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2010年1月20日 (水)

理性・システム・近代性

前便 「地に足のついた仕事」 より つづく

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  • 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)

前便 では ちょっと形式的なところの紹介

になってしまったので、 もうちょっと実質的なところも

紹介していきたいと思います。 ただし

包括的な紹介を目ざすものではありません

あくまでも 僕のセンサーに引っかかったところだけ

部分的な引用紹介です

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宮台真司先生 のコトバです

 ちなみに、 私の用語系では、 「役割&マニュアル」 優位の領域を 〈システム〉 と呼び、 「善意&自発性」 優位の領域を 〈生活世界〉 と呼びます。 ウェーバーに従えば、 〈生活世界〉 が 〈システム〉 へと置き換わる過程が、 合理化 (計算可能化) 過程として定義される 「近代化」 です。

 〈生活世界〉 が磐石で、 〈生活世界〉 を生きる 「我々」 が幸せになるための 〈システム〉 化だと思える段階が、 近代過渡期としてのモダンです。 〈システム〉 化で 〈生活世界〉 が空洞化した結果、 「我々のため」 という正統化メカニズムが機能しなくなる段階が、 近代成熟期としてのポストモダンです。

 具体的には、 第三次産業化が進んだ結果、 〈生活世界〉 の内実をなす地域や家族の自立的相互扶助が、 コンビニ・ファミレス的なものや役所が提供するサービスへと置き換えられるという 「市場化&行政化」 によって、 〈生活世界〉 の空洞化=汎 〈システム〉 化がもたらされます。

69頁

「合理化」 を 「計算可能化」 に言い換えているところが

《近代とは何か/近代性とは何か》 という問いにとって

ミソである

計算可能とは 理性的に 判断と推測が可能ということ

それはつまり 神なき個々人の理性中心主義

具体的ソーシャルデザインとしての 《システム》 である

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