人材の問題でもあります

制度が自動的にそれを見いだす ことはないでしょうから

  • リーダーの在不在、 およびその質

優秀な (いろんな意味で優秀な) 人材の在不在――

これは もちろんあるわけですが

リーダーシップ構築の全体的な環境 ということでもあります

集団的な指導体制でもいいわけですね、 別に

合意形成の経験を積んできているところでは

リーダーが排出しやすいし、 働きやすい

で、 どんな指導体制なのか、 その質も問われますね

合議制なのか、 パトクラ的なのか

独裁的なのか、 市民的なのか――

地域ごとに特性があると思われます

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【中長期的な見通し】

  • 経済機会は どこでも軒並み狭小のまま

地方に限りません。 東京でもビジネスの成功は至難です

新しい産業の誘致 開発は 不可能ではないでしょうが

いろいろな条件がそろわないと いけません

(くり返しますが、 東京でも同じです)

そもそもからして難しいことに取り組む――

そういう現状認識がないと 単なる 《火の玉特攻》 になってしまいます

  • 少子高齢化は 絶対に避けられない

上のことを継続させる要因の 第一はこれですね

人口が減ります。 税収が減ります

補助金や公共事業費は 減ります

(地方債の発行をやめるというのであれば、 ですが)

この影響は 当然 地方により強く、 より早く出ます

  • 日本の競争力は 相対的に低下する

これも 経済機会の狭小化の根本要因 その2です

賃金、 インフラ費、 輸送費、 原料費、 要するにコスト高

国際的な比較のうえでのコスト高が その原因です

これは、 資本主義国家で 避けられない現象です

しかも ひっくり返らない流れです

外国新市場へのルートをもった企業体だけが 生き残ります

(若者を早く 早く 海外に出やすくしてやらねば…)

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【やれること/すべきこと】

  • 村おこし/町おこしの経緯を総括する

90年代初頭から 各種の施策がなされてきました

もう20年にもなります

何をしてきたか してこなかったか、 各地域で

ちゃんと総括するべき段階だと思われます

シビアにやらないといけませんが、 なかなか難しいでしょうね

その上で 二つのオプションがあります

この双方 (!) を 同時に (!) 走らせるのが

現実的な マネージャー/リーダーの役目だと思います

(そういう役目を担う人すらいないとなると なかなか…)

<下につづく> 

① 新規産業の開発と誘致を つづける

それが可能な地域は たしかにあるでしょう

実際 成功した自治体や地域もあるわけですから

どこの地方についても 可能性ゼロではないでしょう

成功事例をよく研究して

行政と住民との連携をよくとるようにして

アジリティと意見集約を同時に確保して…

というのが、 成功の必須条件と思われます。 が

上で述べたように、 それは なかなか望めない

成功事例の応用を探っているうちに、 時間だけが

どんどん過ぎていってしまう

しかし、 ここでの要点はむしろ

そもそもからして 難しいことなんだ ということです

あまりにたくさんの条件がそろわないと、 新規産業による

村おこし/町おこしはできないんだ、 と

この認識を しっかりもつべし、 と僕には思われます

会社であれば、 整理のうえ 再出発ということもありですが

自治体や地域は そうもいきませんよね

引く時は早く引く―― これは鉄則だと思います

② 地域再編のプランニングをしておく

限られた資源を 集中的、 計画的に投下する――

僕らが直面しているのは そんな新しい時代です

低成長/ゼロ成長は 近代日本で初めての時代です

それが もう始まっています

福祉も効率化させる。 インフラの整備保全費を切り詰める

農地や漁船など 生産手段の合理化をすすめる

これに 中央官僚ではなく 地元民が自ら 着手、 少なくとも

その準備と立案をしなくてはいけないんじゃないでしょうか

復興できれば もちろん何よりすばらしいのですが

上で述べたように それは ギャンブルです

かなり 賭け率の悪いギャンブルです

(僕は 自分の祖父母の村を念頭に こう言っています)

