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2010年1月の記事

2010年1月31日 (日)

資本制とは 「持続的生産の拡大をもたらす経済システム」 である

前便 「近代国家と資本主義システム」 より つづく

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  • 竹田青嗣 『人間の未来: ヘーゲル哲学と現代資本主義』 (ちくま新書, 筑摩書房, 2009年2月)

「持続的生産の拡大をもたらす経済システム」 として資本制

という竹田先生の理解を説明しておりました

そのつづきです

 近代に至るまで商業はさまざまな仕方で発展したが、 それはほとんど地域的な交換と分業の拡大にとどまり、 普遍交換-普遍分業の持続的なサイクルにまでは進まなかった。 普遍交換-普遍分業のサイクルが持続的な拡大を続けるためには、 「普遍消費」、 つまり増大した生産財が広範な民衆によってたえず消費される、 ということが不可欠だからである。 それがなければ、 増産された財は、 “売れ残り”、 交換も分業も縮小していくことになる。

105-6頁

 しかしともあれ、 こうして、 近代の 「市場システム」 の本質のもう一つの側面が明らかになる。 自由市場システムは、 普遍交換と普遍分業の相互促進的拡大だけでなく、 近代国家が人々を市民として解放することで、 「普遍消費」 という局面を新しくひらき、 さらに近代科学と技術の急速な進歩が分業の質を飛躍的に高めることで、 はじめて産業 「資本主義」 へと転化するのである。

 財の普遍交換と普遍分業 (つまり生産テクノロジーの進歩) の相互促進という構造が、 普遍消費に支えられることによって、 はじめて人口をはるかに超える財の生産を可能とする経済システムを作り出した。 これが、 近代国家の政治システムを支える土台としての経済構造である。 しかし、 ここで交換と分業の相互促進が 「普遍消費」 に支えられる、 ということの意味はきわめて重要である。

109-10頁

以上紹介してきたことが 3点にまとめられている箇所

長くなりますので、 下に別に引用させていただきます

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 まず第一に言うべきは、 近代の政治システムの基本的な設計図が、 近代哲学者によって構想されたということ。 しかしそれは自由主義=資本主義システムという新しい経済システムを土台としてはじめて可能となった。 普遍交換と普遍分業の相互促進が社会の生産性を爆発的に増大させ、 そのことがはじめて財の希少性を解消し、 人民の 「自由」 (享受と消費) の解放の前提条件を作り上げたのである。

 第二に、 マルクスは資本主義における資本の増殖の秘密を、 「剰余価値」 と 「剰余労働」 という概念から捉えようとした。 そこに含意されているのは、 資本家による労働者の 「搾取」 ということ、 すなわち資本主義システムに含まれる 「欺瞞性」 「詐取性」 「幻想性」 ということである。 だが、 剰余価値の概念は、 なぜ利潤が資本家に帰着するかを説明するが、 社会の富の持続的な増大という資本主義システムの社会的な本質を説明するわけではない。 社会全体の富の増殖の理由は、 普遍交換と普遍分業の相互促進という概念で考えるのがより妥当である。

 第三に、 マルクスによる資本主義システムの “不可能性” の理論は、 決定的な仕方では 証明 されず、そのため多くの理論から反駁されることになった。 「搾取」 の概念について整理すると、 第一に、 もし 「搾取」 が ないこと が正当であるなら、 つまり資本家が労働者に 正当な 対価を支払うなら、 資本主義システム自体がなりたたない。 第二に、 現在では、 だれもが資本家にも労働者にもなれるというルールがある限り、 基本的には、 社会全体が 搾取 を正当化していると主張することは難しい。

111-12頁: 傍点は太字で示した

アバター 現実世界に帰りたくない

前便 「3D映画 『アバター』 の評価は」 より つづく

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Photo_6

前便 から直接つなげる記事を書きたかったのですが

朝日新聞 2010年1月27日付 朝刊

  • アバター 現実世界に帰りたくない

という記事を見つけてしまったので

本便をインサートさせていただきます

記事は ネット上でも読めます

下に切り貼りさせていただきます (ただし 表題は変更されている)

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(1)

『もののけ姫』 のとき、 僕も似た感覚をあじわった

信頼する友人は その症状がよりきつかったようだ

現実への失望や 自信のなさ――

そういったものが 力強く美しい映像世界の体験により

刺激され かき乱されてしまう、 という感じだ

しかし、 『アバター』 で 僕は そういう精神状態に

陥ることは 一切なかった 前便 参照)

(2)

もともと書きたかった次便につなげるなら

こういうことが ヒトの心のなかに起きるとは

一体 どういうことなのだろう・・・ と

ファンタジーというジャンル、 アニメーションというメディア

現実的なものと空想的なもの

その間をつないで 境界線をかき乱してしまう

そういうことは どういった場合に起きるのか

そんなことを 次便では書きたいと思うのです

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以下引用

http://www.asahi.com/national/update/0126/TKY201001260294.html

平凡な日常いや…アバター観賞後、米でうつ症状多数
2010年1月27日0時0分

  【ワシントン=勝田敏彦】 映画 「アバター」 を見た後に平凡な日常に戻って落ち込んでいる人々がいる、 との報道やインターネットへの投稿が米国で相次いでいる。 「アバター観賞後うつ」 とでも呼ぶべき症状で、 ネットには「患者」からの声が多数書き込まれている。

続きを読む "アバター 現実世界に帰りたくない" »

2010年1月30日 (土)

EMOTION POTION @ THE BAWDIES

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

CDショップ大賞 ではじめて知る

いいねぇ・・・! あともう一歩 何かあれば凄いぞ!

近代国家と資本主義システム

前便 「【中まとめ】 近代とは何か、 近代性とは何か」 より つづく

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  • 竹田青嗣 『人間の未来: ヘーゲル哲学と現代資本主義』 (ちくま新書, 筑摩書房, 2009年2月)

 では 「近代国家」 の本質は何だろうか。 近代国家は、 共同的防衛の権力と、 人民の自由の解放の要求とが両立する条件をもったときに成立した。 もっと正確に言えば、 近代国家は、 市民的自由の解放が、 持続的生産の拡大をもたらす経済システムと結びつくことが自覚されたとき、 はじめて可能となった。

162-3頁

「持続的生産の拡大をもたらす経済システム」 ――

竹田先生によれば これこそが資本制である

 近代社会の経済システムは、 「自由市場経済」 からはじまる。 自由市場経済が近代国家によって制度的に保証されることで資本主義システムへと転化してゆくが、 その特質は、 ひとことで、 “絶えず社会の生産力を増大させてゆく経済システム” という点に尽きる。 なぜこのような経済システムが可能になったのかは、 経済学の理論ではいわば自明化されており、 さほど明瞭には説明されない。 哲学的には、 近代の自由市場システムの基本構造は、 「普遍分業」 「普遍交換」 そして 「普遍消費」 という概念をおくことできわめて明らかになる。

95-6頁

この理解については 別の説明をば

引用紹介すべきでしょうね

ちょっと長くなるでしょうから、 次便にて

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とりあえずのまとめ――

近代とは何か―― 市民的自由と資本制との結びつきを国家権力が自覚的に追求するようになった時代である

近代性とは何か―― 市民的自由と資本制との結びつきを国家権力により定められる諸条件である

<つづく>

2010年1月29日 (金)

スリランカ大統領 再選

2010年1月27日、 スリランカの大統領選挙で開票が終了

ラジャパクサ大統領が再選を決めた

2009年5月に 内戦を軍事解決した実績をほこり

シンハラ人優先の多数派ナショナリズムで逃げ切ったかたち

しかし、 反対派は 選挙に不正があったとして 対決姿勢をくずしていない

非常にきな臭い空気が 蔓延しているようだ

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asahi.com から 記事を二つ 引用しておきます

(1) 開票前の記事 と

(2) 開票直後の記事 です

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続きを読む "スリランカ大統領 再選" »

2010年1月28日 (木)

【中まとめ】 近代とは何か、 近代性とは何か

「連載 近代とは何か、 近代性とは何か」

やらせていただいております

随分たくさんエントリをあげてきたような気でいましたが

数えてみたら 24だけでした

ブログの性質上、 文字数を重ねれば重ねるほど

まとまった見通しが立てにくくなりますよね

で、 ちょっと 中まとめをしておきたいと思います

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エントリ 「近代精神」 の末尾メモにも書きましたとおり

「近代とは何か、 近代性とは何か」 というテーマ

誰もがやっていそうで、 ほとんどやられていませんね

真正面から考えてみると 意外とわからないことだらけです

近代/近代性の要諦とは・・・?

最初の記事 「近代性とはなにか」 において、 僕は

まずは 《神なき個々人の合理主義》 を同定しました

これを入り口にして、 残された問題として

《主権・国民・国家》 そして 《資本制》 を指摘しました

この三者それぞれについて 内容を固めていくとともに

それぞれの間での結びつきも 徐々に明らかにしていこう――

これが 本カテゴリ の目ざすところです

ここで 「結びつき」 というのは

三者が 単なる平行現象というだけでなく

それぞれが相互に規定し合う 共扼関係になっているはずだ

との見通しをあらわす概念です

たとえば 後二者の 「結びつき」 について

エントリ 「近代における自由と資本主義」 の末尾にこう書きました

近代とは何か ―― 経済的自由が各人に保障されることで、 資本主義システムの稼働を可能にする時代である

近代性とは何か ―― 経済的自由を各人に保障することで、 資本主義の稼働を可能にすることである

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【中まとめ】 は以上です

言ってしまえば 実に簡単な話です

で、 次便では 《主権・国民・国家》《資本制》 との

「結びつき」 について

  • 竹田青嗣 『人間の未来: ヘーゲル哲学と現代資本主義』 (ちくま新書, 筑摩書房, 2009年2月)

より 引用紹介させていただきます

<つづく>

kannalane @ "Bombay"

<久々に ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

これはやっぱり 名曲なのだ

2010年1月27日 (水)

日本社会のどこかに隠れたボタン

前便 「負担免除と自由― 「負担免除と自由― 「社会をハッキング」とまで言うなら (2/2)」 より つづく

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この本からの引用 たくさんやってきました

本便で最後になります

お付き合いありがとうございました (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

宮台先生の発言から またも長い引用をさせていただきます

 キーワードはマンハイムが言う意味での全体性です。 かつての官僚エリートは全体性に近づけました。 東大法学部卒のキャリア官僚は、 学生時代は社会正義に燃えつつも青かったのが、 政治家をも振り付ける日本独自の行政官僚システムの中で成長し、 世の中のボタンをどう押せば何が起こるかに通暁しました。

 ノーパンしゃぶしゃぶ的な大蔵官僚や、 ヤクザに袖の下を要求する警察官僚もいましたが、 押すべきボタンにはアングラなものもあるので、 全体性という観点からはどうってことない ―― と言えるためには (笑)、 しかし二つ条件がありました。 全体性の見通しやすさという認知面と、 全体性を担う倫理的気概という規範面です。

 ところが 〈システム〉 が 〈生活世界〉 を覆う近代成熟期 (ポストモダン) になると条件充足が難しくなります。 ヤクザの子どもとごちゃまぜになりつつ遊んだ私の子ども時代というものは、 〈生活世界〉 が空洞化すればあり得ません。 社会的透明性を要求する経済のグローバル化も、 汎 〈システム〉 化を押し出しました。

 逆説的ですが、 〈生活世界〉 が空洞化して 〈システム〉 への一元化が進んだからこそ、 全体性の見通しが立たなくなりました。 なぜなら日本を問わずどんなに 〈システム〉 化 ―― 役割&マニュアル化 ―― が進んでも、 裏側には役割&マニュアルに還元できない人格的関係があるからです。 若い世代にはそれが見えないのです。

