理性・システム・近代性
前便 「地に足のついた仕事」 より つづく
====================
- 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)
前便 では ちょっと形式的なところの紹介
になってしまったので、 もうちょっと実質的なところも
紹介していきたいと思います。 ただし
包括的な紹介を目ざすものではありません
あくまでも 僕のセンサーに引っかかったところだけ
部分的な引用紹介です
====================
宮台真司先生 のコトバです
ちなみに、 私の用語系では、 「役割&マニュアル」 優位の領域を 〈システム〉 と呼び、 「善意&自発性」 優位の領域を 〈生活世界〉 と呼びます。 ウェーバーに従えば、 〈生活世界〉 が 〈システム〉 へと置き換わる過程が、 合理化 (計算可能化) 過程として定義される 「近代化」 です。
〈生活世界〉 が磐石で、 〈生活世界〉 を生きる 「我々」 が幸せになるための 〈システム〉 化だと思える段階が、 近代過渡期としてのモダンです。 〈システム〉 化で 〈生活世界〉 が空洞化した結果、 「我々のため」 という正統化メカニズムが機能しなくなる段階が、 近代成熟期としてのポストモダンです。
具体的には、 第三次産業化が進んだ結果、 〈生活世界〉 の内実をなす地域や家族の自立的相互扶助が、 コンビニ・ファミレス的なものや役所が提供するサービスへと置き換えられるという 「市場化&行政化」 によって、 〈生活世界〉 の空洞化=汎 〈システム〉 化がもたらされます。
69頁
「合理化」 を 「計算可能化」 に言い換えているところが
《近代とは何か/近代性とは何か》 という問いにとって
ミソである
計算可能とは 理性的に 判断と推測が可能ということ
それはつまり 神なき個々人の理性中心主義 の
具体的ソーシャルデザインとしての 《システム》 である
« 【国際会議】 インド独立 60年 | トップページ | 感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの (1/2) »
「04D 連載 近代とは何か、近代性とは何か」カテゴリの記事
- 個人主義の理論 -ギデンス、トゥレーヌ、ベック(2016.03.14)
- 歴史的闘争、制度化、具体性(2016.03.11)
- 20世紀における「反近代」の変容(2016.02.24)
- 島薗進 『ポストモダンの新宗教』 (2001)(2016.02.17)
- 世間とは何か(2015.05.07)
この記事へのコメントは終了しました。
« 【国際会議】 インド独立 60年 | トップページ | 感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの (1/2) »
コメント