僕が 林直樹さんの 「撤退」 論に賛同するのも

そうした現状認識と 僕なりの判断があるからです

誤解しないでいただきたいのは、 東京の大学のセンセーが

そうノタマッテいるのではなく

田舎出身者の 田舎に愛着をもつ バブル世代の男が

自分の故郷について そう言っている、 ということです

過疎地から 中核市街地まで

地域の再編計画を 包括的に描いていくべきだと思われます

もちろん 地方公共団体間の調整は必須ですが

それはまた 別の課題です (相当 大変そうですが)

撤退ラインをしっかりと定めて、 そこまでは

やれることを一生懸命やる。 しかし その先は

新たな地域再編のステップに 堂々と 自ら踏み込む

そういう英断が ほかならぬ 地域の自主性として

自ら 出てくることを期待しています

それが 他ならぬ 地方の若者の希望にもなると思います

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私の田舎が 活気をとりもどすことは もうほとんど

考えられません

上記の条件が あまりにも揃わなさすぎて

どうしても無理だ、 と判断せざるをえません

しかし、 そこにも 道路整備費、 上水道敷設費などが

投げ込まれつづけています

もちろん それは あの愛すべきばあちゃん達の

生活のために 絶対に必要なのです。 しかし

それを 続けていくのか、 いかないのか――

その判断は 別の事柄になります

村おこしができるのか できないのか

村おこしとして これまで何をやってきたのか

それは成功したのか しないのか

仮に補助金がつぎ込まれたなら それは何になったのか

そうした総括のもと 可能性を具体的にすること――

そして 引き際を見極めること――

これが 僕の提言のキモであります

そして これこそは 価値観の転換なのだ、と

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以上 すっかり長くなりましたが いかがお感じになりますか

ぜひ お気軽に ご意見を聞かせてくださいませ

素人なりに 一生懸命 考えて 実践につなげていきます

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 「経済人類学における近年の議論からも、多元主義と進化を対立させる問題構成が誤っていることを説明することができる。進化論を信奉する人類学者たちは、彼らにとって基本的命題の一つである分業と社会的階層化の必要十分条件が、食料の余剰生産であるという主張に固執している。このような考え方は、余剰概念の文化的(非生物学的)性格を認める論者(彼らは、マルクスのラッサールに対する批判をそれとは知らず踏襲している)から厳しく非難された。しかし、マルクスとは逆に、この論者たちは社会構造と経済体制による相関関係がないと結論してしまう。ここでもまた、いくつもの軸線を持つ現象に一面的な定義がなされていて、その詳細な分析が行われるにはまだ程遠い状態にある。」
 (クロード・レヴィ=ストロース 『パロール・ドネ』 p28)

 地方経済の現状に対する研究は、それほど単純に結論の出る問題ではないでしょう。
 なぜなら、私たちが地方の財政を駄目にしてしまったとされる丸投げの公共投資について、私たちがなぜそのような行動をとったのか細かい分析がなされていないからです。
 それは、単純に国会議員が自分の基盤地域の繁栄のために予算を獲得することで自己の政治基盤の安定化を図るといった、自民党政権の作った政治体制によるものと分析されているのかもしれません。しかし、そこに見え隠れする、私たちが地方において莫大な予算を割いてでも守ろうとしてきたものの存在が無視されているからです。

 東京で人々が謳歌している繁栄を地方にもたらすために、私たちは地方におカネをつぎ込むことに何の疑問も持たずに無視してきたのでしょうか。
 それが平等の精神の基づく正しい政治と判断したからでしょうか。

 私には、私たちが地方でなければ得ることのできないもの、そして東京での繁栄が明るみに出れば出るほど、本当に人間に必要と思われる何かが、この地で消え去っていることに気づいているからこその攻防がそこにあるように思うのです。

 地方での人のつながりは確かに変革の妨げのなる。

 商人は他の商人のテリトリーを犯さず、人々は多少高いと思われるものでも近所の商店から購入すること。
 伝統的な手法による工業生産にこだわり、売れるとわかっていても量産や増産することによって失われるものを思って増資を見送ること。

