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2009年12月27日 (日)

宮崎駿特有の幼児性の昇華の仕方

前便 「中沢新一インタビュー」 より つづく

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  • 日本的想像力と成熟 中沢新一インタビュー
    (聞き手・ 東浩紀 + 白井聡)

気になったところを 部分的に書き抜きしています

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以下引用 (20-21頁)

  だからネズミが選ばれた。

中沢  ええ。 その一方で父性というものがどういう表現を与えられたかというと、 ドナルドダックの奇矯な行動が、 当時のアメリカの父性がたどろうとしていたひとつの表現ではないかと思います。 大恐慌を挟んで、 職をなくした父親たちのヒステリーと、 ドナルドダックのヒステリーとは結びついているんだろうなと僕は見ていたんですね。
  日本の場合、 アメリカ的幼児性と対峙させるほどのものというと、 宮崎作品になると思います。 『ポニョ』 がアメリカ人にどの程度受け入れられていくのか、 非常に興味深く見ていたんですけれども、 ストレートに受け入れられていたみたいですね。 あれはピクサーの 『ファインディング・ニモ』 などとの連続性で、 子供たちが見ているように感じたんですけれども。 ただ、 宮崎さんの幼児性というのは、 森に深い関わりがある。 日本で森の中の精霊と言われている存在は、 イギリス人にとっての妖精とは少し違います。 日本の精霊は、 折口さんが言うデーモンやスピリットとも結びついている何かなんですね。 宮崎さんの場合は、 彼特有の幼児性の昇華の仕方の根底に、 森に住む精霊というのが考えられていて、 その精霊に対して日本人はそれほどネガティヴな思考をしてこなかったということがあると思います。

  『対称性人類学』 (講談社選書メチエ) の図式に当てはめると、 アメリカ的幼児性は一神教の後の幼児性で、 日本の幼児性は一神教以前の 「スピリット」 の幼児性であると、 そういうお話でしょうか。

中沢  そういうことになりますね。 ですから、 同じ幼児性表現といっても、 ウォルト・ディズニーとジブリには微妙な違いが存在していて、 今日ではむしろジブリの表現のほうがグローバルになりつつある。 一神教の廃墟の後に生まれたパラサイト・ミッキーマウスの表現というのは、 むしろ背後に退けられていて、 ウォルト・ディズニーも、 ピクサーなどが中心になってきますから、 『ニモ』 から 『ウォーリー』 に至る流れを見てみると、 どうもこれはジブリのほうに近づいているなというのがはっきり見えますね。

  なるほど、 それはおっしゃるとおりですね。

引用おわり

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<つづく>

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