« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月の記事

2010年2月28日 (日)

《近代》 をこそ まずは徹底的に考察することの必要

前便 「鈴木謙介による 「近代(性)」 定義」 より つづく

====================

前便 にて

  • 芹沢一也・荻上チキ (編) + 飯田泰之・鈴木謙介・橋本努・本田由紀・吉田徹 (著) 『日本を変える 「知」: 「21世紀の教養」 を身に付ける』 (光文社, 2009年5月)

所収の

  • 鈴木謙介 「日本ならではの 「再帰的不安」 を乗り越えて」 (225-80頁)

より 氏の 近代 (性) 定義を長めに引用しました

それへのコメントをば ちょっとしておきたいと思います

====================

鈴木謙介さんの近代 (性) 定義に

僕は どうもすなおに うなずけません

間違っている、 ということではないのですが

あまりに 簡略化されすぎ、 否さ より精確にいえば

《表面的すぎ》 だと思うのです

簡素化というのなら かまわないのです

なぜなら、 鈴木さんがこの論考で主題化しているのは

「後期近代」 (レイトモダニティ) と 「脱近代」 (ポストモダン)の二つ

付言すれば、 「脱近代論」 と区別されたものとしての

「脱産業 (脱工業) 社会論」 (244頁)も含めて三つ

の概念だ、 といえるからです

前便 での引用からもわかるように、 鈴木さんの「近代」 定義は

あくまでも そうした2ないし3の概念をめぐる

主題的議論の導入にすぎません。 だから

《近代 (性)》 定義は簡単にすませざるをえない――

ふむふむ なるほど…

そこだけを見れば まさにその通りでしょう

しかし! 本当にそうなのか…? と 僕は思うわけです

《近代 (性)》 理解/定義が 表面的なままで はたして

「後期近代」 や 「脱近代」 が ちゃんと語れるのでしょうか

だって 《近代》 あっての 「後期」 だし 「脱」 でしょう…?!

その後の議論のためにこそ、 《近代》 について

徹底的に考察しておくことが肝要なのではないでしょうか

それを あまりにも表面的なレベルで済ましてしまうのは

議論のデザインとして 明確な破綻なのではないでしょうか

====================

この点についての実際の判断は

全文を読んでみてから しなくてはいけません

やっぱり 《近代》 論は あの程度でよかった のか――

やっぱり 《近代》 論の不十分さが 議論を空回りさせている のか――

ちなみに 僕の判断は後者でした

どこが悪い、 間違ってるというんじゃないんですが

各所各所でネジが 少しずつ弛んでいて

全体として ガタガタ ユルユルしてしまっているなぁ、 と

皆さんがどう判断なさるのか、 お聞きしたいなぁ と思ったりします

2010年2月27日 (土)

鈴木謙介による 「近代(性)」 定義

  • 芹沢一也・荻上チキ (編) + 飯田泰之・鈴木謙介・橋本努・本田由紀・吉田徹 (著) 『日本を変える 「知」: 「21世紀の教養」 を身に付ける』 (光文社, 2009年5月)

所収の

  • 鈴木謙介 「日本ならではの 「再帰的不安」 を乗り越えて」 (225-80頁)

より

====================

以下引用

 さて 「後期近代」 って、 最近の社会学者がよく使う用語なんですが、 その前に、 そもそも 「近代」 って概念も、 その定義があいまいなところがあります。

 時代概念としての近代は、 1648年のウェストファリア条約あたりをメルクマール (起点) にしますが、 実は社会学では 「近代」 をそうした 「何年から何年までが近代」 という時代概念として捉えていません。 「近代性 (モダニティ)」 というモデル概念だと考えるんですね。 というのも、 近代化は世界で同時に起きた現象ではないからです。 「あるモデルが当てはまる社会のことを 『近代社会』 と呼びましょう」 というお約束ごととして考える。

 そのモデルとは何か。 一般的にいうとまず、 個人の自意識の存在、 つまり自立した個人を前提にするということです。 これは基本的人権の基礎となる発想です。 次に民主主義の理念と制度が定着していること、 それから高度な資本主義の存在。 大体この三つが出そろった社会のことを 「近代」 と呼ぶわけです。

 もちろん個別には、 「高度な資本主義」 ってどのくらい高度なんだとか、 そういう問題は存在するんですが、 そのくらいあいまいな定義だからこそ、 「近代」 は汎用的な基準になり得ていたとも言えるわけです。

引用おわり

====================

この 「近代 (性)」 定義については

ちょっとばかし 言いたいことがある

しかし、 もうすっかり長くなったので 次便にて

<つづく>

ラブソング@サンボマスター

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

名曲だなぁ・・・ たまらんわけです

2010年2月26日 (金)

魔術・消費・陶酔・アート

小池靖さん のブログ記事

はとってもありがたいものだった

====================

最近ずっと考えていて

来年の前期の授業で取り上げることにもした

《芸術と宗教》 というテーマについて

非常に有益なサイトへと導いていただけました

まずは

渡邊拓哉さん の論文

そして

raralaさん のブログ 「☆ The Reflective ☆ ☆ Practitioner ☆」 の記事

raralaさんの記事からは

中島智さん の論文

====================

《現代日本における宗教と芸術》 ――

徒手空拳という感じだったが やっと手がかりを得たかもしれない

インド出張

<予告>

私コンドウ インドへ出張することになりました

3月16日 成田発  同29日 成田着

Kutub_minarこの間も 毎日 記事をあげていきます

最近の現地のネット事情が よくわからないので

現地からのエントリは もぉできないものとして

出国前に書きためていこうと思っております

変わらぬご愛顧 よろしくお願いいたします

2010年2月25日 (木)

アフガニスタン・パキスタン関連年表 79**-0908

前便 「「アフパク」 (AFPAK) という不幸な言葉」 で紹介した

  • イミダス編集部 (編) 『imidas SPECIAL 日本の針路 世界の行方』 (集英社, 2009年11月)

その中にある記事

  • 友田錫 (ともだ せき) 「南アジアの火薬庫 「アフパク」」 (84-85頁)

に含まれる

アフガニスタン・パキスタン関連年表

は とても便利だったので 補充拡大してみた

====================

1979年
 ソ連、アフガン侵攻を開始

1989年
 ソ連軍撤退完了。 内戦勃発

1994年
 タリバン急成長

1996年
  ビン=ラディン、アフガン入国

1998年
 タリバン、 アフガン全土をほぼ掌握。 政権成立宣言

1999年
 10月 パキスタンで、ムシャラフ率いる軍事クーデター

2001年
 3月 タリバン、 バーミヤン石仏を爆破
 9月 アメリカ同時多発テロ
 10月 米英軍がアフガニスタン空爆
 12月 アフガンのタリバン政権崩壊

2004年
 1月 アフガンで新憲法採択
 2月 パキスタン軍がアフガン国境に近い北西部で
    タリバン相当作戦開始
 10月 アフガン初の大統領選挙

2005年
 10月 パキスタン北部大地震で死者推定10万人

2007年
 7月 パキスタンの首都イスラマバードのモスク
    (ラル・マスジード) でイスラム新学校生と
    治安部隊との間で銃撃戦、 死者100人余
 10月 パキスタンのブット元首相を狙った爆弾テロ
     139人が死亡
 12月 選挙集会でブット元首相暗殺

2008年
 8月 パキスタンのムシャラフ大統領が辞任
    ブット元首相のアシフ・ザルダリが新大統領就任
 9月 パキスタンのイスラマバード中心部の米系高級
    ホテルで自爆テロ。 外交官など死者53人、
    負傷者266人で同国史上最悪のケース

2009年
 3月 オバマ大統領がアフガン新戦略を発表
 7月 アフガンで米軍が大規模相当作戦開始
 8月 アフガン大統領選挙をタリバンがb砲台。 投票日
    には全土で135件の襲撃、 市民ら26人が死亡

記録は…28日でした (競技アナウンスっぽく)

20日、21日のアクセスログが 先ほど復旧した

蓋を開けてみれば 21日 (日)、 ユニークアクセスが98

それはホントにありがたいことなのだけど、 実は ひそかに

アクセス1日100超の連続記録を楽しみにしていたのでした

記録は… 28日でした

【書評会】 マルセル・ゴーシェ 『民主主義と宗教』

こちらのエントリで紹介したとおり

  • マルセル・ゴーシェ 『民主主義と宗教』 (伊達聖伸+藤田尚志訳, トランスビュー, 2010年2月)

合評会 が 明日です

公式の案内がありましたので 下に切り貼りしておきます

====================

合評会のお知らせ

南山宗教文化研究所所長 ポール・スワンソン

 このたび、南山宗教文化研究所叢書として、以下の書籍が刊行される運びとなりました。

マルセル・ゴーシェ 『民主主義と宗教』
伊達聖伸・藤田尚志訳、トランスビュー、2010 年

(原著:Marcel Gauchet, La religion dans la démocratie, Gallimard, 1998)

 これに併せまして、以下の日程で合評会を開催いたします。 ふるってご参加くださいま
すよう、 よろしくお願い申し上げます。

 日時  2010 年2 月26 日(金) 17:00~19:00
 場所  南山宗教文化研究所 1 階会議室
      466-8673 名古屋市昭和区山里町 18 南山大学 名古屋キャンパス内
 電話  052-832-3111(代表)