 これらによって守られているものの必要性は無視されるべきですか。

 私は、つい去年の3月まで地方都市で子育てをしてきましたし、短期間でもその地域の教育と福祉の行政を見ることができる仕事をすることができましたので、その豊かさが子どもに与える影響について、はっきりと存在すると断言することができます。
 それはカネによる豊かさとは別の豊かさにはぐくまれるものです。
 むしろ、カネによる豊かさから脱している世界観がぎりぎり残されている現状が守っているものであるようにも思えます。

 しかし、資本主義経済によるモノとカネの流れの構造やグローバリズムによる均一化によって、地方でもこの豊かさは確実に危機に立たされている。

 私たちは将来を見据えて、メリット・デメリットについての考察をしなくてはなりません。

 地方が残したいと思っているもの、地方に残したいと思っているもの。そのようなものを守っていくためには、現在の資本主義においては無駄であるとみられる投資が必要でしょう。
 そういうものを守っていきながら繁栄をはからなければならないという足かせの存在が、地方には運命づけられてしまっているのです。

 しかし、むしろ東京圏の精神的な見直しこそ、人間としての繁栄のためには必要なのではないですか。
(このような見直しは実際に企業や経営者の中では必要だと感じられています。あとは、教育のなかでもみられますね。)

 そして、精神的なつながりの重要性を無視しては、カネやモノの魅力に打ち勝つ方法を得ることはできません。

 先生には変にみられるスナックや旅行で落とされるカネの存在について私は大分違う見方をしています。
 本当に道楽だけのためにされていることですか?(もちろんそういう人はいると思います)そこに存在するのは無駄だけですか?

 一度そういった旅行なんかに同行されるといいですよ。
 うちのものは地方で(商業系の)そういった旅行なんかに参加させられることも多いのですが、帰宅後貴重な意見を聴くこともできます。

 今後地方に移管される政治の在り方を考えるのは、もちろん地方議会の議員の皆さんが中心となるでしょう。
 しかし、この国の今後の在り方について、全体性を無視しては国の繁栄はありえません。
 この国の在り方について、自分の生活圏について、真剣に考えてこなかったのは本当に地方にいる人だけですか。
 そこには、私たち自身の反省がなにより必要ですし、中心となる人たちは全体性を考えた政治のありようを真剣に考える必要性について、もっと危機感を持って対応すべきです。

yokosawa さん>

コメント ありがとうございます

しっかりとした哲学を感じさせるお話で、 印象深いです

私なりのレスポンスはございますが
(たとえば 経済と 資本主義との重なりと違い)

もともと mika さんへのお返事として書いたエントリですので
ちょっと 待っていてくださいませ
もしかしたら mika さんから 何かの書き込みがあるかもしれません
そちらを お待ち申し上げたいと思うんです

すいませんが、 ご理解いただけますよう

 きっと先生のブログに書き込みをしてしまったことに後悔しているであろうmikaさんが、少しでも書き込みしやすいようにと思い、先に書き込ませていただきました(笑)

 私はお二人より一つだけ年上ですが、ここの差はすごく大きいと感じています。まさにバブル世代。優秀な友人たちはもちろん大学(なんか)には残らずに、外資系の金融や保険系列の会社、銀行系のシンクタンク、大手企業、マスコミなんかに就職し、今も活躍(?)中です。
 
 しかし、私たち東京にもともと住んでいるものは、幼稚園から小学校の低学年にかけて、急にいなくなってしまった友人たちのことを忘れません。
 彼らの親たちは景気の上がり下がりに翻弄され、夜逃げ同然に都会から出ていくことになりました。
 3年生の時UFOクラブ(トラックの荷台に寝転んでひたすらUFOよ来たれと念じながらUFOが来るのを待つ)を作ったりして遊んだOくんちのお父さんが造船不況でIHIをクビになった時、真剣に別れを覚悟した僕ら。
でも、なんとか再就職が決まって引っ越さなくて済んだと知った時、喜びの踊りを踊ったけ。
 
