忘れられない光、あるいは時間軸の中の光
パリ経由で北アフリカのモロッコはマラケシュに入り、 バスで二昼夜。 エルフードという砂漠の端の町から、 現地のドライバーが運転するランドローバーに揺られること数時間。 ようやく降り立ったサハラ砂漠で東海林は満月を待った。 そしてついに現れた月光は、 0・2ルクスしかないとは信じられないくらい、 眩しかった。
「地球と月という惑星の周期的な動きが光の現象となって現れる時、 それは、 空気が止まったかのような美しい緊張の瞬間だった」
地球という自然の営みの中で時間とともに移ろっていく光こそが美しいと、 東海林は思い知る。 そして 「時間軸の中の光」 というテーマを見出した。
ルビは省略
2009.11.2 号 (64-68頁) でとり上げられたのは
照明デザイナー
東海林弘靖
「文 = 三宅玲子 写真 = 山田高央」 とある (ルビ省略)
上の文章は、 東海林さんが 「明るさ至上主義の東京を飛び出して」
見つけた 「忘れられない光」 についてのものである
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東海林さんが自然現象を語るコトバは 科学的である
そして、 自らの体験を語るコトバは 詩的である
- 空気が止まったかのような美しい緊張の瞬間
そして、 ライターの三宅さんと 東海林さんのお二人が
光について語るコトバは その両方の性質をもつ
- 忘れられない光 (三宅)
- 地球と言う自然の営みの中で時間とともに移ろっていく光 (三宅)
- 時間軸の中の光 (東海林?)
科学的世界観のなかで経験される 非日常体験――
現代日本の 《宗教と世俗のあいだ》 言説の典型であります
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