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2009年11月23日 (月)

キリスト教徒パレスチナ人の肖像

前便 より つづく

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臼杵陽先生 よりいただいた

  • 一橋大学地中海研究会 (編) 『地中海という広場』 (淡交社, 1998年6月)

臼杵先生ご自身は

  • 【パレスチナ】  アッカー湾にたたずむ  キリスト教徒パレスチナ人の肖像

と題したエッセイを寄せておられます (92-98頁)

ご自身 これは 「思い出深いエッセイ」 であるとのこと (私信)

一読 なるほどなぁ と思いました

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アッカー湾とは イスラエル北部 ガリラヤ地方南部にある

ハイファというイスラエルの代表的な港湾都市をかかえ

ハイファ湾 とも呼ばれるのだそうだ

地中海に突き出したカルメル山の裾野がつくる曲線が

そのまま湾になっている (@ Google Map

この港湾からは イスラエル建国にともなって

百万近いムスリムが 難をのがれて 脱出した。 一方

ホロコーストを生き残った 欧州のユダヤ人や

反ユダヤ感情に追われた 中東イスラーム世界のユダヤ人が

やはりこの湾から イスラエルに上陸した

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臼杵先生は 1984年 そこをはじめて訪れた

大学院生だった先生は そこで エミール・トゥーマーに会った

ギリシア正教徒のパレスチナ人にして 共産党員――

ユダヤ人の妻をもつ歴史学者――

ユダヤ人とアラブ人の対等な共存を目ざすアラブ民族主義者――

一度だけの 会合だった

1年後、 トゥーマー氏が逝去したからだ

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それから2年後、 臼杵先生は ハイファを再訪する

その時 出会ったのは エミール・ハビービー

在イスラエルのアラビア語作家――

トゥーマーと同じく ギリシア正教徒のパレスチナ人――

そして 共産党員にして アラブ民族主義者――

ハビービーとトゥーマーは 青年時代 労働運動をたたかった

盟友でもあった

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臼杵先生のエッセイは これだけである

ハイファの風景と 地中海の空気を描くなかで

この二つの出会いが ただ淡々と 描かれる

最後の段落は こうだ

ハビービーにとって海とは地中海にほかならない。 国境のない海。 見果てぬ夢に賭けた作家も一九九六年春、 帰らぬ人となった。 アラブが住んでいたころのハイファを知る年老いた大きな魚がまたしても消えていったのである

98頁

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