アーキテクチャの生態系
ネットのことを勉強しようと思って
1年半ほど前から 何冊かをまとめ買いしてあった
その中の一冊
- 濱野智史 『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』 (NTT出版, 2008年10月)
積ん読状態だったのを、 何きっかけだったかは忘れたが
とにかく 読みはじめた
まず驚いたのは、 28歳という若さで この文章力!
自分が同い年だった頃を思い返せば、 恥ずかしいばかり
こういうのを書いちゃうんだから、 そこはもぉ素直に
脱帽です。 できそうで これはできないもんです
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内容としては 順当な分析とまとめが多い、 との印象
僕個人は P2Pについてほとんど知らないので
- 第5章 ウェブの 「外側」 はいかに設計されてきたか? (161-93頁)
が とくに面白かった。 勉強になった
本論では さまざまなウェブサービスが分析されていく
その手際は とても小気味よい
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しかし、 結論部がどうもいただけなかった
- 第8章 日本に自生するアーキテクチャをどう捉えるか? (305-37頁)
物足りなさばかりが残った
「アーキテクチャ」 という切り口が生きているとは思えないし
筆者も言うように 「日本」 という視座も不明瞭なままだ
レッシグやハイエクを あらためて並べられても
それが議論を豊かにしているとは思えない
そして何より 人間の社会と歴史にとって ネット環境が
一体 どういう重要性をもつのか よくわからない
この手の本を読んでいて いつもそこがわからない
メディア論との差異があるのかないのか わからない
子どもを産み育てて 生活費と教育費と税金のため
ケータイもやるだろうし ネットもやるだろう 一般人が
コツコツ一生懸命働く そういう僕らの毎日の現実にとって
ネット環境が どういう重大な変化をもたらしているのか
それともいないのか それがわからない
市井の人びとにとって ネットとはまずもって
エロの供給元とお買い物の窓口 でしかないはずだから
そこから説き起こしていただかないと、 少なくとも
ケータイ論と同程度のフツー性を目ざしていただかないと
マルクスだレッシグだハイエクだと言われても
どうも レベルがずれているようにしか思えない
筆者も含めた 「ネットオタク」 (339頁) の 「リアル」 とは
人間・社会・歴史にとって 一体 どんだけ重要なのか
時代の先駆けになっているのかいないのか
それを判断する材料すらなくて、 とにかくわからない…
等など とにかく最終章は 残念な印象が 僕には強い
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ともあれ 東浩紀スクールものとは知らずに買った本書
情報環境論そのものというのではなく、 むしろ
ネットをめぐる 『思想地図』 的な あの独特な議論の
初心者の僕には とてもタメになる本でした
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【メモ】
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