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2009年12月20日 (日)

インターネット時代の宗教 (2/2)

前便 「インターネット時代の宗教 (1/2)」 より つづく

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「現代インドの情報化と宗教」 という問題意識から

日本の事例をあつかった 先行研究を紹介しております

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  • 宗教社会学の会 (編) 『新世紀の宗教: 「聖なるもの」 の現代的諸相』 (創元社, 2002年11月)

の 第4章

  • 深水顕真 「インターネット時代の宗教」 (100-39頁)

この論文の結論部分の紹介が残っていました

深水先生は こんなことを書いておられます

本論の事例からは、 インターネットは成員間の対話を進めるメディアとして非常に有効に機能していることがわかる。 その背景には、 I 氏の事例にも現われている現代の宗教状況がある。 近代の宗教は、 教義からの縦軸の相互作用に重きをおいてきたために、 成員が求めるものとの間に乖離が生まれてきた。 一方、 現代においては、 個人はより分かりやすく、 自分の状況に適合した宗教を求めている。 そうした成員の要求に対して、 縦軸の相互作用は十分に機能していない。 そこで、体験談の共有というより身近な宗教の相互作用が起こってくる。 この横軸の相互作用を、 より広範に機能させるものとして、 インターネットは非常に有効なメディアであった

135頁

I 氏の事例からも、 また 「自分探しの仏教入門」 や 「「阿弥陀さまがごいっしょです」 の事例からも、 成員間の対話つまり横軸の相互作用を重視したウェブサイトが、 活発に活動していることがわかる。 このことから、 現代の宗教に求められる横軸の相互作用を、 いんが的確に提供し、 その要求をより拡大し機能させている。 インターネットの 「メディア/社会インターフェイス」 としての姿を見ることができる

135-6頁

加えて、 深水さんは 「危険性」 にも言及する

近代型の宗教教団では、 大きな拠りどころとなる教義が参照され、 規制することで、 その組織の向かう方向を明確に定めていた。 しかし、 対話のみの組織の場合、 この拠りどころがないがゆえに、 どこにでも向かってしまう可能性をはらんでいる。

136頁

こうして二つの傾向が明らかになった

深水さんは 次の一段落で 論考をしめる

あえて言うなら、 ポスト近代の宗教教団の姿は、 対話の場を提供することがその第一の役割となってくるだろう。 そして、 場を提供し、 語彙を与え、 ブランドを付与することで、 緩やかな方向性を与え、 暴走の危機を避けることが、 第二の役割となってくるといえる

136-7頁

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さて、 インドである

インドもやはり 同様の状況にある、 でいいか…?

この問いは 理論的に というよりも

現地調査の結果をもとに 証拠立てられた答えを要する

ということで、 しばらくインドにご無沙汰な僕が

あれやこれやと思考してみるのではなく

専門の先生方に 今後お聞きしていきたいと思います

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