 実効的なアーキテクチャを地域社会や地域行政に提案・納入してこられた神成さんも、 これまで成功していらっしゃったということは、 郊外ニュータウンで育ってきた若い世代には見えない、 ヤクザを含めたアングラな人格関係の存在をよくご存じのはずです。 無論、 性のフィールドワークをしてきた私は通暁しています。

 そんな 「逆風」 の中で若い世代から市民エリートを育てなければならない。 官僚エリートや財界エリートをの養成よりも難題です。 コンピューティングは別にしても、 基礎的な法律文書リテラシーを持つ ―― 法案を見て官僚の隠された意図がわかる ―― 市民エリートは、 先進各国のどこよりも希薄にしか存在しないからです。

 だからこそ、 コンピュテーションや電子ネットワーク化の流れを 「追い風」 にして、 社会的全体性を参照できるクオリファイされた (関門突破してきた) アーキテクトを、 あくまで市民エリートとして育成しようとする。 それが神成さんが教えるSFC [慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス: 引用者注] が、 神成さんご自身に期待していることだと推測しています。

 私もSFCでレクチャーしたことがあります。 学生さんや大学院生さんと話すと、 志のある優秀な人材が多いと感じます。 でも私たちがいまここで片鱗だけ紹介してきた問題を意識化している者はごくわずかです。 むろん 〈システム〉 の建前しか知らない彼らは、 社会のどこにどんなボタンが隠れているのかを知りません。

 社会全体性から隔離され過ぎているのです。 全体性にかかわる免疫がなさ過ぎるのです。 「NGOに入ってケニアやタンザニアでこういう活動をした」 という学生はワンサカいます。 それだけでは市民エリートとしてクオリファイされません。 この日本社会のどこにどんなボタンが隠れているのか知らなければならないのです。

 東大や慶大にいるエリートの卵たちの 「自信のなさ」 の一端は、 そこにあるのではないかと思います。 日本には官界がある。 政界がある。 財界がある。 闇世界がある。 汎 〈システム〉 化が進んだ社会で育ってきた君たちの作法が、 どこにどれだけ通用するか考えたことがあるか。 そういうとSFCの教室は静まりかえります。

282-5頁

この論点については

感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの

という 長ったらしいタイトルをつけた二つのエントリ

もご参照ください

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あらためて お付き合い ありがとうございました m(_ _)m

<連続投稿 おわり>

ガンディー入門の決定版

関連の前便 「ガンディー読むなら」

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知る人ぞ知る

コアなファンの方がいらっしゃると側聞する

「国立民族学博物館 友の会」 の機関誌で

会員頒布のものだが、 最新号以外は購買可能

バックナンバーの頁 より

Photo

最新号 (131号 2010 新春) の特集は

  • ガンディーをたどる

私も寄稿させていただいているので 言うのもアレですが

とてもいいものが出来上がったと思います

今後、 ガンディー研究を志す人たちは

専門であれ専門外であれ 皆さんまずは この一冊を

手に取ることになるでしょう

包括性と信頼性において 日本語で読めるものとしては

間違いなく 一番の “ガンディー本” です

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以下、 こちらの紹介頁 から 

特集のところだけ 目次を書きぬいておきます

【お詫びと訂正】

僕のエッセイの題名は 校正し忘れてしまいました

「ヒンドゥナショナリズム」 ではなく

「ヒンドゥー・ナショナリズム」 です、 当然ながら

それから、 59頁3段目の後ろから3-2行目

「沁みこんで入る」 ではなく

「沁みこんでいる」 です、 こちらも凡ミスです

大事な雑誌になったのに、 面目ないです

続きを読む "ガンディー入門の決定版" »

2010年1月26日 (火)

負担免除と自由― 「社会をハッキング」とまで言うなら (2/2)

前便 「負担免除と自由― 「社会をハッキング」とまで言うなら (1/2)」 より つづく

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  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

前便 から連続している部分です

神成先生の発言 一段落分をまず再録します

で、 その次の第二段落からが あらたな引用部分です

神成 ● 濃密なアーキテクチャのほうが純粋に楽しいですよね。 グーグルアースなんて、 採算を考えたら気が遠くなりますよ。 グーグルは無料で提供していますが、 オープンソースコミュニティが同じことを実現するのであれば、 「地図は公共の財産だから、 無料で寄贈してくれ」 ということになって、 実現は難しい。

 それでは、 実現したとしても、 世界中というわけにはいかないでしょうし、 地図の更新も滞りがちになるでしょう。 実現するために要する時間もずっと長くなる。 イノベーションには実現するための時間を短くすることがとても重要で、 だらだらやっていたらイノベーションなんかなくなってしまう。

 実際のところ、 グーグルにしても、 グーグルアースに取り掛かる段階で、 どれだけ役に立つかなんて計算できないわけです。 初めての試みだから、 正確な予測なんてできるわけがない。 それで、 あれを実現するエネルギーはすごいと思います。

 そうして実際に実現されると、 いままでコンピュータが嫌いだった中高年齢層の人たちが、 「今日はインド旅行へ行ってきた」 なんて話すような状況が出てくる。 びっくりするほどの感動をグーグルアースは創出している。 このおもしろさがなければ、 やはり駄目なのです。 単に透明化すればよいというものではない。

 このほかに、 日本政府主導で進められた地方自治体の電子化に関する議論でも、 気になる点があります。 全国の自治体が一ヵ所のデータセンターに共同でシステムを構築すれば非常に安価で利便性も向上する。 それは事実です。 引っ越しも何もかも簡単に終わる。

 実際に米国では、 このような取り組みを進めています。 「オープンソースだからできた」 と言う人もいますが、 「それは嘘だろう」 (笑) と思います。 このようなアーキテクチャをつくるのに、 オープンソースかどうかなんて何も関係がない。 データ構造とインタフェース仕様を明らかにすればよいだけです。

 では、 このように一ヵ所で自治体サービスを行うべきか。 確かに費用面やシステム的な面だけで考えればこれが正解でしょう。 だが、 これは、 日本全国の 「プチ東京」 化を促進する。 地域ごとの特質は減少し、 平準化社会となる。 一極集中も促進されるでしょうし、 窓口サービス向上を求めて職員一人ひとりが走り回るなんてこともなくなるわけです。

宮台 ● それはオープンソース概念の誤用ですね (笑)。 ソースがオープンかクローズかではなく 「集中型アーキテクチャ」 か 「分散型アーキテクチャ」 かという選択です。 「均質化による効率」 を重視するか 「多様化による共生」 を重視するかという選択です。 多様性を護持するには過剰流動性のブロックが必要になる道理です。

 現実を知ればそんなことは一瞬でわかります。 利便を要求する島民の声で沖縄の離島に橋が架かるとどうなるか。 一日二便の船しかなかった頃にはだれがいつなぜ本島に出かけるのかすべてわかった。 橋が架かった途端に誰がいつなぜ本当に出かけるか完全に不透明化し、 共生を支えた相互扶助プラットフォームが崩壊してしまう。

255-7頁

空知太神社判決 フォローアップ

エントリ 「「公有地神社」に違憲判決 最高裁」 のフォローアップです

と言っても、 僕の記事のほうが後だったのに

参照し忘れていた、 ということです (恥)

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KIYONOBUさん のブログ 『KIYONOBUMIE』 にて

という記事がありました (2010年1月21日付)

僕の記事 は ネット情報のコンピレーションにすぎませんが

「ライシテ」 の専門家であるKIYONOBUさん (伊達さん)

より踏み込んだ指摘をなさっています

ぜひご覧くださいませ m(_ _)m

【メモ】   「ライシテ 伊達」 で Google!

2010年1月25日 (月)

負担免除と自由― 「社会をハッキング」とまで言うなら (1/2)

前便 「感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの (2/2)」 より つづく

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  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

以前のエントリ 「社会をいわば 「ハッキング」」 にて

濱野智史さん が ドエライことを言うわりには

言いっぱなしで終わってしまっているので残念

と 書きました

その辺、 宮台真司先生 の肝っ玉は座っていて

理論武装も十分で、 自分の立場に確信的だ

「社会をハッキングする夢想」 を語るなら

これぐらいの狂気を (褒め言葉です、 念のため)

理論的な命題にまで高めることが求められましょう

私ですか・・・ 私はまったく そのようには

夢語りも断言も とても出来るような次第ではありません

これからソッチ系に傾くのか傾かないのか

それすらも 見えていないというのがホントのところです

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ということで

神成、 宮台両氏のやり取りを またも長々と引用させていただきます

神成 ● 人それぞれいろいろな価値観がありますし、 それを信じるのも従うのも自由だとは思います。 ただ、 このような素地が強くなると、 感動が薄れてくる。 感動が薄れたら、 いまの工学離れ、 情報離れの傾向がさらに強まるのかもしれません。

宮台 ● 賛成です。 すべてを万人の手に取り戻した結果、 手間暇かけてもルーティーンな毎日が続くだけ ―― そんなことになりがちです。 やはりゲーレンの 『人間―その本性と世界における人間の地位』 における負担免除の思想だ大切です。 手に取り戻すのではなく、 むしろ多くを預けることでこそ人は自由になります。

 確かにパワーホルダーが 「由らしむべし、 知らしむべからず」 になっては社会的不公正が蔓延します。 しかしそれは政治領域の話。 政治領域の情報公開法と経済領域のオープンソースとを同列には扱えません。 マイクロソフトやグーグルなどの経済プレイヤーによるアーキテクチャのデザインは、 透明化を目指してませんよね。

神成 ● 透明化ではないですね。

宮台 ● ビジネスモデルで競争的に資本を集める経済プレイヤーだからこそ、 大規模な資本投下でエキサイティングで濃密なアーキテクチャを提供できる面があります。 アーキテクチャを透明化したら資本は集まりません。

神成 ● 濃密なアーキテクチャのほうが純粋に楽しいですよね。 グーグルアースなんて、 採算を考えたら気が遠くなりますよ。 グーグルは無料で提供していますが、 オープンソースコミュニティが同じことを実現するのであれば、 「地図は公共の財産だから、 無料で寄贈してくれ」 ということになって、 実現は難しい。

254-6頁

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もうすっかり長いエントリになりました

実は 引用はまだまだ続きます

なので、 次便につづきます

<つづく>

2010年1月24日 (日)

3D映画 『アバター』 の評価は

ココログニュース へのリンクです ↑

何かと話題の 『アバター』 ですね

まぁ 大ヒットですから、 そりゃそうです

Photo_6

熊田一雄先生 のブログでは

と題するエントリがあがっていて

Mail Medeia No.564 Saturday Edition 上の

冷泉彰彦さん の 『from911/USAレポート』 から

部分的な引用紹介がなされています

なるほどなぁ・・・ と思わされる記事でした

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僕の感想は いたってフツーです

Photo_7

世界観やストーリーは ごくありきたりだったなぁ、 と

ああいうお話を ジェームズ・キャメロン (監督&脚本)

一体、 どういうつもりで作り上げるのか・・・

どういう観客を想定してたら あれしきのお話を

あんだけ心底、 腹の底から 生真面目に作れるのか・・・

子ども相手だとしたら ちょっと了見が違うだろうし・・・

(子どもは 子供だましが大っきらいですから)

そこがまず戸惑いました

しかし、 二つ 言いたいことがあります

(1)

映像は やっぱりすごい

3Dメガネが 顔デカの僕にははまらない、 とか

眼が疲れないことは やっぱりない、 とか

いろいろ言いたいこともありますが、 やっぱり

すごい映像革命だ、 と認めないわけにはいきません

  • 『バットマン』 (ティム・バートン, 1989年)
  • 『ターミネーター2』 (ジェームズ・キャメロン, 1991年)
  • 『ジュラシック・パーク』 (スティーヴン・スピルバーグ, 1993年)
  • 『ロード・オブ・ザ・リング』 (ピーター・ジャクソン, 2001年)

などなど CGの凄さに打たれてきた映画リストはありますが

『アバター』 は間違いなく その殿堂入りでしょう

ここまでやりきるキャメロンは やっぱり異能の人です!