 評者   南山宗教文化研究所研究員    粟津賢太
       南山大学外国語学部フランス学科教授    丸岡高弘

 リプライ  東北福祉大学総合福祉学部専任講師    伊達聖伸
       九州産業大学国際文化学部専任講師    藤田尚志

----------
マルセル・ゴーシェ(Marcel Gauchet)
1946 年生まれのフランスの哲学者。 社会科学高等研究院(EHESS)教授で、 レイモン・アロン政治研究センターに所属。 『記憶の場』 の編者ピエール・ノラとともに 『デバ』 誌を創刊、 主筆を務める。 著作は 『世界の脱魔術化』(1985 年)、 『代表制の政治哲学』(原著1995 年、富永茂樹他訳、みすず書房、2000 年) ほか多数。

※ 参加費は無料です。準備の都合上、ご参加の場合は当研究所までお知らせいただけましたら幸いです。

e-mail : nircic.nanzan-u.ac.jp [●を@に]
phone : 052-832-3111 (内線3452) fax : 052-833-6157

====================

2010年2月24日 (水)

交響するコミューン・の・自由な連合

前便 「われわれにとって好ましいものである限りのコミューン」 より つづく

====================

見田/真木先生のコミューン論――

前便 で引用した文章に 直接つづく部分です

引用をつづけさせていただきます

以下引用

 いっそう具体的な仕方で展開しておくならば、 それは個々人が、 自在に選択し、 脱退し、 移行し、 創出するコミューンたちである。 このようにユートピアたちを選択し、 脱退し、 移行し、 創出することの自由は、 再び外域の市民社会の、 ――正確にいえば、 ユートピアたち相互の間の関係の協定 agreement としての―― ルールのシステムによってはじめて現実に保証されることができる。

 市民社会のルールの海の中で、 コミューンは自由なものでありうる。 実質の価値という方向からいいかえるなら、 〈関係のユートピア〉 たちの自由を保証する方法としてのみ、 〈市民社会〉 のミニマルなルールのシステムは、 構築されるべきものである。

 だからわれわれの社会の構想の一般的な形式の表現としての、 〈関係のユートピア・間・関係のルール〉 ということは、 二重の仕方で徹底された自由な社会〉 の構想としての、 積極的な実質のイメージをこれに代入して定式化しておくなら、

 〈交響するコミューン・の・自由な連合〉 Liberal Association of Symphonic Communes

として表現しておくことができる。

引用おわり: 182-83頁: 傍点は太字で示した

  • 見田宗介 『社会学入門: 人間と社会の未来』 (岩波新書, 岩波書店, 2006年4月)

このようなコミューン論に 異論はない

ここで あえて問題にしておきたいのは

前便 で書いておいたように

〈交響するコミューン・の・自由な連合〉 Liberal Association of Symphonic Communes

という構想が 見田先生ご自身の実践における

建設的、 破壊的な諸結果を どのように総括

しているのか、 していないのか―― ということである

2010年2月23日 (火)

「アフパク」 (AFPAK) という不幸な言葉

 アメリカでは2009年に入ってから、 国際情勢を熱く語るときにアフガニスタンとパキスタンを一くくりにした 「アフパク」 (AfPak) という造語がひんぱんに使われるようになった。 イスラム過激派タリバンの反政府活動が激化するアフガニスタンと、 政治の不安定と治安の悪化に揺れる隣国パキスタンの情勢が、 実は表裏一体の関係におるという認識が強まったからだ。

下記84頁: 太字ママ

====================

こちらのエントリ で紹介した

  • イミダス編集部 (編) 『imidas SPECIAL 日本の針路 世界の行方』 (集英社, 2009年11月)

その中にある記事

  • 友田錫 (ともだ せき) 「南アジアの火薬庫 「アフパク」」 (84-85頁)

より引用

====================

本当にいろいろなことが アフパクでは起きています

間違いなく これから10年、 15年の世界情勢の

きわめて重要な核のひとつとなると思われます

日本の方々には馴染み薄の地域/国ではありますが

こうした記事を手掛かりに

少しでも 知識と関心を育てていっていただけたらな

と、 心より 願っています

【研究会】 「カルト」 をどう教えるか

今週末 下記研究会で 発表させていただきます

2月28日 (日) 13時~

國學院大學 (渋谷) にて

《カルト》 についての授業を 実際にどのようにやっているか――

いくつかの実例を出して 参加者の皆さんにご批判ご検討いただく

そんな集まりです

宗教と宗教学の授業を ちゃんとやろうぜ! と

そういう主旨です

ご覧のとおり 錚々たるメンツです (僕は別にして です)

ご関心のある方は ぜひご参加くださいませ m(_ _)m

====================

http://www2.kokugakuin.ac.jp/shukyobunka/oshirase/20100228.html

以下引用

第2回 宗教文化の授業研究会

【日時】 2月28日 (日) 13時~
【場所】 國學院大學 学術メディアセンター 5階 会議室06

【討議内容】
カルトの教え方 (仮)

【発表者】
櫻井義秀 (北海道大学)
弓山達也 (大正大学)
近藤光博 (日本女子大学)

* 宗教に関連する授業の授業法に関心のある方のご参加をお待ちしております。
* 参加をご希望の方は、お名前、所属を明記の上、下記までお申し込み下さい。
  連絡先:平藤喜久子khirafujikokugakuin.ac.jp [●を@に]

研究会の趣旨 ――

 近年大学における授業の質の向上は、 喫緊の課題として各大学で取り組みが進められている。 しかしマルチメディア教材やインターネットの利用方法、 メディアリテラシーの向上といった他の授業科目とも共通する課題のほかに、 学問領域ごとに固有の課題もあるだろう。 宗教文化の授業についていえば、 宗教教団の実地踏査の方法や、 調査方法、 教室で 「信仰」 を扱うことから起こる問題などが挙げられるだろう。 こうした問題への対応は、 これまで基本的には教員個人の能力、 資質に委ねられてきた。
 今後 「宗教文化士」 資格の導入も視野に入れて考えると、 個人の資質に頼るのではなく大学における宗教文化関連授業全体の質を上げていく取り組みが必要になるだろう。 とくに経験の浅い若手教員にとっては、 直面する問題の解決や情報交換のための場が必要であると考える。
 そこで、 科学研究費補助金基盤研究 (A) 「大学における宗教文化教育の実質化を図るシステム構築」 (研究代表:星野英紀) プロジェクトの教材開発の一環として、 「宗教文化の授業研究会」 を立ち上げ、 具体的な授業実践の報告や、 情報を持ち寄り、 分析、 研究を進める。 そしてその成果を広く公開し、 大学における宗教文化関連授業の充実に資することとしたい。

〔事務局連絡先〕
〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28
國學院大學研究開発推進機構日本文化研究所
平藤喜久子

引用おわり

====================

2010年2月22日 (月)

われわれにとって好ましいものである限りのコミューン

前便 「見田宗介のコミューン経験」 より つづく

=====================

見田宗介/真木悠介先生 のコミューン運動の主導・関与について

まずは批判的に検討しておきたい――

ということで いくつかのエントリを重ねるつもりです

=====================

見田/真木先生は 2006年4月刊行の新書のなかで

「コミューンという経験」 の批判的継承を説く

そこには ご自身の コミューン運動の参与と主導の経験

への批判が含まれているのだろうが

それがそれとして 明示的に総括されるわけではない

“推して知るべし” ということなのだろう

こうした態度には 賛否両論があるはずだ

不徹底で不誠実ととるか、 必要十分ととるか…

====================

以下に 前掲書から引用いたします

とても長い引用になります

長い引用は 僕の本意ではないのですが…

そもそもこの本が 各種論点をかなり凝縮させ

選別され洗練されつくした特殊概念で埋め尽くされています

そのため、 細切れの引用を なかなか許してくれません

ご理解のうえ どうぞお付き合いくださいませ

以下引用

 これに対して、 われわれの社会構想の構成の二重性の内、 せっきょ気宇的な実質のユニットを構成している、 〈交歓する他者〉 たちの関係のユートピアというコンセプトは、 社会の理念史の内で知られているコンセプトとの対応でいえば、 「コミューン」 という経験のエッセンスを確保しながら、 個の自由という原理を明確に優先するということを基軸に、 批判的な転回を行なおうとするコンセプトである。

 この批判的な転回は、 核となる論点なのであえてくりかえして展開すれば、 社会のこれまでの理念史の内の 「コミューン」 という名称のほとんどが強調してきた、 「連帯」 や 「結合」 や 「友愛」 ということよりも以前に、 個々人の 「自由を優先する第一義として前提し、 この上に立つ交歓だけを望ましいものとして追求するということである。 このことの系として、 それは個人たちの同質性でなく、 反対に個人たちの異質性をこそ、 積極的に享受するものである。 サルトルが、 他の点では学ぶべきことの多いその社会理論の力業 (『弁証法的理性批判』) において提示した、 「溶融集団」 ――そこでは他者の他者性は溶融するという―― とは反対に、 他者の他者性こそが相互に享受される関係の圏域である。 われわれにとって好ましいものである限りの 〈コミューン〉 は、 異質な諸個人が自由に交響するその限りにおいて、 事実的に存立する関係の呼応空間である。

