神事・宗教・経済
- 八塚春児 『十字軍という聖戦: キリスト教世界の解放のための戦い』 (NHKブックス, 日本放送出版協会, 2008年2月)
こちらの本の用語法で
《宗教》 や 《霊》 (カトリック的意味での) と対になる
《世俗》 とは何か・・・ という点について
一部の 「代々の十字軍家系」 について述べるくだり――
十字軍に参加することは多大の出費を伴うものであり、 決して割に合う仕事ではなかった。 また、 参加者を取り巻く政治的情況が、 必ずしも長期の外征を赦すものではなかったこともしばしばであった。 それでも彼らは十字軍が宣布されると当然のごとくに参加したのである。 おそらくその理由は、 十字軍が 「神のみ業」 であり、 まさに 「神事」 であったからではあるまいか
169頁
「神事」 は 著者 八塚先生ご自身の用語法である (同頁参照)
日本の読者に向けて、 ここでの 「神事」 は 「祭り」 のようなもの
との説明が加えられている
ここで 「神事」 と対比されているのは
「政治的情況」 と 「多大の出費」 である
すぐ後の段落では 次のように言われる
一般に行われている図式、 十字軍は時代を経るにつれ宗教的情熱が消え、 経済的利害が優先するようになったという図式は、 正しくない。 経済的負担がますます参加者を圧迫するようになっても、 まさに宗教的義務意識から彼らは参加したのである
169-70頁
《宗教的なもの》 は 「経済的利害」 「経済的負担」 と区別される
「宗教的情熱」 「宗教的義務意識」 とは 「神事」 に向かう
したがって、 《経済》 と 「政治的情況」 とは併置されてよい
====================
ということで・・・
前便での整理と 本便での整理から見えてきた用語法は
《宗教・霊・神事》 と 《世俗・政治・経済》 との区別と対比
さらに、 そう言ってよければ 二分法 である
そして・・・
これはもちろん! 叙任権闘争、 ヴォルムス条約における
スピリトゥアーリア と テンポラーリア の二分
教皇権 と 皇帝権 の二分 に淵源する!
淵源しつつ 近代パラダイムの構築過程で
また独自の発展をして 21世紀初頭の日本にまで
こうして辿り着いた、 そんな観念=制度=理解=用語法
なのであります!
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