理性による分析の世界
宗教とは 《宗教ではないものではないもの》 である
冗談で言っているのではない
コトバ遊びでもない
宗教と非宗教は、 典型的な 《図=地》 の関係にあって
宗教の定義は 宗教の本質が決めているのではなく
非宗教からの排除が決めているのかもしれない――
現代宗教学は そこまで すすんでおります
ということで、 「世俗の宗教学」 へのエントリです
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- 石井公成 「宗教者の戦争責任: 市川白弦その人の検証を通して」 池上良正・小田淑子・島薗進・末木文美士・関一敏・鶴岡賀雄 (編) 『岩波講座 宗教 第8巻 暴力』 (岩波書店, 2004年9月, 223-49頁)
以下で 「大拙」 とは 言うまでもなく 鈴木大拙師 のことです
しかし、 市民倫理はあくまでも市民倫理であり、 宗教ではない。 また、 宗教は政治分析でも歴史研究でもないのである。 大拙は、 社会常識をわけまえずに 「お悟り」 を振り回す傾向を激しく非難しつつも、 悟りの世界は理性による分析の世界とは異なることを強調していた
242頁
従来の宗教学であれば ここで
「お悟り」 とは何か―― という問いを発するでしょう
しかし、 《世俗の宗教学》 は 宗教を知るために むしろ
「市民倫理」 とは何か
「政治分析」 とは何か
「歴史研究」 とは何か
要するに 「理性による分析の世界」 とは何か
と問うわけです
それによって 僕らの宗教概念の総ざらいを目ざす――
宗教論の基礎論のような作業なのかもしれませんが
これは今 必須の作業になっています
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コメント
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《メモ》
宗教の二重性
A. 本当の自己(自己の中の自己)と役割自己(自己の中の他者)をつなぐ役割
B. 役割自己の社会的正当性を強化あるいは補足する役割
① AとBが対立 → カトリック・イスラム教的宗教
② AとBが共同 → プロテスタント的宗教
③ AとBが並行 → 日本的(多神教的)宗教
①、②、③はそれほどはっきりと分離されていない
時代背景により
①>②>③ , ③>②>①
などに変化
時代のニーズに合わせて変化する宗教
その時代性と地域性と①、②、③の強度比較をする
他の宗教についても考察する。
投稿: u.yokosawa | 2009年12月 8日 (火) 08時23分
yokosawa さん>
「メモ」にコメント返しもなんですが・・・ (笑)
おっしゃておられることは、宗教学では、宗教を主語にして
A. 宗教のノモス/コスモス(秩序)創出維持機能
B. 宗教のノモス/コスモス(秩序)揺籃破壊機能
として語られてきたものにあたりそうです
(まぁ この用語法は 僕独自のものですが・・・)
そして、それがいろいろな場所での歴史過程のなかで
いろいろなコンビネーションをもつ
ただし、時系列的には 往復/循環/螺旋運動をすることが多い
みたいなことを 学部時代に学びました
投稿: コンドウ | 2009年12月 8日 (火) 10時32分
コメント返しありがとうございました。
お忙しいのに《メモ》にまでお返事を頂いてしまって申し訳なかったです。
―インドについて―
マンダル委員会がインド政府の任を受けて関与したOBCsにダリットといっしょに少数民族も入っているという認識でいいんですか?それとも、OBCsにも入っていない保護を受けられない少数民族がいたということでしょうか。
それにしても、マンダル委員会(後進諸階級委員会)というのもすごい名前ですね。この組織自体は適切に機能していたんでしょうか。AAって今はどう評価されている感じですか。
―《メモ》について―
分析方法を《メモ》にしたのは自分ではどうにもまとまらないし、先行研究も絶対にあるはずで、実は先生がコメントしてくれないかなぁと思ったからです(ごめんなさい)
まだ全然頭の中できれいに整理されないんですが、私の今まで読んだ本では、私がメモしたようなAやBの環境のなかで論理を展開しているように思ったので、それぞれがばらばらなようでもひとまとまりになるのではないかと大雑把にまとめてみました。