 このように、 われわれの社会構想の積極的な実質のユニットをなす 〈関係のユートピア〉 たちが、 コミューンという経験のエッセンスをその生命として擁護するものでありながら、 個々人の自由を優先する第一義として前提すること、 個々人の異質性をこそ希求し享受するものであることを表現するために、 これを 〈交響圏〉、 あるいは 〈交響するコミューン〉 と名づけておくことが出来る。 〈交響するコミューン〉 というコンセプトには、 〈溶融するコミューン〉 その他、 同質化し 「一体化」 する共同体の理想に対する、 批判の意思がこめられている。

引用おわり: 180-82頁: 傍点は太字で示した

  • 見田宗介 『社会学入門: 人間と社会の未来』 (岩波新書, 岩波書店, 2006年4月)

さらにもう4段落 引用しておきたいところですが

すっかり長くなりました

次便にて

=====================

なお、 ガンディー研究者でもある僕から付言しておくなら

ガンディーもまた コミューン運動を積極的に展開した

1869年生まれ、 1948年没のガンディー

彼は 19世紀末の南アフリカでコミューン運動をはじめた

<論点1>

《教祖》 という類型は 自らを中心とするあらたな集団の形成

それへの関心と、 その能力が必須である

<論点2>

20世紀後半の欧米(とくに米)を震源とするコミューン運動は

それ以前50年以上もつづいていた 長い文化批判運動の

パッと燃えて尽きた残り火である

====================

<つづく>

2010年2月21日 (日)

宋学の西遷

<買う本>

朝日新聞の書評 (2010年2月21日付) で知った

(評者は 苅部直先生

面白そうなので、 ぜひ読みたい

ただ 高い! ¥ 8,190!

  • 井川義次 『宋学の西遷: 近代啓蒙への道』 (人文書院, 2009年12月, ¥ 8,190)

人文書院のサイト より

内容紹介

ヨーロッパ近代啓蒙思想に刻印された宋明理学

16世紀から18世紀にかけてのイエズス会士による中国思想情報は、 近代ヨーロッパ理性の形成においてきわめて大きな役割をはたしていた。 本書では、 ルイ14世の後押しをうけた宣教師クプレ、 人文主義者ノエルによる儒教文献のラテン語訳を、 中国語原典と丹念に照らし合わせて実証する。 実は、 宋明の儒教のうちには、 神の 「要請」 なしに理性の自律的な純粋作用が存立しうること、 当時ドイツ啓蒙のリーダーであったヴォルフの理想に照応しうる理念が、 先在・潜在していた。 さらに彼はフリードリッヒ大王から敬意をうけ、 ライプニッツとカントをつなぐ人物でもあった。 中国思想に影響をうけたヴォルフの哲学は、 啓蒙理性の時代の知識人に広く感染流行し、 近代啓蒙のプロトタイプとなる。 儒教思想のヨーロッパ受容を、 厳密なテクストクリティークによって検証する労作。

引用おわり

苅部先生の書評には 次のような解説がある

以下引用

 たとえば、 明治日本の知識人が西欧の近代思想に魅せられたのも、 一面では、 それがすでに儒学と似ていたからでもあった。 「和魂洋才」 とか 「脱亜入欧」 とかいった文句でわりきれる営みではなかったのである。

 こうした思想の東西交渉史については、 すでに戦前から研究の蓄積があるが、 ラテン語と古典中国語の双方をここまで駆使し、 哲学理論の細部にふみこんだ仕事は珍しい。 引用史料にはていねいな翻訳と解説が施されているので、 一般の読者にも近づきやすいだろう。 […]

引用おわり

【100223 追記】 こちらの書評、 ネット上で読めるようになりました

この解説を読んでいたら

金光大神のあの合理性はどこから…

と かつて 島薗進師匠 に質問したら

石門心学とかあるからね

と “そんなの当然、 コンドー君 知らないの” ばりの

ご教授をいただいたのを思い出した

いやはや… お恥ずかしい思い出です

====================

最後に 人文書院のサイト より

目次

続きを読む "宋学の西遷" »

2010年2月20日 (土)

見田宗介のコミューン経験

前便 「連載 見田宗介/真木悠介論 序」 より つづく

====================

前便 の最後に

見田宗介/真木悠介を引き継ぐ 宗教学とは

と書いた が…

<連載 中沢新一論> をはじめたときと同様

次の連続投稿をご参照ください

  1. 連載 中沢新一論 序
  2. 思想の罪、思想家の責任
  3. 暴力への異様な嫌悪

見田/真木先生について宗教学の立場から評価するにあたり

まずは 批判的なコメントをしておかなくてはならない

僕がここで確認しておきたい批判は

学説のレベルではなく (それはそれで今後書くこともあろう)

氏の著述作業外実践のレベルにある

見田/真木先生が、 思索と著述の実践を

対人関係の具体的な構築場面へ直結させてきたこと――

しかもそれが 「コミューン」 という内容と形態をもった

実際の生活共同体であるということ――

つまり見田先生が 自他共に認める 「学者グル」 であること――

ポスト・オウムの宗教学は、 この点に

きわめて強く敏感にならざるをえない

僕は 見田先生の学説から受ける刺激を

十全に展開しておきたいと思うのだが、 その学説自体が

コミューン運動の実践のなかにあるという点を

ちゃんと見極めておきたいと思うのである

<つづく>

2010年2月19日 (金)

ムンバイのヒンドゥー至上主義

エイガ・ドット・コム に 2010年2月15日付けで

インド映画界のスーパースターにヒンズー過激派が猛反発 映画館が厳戒態勢に

という記事がありました

下に切り貼りさせていただきます

(1)

こういう問題は インドでよくあります

ムンバイ (旧名ボンベイ) は その代表的震源地です

この大都市での この手の問題で

「ヒンドゥー」 の代表を標榜して

こういう荒っぽいアジを行うのは

大体決まって 「シヴ・セーナー」 という政党です

エイガ・ドット・コム の記事では 「シブ・セナ」 と書かれています)

全国レベルで見れば 小さな地域政党にすぎませんが

インド随一の商都ムンバイで大変 力が強いのと

インド人民党 (BJP) と強いパイプをもつため

大きなプレゼンスをもっています

この記事を機に 「シヴ・セーナー」(SS) という政党名

覚えていただくといいんじゃないかな、 と思います

(2)

SSは 今回のようなアジを得意としています

ムンバイのある大きな部分の人口がもつ不満や不安を

ただ一つのスケープゴートを選び出すとともに

民族的、 宗教的な語彙と物語に仕立てあげるのが

とても巧い!

今回は シャー・ルーク・カーンというスーパースターを

エイガ・ドット・コム の記事では 「シャー・ルク・カーン」 と書かれています)

生け贄に選んだわけですが、 記事によれば どうも

部分的な成功しかおさめなかったようです

どういう事情があったのか、 ちょっと分かりかねますが

第一に、 SSの戦術が 大衆扇動効力を失っている

第二に、 カーンの人気が やっぱりすごい

こういった仮説を立てることができます

====================

http://eiga.com/buzz/20100215/3/

インド映画界のスーパースターにヒンズー過激派が猛反発 映画館が厳戒態勢に
2010年2月15日 12:00

続きを読む "ムンバイのヒンドゥー至上主義" »

連載 見田宗介/真木悠介論 序

前便 で 思わず書いてしまったので

連載 見田宗介/真木悠介論

やってみることにしました

連載 中沢新一論

のときとは違って 僕はまだまだ まだまだ

見田宗介/真木悠介先生 のことについて

語るべきことの 具体的なイメージをもっていません

見切り発車ではありますが、 決定的に重要な

ここ数年でさらにその重要性が増すような

そんなお仕事をなさっている――

このことだけは はっきり分かっております

スローガンは

見田宗介/真木悠介先生を引き継ぐ 宗教学とは

です

====================

とりあえず 見田 (真木) 先生について触れた

これまでのエントリを カテゴリー化してみました

ボチボチ記事を 増やしていきたいと思います

どうぞ お付き合いくださいませ (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

2010年2月18日 (木)

歓びと感動に充ちた生のあり方、 関係のあり方

こちらのエントリ で紹介した

  • イミダス編集部 (編) 『imidas SPECIAL 日本の針路 世界の行方』 (集英社, 2009年11月)

このムック全体を通じて 《宗教》 という視角が あまりに貧困だ

貧困なのは、 まぁ 仕方ないとして、 宗教学者は

それをそのままにしておいていいんだろうか――

と書いた

yokosawa さんが これに反応してくださり

非常に的確なコメントを入れてくださった

それへのお返事を兼ねて 本便を書きます

====================

 社会の理想的なあり方を構想する仕方には、 原的に異なった二つの発想の様式がある。

 一方は、 歓びと感動に充ちた生のあり方、 関係のあり方を追求し、 現実の内に実現することをめざすものである。 一方は、 人間が相互に他者として生きるということの現実から来る不幸や抑圧を、 最小のものに止めるルールを明確化してゆこうとするものである。 これは、 社会思想史的にいうなら、 そのどちらでもないようなもの、 プラトンからスターリンに至る、 さまざまなイデオロギーや宗教を前提とした社会の構想史があるが、 現在のわれわれにとって意味のある社会の構想の発想の様式は、 究極、 この二つに集約されるといっていい。

 前者は、 関係の積極的な実質を創出する課題。

 後者は、 関係の消極的な形式を設定する課題。

172-3頁

 〈交響するコミューン〉 は魂のことであり、 ルールは 「シーザー」 のことである。 [すなわち] 交響を強いてはならない他者たちの相互の共存の問題であり、 魂の自由を保障するシステムの構築の問題である。

 だからわれわれはもういちどあの逞しい魂の宣明者の声とはるかに呼応して言わねばならない。 魂のことはわれわれの内なる魂に。 シーザーのことはわれわれの内なるシーザーに。 と。

201頁: 傍点は太字で示した

====================

「連載 中沢新一論」 も ひと段落ついたことだし

ぜひ次にやりたいと思っているのは

「連載 見田宗介/真木悠介論」 なのだ!