 そんな生活の中での大人たちは、生活に対する責任を全身で受け止め、生きるために助け合いながら、子どもに自由を与え続けた。
 
 そんな時代があったのです。それが、今の私の根底にあって、どんなことが人に必要なのかという私の哲学を支えているのです。

人口減少時代はほんとうに過酷だと思います。何より時間が味方になってくれないことが大きいです。人口増加時代は、待っていれば、国の収入が増え、国から地方への支援も増える時代でした。今はその逆です。待てばまつほど、状況が不利になります。研究者としては完璧に近いこたえを出したい、しかし完璧なものができたころには…という思いもあります。

最近の議論で気になることは時間軸の不在です。たとえば世代間格差があまり問題にならないことが気になります。なんだかんだ理由をつけて公債をどんどん発行して、次世代に負担をまわすことが。現世代のなかの格差さえなんとかなれば、どうでもよいという感じです。次世代(未来世代)は、文句のひとつもいえない立場です。私たちはそれを忘れてはいけません。

教育についても気になることがあります。現在、「自然はすばらしい!」と徹底的な教育がすすめられています。もちろん反対はしませんが、教育の効果が出るまで、30年はかかります。はたして30年後、過疎地などは無事残っているでしょうか。それまでの「つなぎ」となりうる策は…。これも時間軸不在の問題です。

林さん>

コメント ありがとうございます

私の言いたかったことも 大分言っていただきました

正式なレスポンスは もうちょっとお待ち下さいませ
mika さんの反応を もちょっとだけ待ちたいのです

後ほど

追記: 研究会への登録、まだしてません。すいません。他意はございません。近日中に必ず!

こんにちは。
近藤先生ありがとうございます。
とても参考になります。

申し訳ございません。
コメントしたことを後悔はしておりません(苦笑)

地方がこのような状況に置かれたこと、それはお気遣いいただきましたyokosawaさんももおっしゃっておられるように地方にばかり責任があったとは思いません。
地方には地方の果たす役割がありましたし、それが首都圏にもたらす効果もあったと思います。また今後もあると思います。
しかし、これからの地方は、これまでとは違う方法で違った考え方で歩んでいかなければならない、また否応なしにそのことが求められていると思っております。
再起の道を歩んでいかなければ、と書きたかったのですが、先生のレスポンスを読ませていただくと、地方にはほとんど再起の道がないように思えてきて、考えさせられました。

地方も変わりつつあるとは言いましたが、こういう現実があるのも事実です。(ほれ、みたことかと言われそうですが)

私の住んでいる新潟県の長岡市(平成18年合併、以前は栃尾市)は旧新潟3区といっても世代的にはピンと来ないかも知れませんが、故田中角栄氏の選挙区です。この名前を聞けばおわかりと思いますが、政治家は地元に何か(この何かが問題で、不要不急でも何かだったわけです。但し、田中氏のもたらしたものすべてを不要不急と言っているわけではありません)をもってくることで評価されてきた。
そんな土地柄ですが、平成の大合併の議論のなかで「交付税なんてものを当てにするなんて乞食(御容赦ください、御本人がそうおっしゃいました)と一緒だ」という意見が出ました。(これは合併推進派の意見でした)。
これからは交付税に頼らず、財政基盤はその自治体で作っていかなければならないということかと思ったのもつかの間、「寄らば大樹の陰だ!大きいパイになれば、もっと地元に大きなことをしてもらえる」と続けました。
集中と選択といって合併し、3年経ったいま、合併特例債で作っているもの。それは吸収合併した旧長岡市駅前の200億円の支庁舎です。
そして集中と選択からはずれた自己決定権を失った小規模自治体は大きなことをしてもらえない現実が自分たちが見た夢がはかない夢だったことを知りました。