ただ、私が考えたいのはもちろんAの詳細で、しかしAのことだけ考えたのではあまりに一方向的かなぁと。
でもAのことだって全く手に負えないよなぁと本当に思います。
先生の示して下さったノモス/コスモス創出維持機能という考え方も、ある意味では合っているのですが、私の考えている全てを言い当てているように思えないのです。
では何が違っているのかといえば、コスモスが自己の中の自己なのか、他者なのかはっきりしない点。先生の示された考え方は形而上学的であるので私の中ではしっくりこないんだと思います。
また、二元論的にはっきりと分類せれず、なんと申しますか、この言い方であればカオスとしての自己の存在があるのではないかと思ってしまうのです。
なにせ自己の存在は底なしですから…。
ということで、メモはしてみたのですが、あまりにお粗末で申し訳なかったです。
ただ、これでオウムなんかについて考えたら面白くないかなぁと思ったりしました。
投稿: u.yokosawa | 2009年12月 8日 (火) 22時26分
yokosawa さん>
行政用語として、OBCs、SC(指定カースト)、ST(指定部族)は三つ別々です
マンダル委員会報告は、それまで後二者にだけ与えられていた留保枠(reservation)、すなわちインド版AAの制度を、OBCsにまで拡大適用するように、と勧告するものでした
AAの常ですが、マンダル報告も、いろいろな反対や抗議を受けましたが、今ではもう、全インド的に制度化されるようになっています
AAの効果はもちろん限定的です。集団を特定して優遇措置をあたえるわけですから
1)逆差別問題がつねにある(ただし、これは積極的差別、なわけですから、わかりきったことです)
2)各集団内部での格差を生んでしまう(特定の不可触民ジャーティといっても、やっぱり有力者とサバルタンはあるわけで、留保政策の恩恵は、どうしてもその上層に限定されてしまう傾向があります)
=====
A,B の対応は、ばっちりできてませんでしたね。授業前に走り書きしたものですから、バタバタしていました。すいません
C. 宗教のノモス/コスモス(秩序)創出維持機能
D. 宗教のノモス/コスモス(秩序)揺籃破壊機能
と言い換えますと・・・
yokosawa さんのAは、CとDの摩擦衝突、あるいは融合統合に対応し――
Bは、Cに対応する、といったことでしょうか
投稿: コンドウ | 2009年12月 9日 (水) 02時11分
詳しくご説明いただきましてありがとうございました。
私が知っているAAが日本の例(被差別部落等に対するもの)と大学の授業で勉強したアメリカのものですので、憲法上の規定で担保されているインドのAAとはAA自体の影響力に違いがあるのだろうなぁと想像しました。
生活する環境が厳しくなると、とかくAAに対する批判的な意見も増加して、それがもとでいろいろな衝突が起こりやすくなるのが常ですし、ナショナリズムへの追い風にもなってしまいますよね。
そういった力関係の中で、AAにも期待しない人々が出てきてマオイズムに傾倒するというのは分かりやすい構図なのかと思いました。
ただ、私の読んだ記事では、村の住民そのものはマオイズムに傾倒しているというよりは、今の状況を打開できればどんな方法でもよいという流動的な意見の人が大半であるとありました。
本当にそんな感じなのであれば、軍を動かしてでもマオイストを追い出してシン政権ががんばれば、そんな少数民族にも明るい未来が期待できるのでしょうか。
====
用語の確認について
私のCとDに対して持つ認識と、先生のイメージがずれているといけないので、いくつか質問させてください。
宗教のノモス/コスモスとは宗教によって創造されたコスモス(聖なる秩序)とその秩序から生まれたノモス(日常的秩序)のことで、創出維持機能というのはその2つが存在し続けるということ。また、揺籃破壊機能というのはその2つの秩序が成長するということですか。
それとも、2つの秩序によって社会や文化が生まれたり、成長させられるということですか。
投稿: u.yokosawa | 2009年12月10日 (木) 21時39分
yokosawa さん>
お返事が遅くなりました。すいません
マオイストについては、取り扱いが いろんな意味で難しいです