【シンポ】 国際化に向き合う神社神道

黒崎さんのつぶやき で知りました

【シンポジウム】 国際化に向き合う神社神道

2002年2月21日 (日) 午後

國學院大学 (渋谷) にて――

以下 公式サイトから 転載です

参加申し込みが必要のようです (末尾 ご参照ください)

====================

http://www.kokugakuin.ac.jp/shinto/shin05_00068.html

シンポジウム 国際化に向き合う神社神道

[2010年2月21日(日) 開催]

Photo

平成21年度 國學院大學「特色ある教育研究」より

「国際化に対応した神道人育成のための基礎的調査と教材開発」
-研究代表者ヘイヴンズ・ノルマン神道文化学部准教授-主催シンポジウム

==========

開催趣旨

 神道文化学部は、 国際化に対応した人材育成を設置理念の一つに掲げ、 「English II(神道英語)」(教養総合科目) や 「神道と国際交流I・II」 といった授業科目を置いています。 また、 宗教文化科目群の学修を通じて国内外のさまざまな宗教文化を理解し、 神道・日本文化の発信能力を高めることを学生に期待しています。
 今回のシンポジウムでは、 国際的な視野や理解をもつことが、 神社神道の 「現場」 でどのように活かされるのか、 学生の時期にどのような能力を磨いておくことが有効なのかということを具体的に明確にするため、 ハワイ、 アメリカ西海岸、 南米の神社および日系人社会について専門的な知見を有する方々をお招きして、 その体験談や所見をうかがいます。 また日本国内の神社での外国人参拝者への対応も視野に入れた議論を行います。
 次のような方々のご参加を歓迎いたします。

  • 国際化に対応した人材育成を具体的なカリキュラムに活かすための実践的な知見を得たい教員
  • 神道の国際化の最前線で活動している神道人のお話を直接聞いて、 学習・研究の参考とし、進 路の展望に活かしたい学生
  • 「神道の未来像」 や 「神道の世界宗教化」 に関心のある神道関係者・研究者

==========

開催日時

平成22年2月21日(日) 13:00-17:30

==========

場所

國學院大學渋谷キャンパス
学術メディアセンター1階 常磐松ホール

==========

発題者・コメンテーター

続きを読む "【シンポ】 国際化に向き合う神社神道" »

2010年2月17日 (水)

日本の針路 世界の行方

  • イミダス編集部 (編) 『imidas SPECIAL 日本の針路 世界の行方』 (集英社, 2009年11月)

思うところあって 軽い気持ちで手にしたら

思いのほか 面白くて びっくりした

この手の本自体 読むのがはじめてだったが

勉強にはもってこい! なんですね

「イミダス編集部」 編――

まさに 《その筋のプロの仕事》 という感じです

帯の一部に

小論文や面接、 就職・資格試験に!

とあるから、 まぁ そういう読者が多いのだろうが

なんのなんの! 勉強になることが多いぞ!

====================

いやぁ それにしても……

まともな宗教論は ここには一切載っていない…

イスラーム関連で紛争や戦争、 テロの話ばかり…

同時代史を語るにおいて 宗教論はまったく不要!

という判断が ここまで明確になされているわけですね

宗教学者の課題は 山積しております!

【セミナー】 中世南インドの宗教運動

Oさんより 南アジア研究系ML 「SAAF」 で届いた

セミナーのお知らせです

もとのメールには 連絡先として

辛島昇先生 のアドレスがありました

ここに載せるのはさすがにアレなので

何か問い合わせたいことがあれば

私コンドウまで お願いいたします

====================

JASASセミナー開催のお知らせ

テーマ: 「中世南インドの宗教運動」
(Medieval Religious Movements in South India)

開催日時: 平成22年2月22日 (月) 14:00~18:00 (予定)
開催場所: 東京外国語大学本郷サテライト5階セミナールーム
  (アクセス: http://www.tufs.ac.jp/info/hongou.html

===========

セミナーの趣旨:

  これまで、 シャンカラ、 ラーマーヌジャ、 マドヴァなどによる宗教思想の教義的展開については知られてきましたが、 主としてバクティ以降の新しい宗教思想が、 社会のなかでどのような運動として現われ展開したのか ――国家権力との関係や支持基盤―― についての研究は手薄でした。
  こうした点を踏まえ、 本セミナーでは研究者三名を海外から招き、 多少とも広い視野から、 中世南インドの宗教運動をめぐる諸問題を検討いたします。
  なお、 本セミナーは科研費基盤研究 (B)「南インドの刻文に見る中世宗教運動の展開」(研究代表者:辛島昇) との共催によるものです。

==========

プログラム:

司会・進行 辛島昇

講演1 M. R. Ragahva Varier
  "Historical Base of Medieval Malayalam Literature."

講演2 Kesavan Veluthat
  "The Political Role of the Temple in Medieval South India."

講演3 Karthigesu Indrapala
  "Bhikshus and Nayanars: Expanding Saiva and Buddhist Movements in Conflict in Medieval Tamil Nadu and Sri Lanka."

質疑応答 ・ 全体討論

==========

海外からのゲスト・スピーカー紹介:

Professor M. R. Raghava Varier
  元カリカット大学教授。 専門は、 インド刻文学 (南インドにおけるブラフミー文字の発展)、 ケーララ史、 マラヤーラム語・文学 (中世文学運動史)。 最近の著作に、 Rediscovery of Ayurveda(Viking, 2002)、 "Image of the Other in the Early Manipravalam Texts." (Indian Literature, 124, Kendra Sahitya Akademi, 2001)、Cultural History of Kerala(with Rajan Gurukkal, Trivandrum, 1999) などがある。

Professor Kesavan Veluthat
  現在、デリー大学歴史学科教授。 専門は、 中世南インド史。 主著に、 The Early Medieval in South India(New Delhi, 2008)、The Political Structure of Early Medieval South India(New Delhi, 1993) などがある。

Dr. Karthigesu Indrapala
  元ジャフナ大学歴史学科教授で、 現在、 オーストラリア在住。 専門は、 南アジア史 (古代・中世)、 南アジア考古学、 タミル刻文学。 主著に、 Early Historic Tamil Nadu: Essays Commemorating Prof. K. Kailasapathy on the 25the Anniversary of his Death(Chennai, 2009, 編著)、The Evolution of an Ethnic Identity: The Tamils in Sri Lanka 300 BCE to 1200 CE(Sydney, 2005)、Epigraphia Tamilica(Jaffna, 1971, 編者) などがある。

====================

2010年2月16日 (火)

民主党による 《公明党/創価学会》 包囲網

伊達聖伸さん のブログで 取り上げられていた

民主党内の 「宗教と民主主義研究会」

伊達さんの記事がとても面白かったので

僕も フォロー記事を書くことにしました

伊達さん> どうもです。 お世話になってます

====================

まずは ネット情報を整理しておくことにします

(1)

民主党内のサイトには 言及がない

記者会見もやったようだが、 プレスリリースもないのか…

(2)

本件は 多くのサイト、 ブログで話題になっているようだが

元ネタの多くは 2009年12月3日付け 産経ニュースの報道 である

MSNサイト上で 産経ニュースをチェックする――

日本のネットニュース・チェックの代表的流儀のひとつであるが

その流儀をとる層にとって この記事は 印象深いものだったようだ

時事ドットコムの報道の時刻は、 産経よりやや遅い

(もちろん それは正確な報道時間ではないだろうが)

NIKKEI NET でも報道があった (日付記載なし)

文面から 産経と時事の記事の後追い という印象をうける

その他、 クリスチャン・トゥデイとか  スポニチとか

他にもまだあるかもしれないが、 ザッと見で この五つだ

(3)

ということで、 影響力の大きさでは産経の記事

産経とほぼ同時刻とされる時事ドットコムの記事

この二つがとくに重要のようだ

下に再録させていただきます

それから NIKKEI NET、 クリスチャン・トゥデイ、 スポニチ

この三つも再録させていただきます

むしろ スポニチに 他にない情報が入っていたりします

====================

以下 各ニュースサイトからの引用

続きを読む "民主党による 《公明党/創価学会》 包囲網" »

9万アクセス

つい先ほど 9万アクセス 確認いたしました

いつも訪れていただき、 本当に本当に 感謝です

前回8万アクセスが 1月11日 でした

 ∴ 36日 : 1万アクセス ≒ 1日 : 278アクセス

====================

ご参考までに 過去4ヶ月で

アクセス数 日平均 241

訪問者数 日平均 111

です

1月と2月が 安定的に たくさんのアクセスをいただきました

「国の事業仕分け」 「クリスマスの約束」 などのサーチ

とくに後者のサーチが この二ヶ月の訪問者高止まりの要因です

本当に ありがたいことです

====================

あらためて いつも読んでいただきありがとうございます

1年間 毎日1記事 と決めて がんばって書いてきました

再開の日は 2009年4月13日でしたから

その残り期間も いよいよ2ヶ月を切ったわけです

本ブログを閉じてしまうということでは ありませんが (笑)

