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2009年12月10日 (木)

世俗的戦争と宗教的戦争

  • 山内進 『十字軍の思想』 (ちくま新書, 筑摩書房, 2003年7月)

十字軍にはいかにも西洋的、 欧米的な特性がこびりついている。 先走っていえば、 その特性はなによりもキリスト教的武力行使、 つまり聖性と暴力の結合にある。 十字軍は西洋の 「聖戦」 であり、 その思想の核心は独自の 「聖戦」 論にあるといってよい。 西洋には別に 「正戦論」 と呼ばれる 「正しい戦争」 の思想があるが、 間単にいえば 「正戦」 論は世俗的戦争論であり、 「聖戦」 は宗教的戦争論である。

 正戦は、 個人や集団の権利、 身体、 財産、 名誉の侵害に対する武力行使、 その意味での正義の執行という思想を本質とし、 一定の法的制約を受ける。 これに対して聖戦は神の命令、 神の怒りに呼応するもので、 戦いは熾烈である。 聖なる戦いは神の報酬を得る作業であり、 とりわけ十字軍にあっては、 聖地への巡礼の思想と結合した贖罪の契機が強く含まれた。 聖戦は、 神の恩恵を得る行為だった

14頁

これは 「プロローグ」 の中の一節

とくに用語の整理と説明をする箇所 の一節である

したがって、 正戦を 「世俗的戦争」

聖戦を 「宗教的戦争」 と言いなおすのは

著者 山内先生 である

この意味で、 ここでの 《宗教/世俗の二分法》 は

現代日本 (2003年時点) での 用語法=理解であって

「古代から二一世紀まで及ぶ」 (15頁)

「西洋」 の 「十字軍の思想」 (同) のそれではない (はず)

====================

ということで あらためて

《世俗》 とは

個人や集団の権利、 身体、 財産、 名誉

などであり、 「法的制約」 のもとにある

そして

《宗教》 とは

「神」 の御心と それへの人間の応答であり

人間に対する 「神」 からの 「贖罪」 と 「恩恵」 である

====================

山内先生は 次のようにつづけます

正戦と聖戦、 この二つは絡み合う形で西洋の戦争観と戦争法およびその思想史を構成してきた。 とりわけ正戦の論理は、 ビトリアやグロティウスなど近世の初期国際法学者によって国際法の世界に組み込まれ、 現代国際法にも深いところで影響を及ぼしている。

14-15頁

「ビトリアやグロティウス」 の国際法学、 とりわけその戦争法は

《正戦=世俗的戦争》 理論 と 《聖戦=宗教的戦争》 理論

の双方に もとづく

【注記】

もちろんこれは! 叙任権闘争、 ヴォルムス条約における

スピリトゥアーリア と テンポラーリア の二分

教皇権 と 皇帝権 の二分 に淵源する!

淵源しつつ 近代パラダイムの構築過程で

また独自の発展をして 21世紀初頭の日本にまで

こうして辿り着いた、 そんな観念=制度=理解=用語法

なのであります!

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コメント

まず第一に命の存在を考えますそしてこの世はある種神の意志の反映と私は見ていますさて天神様の世界なんですがどうやら軍神様も多いわけで単なる善悪感覚では到底計り知れないところです自動車事故はなぜ起きる自由であるから完全安全でないこの認識は難しいです戦争のない世界つまり争う必然的要因要素がないからですその前提は満たされている充足下にある当たり前のことですみませんが結局格差差別価値の獲得をめぐる競争原理にあり分配の不均衡は権力機能構造に帰属し集団国家に反映しその手段として戦う逆のテーゼで統一下でないから戦争があるそれと史実止観の戦争平和は政治の波安定期不安定期と言う捉え方です------ただ私も常図ね考えますが以前酒場でからまれたときの思い出ですが醜態でしたこういう場面腕力だけでなくお金や上下関係をめぐり起こることがなんて多いことかましては国家単位ですと大変だと付くずく思います平和に期待はしていませんむしろ悪の理論だと思いますしかし理想に期待はしていますそのため戦争は必然であろうと実感します平和それは思考停止の劣悪な概念としてあくまでも二次的副産物に等しい卑しくて無責任で嫌なものこれは哲学者たる巨人西部先生の平和主義のおろかさ脆弱さ極まりない無責任さに賛同する所であります

プチ平和さん>

コメント ありがとうございます

繰り返し読ませていただいたのですが、上手にコメント返しができそうになく、戸惑っております

《お気軽お手軽》平和論には堕したくない――
私もつねに そのように思っています
私の場合、このテーマについて考えると、いつもガンディージーのことが想起されます

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