先生おっしゃるような、希望の希の字もないような現実のなかでも(一部反論はありますが)、集中と選択の外におかれても、我々はここで生きていかねばならないし、子どもを育てていかなければならない。
(ある意味、力のある人間はすでに地方から出ていったとも言えます。)

こういう状況でも個々では新しい試みをしている人々もたくさんおります。ものすごい文章が悲観的な感じになってしまっておりますが、最終選択、集団的撤退までにはやれることがある。頑張りたい気持ちはいっぱいです。(集団的撤退はこれまた現実、非常にパワーのいることです)

まず人だ!という御意見は同感です。どういう課題、選択があるのかを過去の総括を含め仲間としていきたいと思っております。
(すでに、仲間には、先生の提言、林先生の過疎地域の集団的撤退については課題定義しております。)

今後ともよろしくおねがいいたします。

どうでしょう。一度みなさん、すなわち、コンドウさん、mikaさん、yokosawaさん、私で集まって意見交換会をやってみませんか。地方を思う気持ちはみなさん同じだと思います。いわゆる「がんばる集落」と「集落移転するところ」は決して真反対ではないと考えます。話し合えば、よいアイデアが出てくるかもしれません。いかがでしょうか。

mika さん>

コメント ありがとうございます

お忙しいだろうに、 僕のブログを訪れていただき
あまつさえ コメントまで書き込んでいただけるというのは
本当にうれしいです

前書きで 長々 お付き合いさせても なんですので
早速 コメント返しをば

=====

事は もはや責任問題ではありませんね
僕らがここで議論していること
地方にとっては (責任問題ではなく) 死活問題ですよね
責任追及が よしんばうまくいったとしても、 それで
何か補償が出るのか、 そもそも 林さんがおっしゃるように
そんなことをしている暇があるのか
責任追及はもっともな心情から発していますが
それは後でもできることなので、 いま生き残りをかけて
具体的なステップを 踏んでいくのを優先する
その方が きっといいんだと思います

=====

地方の果たす役割は 今でも当然ありますね

mika さんがお書きになってくださったことですが
僕なりのコトバで 書き直させてください
(触発されちゃったもので…)

否定的な方から言いますと、 人材供給です
首都圏なんていいますが、 僕も含めて 田舎出身者ばかりですもんね
問題は、 首都圏で産出された富の 地方への還流機構ですね
田中角栄方式は それをちゃんとやってくれていたわけですが
第一に、 自民党政治の「腐敗」
(僕は マスコミがなぜこのコトバを使わないのか、 疑問です)
(腐敗は しばしば善意と無自覚から 発生するのですから)
「腐敗」のせいで、 それが機能しなくなった
第二に、 記事内で書いたような 「ゼロ成長」時代
「少子高齢化」社会の到来 のせい
つまり、 首都圏から地方への富の還流機構は
条件設定が これまでとは全然違うところからやりなおし
ということなんだろう、 と思っています
(エコノミストでもないんですが、 素人なりに)

肯定的な方はと言いますと、 yokosawa さん仰るとおり
首都圏で失われていくものの たしかな保全です
1970年代、 学生運動のなかから そうした方向へと
一部の若者が走っていきました
現在、 活性化がうまくいっている地域では、 しばしば
そうしたかつての若者のお姿を拝見します
時代が下りまして、 あらためて気づかれるのは
世界随一の都市である東京は 近代文明の病が これまた
ひどく突出した形で あらわれている ということです
犯罪なんてのは ごく表層的な問題であり
その背後では たくさんの苦悩が、 首都圏なりの苦悩が
あふれかえっているわけです
そして地方は、 首都圏への傾きが強すぎたせいで
(明治以来の、 日本の近代化過程で ずっと続いている傾向です)
同じ病に いま罹ってしまっている
地方の苦境は したがって 二重なんだ、 と思うのです

