生命それ自体の無目的の消費
<エピグラフ>
バタイユは、 色彩が形態の支配を揺るがして自己主張する現代絵画の傾向や、 ブルジョア的社会の生産秩序を動揺させる無数の労働者たちの反抗の運動、 それに理性の主権を失墜させたフロイトの無意識の理論などに、 自分の体験に呼応するものを見出した。 それらの現象は、 牢獄のような理性の秩序がやがて支払わなければならない破滅的な代償を予感させる。 生産の原理とそれを支える理性の秩序は、 みずからを衝き動かしているものをつねに抑圧し続けてきた。 だが生命がそれ自体、 無目的の消費に委ねられているとすれば (神は存在せず、 目的論は成り立たない)、 その消費を徹底して否認するこの 「人間的秩序」、 とりわけその近代的形態は維持しがたい。 やがてそれは擾乱の奔出による、 破滅的な消費を招くことになる。 〈内的体験〉 とはそのことの啓示でもあった
西谷修 『戦争論』 (岩波書店, 1992年10月) 67頁
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