宗教と文学
前便 「物語の光にしか照らし出せない場所」 よりつづく
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宗教と文学は 互いに どのような関係にあるか――
文学は どちらに より強く吸引されているか――
「宗教文学」 というサブカテゴリーがあって
「世俗文学」 とはわざわざ言わないわけだから
「文学」 は 《宗教》 そのものではありえない
では 文学は 《世俗》 だろうか・・・?
もちろん 《世俗》 ではない
文学は 数学や科学技術と同じように
合理主義 (理性中心主義) を駆動機構とはしない
以上のことから分かるのは
文学は 《宗教と世俗のあいだ》 にあり、 しかも
《世俗》 の重力場に より強く吸引されている ということだ
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となると
とは 一体 何なのか・・・?
村上春樹さん は このコトバで何を指示しているのか・・・?
《世俗》 へとより強く吸引される 「文学」 の場所――
これは一体 何なのか・・・?
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もちろんここでは 「文学」 と 「物語」 の関係を
まず考えてみなくてはいけない
つまり、 村上さんが あの 「コメント」 の中で
「文学」 ではなく 「物語」 をキーワードにしたのはなぜか
という論点である
注意深く読んでみると、 「小説」 が 「物語」 に
なんの断りもなしに言い換えられているのがわかる
「文学」 という語は登場すらしない
そこで、 「詩」 を媒介にしてみることにする
《小説 (物語) + 詩 ⇒ 文学》 という図式で
議論を 押し広げてみよう、 というのである
ご登場いただくのは 谷川俊太郎さん である
<つづく>
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