ブログ主としては やはり感慨深いものがあります

今後とも お付き合いを よろしくお願いいたします

2010年2月15日 (月)

【研究会】 イギリス・オリエンタリストと 《神秘のインド》 観

南アジア研究系ML 「SAAF」 に流したもの

再録させていただきます

====================

  昨日 (2010年2月13日)、 日本女子大学にて、 第35回南アジア月例懇話会を開催しました。今回は、 「《神秘のインド》 研究会」(代表: 近藤光博) の第2回研究会との共催でした。 冨澤かなさん (東京大学) に、 「イギリス・オリエンタリストと 《神秘のインド》 観」と 題してご発表いただきました。

  《神秘のインド》 研究会の側より2名、 南アジア月例懇話会側より10名の参加者があり、 その内PDもしくは学生の方々は8名 (初参加者2名!) と、 本懇話会の目標を十分に満たすものでした。 あらためて、 ご発表者、 参加者の皆さんに、 御礼申し上げます。

  冨澤さんの発表では、 18世紀末のイギリス・オリエンタリスト、 とくにウィリアム・ジョーンズとエドムンド・バークの思想に見られるインド観を、 《神秘》 概念にからめて分析するものでした。 ハンドアウトの章立ては以下の通りです。

  1. 神秘とは
  2. 理性と神秘とオリエント
  3. 18世紀末イギリス・オリエンタリストのインド観と宗教観
  4. イギリス保守主義の文化観
  5. 神秘と理性: オリエンタリストの 「宗教」 の範囲と位置付け
  6. 普遍性と固有性

  ご発表では現代にいたるインド観が、 18世紀末のイギリスで芽生えていたことが、 バークの思想を中心に十分に確認できるものでした。 また、 バークから抽出される 「偏見/先見」(prejudice) という独自の概念の重要性が指摘されました。

  冨澤さんの関心が、 他者理解・他者交渉といった、 かなり普遍的な枠組みであるところに、 コメント等が多く寄せられました。 この時期のイギリスについて、 多くの参加者が専門外であり、 非常に勉強になったとの感想が多く聞かれ、 英文学の先生 (佐藤和哉氏) や人類学の先生 (関根康正氏) などのご参加により、 議論がより充実したものとなりました。

=====================

2010年2月14日 (日)

大人に反響、歴史教科書

ココログニュースへのリンクです ↑

  • 『もういちど読む山川世界史』
  • 『もういちど読む山川日本史』

着実に売れているという記事です

====================

大学教育の現場で とっても必要で有用な本だと思う

山川でなくとも もちろんよい

高校教科書をしっかりやり直すこと

つまり、 受験テクでない勉強をちゃんとやってみること

とくに歴史! 歴史は基礎中の基礎なのだ!

個人的な関心もある

もともと理系で 高校で歴史をとっていないので

自学自習で歴史を学んできた

上の本は 今回はじめて知ったが、 ぜひ買いたいと思った

【研究大会】 戦争社会学

粟津賢太先生 のブログで 知りました

このたび新たに発足した 「戦争社会学研究会」 の

第一回研究大会が

2010年3月13日と14日

明治大学(御茶ノ水) にて 開かれるそうです

====================

同研究会の公式サイトは こちら ↓

戦争社会学研究会

第一回研究大会の案内は こちら ↓

戦争社会学研究会第1回研究大会のお知らせ

参加申し込みが必要のようです

====================

クリスマスの約束 2009 (その4)

前便 「クリスマスの約束 2009 (その3)」 より つづく

====================

言葉にできないこと、 言葉にしてはいけないこと――

《宗教》 の世界では よくそういうことが言われるけれど

《世俗》 の世界でも 実はそれは とてもたくさんある

たとえば 芸術体験 (文学、 音楽など) がその代表格だ

現代日本の最近の実例として

「クリスマスの約束 2009」

があったのだ!

と、 前便 まで このようなことを述べてきました

====================

本便は そのフォローアップです

ネット上で公開された 番組の感想のなかから

《言外のものに触れた体験》 あるいは

《言葉にしようとしてもしきれない体験》 を指し示そうとする

そんなコトバを ごく恣意的に選んでみました

各人の日常言語でとらえきれないもの――

詩的言語によってしか 満足な表現を与えられないもの――

もしかしたら 《世俗》 の圏域を突破してしまったもの――

これは 現代日本語で どのように表しうるのでしょうか

====================

多くの感想が用いるコトバは 「感動」 「すごい」 などです

これは内面の率直な表現でありますが

もう少しよく工夫された表現によって

自分の 《クリ約 09 体験》 を 指示しようとなさっている

そんな方がたがいらっしゃいます

まずは 強度をもった表現をもちいる場合をみてみましょう

====================

『橋本リウ詩集』 における

全身の毛が総立ちするような感動

人を突き動かす力

強烈な感動

などの表現は 日常語としてはかなり強いものです

「圧倒的」 という表現がまさにそうであるように

大きすぎる 「感動」 は 「力」 として感得されます

上で 「人を突き動かす力」 と言われているのがそうですし

あずきさんの 『あずき日記。』 における

圧倒的なパワー

という表現もまた 《力》 の体験を指示します

「最高」 「サイコー」 などもよく用いられている表現ですが

Kersee さんの 『Japanese Music ~現在・そして未来へ~』 における

「最高」 という言葉しか出てこないですね。

という句は その言葉の不自由さに対する自覚が

率直表明されています

どうしてもコトバにすることができないという感覚の表現としては

おおはらさんの 『管理人は私劇団あとの祭り 管理人のメモ』 での

なんかうまくいえないけど、よかった

大崎裕史さんの 『自称「日本一ラーメンを食べた男」の日記』 での

見ることができなかった人に、何故泣いたか?
を伝えるのは相当難しいので諦めます。(^^;

などが、 とても率直に ご自身の感覚を語っておられます

YOMIURI ONLINE の 『発言小町』 における 次のやり取り

まさに 安易な言語化を拒否せざるをえない

という感覚の表現です

ひよこさん(トピ主)
25日に放映された「クリスマスの約束2009」素晴らしかったです。
私、語彙が少ないのでうまく言い表せないのが残念です。
ご覧になられた方、よろしかったらレスをいただけませんか?
この気持ちを沢山の方と共有してみたいです。

==========

ピカリさん
私も語彙があまりないので、上手く感動を伝えられないのですが

==========

にわか野球好きさん
私もトピ主さんと同様、感動をうまく言葉では表せません。でも、とにかく、よかったです。体の中心部分に共鳴する感動とでもいうのでしょうか。

====================

まだまだご紹介したいコトバはたくさんあります

次便につづきます

<つづく>

2010年2月13日 (土)

「国の事業仕分け」 着手の顛末

関連前便 「【フォーラム】 「事業仕分け報道」 を仕分ける」 も ご参照ください

====================

2010.2.15 付 AERA の人気コーナー 「現代の肖像」

仙谷由人
国家戦略・行政刷新担当大臣

が取り上げられていた

あおり文には こうある

異端から、 政権のど真ん中へ

新政権の公約 「刷新」 のイメージを広く知らしめたのが事業仕分けだった。

だが、 いま民主党は 「政治と金」 で揺れている。

発足から4カ月余、 国民が民主党政権を仕分ける時期。 鍵を握る人物である。

====================

この中に 「国の事業仕分け」 開始の顛末があった

政権発足からあまりに早く これが行われたので

僕は 枝野さんあたりが 自ら旗を振って

鳩山首相あたりを 直接動かしたのかと思っていたが

どうやら違うようだ

あのアジリティは 仙谷大臣から発したものだったようだ

新政権発足直後、 おそらく2009年9月中ごろのことである

以下引用

 […] 仙谷はお昼に議員会館にある枝野幸男の部屋を訪ねた。 「お待ちしてました」 と笑顔で迎える枝野。 共にかつて民主党の政調会長や憲法調査会長を務めた弁護士出身の論客であり、 渦中の人物小沢一郎に疎まれているという点でも共通している。 だからなのか、 枝野は閣僚にも問うの要職にも就かない無役のまま。 仙谷はそのことが気掛かりだった。 ただし、 それは同情ではなく、 「秀逸な人材が活かされてないのは国家の損失」 という思いからだ。

 ソファに腰を下ろし煙草に火をつけると、 仙谷はやや身を乗り出してこう言った。

「加藤秀樹さん (「構想日本」 代表) からの勧めもあってね、 近々、 国の事業に関して仕分けをやろうと考えているんだけど、 その取りまとめ役をやってもらえんだろうか」

 一瞬戸惑いの表情を見せた枝野だが、 その場ですぐ快諾した。

 翌11月、 足掛け3週間にわたって繰り広げられた事業仕分けの模様をメディアは大きく取り上げ、 会場となった体育館には続々と傍聴者が押し寄せた。 […]

引用おわり: 59-60頁 ルビはすべて省略した

The Goonies 'R' Good Enough @ シンディ・ローパー

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

邦題は 「グーニーズはグッドイナフ」

直訳 (笑) ですが なんかカッチョ悪いですよね…

ラジオでかかっていて 名曲だなぁ、 と

映画仕立てのPVは 当時とても話題になりました

スピルバーグがカメオ出演していますが

監督というわけではありません

2010年2月12日 (金)