このリストに 二度名前が出るというのは 覚えておきたいところ!

(2)

アホみたいに単純化されているのだが、 それでもやはり

『アバター』 がとり上げるテーマは 重く、 的を射ている

『もののけ姫』 をリスペクトして作った映画、 という話を

側聞するが (未確認情報!)

まぁ、 たしかに そのようなものとしてみることができる

ただし、 宮崎駿監督 の狂気を すっかり取っ払ったものだが

近代化/開発/文明化/資本化・・・

帝国主義/植民地支配/人種差別/改宗・・・

そして自然破壊/環境問題・・・

西洋近代の自画像を アホみたいな単純さで描けば

ああいうことになるわけですね

もちろん これは、 単なる冷笑ではなく、 むしろ

あまりの素朴さと率直さに 吃驚させられたのです

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さて、 このエントリを書いたのは

何も 上のような書きなぐりの映画評がしたかったからではない

上の (2) のポイントを

  • 『狩人と犬、 最後の旅』 (ニコラス・ヴァニエ, 2004年)

との比較で 論じてみたかったのだ

<つづく>

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【メモ】

後便 「アバター 現実世界に返りたくない」

ご覧ください (100131追記)

2010年1月23日 (土)

「公有地神社」に違憲判決 最高裁

北海道砂川市の空知太神社の敷地は市の所有である

神社はそれを無償で使用してきた。 この慣例に対し

地元住民有志が 政教分離原則違反であるとして

違憲判決をもとめる訴訟をおこしていたのだそうだ

2010年1月20日、 その上告審判決で、 最高裁大法廷は

政教分離原則に違反するとの判断を示し

札幌高裁に審理をさしもどした

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これについて ネット上から いくつかの記事を集めてみました

まずは 基本情報として

  • 河北新報 「政教分離訴訟の判決要旨」

次に 各紙社説。 最初は地元紙が 筋でしょうから

  • 北海道新聞 「政教分離判決 再確認した憲法の原則」

もちろん 全北海道の代表 などと言うつもりはありません

そして この種の問題ではなんと言っても

  • 産経新聞 「政教分離判決 「違憲」の独り歩き危ぶむ」

思ったより 毒づいてはいません

さらに 『新s あらたにす』 「くらべる一面」 (2010年01月21日(木)朝刊) から

  • 朝日新聞 「神社への市有地無償提供に違憲判決 最高裁」
  • 日本経済新聞 「神社への市有地無償提供、政教分離で違憲判断 最高裁」
  • 読売新聞 「砂川市有地を神社敷地に提供、最高裁が違憲判断」

(ただし、 日経と読売の記事は 「社説」 とは言えないものです)

以上6つの記事 下に 順に 切り貼りしておきます

【追記 100126】  フォローアップ記事は こちら

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続きを読む "「公有地神社」に違憲判決 最高裁" »

2010年1月22日 (金)

感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの (2/2)

前便 「感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの (1/2)」 より つづく

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  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

前便 よりのつづき、 さっそく

宮台真司先生 のコトバを

思い切って長く引用させていただきます

 確かに 〈生活世界〉 はローカリティに満ち、 標準化されたフォーマットを持たないので、 集権的視座から見ると計算可能性が低い。 実際に維新期以降の日本政府は、 田吾作をムラから引きずり出して学校教育を通じて国民化し、 ヴァナキュラーな (その地方特有の) 自立的相互扶助を壊滅させて集権的再配分に従属させてきました。

 田吾作側から見ると、 〈生活世界〉 を生きる 「我々」 が豊かで幸せになるべく、 国民化&集権化という 〈システム〉 を甘んじて受容しました。 ところが三〇年前から、 ポストモダン化=汎 〈システム〉 化= 〈生活世界〉 空洞化が、 進展します。 「我々」 が解体した結果、 〈システム〉 の正統性が危機に陥るわけです。

 〈生活世界〉 が消えれば、 資本制や民主制の外部性をなす 「良きもの」 が消えます。 人々が帰る場所を失って感情的安全を脅かされます。 まともな感情プログラムとは何かの尺度が消え、 まともな感情プログラムをインストールされた成員の再生産も滞る結果、 〈システム〉 はますますこうした人格性とは無縁に回るようになります。

 私はソーシャルデザイナーとして 〈生活世界〉 の再帰的な復活を企図します。 だから本書にかかわっていますし、 そうしたテレビ番組の原案や企画も出しています。 再帰的とは、 無自覚な選択前提をも自覚するという意味です。 〈システム〉 から見て計算不可能な 〈生活世界〉 をシステム理論家として設計しようとしています。

 ヴァナキュラーなもの、 不均質なもの、 入れ替え不能なもの、 計算不能なもの、 コミットに値するもの、 再帰的な護持です。 そうした 〈生活世界〉 の再帰的構築のために ―― 〈システム〉 側から 〈システム〉 の補完物として設計するために ―― 従来 〈システム〉 化の先兵だったコンピューティング・テクノロジーを使いたいのです。

神成 ● それは、 是非使うべきだと思います。

258-9頁

《感動を生みだす》 ことができるのは 

ヴァナキュラーなもの

不均質なもの

入れ替え不能なもの

計算不能なもの だけなのである

したがって、 それだけが 《コミットメントに値する》

しかし それは、 近代の合理化の過程で 大きく損なわれたか

あるいは もはや失われてしまった

だからこそ 《再帰的に》 つまり 《自覚的・反省的に》 それを 《護持する》

そうした決意と技法がもとめられる、というのである

【研究会】 カルト問題をどう教えるか

標記研究会にて 簡単な発表をさせていただきます

授業で 《カルト》 をどう教えるか――

櫻井先生や弓山先生という その道の大家とご一緒して

私自身がやってきた ささやかな実例を 紹介させていただきます

参加の資格や手続き等について 分かり次第

こちらのブログでフォローアップさせていただきます

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第2回宗教文化の授業研究会
テーマ 「カルト問題をどう教えるか」

日時: 2010年2月28日(日) 13時~

場所: 国学院大学学術メディアセンター5階会議室06

発表:
◆ 櫻井義秀 「カルト問題の幅と深さ ― 受講者・科目の特徴に応じて柔軟に」
◆ 弓山達也 「カルト問題にどう対応するか ― 学生の相談に接して」
◆ 近藤光博 「カルト問題をどう教えるか ― ひとつの実践の報告」

一人につき発表30~40分、討議30分くらい

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2010年1月21日 (木)

感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの (1/2)

前便 「理性・システム・近代性」 より つづく

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  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

表題にある 「計算不可能性」 を、 お二人の対談者

神成淳司さん宮台真司さん

欠くべからざるもの、 《近代化》 のなかで

しばしば容易に忘れられてしまいそうになるもの

だとして、 最上級の注意を そこにはらいます

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神成さんは それだけが 「感動」 を生むんだよ

「感動」 がなければ 何にもならんのだ、 と強調します

氏は 教育者としての自らの使命を アツく語ります

 いまの情報系の基礎教育はプログラミングに重きを置いている。 確かに、 自分自身がプログラミングする能力がなければ何も始めることができません。 ですが、 それを教育として提供する必要があるでしょうか。 プログラミング教育は、 教育として提供するのではなく、 その人自身が学ぶ機会や教材を増やすことで対応すればよい。

 直接的なコミュニケーションは、 感動を生みだす重要な要素です。 授業は学生が感動を覚える貴重な機会なのです。 その貴重な機会を、 自習できる内容で浪費することはないわけです。 このような感動を与える機会の浪費が、 いまの日本においてアーキテクトが育たない背景にあるのではないでしょうか。

239頁

宮台さんは 神成さんに全面賛同します

ただし、 コトバ遣いは もっと多様です

 私の十八番のキーワードで言うと、 入れ替え可/入れ替え不能の差異が大切です。 学習にも、 取り返せるものと取り返せないものがあります。 取り返せないものが学習課題で高い優先順位になるべきでしょう。 アーキテクトにとって最大重要なのは、 アウトソーシング可能な知識よりも、 内的資質に決まっているからです。

240頁

宮台 ● クライアントが何を言おうが、 市場の現行ニーズがどうあろうが、 マイクロソフトでは 「これこそがあるべき人間生活である」 みたいに、 「ここではないどこか」 を思い込む力があるということですね。 日本では感動を差し置き、 テクニカルなことしか教えないから、 「ここではないどこか」 を思い込む力が消えた、 と。

神成 ● そうですね。 そのように 「思い込む力」 を持ち、 持つことが肯定される場所が日本には存在していないのかもしれない。 「ここではないどこか」 とは、 既存の枠にとらわれずに、 いつでも感動を発見できる、 その豊かさがあるということでしょう。

248頁

そして、 宮台流概念が ズラズラズラッと並べられる

258頁以下の箇所。 決定版といってよいでしょう

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しかし、 もうすっかり長いエントリになりました

次便につづくです

<つづく>

2010年1月20日 (水)

理性・システム・近代性

前便 「地に足のついた仕事」 より つづく

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  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

前便 では ちょっと形式的なところの紹介

になってしまったので、 もうちょっと実質的なところも

紹介していきたいと思います。 ただし

包括的な紹介を目ざすものではありません

あくまでも 僕のセンサーに引っかかったところだけ

部分的な引用紹介です

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宮台真司先生 のコトバです

 ちなみに、 私の用語系では、 「役割&マニュアル」 優位の領域を 〈システム〉 と呼び、 「善意&自発性」 優位の領域を 〈生活世界〉 と呼びます。 ウェーバーに従えば、 〈生活世界〉 が 〈システム〉 へと置き換わる過程が、 合理化 (計算可能化) 過程として定義される 「近代化」 です。

 〈生活世界〉 が磐石で、 〈生活世界〉 を生きる 「我々」 が幸せになるための 〈システム〉 化だと思える段階が、 近代過渡期としてのモダンです。 〈システム〉 化で 〈生活世界〉 が空洞化した結果、 「我々のため」 という正統化メカニズムが機能しなくなる段階が、 近代成熟期としてのポストモダンです。

 具体的には、 第三次産業化が進んだ結果、 〈生活世界〉 の内実をなす地域や家族の自立的相互扶助が、 コンビニ・ファミレス的なものや役所が提供するサービスへと置き換えられるという 「市場化&行政化」 によって、 〈生活世界〉 の空洞化=汎 〈システム〉 化がもたらされます。

69頁

「合理化」 を 「計算可能化」 に言い換えているところが

《近代とは何か/近代性とは何か》 という問いにとって

ミソである

計算可能とは 理性的に 判断と推測が可能ということ

それはつまり 神なき個々人の理性中心主義

具体的ソーシャルデザインとしての 《システム》 である

【国際会議】 インド独立 60年

標記の国際会議 (オール英語) が開かれます

詳細は こちらから どうぞ good

以下に 概略だけ 書いておきます

  • 日時: 2月3日(水), 4日 (木)
  • 場所: 稲盛財団記念館 (京都)
  • 全体テーマ: 「インド独立60年―地域と人間の安全向上に向けて―」 (非公式拙訳)

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2010年1月19日 (火)

