感動を生みだすもの、 あるいはヴァナキュラーなもの/不均質なもの/入れ替え不能なもの/計算不能なもの/コミットに値するもの (1/2)
前便 「理性・システム・近代性」 より つづく
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- 神成淳司 + 宮台真司 『計算不可能性を設計する: ITアーキテクトの未来への挑戦』 (ウェイツ, 2007年4月)
表題にある 「計算不可能性」 を、 お二人の対談者
神成淳司さん と 宮台真司さん は
欠くべからざるもの、 《近代化》 のなかで
しばしば容易に忘れられてしまいそうになるもの
だとして、 最上級の注意を そこにはらいます
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神成さんは それだけが 「感動」 を生むんだよ
「感動」 がなければ 何にもならんのだ、 と強調します
氏は 教育者としての自らの使命を アツく語ります
いまの情報系の基礎教育はプログラミングに重きを置いている。 確かに、 自分自身がプログラミングする能力がなければ何も始めることができません。 ですが、 それを教育として提供する必要があるでしょうか。 プログラミング教育は、 教育として提供するのではなく、 その人自身が学ぶ機会や教材を増やすことで対応すればよい。
直接的なコミュニケーションは、 感動を生みだす重要な要素です。 授業は学生が感動を覚える貴重な機会なのです。 その貴重な機会を、 自習できる内容で浪費することはないわけです。 このような感動を与える機会の浪費が、 いまの日本においてアーキテクトが育たない背景にあるのではないでしょうか。
239頁
宮台さんは 神成さんに全面賛同します
ただし、 コトバ遣いは もっと多様です
私の十八番のキーワードで言うと、 入れ替え可/入れ替え不能の差異が大切です。 学習にも、 取り返せるものと取り返せないものがあります。 取り返せないものが学習課題で高い優先順位になるべきでしょう。 アーキテクトにとって最大重要なのは、 アウトソーシング可能な知識よりも、 内的資質に決まっているからです。
240頁
宮台 ● クライアントが何を言おうが、 市場の現行ニーズがどうあろうが、 マイクロソフトでは 「これこそがあるべき人間生活である」 みたいに、 「ここではないどこか」 を思い込む力があるということですね。 日本では感動を差し置き、 テクニカルなことしか教えないから、 「ここではないどこか」 を思い込む力が消えた、 と。
神成 ● そうですね。 そのように 「思い込む力」 を持ち、 持つことが肯定される場所が日本には存在していないのかもしれない。 「ここではないどこか」 とは、 既存の枠にとらわれずに、 いつでも感動を発見できる、 その豊かさがあるということでしょう。
248頁
そして、 宮台流概念が ズラズラズラッと並べられる
258頁以下の箇所。 決定版といってよいでしょう
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しかし、 もうすっかり長いエントリになりました
次便につづくです
<つづく>
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