ラジニーシから入り やがて抜け出る 《神秘のインド》

ある日本人が 《神秘のインド》 へと吸引されていった記録――

ここでは、 ラジニーシを取り囲むようにして

ニューエイジ (または 「精神世界」)、 瞑想、 神秘主義

「インド放浪」、現実逃避、 「求道の行脚」

こういった要素が散りばめられています

1980年前後の日本で インドと神秘性がどのように結合していたか

その記録のひとつとして 再録させていただきます

====================

  • ヒュー・ミルン 『ラジニーシ・ 堕ちた神』 (鴫沢立也訳, 第三書館, 1991年)

「訳者あとがき」 460-62 頁より

以下引用

 訳者個人の思い出を述べさせていただければ、 はじめてラジニーシの著作に触れたのは、 ほぼ一昔前の一九八〇年のことだった。 当時学生だった私は鬱屈した日々のなかで漠然と非日常的な意識状態やドロップアウトの生活に憧れながら、 ハックスリーの 『知覚の扉』 やカスタネダの 「ドン・ファン」 シリーズを読んでいたが、 どうも他人事のようで、 もどかしい思いしきりだった。 ラジニーシはそんな私を一挙にスピリチュアリティの確信に導いてくれるようだった。 それまでまったく縁のなかった宗教というものが実は意識変容の方法論だったと気づいて、 新しい世界が目の前に開けてくるような気がしたものだ。

続きを読む "ラジニーシから入り やがて抜け出る 《神秘のインド》" »

2010年2月11日 (木)

「恋人の聖地」 における聖性の観念

ココログニュースへのリンクです ↑

「恋人」 におすすめの観光地・景勝地、 あるいは

単に “スポット” を 「聖地」 と呼んで

普及させようとするNGOの活動を紹介する記事である

下に 記事本文だけを 切り貼りしておきます

元記事には リンクとか 検索とか 色々あります

こうした活動になんのかんの言おうというのではない

そういうのがあってもいいだろう、 ぐらいの感想だ

ここでわざわざこうしたエントリをあげるのは、 言うまでもなく

「聖地」 という語の いかにも日本的な使い方である!

この活動を主導する 「地域活性化センター」

静岡の経営コンサル/マーケッタの 志垣恭平氏

理事長とするNPO法人だが、 そのHPにも

「聖地」 という概念についての説明は 何もない

プロポーズに最適なロマンチックな観光情報の発信と参加型イベント

とあるだけだ

ちなみに 「聖地」 の英語訳として sanctuary を採用している

聖性という観念に 超越性や不可侵性をみとめない――

これは日本に特徴的な言説体系の一部をなす

これを冒涜的と感じる向きも 当然あるわけだが

量的な意味で そうした感性はマイナーであるだろう。 むしろ

志垣理事長のマーケッタとしての感性が 的確に把握するように

これこそが 当たり前の日本の言説空間なのである

それを否定してみても おそらく仕方ない

僕としてはむしろ、 そこにある世界観の豊かさを

積極的にとらえなおすことを 心がけたいと思うのだ

====================

以下引用

http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/blog-201002080927/1.htm

もう行った? 『恋人の聖地』
- 2010.02.09 11:00

全国の各地域に展開する 『恋人の聖地』 を見たことがあるだろうか。 『恋人の聖地』 とは、 NPO法人地域活性化支援センターが、 デザイナーの桂由美氏ら著名人を選定委員にして定めた場所で、 観光施設・ビュースポットなど現在100カ所が選定されている。

続きを読む "「恋人の聖地」 における聖性の観念" »

2010年2月10日 (水)

よい作家になりたいです。 人や世界を愛したいです

前便 「どれほど苦しくて惨めで寂しくとも」 より つづく

====================

  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

前便 での引用 最終段落を再録いたします

どれほど苦しくて惨めで寂しくとも半歩間違えれば一生を役立たずのまま棒に振ることになろうとも自分で罪を背負って自分のしあわせは自分の現実は生きることの意味は自分で決めていかなければならない。 ボクもボクのマンガを読んでくれる人もそうやって今日生きている。

上巻 「愛 [AI-REN] 人2巻のためのあとがき」 468頁

この 《生》 から どこへと走り抜けうるのか

逃走でも 差異のたわむれでもない、 しかして

たしかに十二分に再帰的で それでいて生きるに足る 《生》

主客二元論の罠にからめとられないようにして

それでも 「確かだ!」 と肯定しうる そのような 《生》――

それは どのようなものとして ありうるのでしょうか

作品 『愛人 [AI-REN]』 の全体が まさにその答えですが

作者 田中ユタカさん の 「あとがき」 の中のコトバも

もうひとつの見事な答えになっています

40歳を過ぎて、 自分の人生が一回きりの有限なものであることがリアルな感触をもって急速にくっきりと感じられるようになってきました。

永遠に生きたいと願う気持ちは湧いてきません。

ただ、 自分に許された時間を大事に生きたいという気持ちが強くなりました。

よい作家になりたいです。

人や世界を愛したいです。

きちんと生きようと思います。

きちんと生きて、

出来る限り、 最後まで長生きしようと思います。

僕は一生をかけて少しでも良い作家になりたいと思います。

そのことに人生を使おうと思います。

下巻 「あとがき」 607頁

「2008年12月」 の日付があります

2009年2月刊行の 『愛蔵版』 への 「あとがき」 のようですね

====================

一篇の “詩” である この 「あとがき」 は

『愛人 [AI-REN]』 という作品と格闘し

キャラクターたちの 《生・愛・死》 を 誰よりも近いところで眺め

そこから “教え” られた 田中さんが至った

ある真理であるのは 疑いがないわけであります

Paradise Lost @ 音楽図鑑 (坂本龍一)

<ただ好きな曲を紹介するだけのコーナー>

このアルバムには すごく多くの思い出がある

いろんなことが 去来する

個人的なことはさておいても これは名盤だ、 と思う!

必聴!

2010年2月 9日 (火)

どれほど苦しくて惨めで寂しくとも

前便 「《外部》 の体験、 その聖と俗」 より つづく

====================

  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

さらに引きつづき 作者 田中ユタカさん のコトバを

引用紹介させていただきます

この作品は 大変な傑作だと思うのですが

その世界観、 SF的な設定云々ではなく

“セカイ” の現前の様態が どのようなものとしてあるのか

主人公たちがおかれる情況、 巻き込まれる力学

それによって練り上げられていく内面のセカイが

どのようなものとしてあるのか

作者と作品と読者とのあいだで おのずと共有されるだろう

そのような意味での セカイ観がどのようなものであるのか

田中さんご自身が 非常に的確に コトバにしておいでです

ちょっと長くなりますが、 どうぞお付き合いくださいませ

現代は、 万人に通用する既製品としての “しあわせ” や “生きることの意味” が役に立たなくなってきている。

神様や国家や会社やおカネ、 あるいは仲間や家庭や恋人、 正義や愛といったいままであった、 人を “しあわせ” にしてくれるもの、 “生きる意味” を与えていくものにかかっていた魔法が片っ端から解けていっているそんな時代だと思う。

足場が崩れてきている。 どこにも属するべきアテが見つからない。

そうゆうメンドクサイことはとっとと麻痺させてしまうのが世の中に適応するコツ、 だとか今が楽しけりゃそれでいいじゃんなんてのは、 今さらって感じがする。 なげやりで空疎な強がりだ。

もっとリアルで切実なんだ。

今やボクたちは自分の人生の結末についてかなりヴィジュアル的にさえイメージできる (事件や事故に遭わない限り) 老いて、 病んで、 死ぬ。 他にはないと知っている。 生まれる前から山ほどのハンディキャップを背負わされていると知っている。 癒えることのない傷を生涯抱えていく以外ないと知っている。 そこから目をそらせば卑しくなるとわかっている。 今日より明日が必ずよくなるということはないと知っている。 次の代が今より豊かになることはおそらくあり得ないと知っている。

逃げ場所はもはやどこにも転がっていない。

後戻りはない。

みんな魔法は解けてしまった。

もう、 知らないどこかの大きな立派な人が 「君はそこにいるだけで価値があるんだ」 などと安心させてくれることはない。

自信がなくても誰も保証してくれなくても遂に最後まで曖昧なのもの [ママ] でしかなくともひとりひとりが一度しかない自分の生涯を使って自分で探す以外の選択肢は残されていない。

どれほど苦しくて惨めで寂しくとも半歩間違えれば一生を役立たずのまま棒に振ることになろうとも自分で罪を背負って自分のしあわせは自分の現実は生きることの意味は自分で決めていかなければならない。 ボクもボクのマンガを読んでくれる人もそうやって今日生きている。

上巻 「愛 [AI-REN] 人2巻のためのあとがき」 468頁

旧版第2巻 (2000年9月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた

「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 上巻に再録されている

そこからの引用でした

====================

このような 《生》 のただ中から 作品のキャラクターたちは

どのような 《生・愛・死》 を 自らのものとして引き受けていったか

このこともまた、 田中さんご自身が 

とても鮮明なコトバにしておいでです

次便にて!