地に足のついた仕事

前便 「ITアーキテクトの未来への挑戦」 にて

神成淳司さん の情報環境アーキテクトとしてのお仕事に

僕は 共感できるのだ、 と述べました

そのお仕事の概要は、 神成さんご自身によって

次のようにまとめられています

  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

神成 ● 話を戻すと、 私がいま興味を持っているのは、 先ほど申し上げた、 オーナー経営者と連携して、 時間をかけ、 ものづくり等の既存産業の連携を深めることで、 地域の既存産業からのITニーズを掘り起こしつつIT産業を立ち上げていこうというものです。

 ここで育成したいオリジネーターというのは、 オーナー経営者が付いていますから、 資金調達を過度にする必要もなく、 無理に株式上場を目指しもしない。 行政の力を借りずに地元企業から掘り起こしたITニーズを主な顧客として着実に成功する。 このようなタイプの企業を、 数は少なくてもきちんと育成し、 日本のITの成功事例としたいと思います

141頁

そのすぐ後、 次のように言い換えられる

いま私が取り組んでいる話は、 農業であったりものづくりであったり、 決して派手なものではありません。 起業支援にしても、 先ほど申し上げたように、 あまり目立たずにやりたい。 株式公開も必ずしも目指さない。

 「いまの若年層で興味を持つ人は少ないのでは? 優秀な学生を集めるためには、 もっと短期間に稼いだり著名になったりできるというような、 わかりやすさが必要なのでは?」 と私に指摘してくださる方もいらっしゃいます。 私自身は、 そういう学生しかいないのであれば、 もう日本は駄目だと思う。 私の考えを理解し、 一緒にやってくれる優秀な学生が存在することを期待しています

143頁

「期待しています」 と書きながら

この対談で神成さんはその後、 まさにそういう学生が

ちゃんといるんだ、 ということを強調していく

もちろん、 今後も継続的にそういう学生が存在し続けるか

それは不確定というしかないが、 神成さんは 

基本的に その点について楽観視しているようだ

ともあれ、 このような地に足のついた、 市井の感覚に近い

現場のニーズに敏感な 仕事の組み上げには

大いに共感できるのだ!

==========

さて 以上、 とりあえず神成さんのお仕事の

形式的なところを 抜き書きでご紹介してきたわけだが

読み返してみれば

あまり面白くもないエントリになってしまった

この本は、 今年ナンバーワンの予感がするもので

(ちなみに 2009年のマイ・ナンバーワン本は こちら happy02 paper

今後 事あるごとに いろんな人にお奨めしそうな気がする

と いうことで・・・

内容についても いくつかエントリを重ねたいと思います

<つづく>

2010年1月18日 (月)

グローバル化・国民国家・越境の気概

前便 「グローバル化 日本の進むべき道は (3/3)」 より つづく

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前便 まで紹介してきた 朝日新聞の新年特集

日本 前へ
⑧ グローバル化 日本の進むべき道は

そのフォローアップ記事が 2009年1月11日付 朝刊に載った

第9回ということで

心の壁 越えて話そう
「哲学カフェ」 で熱く議論 ■ 「生きている本」 と対話

と題された記事

本間直樹先生 (大阪大学) が運営にたずさわる 「哲学カフェ」

明治大学等で実践される 「生きている図書館」 などを紹介し

特集全体のまとめ記事ともなっているようだ

記者は 「大野博人」 さん

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記事全体の主張は

 [特集の各記事で紹介された諸事例に] 共通するのは、 分断された人々がそれまでの住み慣れた領域の外に出て新たなパートナーを見つけ、 再生の仕組みを考え出している点だ。

 「異種コミュニケーション」 が大きな役割を果たしているように見える

という一節に要約されていよう

それが 「バリアを越える気概」 と言われる

 連載の中の対談で高山博・東大大学院教授は、 「国境がずたずた」 で 「国単位の認識では駄目」 になるのがグローバル時代と指摘した。 にもかかわらず私たちは依然として問題の解決を国家や大企業、 あるいはナショナリズムといった従来型の仕組みや考え方に頼ろうとしがちだ。

 だが、 金融危機は一国の手に負えなかった。 顧客にも株主にも従業員にも外国人が増える 「日本」 企業に、 日本社会の繁栄を任せるにも限界がある。 経済的に国境を開放する一方でナショナリズムで社会をもり立てようとしてもむなしい。

 だとすればグローバル時代にふさわしい新しい考え方や公共空間を創造していくしかない。 「バリアを越える気概」 の出番だ。

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グローバル化は 近代そのものの動きだから

短くても200年ぐらいのスパンで考えなくてはいけない

しかし、 20世紀末、 それは急速に進んだようだ

なぜそうなのか・・・?

何がどうなって どうなるのか・・・?

考えるべきことはたくさんあるが、 とりあえず僕としては

クニ (国民国家) の機能と意義を考えるという視角から

しばらく (ひと月ぐらい) 勉強を重ねてみようと思う

読者の皆さま、 何かいい資料があれば

ぜひ教えてくださいませ (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

2010年1月17日 (日)

クリスマスの約束 2009 (その3)

前便 「クリスマスの約束 2009 (その2)」 より つづく

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何度目だか “ながら” で 観なおしてみました

やっぱり スゲェ コンサート ですね、 これは!

スゴイわ・・・

まぁ しかし、 圧倒されてばかりですと 学者の名折れですから

ちょっとは 分析をしてみたいと思います

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いくつかのブログを拝見すると

  • 語れないこと、 コトバにならないこと

が キーワードになっているのに気づきました

そこで、 録画を観なおしてみれば 小田和正さん自身が

語れないこと、 コトバにならないもの

むしろ、 コトバにしてはいけないもの 

公演前からテーマにし、 公演後にはそれを確認していた

と、 気づきました

そのことを語る 小田さんのコトバを拾ってみます

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(1)

番組前半の最後に流された

メイキングのドキュメンタリ映像のなか

製作スタッフとの厳しい意見交換において

いやいや、 みんなはだって・・・  歌う方は、 今まとまって、 何となく 「あ、 面白いものができそうだ」 っていう風に、 こう・・・  みんなが見えてきてるときだから、 そいでやっぱり製作の人間が、 その・・・  そこで見えないっていうのは、 逆・・・  ほんとは逆だと思うんだよな。 お前らのほうが俺らより見えて・・・  こっからなんかを・・・  見てておかしくないと思うんだよ。 こっから何が見えるんですかって・・・  その、 聞かれるのは、 とっても、 なんて言うの・・・  言葉にしたくないことが、とっても多いんだよな。

 で、 俺にも確信があるわけじゃないけど、 その、 言葉にするもんじゃないところのもので何かを超えていこうとしている企画だと思うんだよな

(2)

楽曲終了後、鳴り止まない拍手のなかで

言葉を失います、 いやぁ 驚いたね

(3)

同じく

いろいろ言葉にして語りたいですけども、 言葉にするとなんか全部こぼれていっちゃいそうな気がするので、 グッと我慢して何も言わずにおきます

(4)

公演終了後、 各アーティストが感想を述べるのですが

最後に 根本要さん (スターダスト★レビュー)

小田さんに話をふります

根本 小田さん自身は、 けっこう7月ぐらいから僕らを 、いろんな形で、 こういうことをしたいということをおっしゃってくださったんですけど、 えぇ、 この・・・ 全部終ってから、 どんなお気持ちを・・・

小田 いやもう、 さっきも言ったけど、 なんかこう・・・ 語りたくないな、 どうしても語りたくないな、 っていう。 みんながやっぱり持ち帰って・・・ とにかく今日は、 語りたくない。どうも、ありがとう

(5)

その前には 水野良樹さん (いきものがかり)

こう語っていました

ホントに、 できないんじゃないかなと思って、 勇気を出して、 できないでしょってケッコウ言ってたんですけども、 あのぉ、 言葉にできないものを超えるとか、 想像を超えるとか、 そういうことはこういうことなんだよと、 小田さんに、 この機会を通じて教えてもらったような気がします。 まだ若い若いと言われてるんですけど、 まだいろんなことが分かんなくて迷ったりするんですけど、 今回のことですごく、 光を与えてもらったような気がしました。 ありがとうございました (笑)

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語れないこと、 語ってはいけないこと――

こういう言い方はしばしば 単なる “逃げ” のフレーズになる

表現力の乏しさや、 言語化への意欲のなさなどを覆い隠す

そのための “言い訳” の概念になりうる

しかし、 この番組のなかで口々にのぼる

語れないこと、 語ってはいけないこと――

この概念に託される観念は “逃げ” でも “言い訳” でもない

そのように僕には感じられる

言語の外側にあるものに 直接ぶつかってしまった

そういう 《体験》 が そこでは生まれていたのでしょう

====================

この 《体験》 《言外のことわり》――

これは 《宗教》 と どういう関係があるのか

宗教学者としての僕は そこを問うているわけです

====================

<願わくば さらにつづく>

2010年1月16日 (土)

グローバル化 日本の進むべき道は (3/3)

前便 「グローバル化 日本の進むべき道は (2/3)」 より つづく

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朝日新聞の新年企画

日本 前へ

1月10日付 第8回

  • グローバル化 日本の進むべき道は

からの引用をやっております

高山博さん (東京大学大学院教授)

内永ゆか子さん (ベルリッツ・インターナショナル最高経営責任者)

との対談

司会は 大野博人さん (「前ヨーロッパ総局長」)です

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から good

本便で 最後となります

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 ―― 移民については。

 高山 あえて移民を促すような政策を取る必要はないと思う。 外から多くの人が入ってくるのははっきりしているので、 そこで生じる摩擦や問題をどう処理するかを考える方にエネルギーを集中すべきだ。

 内永 製造業ではコスト低減が大きな課題で、 安い労働力を海外から入れるのが一つの方法にはなる。 一方、 イノベーションの競争になると、 多様な人材の有効活用が必要です。 そのために優秀な外国人を入れたい。 日本企業は外国人を含めた多様な人材をもっと積極的に活用するべきだと思う。

 高山 今の生活水準を維持しようとすれば、 国際競争力のある人材を育成するしかない。 厳しい教育を行い、 質の高い労働力を生み出す。 それが日本の最優先の課題だと思う。

昨今のグローバル化とは まさにこういうことだ

ヒトの移動、 資本の移動 ―― これが どうしようもなく

強い流れとなって 時代を作っていってしまうこと

国境の壁が低くなって 国境の外との競合に

「国民」 一人ひとりが 直接さらされるようになること

若い人たちこそ これに真っ直ぐに対応しないわけにはいかない

日本のため ではなく

自分と自分の家族と友人との人生のため!

クニ (国家) がよく対応してくれるのが

一番手っ取り早い、 効果の高い方策だろう

しかし、 どうも政界の動きが 鈍い

その動きを待っていられない

事態は待ったなし。 どんどん進んでいってしまう

なので、 一人ひとりが 自覚を高めることがまず大事

僕らのような教育者も それを直接後押しできる立場だ

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以上 記事の引用紹介を 長々してまいりました

あらためて 宣伝です!

