ITアーキテクトの未来への挑戦
デジタル・ネイティヴ論壇の 情報環境に対する評価が
人間と社会と歴史への規定性の画期性に対する
とってもナイーヴな確信表明が、 いったいどこまで
根拠があるのか ないのか
ホントに そこまで根源的な変化が生じているのか否か
その辺りが 1967年生まれの僕にはピンとこない
ということを
などのエントリで述べました
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この点について 1971年生まれの情報アーキテクトである
神成淳司さん が語るコトバは
僕にはすんなり入ってくるのです
- 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)
ちなみに、 現在、 私自身が念頭に置いているのは、 「コンピュータが、 我々が生活する現実の社会システムの中に、 どこまで浸透し、 あるいは人間と融合していくのか」 というものです。 これは、 「人間がやるべきことや領域とは何であるのか、 それがどのように変化していくのか」 という問いでもあります。
人間自身の変化、 そして現在のノイマン型コンピュータの限界を見極めつつ、 さまざまな現場の知見・経験を踏まえ、 私なりに展望を描き、 さまざまなシステムを設計構築していく。 あるいは、 さまざまな変化を見守っていきたいのです。
さらに言えば、 自分自身が設計構築に関与することでさらに知見・経験を重ね、 より精度の高い三年後、 五年後、 一〇年後の像を築いていく。 その像に基づき、 常に新たなシステムの設計構築を進めていく。 それが、 現時点の私の視座なのだと思います。
20頁
この対談本の最初で強調されるような 「現場感覚」 !
市井のフツーの老若男女と
それにより近いところにあるアーキテクチャの現場――
ここから論を立ち上げていただいているので
僕なんかには 得心がいくんだろうなぁ、 と思います
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