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2009年12月13日 (日)

アニー・ベサント夫人

  • 北原靖明 『インドから見た大英帝国: キプリングを手がかりに』 (昭和堂, 2004年1月)

アニー・ベサントについて

ベサント夫人 (Besant, A.、 1847-1933) は、 インド女性の解放に最も熱心な一人だった。 彼女は、 ブラバツキー女史らが創始した神智学に傾倒し、 1893年インドにやってくる。 神智学とヒンズー教が共感できると考えたベサントは、 神智学でインドを開明しようとした。 彼女は、 国民会議派の運動にヒンズー教徒が関心を持つよう促し、 女性の開放 [ママ] を目指す。 藩王を動かして、 ベナレスに女性の学校を設立した彼女は、 行動と多くの著作で本国の議会にも影響を与えた

150頁 (漢数字はアラビア数字にあらためた)

「本国の議会にも影響を与えた」――

A・O・ヒューム についても 同じようなことが書かれていた (後便)

《神秘のインド》 派はこうして

当時の大帝国イギリスに影響を与ええることができた

しかし、 それはもちろん 大きな影響ではなかった

上の本では こう続きます

しかし概していえば政府は、 インド人の伝統に深入りしない方針をとっていた。 気候により形成されたインド人の性格は、 結局人種の違いであり、 これを改めるのは難しいという世俗的思想が、 アングロ・インディアンの間にも広がっていた。 専門研究者のインドの宗教や哲学、 文学に関する著作も、 一般のアングロ・インディアンの、 インドについての観念を深めることに成功しない。 彼らは、 インドからなにも学ばなかったし、 その気もなかった。 前の章で述べたように、 シムラのアングロ・インディアンたちは、 意図的に現地人を遮断し自分たちだけの社交界を築いたのだった

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