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から good

<おわり>

【フォーラム】 「事業仕分け報道」 を仕分ける

「国の事業仕分け」 の実務裏方だった 構想日本 から

  • 「事業仕分け報道」を仕分ける

というフォーラムの案内が来ました

(HP上の案内は コチラ

ハネムーン期間を終えた鳩山政権――

あらためて考えなおす いい機会ではないでしょうか

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以下引用

第150回JIフォーラムのご案内 1月29日(金)

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「事業仕分け報道」を仕分ける

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行政刷新会議の 「事業仕分け」。 オリンピックなみの報道の結果、 日本中― 職場で、 家庭で、 居酒屋で、 道端でさえも、 国の税金の使われ方が話題になりました。

しかし、 一連の報道は実際の事業や議論を丁寧に伝えたものから、 一部を切り取って全く逆のイメージを作り上げるものまで、それこそピンからキリまででした。

実際の事業仕分けに携わった方、 現場で取材をしたジャーナリストに集まっていただき、 現場での記者の行動や事業仕分けの報道ぶりから考えるべき、 日本の 「報道のあり方」 について議論していただきます。

○日 時: 平成22年1月29日(金) 18:30~20:30

○会 場: 日本財団ビル2階 大会議室
港区赤坂1-2-2 TEL 03-6229-5111(代)
http://www.nippon-foundation.or.jp/org/profile/address.html
※会場のセキュリティの都合上、 本案内状を会場1階で提示してください。

○開 演: 18時30分 (開場: 18時00分)

○ゲスト:
熊谷 哲 (京都府議会議員 行政刷新会議ワーキンググループ評価者)
河野 太郎 (衆議院議員  自民党無駄遣い撲滅プロジェクトチーム文教・科学技術等分野主査) 調整中
寺田 学 (衆議院議員 行政刷新会議ワーキンググループ評価者)
野口 陽 (AERA編集部)

○進行役兼発言者: 上杉 隆 (フリージャーナリスト)

○主 催: 構想日本

○定 員: 160名

○フォーラム参加費: 2,000円 (シンクネット・構想日本会員は無料です)

○懇親会参加費: 4,000円
(ご希望の方は下記懇親会参加に○印をつけてください)
※ゲストを囲んで、 下記の会場で懇親会を開催いたします。
「トラットリア・イ・プリミ 虎ノ門店」
港区虎ノ門2-2-1 JTビル1F TEL 03-3589-5812
http://www.ep-tokyo.com/iprimi/toranomon/

------------------------------------------
参加ご希望の方は、1月28日までに出欠の是非を、下記のメールアドレスにお申し込み下さい。
forum@kosonippon.org

お名前

所属

ご連絡先

懇親会に     参加する      参加しない

------------------------------------------
*参加申し込みに関するお問い合せは、
事務局 木下明美まで。 TEL 03-5275-5665

*内容に関するお問い合せは、
フォーラム担当 西田陽光まで。T EL 03-5275-5607
------------------------------------------

引用おわり

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2010年1月15日 (金)

ITアーキテクトの未来への挑戦

デジタル・ネイティヴ論壇の 情報環境に対する評価が

人間と社会と歴史への規定性の画期性に対する

とってもナイーヴな確信表明が、 いったいどこまで

根拠があるのか ないのか

ホントに そこまで根源的な変化が生じているのか否か

その辺りが 1967年生まれの僕にはピンとこない

ということを

などのエントリで述べました

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この点について 1971年生まれの情報アーキテクトである

神成淳司さん が語るコトバは

僕にはすんなり入ってくるのです

  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

 ちなみに、 現在、 私自身が念頭に置いているのは、 「コンピュータが、 我々が生活する現実の社会システムの中に、 どこまで浸透し、 あるいは人間と融合していくのか」 というものです。 これは、 「人間がやるべきことや領域とは何であるのか、 それがどのように変化していくのか」 という問いでもあります。

 人間自身の変化、 そして現在のノイマン型コンピュータの限界を見極めつつ、 さまざまな現場の知見・経験を踏まえ、 私なりに展望を描き、 さまざまなシステムを設計構築していく。 あるいは、 さまざまな変化を見守っていきたいのです。

 さらに言えば、 自分自身が設計構築に関与することでさらに知見・経験を重ね、 より精度の高い三年後、 五年後、 一〇年後の像を築いていく。 その像に基づき、 常に新たなシステムの設計構築を進めていく。 それが、 現時点の私の視座なのだと思います。

20頁

この対談本の最初で強調されるような 「現場感覚」 !

市井のフツーの老若男女と

それにより近いところにあるアーキテクチャの現場――

ここから論を立ち上げていただいているので

僕なんかには 得心がいくんだろうなぁ、 と思います

日刊インドビジネス

日本語で読める インド関連ニュースレター

いくつかありますが

  • 『日刊インドビジネス』

より 無料モニターの案内が来ました

購読料の設定は 法人向けになっており

とても個人で読めるものではありませんが

こうしたサービスが 日本語で読めるようになった

この点こそ 日印関係の現在をあらわしています

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以下引用

※本メールは以前、 日刊インドビジネス無料モニターにご協力賜りましたお客様にご送付しております。 既にご契約済み、もしくは現在無料モニターをご利用中のお客様に配信された場合はご容赦頂けます様宜しくお願い申し上げます。

過日は弊紙 「日刊インドビジネス」 の無料モニターにご協力を賜り誠にありがとうございました。

現在、 弊社では海外情報の充実を図るため、 以前無料モニターにご協力賜りましたお客様に向けて、 弊社海外情報媒体の無料モニターのお願いをしております。 弊社が取り扱っている海外情報媒体は下記2種類でございます。

【日刊インドビジネス】
http://www.fng-net.co.jp/india/index.html

【ASEAN経済通信】
http://www.fng-net.co.jp/aseanpress/index.html

リンク先WEBページ右側にサンプル紙面もございます。 あわせてご高覧ください。

既に有料媒体として発行しております媒体でございますので無料モニターとはいえ多少なりともご業務にご活用頂ける情報であると考えております。 各無料モニターにご参加頂ける方は下記URLより無料登録をお願い申し上げます。

【日刊インドビジネス無料モニター登録フォーム】
http://www.fng-net.co.jp/india/index.html#thisisthis

【ASEAN経済通信無料モニター登録フォーム】
http://www.fng-net.co.jp/aseanpress/index.html#trs

※強制的なアンケートなどは一切ございません。 ご意見がある場合のみお答え頂ければ結構です。

突然のお願いで大変恐縮ではございますが、 何卒、 ご査収の程よろしくお願い申し上げます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
株式会社金融ファクシミリ新聞社 
金融情報部 
担当 千葉祐輔

http://www.fng-net.co.jp/
〒103-0016 東京都中央区日本橋小網町9-9 小網町安田ビル2階
TEL: 81(3)-3639-8777
FAX: 81(3)-3639-3720
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

引用おわり

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2010年1月14日 (木)

グローバル化 日本の進むべき道は (2/3)

前便 「グローバル化 日本の進むべき道は (1/3)」 より つづく

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朝日新聞の新年企画

日本 前へ

1月10日付 第8回

  • グローバル化 日本の進むべき道は

からの引用をやっております

高山博さん (東京大学大学院教授)

内永ゆか子さん (ベルリッツ・インターナショナル最高経営責任者)

との対談

司会は 大野博人さん (「前ヨーロッパ総局長」)です

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から good

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クニ (国民国家) は 頼りになるのか…?

頼るとして そのリソースをどう確保するのか…?

 ―― とはいえ、 どこかで頼りになるものがほしい。 国家は頼りになるんでしょうか。

 高山 国家は力を失っていますが、 他に代わるものはない。 個人を守るという機能はこれからも続くと思う。 軍事、 外交など国家以外に果たせない役割がある。 それから、 セーフティーネットは国家が担うしかない。

 内永 でも、 それは税金でまかなうんですよね。 企業がどんどん海外に出ていったら、 税収も減ってしまいます。

 高山 出ていかなくて済むような政策が必要になる。 私は、 強い企業には本社機能を日本に残してほしいと思う。 税金のことだけではなく、 経営者もはやり人間ですから、 周りに住む同胞が大変な状況であれば力を尽くしてくれると思うので。

 内永 確かに企業のカルチャーは、 その企業が生まれ育った国ととても強く結びついている。 ただ、 日本にいることがどう考えても利益にならないとなると、 出ていかざるをえない。 そこはバランスだと思う。

インドでは 随分前から 「頭脳流出」 が問題化していた

しかし、 その還流がなかったわけではない

第一に 遠隔地ナショナリズムにより

第二に 昨今の経済機会の爆発的拡大により

さて日本は?!

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この話のあと 己の価値観や歴史観の不確かさ

日本人のコミュニケーション能力の不足

集団づくりの仕組み/システム構築の稚拙さ

そして リーダーとリーダー教育の不在

などに 話題はおよびます

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次は 移民の問題です

これは グローバル化と国民国家の役割という

この連続エントリの主題に 直接かかわりますので

またまた 次便につづく です

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から good

<つづく>

イーココロ! 1000円!

右サイドバーの イーココロ!

1000円の募金を確認いたしました

ご協力ありがとうございます さんくす♪(o ̄∇ ̄)/

800円の達成が 12月18日でしたので

クリスマス強化週間 をはさみ

27日間で200円の募金ができたことになります

大変ありがたいことと存じます

これからも 皆さまのクリックをば よろしくお願いいたします

ポチッとな happy01 good

【研究会】 南アジアから見たペルシア語文化圏

標記の研究会の案内がきました

近世の世界で ペルシア文化はトップでした

南アジアでもそれはまったくその通りで

ムガル帝国の文化に それはよく表れています

なかなか知られていないこの歴史的局面について論じる

この研究会は とても貴重な場です (とくに関東圏では)

私としてはぜひ参加したいところ なのですが

同日同時刻に 主催研究会があるため かないません wobbly

ご関心のある方は ぜひぜひ!

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以下引用

皆さま

下記の研究会をご案内いたします。皆さま、ふるってご参加ください。

太田信宏 (東京外大AA研)

************************

各位

アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究プロジェクト 「ペルシア語文化圏の歴史と社会」 では、 以下のように研究会を開催いたします。

見落とされがちな南アジアにおけるペルシア語文化のありようを検討する興味深い会ですので、 皆様のご参加をお待ちしております。

日時  2010年2月13日(土) 14:00~18:00

会場  東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 3階 マルチメディア会議室 (304室)
http://www.aa.tufs.ac.jp/location_j.html
(当日は, 1階正面入り口は施錠されているため, 外階段で3階まで上がって頂き3階入口より入館下さい。)

内容  「南アジアから見たペルシア語文化圏」

小倉智史氏 (京都大学大学院)
「ペルシア語によるサンスクリット翻訳文献 -歴史叙事詩 『RaajataraGgiNii』 を中心に-」

二宮文子氏 (AA研共同研究員, 京都大学)
「インドにおけるペルシア語文化とインド・イスラームの形成」

なお、 参加費・事前の申し込みは不要です。

問合せ先: 近藤信彰(アジア・アフリカ言語文化研究所) n-kondo●aa.tufs.ac.jp

引用おわり

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2010年1月13日 (水)

失はれた地平線

たまたま WOWOW でやっていたのを目にしました

  • 「失はれた地平線」 (フランク・キャプラ, 1937年)

僕が大好きな映画

  • 「バットマン・ビギンズ」 (クリストファー・ノーラン, 2005年, ¥980!!

まさか 「失はれた地平線」 のオマージュだったとは

観てみて はじめて気づきました

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さてしかし、 何もこのことが言いたくて

本エントリを書いたわけではありません

こちらの研究会で 繰り返し指摘されたことですが

20世紀初頭の 《神秘のインド》 観においては

チベットシャングリラ という観念が とても大事だった

チベットとはインドであり、 そこにはシャングリラが・・・

こうしたイマジネーションが 大変広く流通していた

調べてみたら、 シャングリラという観念を

とくに有名にしたのが

だったようですね

映画の原作本です

一部ネット情報では シャングリラという語自体

この小説において 「発明された 云々」 とありますが

これが本当に正しいのか 未確認です

その前にも シャングリラという語はあったような・・・

いずれにせよ 要チェックの小説/映画です

【シンポ】 ネパールの現状

ブータン関連のセミナーをご紹介しましたが

こちらは ネパール関連の研究会です

来た案内をそのまま掲載させていただきます

なかなかない機会だと思われます

とくに ブータンからの難民の問題は

日本でも知っている人は ほとんどいないのではないでしょうか

(世界最大規模の難民問題 とされるものなんです、 実は)

京都大学にて 今月23日の開催です

ご関心のある方は ぜひぜひ catface paper

なお、 連絡先のメールアドレス

「●」 を アットマークに 変更してくださいませ

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若手ネパール研究者による研究会を下記の要領で行います。 温暖化と水害、 ヒマーラヤの生業、 カトマンズの建築、 ブータン難民問題についての発表を予定しております。 ふるってご参加ください。

また関心のある方々に転送いただければ幸いです。

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Dear All,

We are pleased to announce that the South Asian and Indian Ocean Studies Group, ASAFAS, Kyoto University, is organizing a symposium on Nepal on 23 January 2010. Please see below for the details. For those interested on synopsis and word file of the below text please refer to a file herewith. We encourage circulation of this announcement for wider participation on the symposium.