1)
そこには、既存の法律体系で違法とされる活動が多く含まれるので、政府からすれば これを武力で制圧排除する “ことができます” それは “既存の法体系にしたがえば” 合法です
2)
マオイストの「革命」が、現地住民の福祉に直接資するとは限りません。もちろん、彼らはそれを目ざして、標榜して、解放区の獲得のため武力闘争を繰りひろげるわけです。 実際、一時的にせよ、ある種の理想社会が実現しているのかもしれません。しかし、それはほとんどの場合、長続きしません。第一に、国家による弾圧のせいで。そして第二に、マオイスト指導層の腐敗とモラル低下によって。いずれの力学も、部分的な武力革命という戦略には、ほとんど必然的にはたらいてしまうもの、と理解できます
3)
根本的な課題は、インドのいわゆる「低開発」です。とんでもない貧困や差別が厳としてあることこそが、本当の問題ですね。つまり、お読みになった新聞記事も言うように、現地民にとっては、マオイズムであろうとなかろうと、現状を打破してくれるものなら何でもいいわけで、逆にいえば、マオイストを制圧しても、根本問題の解決にはならない、ということですね
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【CとDについて】
意味内容としては、お書きになっていただいたことで、概ねケッコウでございます
ただし一点
Dは、社会や文化を生みますが、それは既存のものをずらしたり、壊したりして生み出される―― より精確には、既存のものが“もうすでに” かなりの程度揺籃しているので、 Dが生じてきて、そこから新たなものが生まれる、ということだろう、と思います
投稿: コンドウ | 2009年12月12日 (土) 17時49分
コメント返しありがとうございました。
インドの置かれている現状について先生のおっしゃることを考えると、結局《所得の再分配》の問題の本質に迫ってしまい、いったい何が人の利益に準ずるのかというところで詰まってしまいますね。
インドで今現実に起こっている問題はそんな問いに直面しているのだと思います。そしてそれらについて一番正直に混乱している。
それはしかし《自由だ》ということであり、自由が争いを作りだしているのかもしれません。(何が何に対して自由で、何が自由でないのかというのが問題ですが)
州の分離・独立に関する記事も全く同じ根を持つものですね。
インドの混乱は政治的な失敗が起因しているのか。そして、この混乱を収拾できるのは軍事力なのか思想なのか、話し合いによる理解なのか。日本の政治と違って、純粋な部分で面白いと思いました。(危険をはらむ問題で面白がるのは不謹慎ですが…)
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私の質問の仕方が悪かったなぁと思うのでもう一度分かりやすく書いてみたいと思います。
C.宗教のノモス/コスモス(秩序)創出維持機能
① 宗教によってコスモス→ノモスが創出維持する
② 宗教によって生まれたコスモス→ノモス秩序によって時代・社会・文化が創出維持する
(二つの主語の違い ①OR② ①and②)
①and②の場合は読み手の誤認を誘う可能性が大きい
Dについても同じことが言える。
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いろいろと元気にご活躍されていらっしゃってよかったです。これからもがんばってください。
投稿: u.yokosawa | 2009年12月12日 (土) 23時12分
おっしゃるとおりだと思います
(もちろん僕はもう、面白いとは言えないですが 泣)
老婆心ながら付言するなら
「所得」ということだけではないでしょうね
まぁ yokosawa さんは完全にご承知のことだと存じますが
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おそらく コスモスとノモスは同時生成的なんだろうな、と思うわけです
そして、根源的な原理のレベルで、それは《宗教》(教団型宗教性というよりも、存在の深いところにある名づけられていないチカラ/方向性/力線)により、創出維持されていくんだろうな、と
投稿: コンドウ | 2009年12月15日 (火) 02時51分