物語の光にしか照らし出せない場所
を考えつづけているが、 段々と 急所がわかってきた
- 《宗教と世俗のあいだ》 の領域のなかでも 《世俗》 の力場 に強くからめとられている諸要素
- しかもその 《宗教代替機能》
- そうすると 《宗教学の積極的解体》 が見えてくる
これだ! けど・・・
本ブログの定期的読者であっても、 このまとめ
ナンノコッチャ・・・・・・
の話でありましょうから 徐々に説明しないといけませんね
こういうときは 具体例から話をはじめるといいもんです
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ということで
2009年11月26日付 毎日新聞 朝刊 社会面
に載った
村上春樹さんメッセージ
の全文をご紹介します
『1Q84』 で 第63回毎日出版文化賞 (文学・芸術部門) を
受賞した村上さんが 受賞式に寄せたメッセージです
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しかし、 これは何としても 全文紹介したいものなので
いけないこととは知りつつ 書き抜きさせていただきます
(なお、 ルビはすべて省略しました。 あしからず)
【宣伝】
- 毎日新聞社の 新聞購読・出版物
- 『1Q84』
この 「メッセージ」 のどこに 僕が注目したのか
とりあえず 標題からわかっていただけるでしょう
しかし ちゃんとコトバにすべきですから
次便にて 論じたいと思います
とりあえず 下記 ご一読くださいませ
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このたびは 「毎日出版文化賞」 をいただき、 ありがたく思っています。 選んでいただいた皆さんに深く感謝いたします。
小説家というのは時間を相手に戦うものだと、 常々考えて仕事をしてきました。 もっと年若い頃には、 それは僕にとって 「時間の洗礼を受けても、 できるだけ風化しない作品を書くことだ」 というような、 わりに単純な意味合いしか持ちませんでした。 しかし年齢を重ねるにつれて、 そこには 「残された人生で、 あとどれくらいの作品が書けるか」 という、 カウントダウン的な要素も加わってくるのだと知りました。
あとどれくらいの数の作品が――とりわけ長編小説が――書けるのか、 自分でもよくわかりません。 一冊の長編小説を書き上げるには何年かの仕込み期間と、 何年かの執筆期間が必要ですし、 大量のエネルギーも必要です。 ですから、 そうして完成したひとつの長編小説が多くの読者の手に取られ、 それなりに評価されるというのは、 僕にとって何よりの励ましになり、 新しい意欲の源泉にもなります。
現在、 小説はむずかしい時期を迎えているとよく言われます。 人は本を読まなくなった。 とくに小説を読まなくなったということが世間の通説になっています。 しかし僕はそのようには思いません。 考えてみれば我々は二千年以上にわたって、 世界のあらゆる場所で、 物語という炎を絶やすことなく守り続けてきたのです。 その光は、 いつの時代にあっても、 その光にしか照らしだせない固有の場所を持っているはずです。 我々小説家のなすべきは、 それぞれの視点から、 その固有の場所をひとつでも多く見つけ出すことです。 我々にできることは、 我々にしかできないことは、 まだまわりにたくさんあるはずです。 僕はそう信じています。
現在は 『IQ84』 の 「BOOK3」を書き進めているところです。 おそらく来年には発表できると思うのですが、 来年になって本が出て、 「やれやれ、 もう一年待てばよかった。 そうすれば賞なんかやらなくてすんだのに」 と皆さんに言われないように、 精いっぱい頑張りたいと思います。 ありがとうございました。 村上春樹
◇
*贈呈式に寄せられ、 代読された 「受賞のあいさつ」 の全文です。
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