As the idea of this symposium is to provide forum for emerging Nepali scholars and promote interactions between and among Nepali and Japanese scholars, particularly interested in Nepal, we are further looking to invite Japanese researchers as a discussant if possible. In that case, we will send a final schedule a week before symposium.

Looking for your participation.

Thanking you,

Bhaskar Gautam
Graduate School of Asian and African Area Studies (ASAFAS)

Contact:
Bhaskar Gautam: bhaskar.gautam●gmail.com
Tatsuro Fujikura: fujikura●asafas.kyoto-u.ac.jp

____________________________

Symposium on Nepal

23 January 2010

続きを読む "【シンポ】 ネパールの現状" »

2010年1月12日 (火)

グローバル化 日本の進むべき道は (1/3)

朝日新聞が 2009年元日からはじめている新年特集

日本 前へ

オモシロイ記事が載っているが

1月10日付 第8回は

  • グローバル化 日本の進むべき道は

と題して

高山博さん (東京大学大学院教授)

内永ゆか子さん (ベルリッツ・インターナショナル最高経営責任者)

との対談だった

(司会は 「前ヨーロッパ総局長 大野博人」 さん)

ネット上では 読めないようなので

いくつか 気になった部分を書き抜きさせていただきます

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から good

現在のグローバル化の進展のなかで

クニ (国民国家) のガバナンスは

どうなっていこうとしているか―― それが 僕の関心です

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まずは 司会の大野さんによる煽り文

グローバル化の中で、 日本は自らをどう変えていったらいいのだろう。 西洋中世史の専門家としてグローバリゼーションを考察する高山博・東大大学院教授と、 経済人として日本の状況を憂える内永ゆか子・ベルリッツ・インターナショナル最高経営責任者が語り合った。

では、 本文を どんどん引用させていただきます

 ―― グローバル化が加速する中、 日本はもたついています。

 高山 本質をよく分かっていない方が多いという気がして仕方ない。 グローブとは地球のことで、 国境機能がずたずたになり国単位の認識では駄目だから、 一体化した世界を考えざるを得ないのに、 国を基本とした 「インターナショナリゼーション (国際化)」 と同じように考える人があまりに多い。

 内永 「日本企業は日本人の給料をもった上げないと……」 と主張する人がいますが、 そんな議論はもう成立しない。

 高山 日本の賃金と中国やインドの賃金が競合するわけです。 能力が同じなら仕事は賃金の低い方に行ってしまう。 賃金の下方圧力は、 避けようがない大きな力だと思う。

「国境機能がずたずた」 「賃金の下方圧力」

この辺りが大事なところ!

 ―― グローバル化は日本の外でなく、 ここで起きている。 そこは分かりにくいところです。

 内永 それは日本人の流動性が非常に低いからです。 大卒者についての経済協力開発機構 (OECD) のデータを見ると、 多くの国は10%から20%程度の国際流動性がある。 日本は出も入りも低い。 日本が特殊だということをまず認識しないと。 日本経済はもうさんなに成長しなくてもいいと言う人がいますが、 日本は食料やエネルギーを買うために外貨を稼がないといけない。 ほどほどでみんなで楽しくとはいきません。

日本人の国際流動性の低さ――

これは 本当にそうなのだ!

ここを突き抜けると、 とても風通しがよくなるはず!

低成長と外貨獲得――

これについては いくつものヴィジョンがあるだろう

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もうすっかり長いエントリになりました

次便につづきます

念のため 再度 宣伝しておきます

【宣伝】  朝日新聞、 その他の購読申し込みは こちら から good

<つづく>

【セミナー】 ブータンのチャムと日本の伎楽

標記の案内がきました

日本ではめったにない ブータンもの企画!

ご興味のある方は ぜひぜひ happy02 paper

なお 「お問い合わせ」 は

電話番号やメールアドレスが記されていましたが

「予約不要」 との由、 割愛させていただきました

上記リンク先に はっきり書いてあります

あしからずご了承くださいませ m(_ _)m

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各位

立教大学アジア地域研究所主催の研究セミナーおよび国際シンポのご案内です。

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この度、 以下の日程で研究セミナー (1月14日) および国際シンポジウム (1月16・17日) が開催されます。

日本伎楽とチベット仏教チャムとを比較研究しようとの企画です。

16日の14:00から17:30には、 ブータンとモンゴルのチャムのレクチャー・デモンストレーションも行われる予定です。

入試などで忙しい時期ですが、 貴重な機会ですので、 ふるってご参加ください。 入場無料・事前予約は不要です。

関心のある方に転送していただければ幸いです。

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one 1月14日(木)

立教大学アジア地域研究所研究セミナー
「ブータンのチャムと王制」

主催: 立教大学アジア地域研究所

日時: 2010年1月14日 (木) 18:30~20:00

場所: 立教大学 (池袋キャンパス) 12号館2階会議室

講師: ペマ・デンドゥップ (ブータン、 トンサ僧院(ゾン)ツェチュ運営責任者)

*無料・予約不要

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two 1月16(土) 17日(日)

国際シンポジウム (立教大学)
「日本伎楽とチベット仏教チャムの比較研究」

主催: 立教大学アジア地域研究所

共催: 早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点

助成: 三菱財団 国際交流基金

日時: 2010年1月16日 (土) 10:00~17:30/17日(日)10:00~17:00

場所: 立教大学 (池袋キャンパス) 太刀川記念館3F多目的ホール

*無料・予約不要

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2010年1月11日 (月)

異界の構造と変わっていく神話

前便 「共同体の開かれ、 あるいは外部への憧れ」 よりつづく

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何の気なしに読みはじめた

  • 『ユリイカ 2009年3月号』 (特集: 諸星大二郎)

思いのほか面白く、 記事を重ねてしまいました

最後に 所収のエッセイのなかでも

とくに面白かった一本

  • 石岡良治 「異界の構造と変わっていく神話: 諸星大二郎の 『マッドメン』 について」 (149-57頁)

から 一節をご紹介します

諸星大二郎のマンガにおいて、 知的探求と創造力の展開は切り離しがたい連関をなしている。 だが神話や説話などについての知識そのものが重要なのではない。 トリヴィアルな細部についての衒学趣味は最小限にとどまり、 それよりはむしろ、 ある物語の謎を追跡していると、 いつのまにかその物語が再演されてしまうという構造が頻繁に現れる。 重要なのは、 物語が強制的に信仰するメカニズムの驚きなのだ。 ゆえに異界がひとたび完全に展開されるならば、 その構造は可視的になり、 謎もまた消失してしまう。 例えば 『闇の客人』 において、 稗田礼二郎は誤った町興しが招いた災厄に立ち会ったあと、 祭りの永遠の終わりを宣言する。 東北の 「かくれキリシタン」 と思われた一族の信仰が、 実際には旧約聖書における生命の木の実に関連していたという衝撃を残す 『生命の木』 の物語も、 村の消滅という結末を迎えるのだ。

153頁

もう一節。 最終二段落です

 日常語における 「~神話」 という用法に顕著だが、 多くの場合 「神話」 は所与の社会構造を静態的に反復するものとみなされる。 だが 「呪的逃走」 とは、 異界からの帰還によってその構造を変動させ、 新たな時代を画する行為に他ならない。 もちろん呪的逃走の説話自体が定まった 「構造的な枠」 を有しているため、 この説話からの逃走それ自体もまた、 もう一つの 「呪的逃走」 としてプロット化されていると考えることもできるだろう。 「閉域を打破する物語」 という閉域である。

 『マッドメン』 はこの神話の射程と限界を正確に辿っているのみならず、 諸星大二郎作品における異界の構造を可視化している。 そして諸星のマンガがすぐれているのは、 以上のような構造的認識が、 クライマックスに現れる超越的なヴィジョンをもたらす想像力と厳密に共存していることである。 よって物語の最終ページに、 バートンによって幻資されたコドワと波子のイメージが現れるのはほとんど論理的な必然と言って良いだろう。

156頁: 注記は省略した

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「アレレ」 と思わされるエッセイもありましたが

上記のものは 読んでいてとても楽しかった

コンパクトで上品な掌編 といった感じです

そのほか 面白かったものとして

  • 諸星大二郎 「硬貨を入れてからボタンを押して下さい」
  • 竹熊健太郎 「ワン&オンリーな作家」

また すでに紹介した

  • 夏目房之介×都留泰作 「徹底討議 不定形な世界に魅せられて: 諸星大二郎の うまさの底にあるもの」

これも面白かったです

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最後に やっぱり この動画の埋め込みをば!

8万アクセス

8万アクセス 確認いたしました

いつも訪れていただき、 本当にありがとうございます

前回7万アクセスが 11月24日

 ∴ 48日 : 1万アクセス ≒ 1日 : 208アクセス

ご参考までに 過去4ヶ月で

  • アクセス数 日平均 210
  • 訪問者数 日平均 91

10月と12月が 伸び悩みましたが

11月が とても沢山のアクセスをいただきました

「国の事業仕分け」 のサーチ が 飛びぬけてました

全体のトレンドは 相変わらず 微増です catface paper

あらためて いつも読んでいただきありがとうございます

今後とも がんばって書いていきたいと思います

皆さん どうぞ宜しくお願いいたします (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

2010年1月10日 (日)

共同体の開かれ、 あるいは外部への憧れ

ヒトの 「成熟」 に関する現代日本の代表的な思索には

どうも いつも違和感がある

「成熟」 を語る思想家が まさに未成熟なのではないか…

オトナになれないオトコが ごちゃごちゃ語って

背伸びをして 足掻いているだけなんじゃないか…

この疑惑が 重大なのは 僕みたいな者から

それが提出されているから に他ならない

僕こそ他人のことは言えないトッチャンボーヤで

だから 学者なんていうのをやっているわけで

ホントに アホなピーターパンみたいな人間なのだから

そんな僕に その未成熟を疑われる思想とは…

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ということで、 次の文章を読んだとき

僕は わが意を得たりとばかりに 膝を打ったのでした

  • 中田健太郎 「共同体の開かれ: 無為なるものへの想像力について」 『ユリイカ 2009年3月号』 (特集: 諸星大二郎, 第41巻第3号, 通巻563号, 2009年3月, 165-75頁)

諸星大二郎の短篇

  • 「夢の木の下で」 (『夢の木の下で』 所収)
  • 「塔に飛ぶ鳥」 (『私家版鳥類図譜』 所収)
  • 「城」 (『ぼくとフリオと校庭で』 所収)
  • 「流砂」 (同上)

