そこから宗教が始まる
連載 「宗教学の積極的解体」 本編 やっと二本目です
前便は
です
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宗教を対象にするのが宗教学だとすれば
宗教が見えず、 現われないものであると知られたとき
宗教学は どのような 《コトバ》 を語りだすのだろうか
死者は充足されることのない欠如として現われる。 その欠如は、 同時に過去における充足と重層化される。 そして、 死者はその過去の充足と現在の欠如という両義性によって、 現象しつつ、 かつ現象の彼方に退いてゆくという両方向を指示し、 それによってさらに現象の措くなる 「見えざるもの」 「顕現せざるもの」 へと導く。 「宗教」 が問題になるとすれば、 まさしくここから始まるのであろう。 死者の奥にある 「見えざるもの」 「顕現せざるもの」 に戦慄とするとき、 いまや 「人の間」 の言葉で語りえないことが、 正面から問題とされなければならなくなる。 そこから宗教が始まる。 そのように考えるならば、 確かに死者は宗教への導き手である。 そこに有力な宗教の弁証が成り立ちうるかもしれない
18頁
- 末木文美士 「《暴力――破壊と秩序》 序論」 池上良正・小田淑子・島薗進・末木文美士・関一敏・鶴岡賀雄 (編) 『岩波講座 宗教 第8巻 暴力』 (岩波書店, 2004年9月, 1-22頁)
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