地方の役割は 他にもきっとあるでしょう
パッと思いつかないので… ぜひ教えてください

=====

僕には 地方再起の難しさの認識から出発することが
僕ら 青春青年バブル世代、 あるいは高度成長期子ども時代世代の
《価値転換》 なんだと思われるのです

勝ち負けで考えてはいけない
首都圏にないものを こっちではこう! みたいな対抗ではいけない
mika さんがそうだというのではなく
僕の知っている田舎の40代は そういう人たちが多い
そうじゃないんだけどなぁ… と思うんです

負の遺産が はっきり言って たまっているわけですから
軽やかに アッケラカンと その整理から始める
そこから “何かを産む” 必要すらない
そんなもんだ、 と 淡々と 明るく元気に生きる――
オルタナティヴという観念すらをも抜け飛んだ
その先の ナマな生きるってこと――
僕には そこにこそ 可能性を感じるのですが

実際は そう簡単には 事はすすまないでしょうね

蛇足ながら言い添えれば、 このことは
高尚なる (苦笑) 哲学であって
産業基盤の創出維持 (就業機会、 子育て環境の確保)
という必須課題とは 無論 別のことだ、 と
心得ているつもりです
蛇足でした

=====

mika さんは書きました:
==
先生おっしゃるような、希望の希の字もないような現実のなかでも(一部反論はありますが)、集中と選択の外におかれても、我々はここで生きていかねばならないし、子どもを育てていかなければならない。
(ある意味、力のある人間はすでに地方から出ていったとも言えます。)
こういう状況でも個々では新しい試みをしている人々もたくさんおります。ものすごい文章が悲観的な感じになってしまっておりますが、最終選択、集団的撤退までにはやれることがある。頑張りたい気持ちはいっぱいです。(集団的撤退はこれまた現実、非常にパワーのいることです)
==
    ↓
ナンヤカンヤ 僕も言っていますが
所詮は 脱田舎組のひとりです
今では、 首都圏で生計をたてていて
両親すら こちらに引っ越してきてもらいました
(一人っ子なのです)

地方の方がたの声を 僕はもう決して代弁できません
偉そうなことを 言うつもりはありません

何かのつながりが こうして出来て
僕自身の田舎に対する負い目を解消して
首都圏在住20数年の経験を少しでも還元して
そんでもって、 地方の再スタートにかかわれたら
こんな嬉しいことはないのです

こちらこそ 今後とも どうぞよろしくお願いいたします

追記:
「先生」 なんて… どうぞおやめください
「コンドウさん」 でいいんです
yokosawa さんとは もともと大学の授業でお会いしたので
「先生」 と呼んでくださっているのです
ホントは 「コンドウ君」 でいいところを (笑)

yokosawa さん>

お返事 お待たせいたしました

上の mika さんへのお返事には お気づきのように
yokosawa さんのお考えに対する 僕なりのレスも入っております
また、 林さんのコメントは 僕の考えと大きく重なります

そちらをご参照のうえ もし また何かあれば
ぜひお聞かせくださいませ

=====

レヴィ=ストロース本人がどうだったかは 分かりませんが
「野生の思考」 を引用する人の多くは
僕のコトバでいう 《お気軽お手軽 反近代》 になりがちです
宗教学者なんて 宿命的に そうなりやすいです

でも そういう二項対立自体を 僕は もういいや、 と思うのです
(繰り返しますが、 レヴィ=ストロース自身がどうだったか)
(それは ちょっとわかりません)

=====

「東京圏の精神的な見直しこそ、人間としての繁栄のためには必要」
それはその通りだと思います
「精神的なつながりの重要性」
これも 重要だと思っています (だから宗教学をやっております 笑)
それが 「カネやモノの魅力に打ち勝つ方法」 へとつながるのを
僕も期待しています