などを評する文脈での文章です

 共同体の外部への憧れについて書きすぎることは、 時宜をえないことだと思われるだろうか。 実際、 そうなのかもしれない。 だれもが、 共同体・国家の管理機能について語っている現在である。 共同体内での権力闘争をうまく乗りこなすことが、 ある種の文学論や人生論のモチーフとして (「成熟」 の問題として) 流行しているというのも、 おそらく本当なのだろう。 もちろん、 共同体の内部について語ることは、 意味のないことではない。 しかし、 言うまでもないことだが、 包摂と排除にもとづく共同体は必然的に外部をもつものであり、 その意味でも共同体をめぐる議論は、 外部への想像力を欠いてはならないはずである。 だから、 共同体の外部への視線を失い、 内部の権力闘争と規律管理だけを問題とするような反動的な思考には、 ここではっきりと否定の意志を示しておきたい。

167頁

「内部の権力闘争と規律管理」 には

「アーキテクチャ的支配」 を加えてよいでしょう

次の段落には こうあります

 外部への憧れを捨てることを 「成熟」 と呼ぶほど、 幼い思考もないだろう。 生きることと諦めることを、 混同する必要はないのである。 もちろん、 人は自分の共同体を捨て去るべきだというのではない。 そうではなくて、 他の共同体へと思いを馳せる想像力を保ちつづけることで、 つねに自分の属する共同体を、 そして自分の生を、 相対化していくことこそ、 変わらぬ成熟のかたちなのである。

168頁

こういう文章を読むとき

僕の共同体内在的な即自性を揺るがし壊してくれた

インドをはじめとする 数々の外部との出会いに

アリガタヤの感情をおさえることができません

2010年1月 9日 (土)

中沢新一と諸星大二郎

こちらのエントリのコメント欄で

yokosawa さん と交わしたやり取り――

中沢新一は苦闘しているか (yokosawa)

それとも 充足しているか (コンドウ)

という それ自体としては 結論が出るはずもない

そんなやり取りを させていただきました

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僕の空想では 中沢先生はとても充足している

その充足した感じを よくあらわす表現が

こちらの便 で紹介した 『ユリイカ』 (諸星大二郎特集号) に

ありましたので、 ちょっと紹介してみたいと思います

  • 夏目房之介×都留泰作 「徹底討議 不定形な世界に魅せられて: 諸星大二郎の うまさの底にあるもの」 『ユリイカ 2009年3月号』 (特集: 諸星大二郎, 第41巻第3号, 通巻563号, 2009年3月, 90-103頁)

都留  『生物都市』 の頃からひとつの理論みたいなものが諸星さんのなかにあってそれを無限に展開させていくということなのかなと思います。 同じなんだけどワンパターンではなくひとつの理論があって、 その理論のいろんな方向からの説明みたいな雰囲気なのかなと。 理論といっても人間理論というか、 『生物都市』 もそうなんですが諸星さんには集合無意識的な考え、 人間の根源には集合的にみんなが持っている原型みたいなものがあってそれからだんだん派生してきているんだというイメージがきっとあって、 これをいかに説得的に人に見せるかというのが最初からあったのかなと思うんです。 諸星さんにとって、 人間がごちゃごちゃに固まってひとつのどろどろとした塊になるというイメージが強いオブセッションとしてあると思うんですけど、 それが中国の思想と結びつくと 「無面目」 とかの中国物になって表れて、 民俗学の知見と結びつくと 『妖怪ハンター』 のようなかたちになって、 いろんな方法で諸星さんの人間理論みたいなものを展開しているというイメージなんですね。 (97頁)

「同じなんだけどワンパターンではなくひとつの理論があって」

「いろんな方法で人間理論みたいなものを展開している」

僕のなかの中沢先生イメージは

ちょうどこんな感じです

蛇足ながら 中沢先生は 諸星先生の大ファンでいらっしゃる

『諸星大二郎 西遊妖猿伝の世界』 (絶版) 参照です

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【メモ】 『生物都市』 は 『彼方より』 に収められている

2010年1月 8日 (金)

ネットに 「社会的なもの」 のコアがある

前便 「社会をいわば 「ハッキング」」 よりつづく

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  • 濱野智史 『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』 (NTT出版, 2008年10月)

お茶濁しの部分引用を 前便 からつづけています

「あとがき」 (338-41頁) から

 しかし、 そんな一介のネットオタクでしかない筆者が、 なぜネットにハマり、 このような本を書くに至ったのか。 それは、 ネットに 「社会的なもの」 のコアがあると感じてきたからです。 見知らぬ人々と出会い、 議論する。 時には協力する。 あるいはいがみ合う。 異なる価値観を持つ人々が、 別々の空間に棲み分けていく。 あるいは共通の価値観や規範を共有していく。 ―― 少なくとも筆者にとっては、 ネットは社会から逃避する場所などではなく、 むしろ社会空間の原初的な生成という場面に、 ナマで遭遇することができる場所だったのです。

340頁

この感覚こそまさに デジタル・ネイティヴ!

《ネットに 「社会的なもの」 のコアがある》 ?!?!?!

「コア」 ?!?!?!

僕なんかには とてもじゃないが 出てこない発想だ

ホントにそうか

「社会的なもの」 ってそういうものか…?! と 突っ込みたくなる

この段落の直後 著者濱野さんは

それはあくまで筆者の個人的経験にすぎません

と 書くわけだが、 もちろん これは単なるポーズだ

その 「経験」 に 何らかの公共性があると見込んでいなければ

こんな本は書くわけがないのだから

あらためて、 彼の経験と感覚は とても貴重だ

先日42になった僕には 絶対にない発想だから

とても注意深く 耳を傾けたいと思う

しかし、 濱野さんにとって それは当たり前すぎるのか

相対化と一般化の契機が 弱い

「個人的経験」 という言質と 公共的なものとの連続感覚

この二つが どのようにすり合わされているのか

もっと冷徹に見きわめてほしいのだ

だって 僕らオッサンには それは土台無理なのだから

デジタル・ネイティヴの論壇は まだまだすべきことがある!

2010年1月 7日 (木)

社会をいわば 「ハッキング」

前便 「アーキテクチャの生態系」 よりつづく

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  • 濱野智史 『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』 (NTT出版, 2008年10月)

最終章に どうも違和感ばかりを感じた

と、 前便で書きました

それを全部説明するのは ちょっと骨が折れるので

選択的に いくつかの部分を書きぬくことで

お茶を濁したいと思います

まずは 最終二段落です

 [前略] ここで筆者が提案しているのは、 「生態系」 の認識モデルの適用先を、 「ウェブ」 から 「社会」 へと引き上げてみたいということです。 なぜなら、 「社会」 というものは、 本来であればウェブよりもさらに複雑で、 多様なプレイヤーたちが織り成すエコシステムのようなものとしてあるはずだからです。

 だとすれば、 それもまた、 偶然的で多様な進化のパスに開かれている。 そしてその進化のパスに、 私たちはアーキテクチャという新しい道具立てを通じて、 関わりうるということ。 もはや私たちは、 なんらかのヴィジョンや合意を通じて、 社会というものが変わるというイメージを抱くことが難しい状態にあるといわれます。 筆者もそのように感じている一人です。 そのとき、 こうしたアーキテクチャの設計を通じて、 社会をいわば 「ハッキング」 する可能性を信じることは、 筆者にとって、 単なるオプティミズム以上のものを意味しているのです。

335頁

これは大変大きなことを言っています

《アーキテクチャの設計を通じて、 社会をいわば 「ハッキング」》 ?!?!

これは けっこう重大な志向の表明ですよね。 でも

残念ながら 本論部で 十分には展開されません

この本も これで終わりです

こういうところに 残念感があります

2010年1月 6日 (水)

アーキテクチャの生態系

ネットのことを勉強しようと思って

1年半ほど前から 何冊かをまとめ買いしてあった

その中の一冊

  • 濱野智史 『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』 (NTT出版, 2008年10月)

積ん読状態だったのを、 何きっかけだったかは忘れたが

とにかく 読みはじめた

まず驚いたのは、 28歳という若さで この文章力!

自分が同い年だった頃を思い返せば、 恥ずかしいばかり

こういうのを書いちゃうんだから、 そこはもぉ素直に

脱帽です。 できそうで これはできないもんです

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内容としては 順当な分析とまとめが多い、 との印象

僕個人は P2Pについてほとんど知らないので

  • 第5章 ウェブの 「外側」 はいかに設計されてきたか? (161-93頁)

が とくに面白かった。 勉強になった

本論では さまざまなウェブサービスが分析されていく

その手際は とても小気味よい

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しかし、 結論部がどうもいただけなかった

  • 第8章 日本に自生するアーキテクチャをどう捉えるか? (305-37頁)

物足りなさばかりが残った

「アーキテクチャ」 という切り口が生きているとは思えないし

筆者も言うように 「日本」 という視座も不明瞭なままだ

レッシグやハイエクを あらためて並べられても

それが議論を豊かにしているとは思えない

そして何より 人間の社会と歴史にとって ネット環境が

一体 どういう重要性をもつのか よくわからない

この手の本を読んでいて いつもそこがわからない

メディア論との差異があるのかないのか わからない

子どもを産み育てて 生活費と教育費と税金のため

ケータイもやるだろうし ネットもやるだろう 一般人が

コツコツ一生懸命働く そういう僕らの毎日の現実にとって

ネット環境が どういう重大な変化をもたらしているのか

それともいないのか それがわからない

市井の人びとにとって ネットとはまずもって

エロの供給元とお買い物の窓口 でしかないはずだから

そこから説き起こしていただかないと、 少なくとも

ケータイ論と同程度のフツー性を目ざしていただかないと

マルクスだレッシグだハイエクだと言われても

どうも レベルがずれているようにしか思えない

筆者も含めた 「ネットオタク」 (339頁) の 「リアル」 とは

人間・社会・歴史にとって 一体 どんだけ重要なのか

時代の先駆けになっているのかいないのか

それを判断する材料すらなくて、 とにかくわからない…

等など とにかく最終章は 残念な印象が 僕には強い

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ともあれ 東浩紀スクールものとは知らずに買った本書

情報環境論そのものというのではなく、 むしろ

ネットをめぐる 『思想地図』 的な あの独特な議論の

初心者の僕には とてもタメになる本でした

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【メモ】

2010年1月 5日 (火)

詩情・心理学的機制・神秘体験

以前 「詩はどこへ行ったのか」 という記事のなかで

朝日新聞に載った 谷川俊太郎さん のインタビューを

紹介しました

その中に 次のようなやり取りがありました

―― ことばじゃないものにも詩情があるということでしょうか。

「ぼくが生まれて初めて詩情を感じたのは、 小学校4年生か5年生くらいのころに隣家のニセアカシアの木に朝日がさしているのを見た時です。 生活の中で感じる喜怒哀楽とはまったく違う心の状態になった。 美しいと思ったのでしょうが、 美しいということばだけで言えるものではなかった。 自分と宇宙との関係のようなものを感じたんでしょうね」

こうしたコトバを足掛かりに

「芸術と宗教」 なんていうエントリまで行き着き

芸術体験と宗教体験の通底 (あるいは同一性) を

ほのめかしました

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しかし、 そんな通底可能性なんぞは 実は

宗教学者の妄想なのかもしれません

次の文章を お読み下さい

  • 呉智英 「懐かしさと不気味さと: 諸星大二郎の 「原風景」」 『ユリイカ 2009年3月号』 (特集: 諸星大二郎, 第41巻第3号, 通巻563号, 2009年3月, 87-9頁)

「私の故郷」 シリーズは、 『週刊漫画アクション』 (双葉社) 誌上で一九八一年に始まった。 「人気漫画家競作シリーズ」 と副題されているように、 著名なマンガ家たちが自分の故郷、 幼い頃の自分をカラーで描いた折り込み口絵のシリーズであった。 その多くが、 というよりも、 諸星大二郎を除いた全員が、 自分の育った地方都市を、 田園を、 下町の風景を、 懐かしく美しく描いていた。 ところが、 諸星だけは、 異様な光景を描いた。 一九八二年三月四日号である。 諸星が描いたのは、 彼が幼い頃過した東京足立区の荒川土手の風景であった。 それは、 当時の荒川土手を知らない私にも、 激しく郷愁をそそられるほど懐しく、 それでいて異界へ誘い込まれるような不気味さを湛えていた。 感受性豊かな少年は、 自我が芽生えだした頃、 周りの風景が奈落のような深みに浮いているのを見ることがある。 恐らく、 自立し始めたばかりの自我が外界の遠近法をとりそこね、 不安定な孤絶感を味わっているからであろう。 そんな幼い自分と故郷を、 まるごと懐しんで描いているのであった。 (88頁)

諸星大二郎画伯 による 「異様な光景」 の一幅

「異界へ誘い込まれるような不気味さを湛えていた」 風景画

これは 谷川さんの 《ニセアカシア体験》 と同様のものでしょう

「私の故郷」 に少年時代の懐かしさと異界への不安を見た私の直感

とも書かれています (89頁)

しかし、 僕とは違って

呉智英さん は この体験を 完全に心理学的なコトバで

説明しさります

それは、 宗教体験への通底可能性を回避した説明です

《詩情》 《心理学的機制》 《神秘体験》

この三者を どう構成するか―― そこが問題なのです

2010年1月 4日 (月)

注目集める農家レストラン

↑ ココログニュースで見かけた記事です

こういうのは とても興味があります

最近は テレビや雑誌でも この手の情報が

よく流されるようになってきましたね

今回 『グリーン・ツーリズム』 というサイト

はじめて知りました。 とても面白い!

