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2009年12月14日 (月)

宗教と文学

前便 「物語の光にしか照らし出せない場所」 よりつづく

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宗教と文学は 互いに どのような関係にあるか――

現代日本の言説空間において

《宗教》 と 《世俗》 という重心に注目したとき

文学は どちらに より強く吸引されているか――

「宗教文学」 というサブカテゴリーがあって

「世俗文学」 とはわざわざ言わないわけだから

「文学」 は 《宗教》 そのものではありえない

では 文学は 《世俗》 だろうか・・・?

もちろん 《世俗》 ではない

文学は 数学や科学技術と同じように

合理主義 (理性中心主義) を駆動機構とはしない

以上のことから分かるのは

文学は 《宗教と世俗のあいだ》 にあり、 しかも

《世俗》 の重力場に より強く吸引されている ということだ

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となると

「物語の光にしか照らし出せない場所」

とは 一体 何なのか・・・?

村上春樹さん は このコトバで何を指示しているのか・・・?

《世俗》 へとより強く吸引される 「文学」 の場所――

これは一体 何なのか・・・?

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もちろんここでは 「文学」 と 「物語」 の関係を

まず考えてみなくてはいけない

つまり、 村上さんが あの 「コメント」 の中で

「文学」 ではなく 「物語」 をキーワードにしたのはなぜか

という論点である

注意深く読んでみると、 「小説」 が 「物語」 に

なんの断りもなしに言い換えられているのがわかる

「文学」 という語は登場すらしない

そこで、 「詩」 を媒介にしてみることにする

《小説 (物語) + 詩 ⇒ 文学》 という図式で

議論を 押し広げてみよう、 というのである

ご登場いただくのは 谷川俊太郎さん である

<つづく>

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