<つづく>

【講演会】 国家をまもれるエリートは出現するか

「国際開発学会院生部会」(Jasidg) より

次のお知らせがきました

とても興味ぶかい講演会です

X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X

戦略・情報研究会 2009年度東京第10回講演会
    http://mixi.jp/view_event.pl?id=50080449&comm_id=481052

~ 国家をまもれるエリートは出現するか
-わが国を取り巻く危機と危機意識の実情 ~

日時: 2月13日(土) 18:30~20:45 (開場18:00)

内容: 講師基調講演 ⇒ 質疑応答&全体討論 <会後、講師交えて懇親会>

場所: 文京シビックホール スカイホール(文京シビックセンター26F)
         http://www.b-civichall.com/access/main.html
         東京都文京区春日1-16-21、03-5803-1100
         Ξ 東京メトロ丸ノ内線後楽園駅4bまたは5番出口徒歩3分
         Ξ 東京メトロ南北線後楽園駅5番出口徒歩3分
         Ξ 都営地下鉄三田線/大江戸線春日駅連絡通路徒歩3分
         Ξ JR中央・総武線水道橋駅徒歩8分

講師: 河添 恵子 氏 (ノンフィクション作家、 近著 『エリートの条件』)

参加費: 1000円 (事前申し込みの学生に限り500円☆)

定員: 100名 (定員になり次第申し込み締切)

【講師 プロフィール】
○ 河添 恵子 (かわそえ けいこ) 氏
―― 1963年千葉県生まれ。 名古屋市立女子短期大学卒業後、 1986年より 北京外国語学院、 遼寧師範大学へ留学。
主な著書に 『エリートの条件 -世界の学校・教育最新事情』(学研)、 『台湾新潮流』(双風舎)、 『アジア英語教育最前線』(三修社)、 『世界がわかる子ども図鑑』(学研)、 『中国人とは愛を語れない!』(並木書房)など。 訳書に 『中国マフィア伝』(イースト・プレス) など。 取材は30ヵ国以上。 産経新聞社【40×40】や『正論』『W〓LL』など。 言論界でも執筆中。

お申込/お問合せ先: 久野 潤 kunojun@amethyst.broba.cc
[当日] 090-2933-8598、kunojun@ezweb.ne.jp <「@」は小文字で>
<御名前・御通勤/御通学先を明記のうえ事前お申込頂きますと 当日の御記帳無しで入場頂けますので御協力頂ければ幸いです>

X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X

/////////////////////////////////////////////
大阪国際大学現代社会学部 講師
久野 潤(くの じゅん)
/////////////////////////////////////////////

続きを読む "【講演会】 国家をまもれるエリートは出現するか" »

2010年2月 8日 (月)

《外部》 の体験、 その聖と俗

前便 「自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか」 より つづく

====================

  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

前便につづいて 再び

作者 田中ユタカさん のコトバを 引用させていただきます

一つの物語を長期間かけて描くというのはボクにとっては 「愛人 [AI-REN]」 が初めての経験です。 やってみてわかったのですが、 長い物語を長い時間をかけて描くという作業は、 予め決められた予定を順次消化していくような行為とはまったく違ったということです。 それはむしろ発掘作業に近いと感じました。 きっとここにはこういう素晴らしいものがあるはずだ、 と信じて少しずつ少しずつ注意深く掘り出していく。 もちろんそれが大体どんなものかは分かってはいる。 だが、 この手で掘り出してみるまでは本当の姿は分からない。 おかげでボクと担当の中澤さん (ショーちゃん) は大発見を信じる砂漠の考古学者の有様です。 また、 こんな感じでもあります。 どんなに悩んだ時でも、 その言葉や絵や展開が 「正しい」 かどうかというのは瞬間的に厳然として分かります。 頭の中のランプがオール・グリーンに変わって 「それが正解だ!!」 と教えてくれます。 まるでどこかの空間に 「愛人 [AI-REN]」 最終話までの厳密な設計図がすでにちゃんと用意されているんじゃないかという感じで。 逆に台詞一つでも間違うと 「違う!! 違う!! それじゃない!!」 と警報が発せられます。 その警報は強烈でとても無視して作業を続けることが出来ないほどのものです。

しかも、 その設計図は意地が悪く、 決して積極的に正解を教えてくれたりはしない。 正解かどうかの判定を無慈悲に下すだけです。 どうやら今のところ設計図からは外れていないみたいです。

下巻 「愛 [AI-REN] 人3巻のためのあとがき」 84頁

旧版第3巻 (2001年7月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた

「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 下巻に再録されている

そこからの引用でした

====================

ギリギリのところまで 自分を追い込みながら

何かのモノを作り出す作業をしたことのある方なら

皆さん 共有されている感覚であり、 体験でありましょう

一介の無名学者である僕にすら これは強烈にあるぐらいですから

田中さんのコトバで 宗教学者として注目しておきたいのは

創作活動 (まったく 《世俗的な》 概念です) の極点における

自己の 《外部》 の体験 です

もうすでにそこにあって、 掘り出されるのを待つ 「素晴らしいもの」――

正しさを 「教えてくれる」 何か――

どこかの空間に用意済みの設計図というイメージ――

無視できないほどに強烈な警報――

こちらに対して 「判定を無慈悲に下すだけ」 の何か――

《外部性》 の体験は こうしたコトバに鮮明です

では、 いつも掲げる問いを ここでも

この体験と いわゆる 「宗教体験」 は同じなのか、 違うのか?!

信仰と開発、 あるいは経済と宗教

mittsko うちのバス停の脇には馬頭観音の碑がある  完全な墓石仕様なのは、 地主が代々の家畜を祀ったものだから  地主はこの場所だけは決して売らない  おかげでバス通りは狭いままだが  林が残った

自分のつぶやき から再録

Photo_2

この一隅を手放さないと言い張っていた先代の地主は

数年前に 他界した

跡目をついだ息子は、 相続税対策もあるんだろう

最近ずっと 空き地や畑だったところを 住宅デベに売っている

今月に入って いくつかの区画で工事がはじまった

馬頭観音の霊力は 経済力学に勝てるだろうか

信心は 生活のなかで どう編成されなおすだろうか

家畜と縁のない世代の 世界観はどこへ向かうのだろうか

2010年2月 7日 (日)

何も作れない焦りと不安

 4年間は模索の日々だった。 あちこちの大学や専門学校で教えながら、 小さな部屋で同じような話をしている自分が 「消費される存在」 に思えてならなかった。 狭い空間の中で、 教師としての演技をしている自分とは何者だろう?

AERA 2010.2.8 号, 57頁

AERAの人気連載 「現代の肖像」。 最新号は

現代美術家
やなぎみわ

あおり文には こうあります

“少女” という神話を揺るがす老少女

1999年に現代美術の登竜門VOCA賞受賞のインタビューでこう語った。

「どの作品も 『これが最後』 の覚悟で全力投球しています」。

10年前と同じ切迫した言葉を、 私たちは聞くことになった。

ライターと写真として

文 = 千葉 望  写真 = 渡辺誠

とある。 「ちば のぞみ」 「わたなべ せい」 のルビ

====================

美術家は いつも僕のロールモデルです

自分が論文を書くとき、 いつも美術作品を作っているような気になるから

美術家の苦闘が、 いつも自分のことのように聞こえるから

====================

上の文章は 

大学は居心地のいい温室

何も作れない焦りと不安

と題されたパート (56-7頁) より

ライターの千葉さんが書いた地の文から 引用です

京都芸大の大学院に進んだやなぎさん

「卒業後は就職はせず、 美術教師のアルバイトで食いつなぐ」

その頃を回想して やなぎさんはこう語ったそうです

「あれほど作品作りに打ち込んでいたのに、 温室みたいな大学の外に出たら作品が風邪を引いちゃったというのかな。 何にも作れなくなっちゃった」

で、 最初の引用文につづく というわけです

Dos Gardenias @ Ibrahim Ferre, Buenavista Social Club

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』 より

まぁ… いいわなぁ

映画は何度も観たなぁ

最初に観たのは たしか イギリスから戻る飛行機のなか

ずっと寝ずに観てたもんなぁ

トイ・ストーリー3 楽しみだ

『トイ・ストーリ1&2』 が 名作だっていうのは

今更 言わなくてもいいわけだけれども

僕にとって両作は 《宗教学のための映画》 として

特別な重要性をもっているのです

何がどうなって どんな重要性が… というところは

以前のエントリ

から ダウンロードに進んでいただけるとありがたい

で、 本便で言いたかったのは 二つ

(1)

『トイ・ストーリー 3』 が 今年中に公開されるぞ!  楽しみ happy02

Toy_story_3_3

(2)

そのキャンペーンで 『1&2』 が 3Dになって再上映されている

昨日から! 上映館は けっこうたくさんだ!