ただし、 それを地方が担うかどうかは
地方の方々に決めていただかなくてはいけません
首都圏の地方ロマン主義なんて 意外と…
なんてことになりかねませんからね

林さん>

皆さんでお会いして 意見交換をするとの提案――
僕は のっかりますよ

ただし、 皆さん お忙しいですから
機運ができあがって 時間がうまく合えば
それぞれのお仕事の都合がつけば、 ということで

以前も申し上げましたように、 こういうのを 僕は
「縁」 という観念で 理解するようにしています

縁があれば 僕らは 会うことになるでしょう

まずは林様>

 ブロブをのぞかせていただいた時、私は間違って林さんのブログに入ったのかと思いました。

 実は近藤先生は(このブログでは分かりにくいですが)女子大の教員として、学生たちにマナーやモラルについてはしつこいくらいに教育を実践なさっています。(今の高等教育現場では大変なお仕事です。)
 mikaさんのお返事に真っ先に反応されたいお気持ちはわかりますが、ここは私がよく行くゲーム攻略ブログではありませんでしたよね。


mikaさん>

 言いたいことはまだ山のようにあると思いますが、まずはご自分のしなくてはならないことを優先してお考えになった、私としては感動的なお答えでした。

 以前にこのブログで書いたことがあるのですが、私は子どもの通っていた学校を廃校にする手続きに関わってしまいました。
 地域の少子化が進んでしかたのない状況ではありましたが、先輩のPTAが長いこと戦って廃校を待逃れていたものを、地域間の諍いにまで発展してしまった経緯から決断しました。
 今もそれが正しい選択だったのか、本当に娘の通っていた学校が廃校になるべきだったのか(実は統合された地域ではもっと子どもの少ない古い学校があったので)、私はさっさと引っ越してきてしまったのでそのことも、すべて私の頭の中で今もぐるぐるしています。
 もちろん仲間としたことですから、そのことが私を支えてくれています。
 でも、簡単に割り切れない部分に皆がさいなまれ続ける。そのことは覚悟しなくてはなりません。

 かっこいい政治がやれなくなった今、本当に政治をしていくことは大変です。
やっぱりそこで自分を支えてくれるのは、私は自分の中の正義だと思います。
(あぁ、みんなには笑われそう)
 頑張ってください。


近藤先生>

 このブログは近藤先生が、もっとりっぱな大学の先生としての近藤先生になるための道場なのですから、近藤先生は近藤先生としてがんばっていただきたい。
 なので、私は近藤先生で。

 私は審議会の事務方なんかも経験いたしましたので、不毛な話し合いに長々付き合って、勘弁してよーって思ったことも数知れず。
 私が言いたいのは、要は気持ちの問題ということです。

 私のような仕事をしておりますと、いろいろな現場に行ってお話させていただいて、自分のやるべきことをする。つまり、例えばスポーツの大会とか、国際交流とかみんなが楽しんでくれること。あるいは、保育園の保育料の取り立てとか、ホームレスの方のテントの撤去とか、普通の人が見てもえぇーっと思うようなこと。
 こんな仕事なわけです。

 そんなとき、どんな場面でも、自分の今していることに対して、相手がどんな状況でどんな気持ちでいるのか考えて行動している場合とそうでない場合では、はっきりと違いが出るのです。
 私はそのことを先輩に肝に銘じるように教えられてきましたし、そうでない先輩も山のように見ました。

 先生が高村さんの記事を載せた時、私は正直がっかりしました。
 高村さんの記事の全文を読んでいないので、高村さんの気持ちはわかりません。
 でも、先生が載せた記事の中に、私が必要と感じるものはありませんでした。

 mikaさんの反応は当然です。

 先生が焦る気持ち、この国が今立たされている状況が甘くないのは私も百も承知しているつもりです。
 でも、その気持ちをあちこちに押しつけてどうしますか。
 説得と押し付けは違います。

 せっかくのいいアイディアも、行動一つでだめになります。

 こんなこと言ってる私もずいぶん失敗したクチです。痛い目に合って分かるんだよなぁ。ずいぶんいろんな人にフォローしてもらったなぁなんて、思いだしました。

 

う~ん、どうも私の提案は失礼だったようで。すみません。では、取り下げます。

林様>

 あんまり細かく説明したくなかったので、全く失礼な書き方になってしまって申し訳なかったです。
 私が言いたかったのは林さんの提案自体の否定ではなくて、林さんが書きこんだ《時間》の問題です。
 
