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2010年1月 1日 (金)

父親と母親の両機能

前便 「ソーカル事件のときに」 より つづく

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  • 日本的想像力と成熟 中沢新一インタビュー
    (聞き手・ 東浩紀 + 白井聡)

気になったところを 部分的に書き抜きしています

もうちょっと続けます

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以下引用 (22頁: ルビは省略)

中沢  ヨーロッパ人が成熟という場合、 一つは、 ラカンなどが言うサンボリックな機能の受け入れと深いつながりがあって、 これは幼児期に形成された母体との結合、 あるいはさっきのケチャップの話じゃないですけれども、 粘着的で中間的な接合領域を作っているオブジェa のようなものを切断することが大きい主題になっていると思います。 一神教、 ユダヤ教以来の伝統の中で形成されてきた成熟というのは、 割礼、 去勢とはっきり結びついた成熟です。
  ところがアジア、 とりわけ日本の場合は、 伝統的に母体的なものとの断ち切りとサンボリックなものの受け入れが、 大人になることとは受け入れられてはこなかったし、 そういうふうに理解されてはこなかった。 では、 どうやって大人になっていくかというと、 まず形式だったと思います。 つまり、 外面的に形式を整えていくことによって、 大地とのつながりを維持したまま大人になっていく。 だから、 ヨーロッパ的な成熟は決して普遍的な現象ではなくて、 いろんな成熟の方法が可能だと思います。
  日本のイニシエーションの儀礼を見ると、 これは不思議なことに、 ヨーロッパやイスラム教圏などで行われる割礼を伴う儀式とは違うんです。 どういう儀式が行われるかというと、 象徴的な母胎の中へわざと入っていくんですね。 山の中へ入っていくという儀式が日本のイニシエーションの典型です。 山の中、 母親の体の中へ入っていく。 その中で、 社会的に必要とされるルール、 倫理、 掟というものを身につけて出てくる。 父親と母親の両機能を抱えながら出てくるというのが日本のイニシエーションです。 これは、 昔のユダヤ教の人が見たら、 とてもイニシエーションの体をなしていないように見えると思います。 ところが不思議なことに、 ユダヤ教も一枚岩ではなくて、 奥のほうへ入っていくと、 日本のこういう考え方と非常に深いところでつながるところがあります。

引用おわり

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こう述べるからといって 杓子定規に “本質主義” なんていう

批判を出すのは なんというか… 冴えない…

そこら辺については 次便にて

<つづく>

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