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2010年2月14日 (日)

クリスマスの約束 2009 (その4)

前便 「クリスマスの約束 2009 (その3)」 より つづく

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言葉にできないこと、 言葉にしてはいけないこと――

《宗教》 の世界では よくそういうことが言われるけれど

《世俗》 の世界でも 実はそれは とてもたくさんある

たとえば 芸術体験 (文学、 音楽など) がその代表格だ

現代日本の最近の実例として

「クリスマスの約束 2009」

があったのだ!

と、 前便 まで このようなことを述べてきました

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本便は そのフォローアップです

ネット上で公開された 番組の感想のなかから

《言外のものに触れた体験》 あるいは

《言葉にしようとしてもしきれない体験》 を指し示そうとする

そんなコトバを ごく恣意的に選んでみました

各人の日常言語でとらえきれないもの――

詩的言語によってしか 満足な表現を与えられないもの――

もしかしたら 《世俗》 の圏域を突破してしまったもの――

これは 現代日本語で どのように表しうるのでしょうか

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多くの感想が用いるコトバは 「感動」 「すごい」 などです

これは内面の率直な表現でありますが

もう少しよく工夫された表現によって

自分の 《クリ約 09 体験》 を 指示しようとなさっている

そんな方がたがいらっしゃいます

まずは 強度をもった表現をもちいる場合をみてみましょう

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『橋本リウ詩集』 における

全身の毛が総立ちするような感動

人を突き動かす力

強烈な感動

などの表現は 日常語としてはかなり強いものです

「圧倒的」 という表現がまさにそうであるように

大きすぎる 「感動」 は 「力」 として感得されます

上で 「人を突き動かす力」 と言われているのがそうですし

あずきさんの 『あずき日記。』 における

圧倒的なパワー

という表現もまた 《力》 の体験を指示します

「最高」 「サイコー」 などもよく用いられている表現ですが

Kersee さんの 『Japanese Music ~現在・そして未来へ~』 における

「最高」 という言葉しか出てこないですね。

という句は その言葉の不自由さに対する自覚が

率直表明されています

どうしてもコトバにすることができないという感覚の表現としては

おおはらさんの 『管理人は私劇団あとの祭り 管理人のメモ』 での

なんかうまくいえないけど、よかった

大崎裕史さんの 『自称「日本一ラーメンを食べた男」の日記』 での

見ることができなかった人に、何故泣いたか?
を伝えるのは相当難しいので諦めます。(^^;

などが、 とても率直に ご自身の感覚を語っておられます

YOMIURI ONLINE の 『発言小町』 における 次のやり取り

まさに 安易な言語化を拒否せざるをえない

という感覚の表現です

ひよこさん(トピ主)
25日に放映された「クリスマスの約束2009」素晴らしかったです。
私、語彙が少ないのでうまく言い表せないのが残念です。
ご覧になられた方、よろしかったらレスをいただけませんか?
この気持ちを沢山の方と共有してみたいです。

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ピカリさん
私も語彙があまりないので、上手く感動を伝えられないのですが

==========

にわか野球好きさん
私もトピ主さんと同様、感動をうまく言葉では表せません。でも、とにかく、よかったです。体の中心部分に共鳴する感動とでもいうのでしょうか。

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まだまだご紹介したいコトバはたくさんあります

次便につづきます

<つづく>

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コメント

こちらには、初めてお邪魔いたします。
拙文をおほめいただき、恐縮の至りでございます。
トラックバックについては、何度か試みておりますが、
どうにもアナログ人間なもので、なかなかうまく執り行うことができません。
少々忸怩たる思いでおります…。
近藤様のブログ、宗教学などを題材にしていらっしゃるご様子ですね。
もしよろしければ、拙ブログにも私の宗教観を書いておりますので、
無理にとは申しませんが、もし極度におヒマなら(笑)読んでいただけたら幸いです。
ちょっとジョン・レノンの口を借りた、ややこしいことをしておりますが。
リンクの方法が分からないヘタレでございますので(笑)、このキーワードで検索していただければ。
→「橋本リウ詩集」「long lost JOHN LENNON interview」
無駄に長い文ですが(笑)、一部に宗教と戦争の関係について、拙い見解を書いております。

リウさん>

コメント ありがとうございます
わざわざこちらにまで訪れていただき、あまつさえ
コメントまで残していただけるというのは、ブロガー冥利につきますです

「クリスマスの約束 2009」 は 僕に大変大きな感動を与えてくれました
そして、宗教学者として ちょうど考えていたことに ビタッと合致しました
それで、こうしたブログ記事をあげているわけです

また新しい記事も あげてまりまいります
再訪していただければ うれしいです (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

=====

レノンの記事 拝読いたしました

ホントに長い文章ですね

また感想など あらためて書かせていただきます
ちょっとここ数日忙殺されておりまして…
とりあえずのご挨拶だけで ご勘弁くださいませ m(. ̄  ̄.)mス・スイマセーン

クリスマスの約束
こんな分析してたんですね。
さすが。

去年のは、まぁ、思わず涙がでるほどすごかったですね。

ところで、誕生日おめでとうございます。
来年は、一度くらい会いましょうか。

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