 先生はきちんとmikaさんの意見を受け止め、そのうえで意見を書かれてmikaさんの反応をお待ちになりたいとおっしゃった。
 そしてmikaさんがお返事を書かれた。
 その次にはなにがおこるべきでしょうか。

 こういう空気って言うか、間って言うか、私は大事だと思います。 
 そういうことが全体のまとまりを作るんだろうなぁと。
 そして、そういうのを壊すのはルール違反ではないかと思っています。

 私のようなものがここで偉そうに物を言うのは本当におこがましいのですが、そういうことに気づいていただきたかったからです。


 さて、林さんがこの前の私の書き込みに対して書かれた時間軸の不在について。これはもっともな御意見だと思います。実際にそんなに悠長なこと言ってる場合ではない場所も多いのだろうと。
 でも、それは実はどこでも感じられていることですよね。
 私も人の親ですから、子どもの世代に負担を残すべきではないし、その責任は今の世代が取るべきと感じます。
 したがって消費税は10パーセント以上になるべきですし、地方消費税もいち早く導入されるべきと思っています。

 でもそれと撤退を急ぐこととの繋がりは別問題になります。

 私たちは農民の味方です的な意見の方とのやり取りは大変だろうと察しはつきます。
 でも時代が変化する兆しが見え始めた今、林さんたちのアイディアはますますクローズアップされると思っています。
 ですから、そういった席で説明なさる場面では、時間軸の問題よりは具体例(新しい論文ももちろんいち早く読ませていただきました)が必要でしょう。そして、それに対する今後の課題についての考察も必要だと思います。

 偉そうに書いてすいません。撤退の農業は私も期待しているので、がんばってください。

 それと教育の問題。
 私が言いたかったのは「自然・・」云々ではなく、「物の価値、お金の価値って何」っていうことです。
 実は今の子どもたちはそのことについて大分変ってきています。
 例えばディズニーランドで2万円のおこずかいをもらって使いきった友人の話題では「いいなぁ」ではなく「バカじゃないの」になっています。
 30年前からの教育ではなく、《教育+環境・空気》がそうさせているのでしょう。
 子どもはそれほどバカじゃないですよ。

 それに合わせて企業も必要なものを売るというスタンスを持ちつつありますね。
 
 そんなことがいいたかったのです。

ご説明ありがとうございました。タイミングがわるかったと考えています。すみません。

 いえいえ。こちらこそ失礼しました。

 私は、林さんがあちこちの撤退の農業について書かれたブログで説明されているのを見て、心臓が痛くなりました。こんなこと自分のダンナがしてたらたまらないなぁと。(ちなみにうちのはそんなタマじゃございません 笑)
 真面目で不器用で責任感が強い。
 だれかさんにそっくりなので、いいお友達になれると思いますよ。

 余計なことを書きましたm(__)m

 近藤先生、先生のブログで勝手をして申し訳ありませんでした。


 == 今日のうれしい発見 ==

 「ブログで読み解くIT用語辞典」というブログウォッチャーのHPで、アーキテクチャの説明に、このブログの先生の意見が採用されているのを発見しました。

 やったー!
 

いえいえ、気にしないでください。ご指摘には感謝しています。

「積極的な撤退」について書かれたブログには、なるべくコメントやメールを出すようにしています。たとえ反対意見であっても、「過疎地をおもう」という点では仲間ですから。

余談ですが、今、私が書いている本では、「これに対して○○というご批判もあるかもしれない。しかし(誤解を解くための説明)」という表現がたくさん出てきます。これも膨大な質疑応答のたまものです。

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今の時代、今の日本が要求する変化とは何でしょうか? 日経新聞が100名の経営者に対して行ったアンケート調査では、鳩山政権に求める経済対策として第3位に消費刺激策(35.8%)、第2位に社会保障制度の抜本的見直し(46.7%)が並び、第1位は新産業育成や技術革新の促進などの... [続きを読む]

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