こんな本まであるでは ありませんか!

「食」 をテーマにした地域の発展につながっていく農家レストラン。

その経営者の 「食」 にかけるこだわりや熱い思いをはじめ、 農家レストランにまつわる情報満載。

7軒の農家レストラン経営者から話をお聞きし、 経営者ならではの苦労や喜び、 農家レストランの経営目標などを紹介するほか、 当機構に寄せられた農家レストラン情報を一覧表でご紹介しています。

これはぜひ参考にさせてもらって

ミニ旅行に行ってみたいものです

時間さえあれば…

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以下 記事引用

注目集める農家レストラン
- 2010.01.04 11:00

最近、 農業を営む人がレストランを経営する 「農家レストラン」 が増えてきている。 農作業の傍ら、 自らの畑でとれた作物や、 自らの手で育てた畜産物を調理して提供するのが主なスタイルである。 サイト 『グリーン・ツーリズム』 では、 全国の農家レストラン情報を見ることができる。

ところで、 農家レストランというと、 大きな田舎風民家の座敷でおばちゃんがごはんを出してくれる… というイメージを持つ人も多いかもしれない。 そんなアットホームなレストランかと思いきや 、意外にも隠れ家風の小料理屋的ビジュアルであったり、 洗練されたオシャレなカフェ調であったりすることが多いという。 メニューも、 スイーツからマクロビオティック食までと幅広いようだ。

ブログ 『陶芸人の日誌』 には、 出かけた雑穀レストランの店内に飾られた個性的な花や手作りインテリアの写真とともに、 主宰者の料理に対するこだわりが綴られている。 「雑穀レストランですから、 肉や魚はもちろん乳製品もお料理の素材にはなりません。」 とのこと。 主宰者本人が “材料” から作り上げるのだから、 そのこだわりも並々ならぬようだ。

巣ごもり消費の傾向が強まる昨今、 外食に出かける人自体少ないのかもしれないが、 たまに出かけるなら農家レストランはおすすめかもしれない。 本格的な “食体験” もさることながら、 移動時間も含めた豊かなプロセスは、 たぶん街のレストランではなかなか味わえないものだろう。

(小野しうこ)

引用おわり

2010年1月 3日 (日)

クリスマスの約束 2009 (その2)

前便 「クリスマスの約束 2009」 には

思わぬ数のアクセスをいただいております

本ブログでは キーワード 「国の事業仕分け」 検索

グーグルで ほとんどトップぐらいにいったもので

非常に多くのアクセスをいただいていたのですが

その記録を 軽く抜き去りました!

(ただし、 瞬間風速的に)

やはり 大変な感動を 視聴者にとどけた番組だったようです

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いくつかの 記事を 僕としてもその後フォローしているのですが

ぜひ紹介しておきたものがありました

全部で6本ある記事の最後のものです

前の便へのリンクが貼ってあるので

まずは こちらをご覧になってみてくださいませ

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(1)

当日の会場のレポートとして すごく臨場感があります

あぁ 現地ではこんなことになってたんだなぁ、 と

やっぱり 番組として たくさんのものがカットされてるんですね

当たり前といえば当たり前なんですが

現地に 身体をさらすことでのみわかることが

そこには しっかりレポートされているように思います

(2)

番組の最後に流れた 小田さんからの御礼状

その全文が 文字起こしされています

これは 僕も時間をみつけてやりたかったことでした

つうさん のお仕事を参考に、 あらためて

宗教学者としてのコメントをば させていただきます

小田さんの手紙のなかに使われているコトバ

「予想していた遙か先へと着地」

「観客の拍手は、 まだ今も続いているような気がする」

「奇跡に近いこと」

「隠されていること」

「すごい、 22分50秒」

たとえば 最終段落に詰め込まれたこれらのコトバは

《宗教的なもの》 と どのような関係にあるのでしょうか

それが、 前便 「クリスマスの約束 2009」 で

僕がほのめかした論点です

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<願わくば さらにつづく>

2010年1月 2日 (土)

ベクトルだけをつなぐ

前便 「父親と母親の両機能」 より つづく

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  • 日本的想像力と成熟 中沢新一インタビュー
    (聞き手・ 東浩紀 + 白井聡)

前便 で いかにも “本質主義的日本論” なコトバを

中沢先生のものとして引用してしまったので

どういう風に考えられているのか 紹介いたします

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以下引用 (23-24頁: 「大域」には「グローバル」のルビ)

中沢  [前略] そう考えてみると、 僕はドゥルーズ哲学はなかなかおもしろいなと思っていて、 あの哲学は微分係数でできているんですね。 微分係数というのは、 瞬間瞬間のベクトルの力、 力動線の流れで、 局所的な情報しかない。 全体の大域構造なんてわからないんですよ。 ドゥルーズは局所構造だけ、 微分係数だけで哲学を形成できると考えていた。 つまり、 微分係数だけを考えていると、 大域構造が必然的に出てくるということを考えていたんじゃないでしょうか。
  僕の日本的想像力を扱う方法もこの考え方に影響を受けていて、 たとえば 『アースダイバー』 (講談社) という仕事をしましたけれども、 東京の現在を大域構造として見ると、 すでに壊されて、 なくなってしまったものがたくさんある。 ところが、 微分として残っているものがあって、 そういうものが土地に付着しています。 たとえば渋谷という土地にも、 微分係数として付着して残っているものがあるのですが、 ただ、 大域構造として見たら、 そんなものは見えやしないんです。 アースダイバー地図に書いてあるような東京なんてどこにも存在しない。 ところが、 微分係数だけを見ていると、 そこにそういう地形があって、 その地形は必然的にそういう思考方法を生み出したろうというものが見えるんじゃないか。 それが 『差異と反復』 (河出文庫) から学んだ手法です。 そういう意味で、 見えない東京をベクトルだけをつなぐことによって構成しようということを意識的にやったんです。
  日本的想像力を扱う人たちの多くは、 同一性を持ったイメージから出発したがります。 たとえばゴジラといったら、 ゴジラというひとつの主体、 個体で扱う。 あるいはイメージ、 言語概念として扱って、 そして想像の日本というものをそれによって構築しようとする。 僕はこれは悪しき日本論だと思っています。 だって、 そんなものは実在しないんですから。 自分の想像力の中でいくらあると思い込んでも、 それは現実の世界の中では具体的な力とはなってない。 だけれども、 微分係数としては存在しているということです。 日本について書いた 『精霊の王』 (講談社) もそうですけれども、 全部そういう微分化された力動線だけで書けないかという試みなんですね。 なかなかそういうところは理解されないので、 「おまえ日本主義者だろう」 と言われるんですけど。

白井  ドゥルーズが言う潜勢力を読むということにもなるわけですよね。

中沢  そうです。 その潜勢力は微分係数ですか出てこないんです。

白井  いま中沢さんのおっしゃった方法論的なものと、 今日、 クールジャパンとしてひとまとめにして言われてしまう現象とは、 相当に違うんじゃないかなという気がするんですね。 中沢さんの方法論は非常に微妙で繊細なものだと思います。 日本的なるものは存在すると同時に存在しない。 言い換えれば、 「存在する」 ということそれ自体の概念を改変するということにもなるのだと思います。 ここで違いが出てくる。

引用おわり

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僕がお薦めする中沢本は次の三冊

そのうちの二冊が ここの段落に出ていますね

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長々と紹介してまいりました 「中沢新一インタビュー」

引用紹介は 本便で終了です

お付き合い ありがとうございました m(_ _)m

いろんな意味で なかなか興味ぶかいテクストです

ぜひ 全文をお読みになってみてくださいませ

2010年1月 1日 (金)

父親と母親の両機能

前便 「ソーカル事件のときに」 より つづく

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  • 日本的想像力と成熟 中沢新一インタビュー
    (聞き手・ 東浩紀 + 白井聡)

気になったところを 部分的に書き抜きしています

もうちょっと続けます

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以下引用 (22頁: ルビは省略)

中沢  ヨーロッパ人が成熟という場合、 一つは、 ラカンなどが言うサンボリックな機能の受け入れと深いつながりがあって、 これは幼児期に形成された母体との結合、 あるいはさっきのケチャップの話じゃないですけれども、 粘着的で中間的な接合領域を作っているオブジェa のようなものを切断することが大きい主題になっていると思います。 一神教、 ユダヤ教以来の伝統の中で形成されてきた成熟というのは、 割礼、 去勢とはっきり結びついた成熟です。
  ところがアジア、 とりわけ日本の場合は、 伝統的に母体的なものとの断ち切りとサンボリックなものの受け入れが、 大人になることとは受け入れられてはこなかったし、 そういうふうに理解されてはこなかった。 では、 どうやって大人になっていくかというと、 まず形式だったと思います。 つまり、 外面的に形式を整えていくことによって、 大地とのつながりを維持したまま大人になっていく。 だから、 ヨーロッパ的な成熟は決して普遍的な現象ではなくて、 いろんな成熟の方法が可能だと思います。
  日本のイニシエーションの儀礼を見ると、 これは不思議なことに、 ヨーロッパやイスラム教圏などで行われる割礼を伴う儀式とは違うんです。 どういう儀式が行われるかというと、 象徴的な母胎の中へわざと入っていくんですね。 山の中へ入っていくという儀式が日本のイニシエーションの典型です。 山の中、 母親の体の中へ入っていく。 その中で、 社会的に必要とされるルール、 倫理、 掟というものを身につけて出てくる。 父親と母親の両機能を抱えながら出てくるというのが日本のイニシエーションです。 これは、 昔のユダヤ教の人が見たら、 とてもイニシエーションの体をなしていないように見えると思います。 ところが不思議なことに、 ユダヤ教も一枚岩ではなくて、 奥のほうへ入っていくと、 日本のこういう考え方と非常に深いところでつながるところがあります。

引用おわり

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こう述べるからといって 杓子定規に “本質主義” なんていう

批判を出すのは なんというか… 冴えない…

そこら辺については 次便にて

<つづく>

年始のご挨拶

明けましておめでとうございます

本年も どうぞよろしくお願いいたします happy01 paper

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