====================

そして、 僕のツブヤキ を再録します

mittsko トイ・ストーリー1&2 3D 観に行きたい でも独りってのは…

2010年2月 6日 (土)

神社判決 悩む自治体

前便 「空知太神社判決 フォーローアップ」 より つづく

====================

朝日新聞 2010年1月27日付 朝刊に

  • 神社判決 悩む自治体

という記事が載った

例の最高裁判決 を受けて、 各地の同様事例が

あらためて注目を集めている、 ということだ

政教分離原則は 憲法上の原則だ

しかし、 その具体的な適用解釈には かなり幅がもたされてきた

それを、 公私区分の不徹底を法解釈が是認したものだとして

徹底的に脱宗教化された公共領域の確立を優先事として掲げるか

はたまた、 いわゆる 「目的効果基準」 を

近代日本の歴史のなかで 独自の仕方で

しばしばなし崩し的に構成された公私領域/聖俗領域の構成への

法的な対応だとみなすか

その辺りで ちゃんと議論がなされるべきだ、 と思う

具体的な作業には かなりの手間隙と予算が必要だろうから

原則が哲学的、 社会思想的に 合意形成がなされていないと

混乱は増すばかりだろう

この方面において 宗教学者 (とくに 宗教社会学者) が

果たすべき役割は 決して小さくない

====================

以下引用

http://www.asahi.com/national/update/0127/TKY201001270123.html

「違憲」 神社判決に悩む自治体 売却なら重い住民負担 (1/2ページ)
2010年1月29日19時15分

Photo

[北海道が所有する土地に立つ中の島神社 = 札幌市豊平区、 諸星晃一撮影]

  北海道砂川市が市有地を神社に無償で提供しているのは 「政教分離原則に反して違憲だ」 とした最高裁大法廷判決 (20日) の波紋が広がっている。 全国で同様のケースが次々と判明。 ただ、 提供の経緯をたどると江戸時代までさかのぼるような 「地域密着型」 の施設もある。 違憲解消のために有償に切り替えるのも容易ではなく、 各地の自治体は頭を抱えている。

■無償提供、 全国に多数

 問題の 「震源地」 となった北海道。 明治から昭和初期にかけての開拓時に道内各地で神社が建てられた経緯がある。 こうした中には、 自治体が公有地をただで貸している例が少なくない。

続きを読む "神社判決 悩む自治体" »

自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか

何きっかけだったか 忘れたけれど

1年ほど前に購入し、 ずっと積ン読状態だった

  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

先日 読了した

えらい本にぶつかっちゃったもんだ、 と大満足!!

全然知らないけれど 凡百の “セカイ系“ とは

一線を画すんじゃないだろうか・・・

こういう作品は めったにお目にかかれないはずだから

====================

たくさん書きぬきメモをしておきたいコトバがあった

まずは 一つ目

ごく私的なノートとして、 自戒をこめて

「愛人 [AI-REN]」 はボクにとて職業人としての 「青春の賭け」 の作品です。

「賭け」 の結果がどうなるかボクにもまだわかりません。

でも、 一度は自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうかを見極めなければならないのだと思います。 ちゃんと自分の足で、 行けるところまで、 その一番果てまで行ってみなければならないのだと思います。

下巻 「愛 [AI-REN] 人4巻のためのあとがき」 315頁

旧版第4巻 (2001年12月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた

「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 下巻に再録されている

そこからの引用でした

====================

自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか

何度も読みかえして覚えてしまいたい

僕にとっては そんなコトバです

<つづく>

2010年2月 5日 (金)

「至高体験は超常的な現象ではない」 という見方

『スポニチ』 のサイトで

という記事をみつけた

山川あずささん がお書きになったもので

2009年2月23日付 である

山口さんのサイト 「Love&Light」 を拝見するかぎり

氏は 広い意味での スピリチュアル・リーダーのお一人のようだ

「カバラ」、 「ヌメノノロジー」、 「タロット」 そして

「オーラソーマカラーセラピー」(?) なるものなど

その手のキーワードがずらりと並ぶ

さて、 「至高体験」 (the peak experience) とは

たしかに 超常的ではなかろう

では、 「神秘体験」 「宗教体験」 と呼ばれてきたものと

「至高体験」 とは 果てさて 同質なのか、 異質なのか・・・?

====================

以下引用

http://www.sponichi.co.jp/society/special/yamakawa/yamakawa/KFullNormal20090223140.html

 人はふとした瞬間に世界と溶け合って一つなるような体験をしてしまうことがあるようです。 いわゆる 「宇宙との一体感」 といわれるような体験は、 何も超常的な現象ではないようです。

 アスリートのインタビューを聞いているとそのような体験をしたという事をよく聞きます。 シンクロナイズドスイミングの小谷実可子さんが経験した話を聞いたことがあります。

その日は大切な世界的な競技会だったそうですが、 プールサイドに立つ前から、 不思議と観客との一体感があったそうです。 体が内側で震えるほど喜びのエネルギーが湧いてきて顔が自然に笑ってしまうのを押さえられないほどだったそうです。

水に入ってからは、 無心。 いつもなら 「ここのポイントは審査の対象だから気をつけて」 とかいろいろなことが頭の中を巡るのですが、 この時は完全に体と水が一体化して自然に体が導かれるように動いていくのだそうです。 呼吸も全く苦しいということがなく、 心が落ち着いてまるでひとつひとつがスローモーションの瞬間、 瞬間のように感じられたそうです。

その大会ではみごとに優勝したそうですが、 なによりもその不思議な一体感がとても印象的だったと語っていました。 彼女はその体験をピークエクスペリエンス (至高体験) と呼んでいました。

 同じようにアスリートで、 トリノオリンピックで見事に優勝を果たしたアイススケートの荒川静香さんもきっとその体験をしたのではないかと思います。 これは、 あくまでも私の推測になってしまいますが、 トリノオリンピックで最後の演技をしている瞬間、 彼女の中には、 金メダルのことやライバル選手のこと、 審査員のことなどまったく心の中にはなかったであろうということが伺えます。 彼女は完全に観衆の中に音楽の中に溶けていました。 喜びと美のエネルギーが輝きとなって彼女からほとばしりでているような感じでした。

 テレビで中継を見ている私でさえ、 共感して鳥肌が立つほどでしたから、 その場にいた観衆がスタンディングオベーションになるのも無理はないでしょう。 うまく滑ろうとか、 点を取りたいという欲もすでにすっかり抜け落ちて、 その瞬間を味わいつくし、 満喫しているようすが手にとるように伝わってきました。 ああいう瞬間は、 見ている者たちをも至福の体験へと連れ去ってしまうのでしょう。

 しかし、 至高体験は、 なにもアスリートの人々にのみ起きることではありません。 先日 「奇跡のリンゴ」 という本を読みました。 青森のリンゴ農家のおじさんが、 無農薬でリンゴがつくれないものかと、 研究に研究を重ね、 苦悩と葛藤の末に一つの答えを見出していったという実話です。

彼はある日、 無農薬りんごの栽培があまりにもうまくいかない事に絶望し疲れ果て、 自ら命を絶とうと、 ロープを持って山に入ったのです。 しかし、 そこで一本のどんぐりの木と出会います。 人の手が全く入っていない自然のまんまのこの木にはなんでこんなにたわわに実がなるのだろう? その瞬間、 彼の中で何かが変わってしまうのです。 彼の心を覆いつくしていた黒い霧がすーっと晴れ、 ぴかっとひらめきを得るのです。

彼は、 自分というめがねをかけて物事を見ていたことに気が付きます。 彼が闘い続けてきた 「害虫」 が、 自然の中で必然として存在している虫に変わります。 必要の無い虫も草もありません。 雑草ということばも人間が勝手につけた呼び名です。 必要の無い草など一本だってないのです。 世界がつながりあって一つの命となっている。 害虫も益虫もなく、 雑草も狸やきつねもバッタも小動物もみんなで調和しあって自然が営まれていることを悟るのです。 彼の場合、 一体感はその摂理を理解するという形をとって訪れたのでしょう。

 ここに挙げた3人の共通点は、 「一心不乱に一つのことに打ち込んだ」 ということでしょう。 一つの道を究めるとそこに至高の状態、 宇宙との一体感が姿を現すのです。 それが究極の真理だからということもできます。 人間がいろんな道を通して最終的に到達しうるひとつの気付き、 それが至高体験なのかもしれません。

 映画 「禅 zen」 で道元禅師も至高体験にいたります。 彼は一心不乱に坐禅に打ち込んだ人です。 打ち込むものは何であれ、 人が行き着く答えはたった一つなのかもしれません。
[ 2009年02月23日">]

引用おわり

Lovefool @ The Cardigans

<ただ好きな歌を紹介するだけのコーナー>

先日ラジオで流れていて

あぁ やっぱりいい唄だなぁ、 と

この唄を聴くと なぜか Hさんのことを思い出す

ボクのなかで イメージがぴったりなんだろうな

ところで 考えてみれば、 このPVを観たの

今回がはじめてじゃないだろか

あんなに聞いていたのに・・・ なぜ

2010年2月 4日 (木)

スリランカの現状 100131

前便 「スリランカ大統領 再選」 のフォローアップです

====================

2010年1月31日付 朝日新聞 朝刊

社説2本のうち ひとつは

  • スリランカ ― 紛争後への新たな懸念

だった。 (下に 切り貼りさせていただきます)

====================

南アジア研究者の端くれとしては ありがたいことに

朝日新聞は スリランカ情勢に 比較的大きな注目を

継続的にはらいつづけている

この社説も、 そうした積み重ねを感じさせるものになっている

スリランカの紛争は とても根が深いので

一朝一夕に 解決だのなんだのとはいかないだろう

短い社説では触れられない事情もたくさんある

(たとえば、 武器の調達と費用はどこから・・・?)

しかし、 まずはこの社説に書かれていることが 最低限のところ!

日本の外交関係者は 包括的な “対南アジア政策” を

あらためて固めなおす必要がある!

これは 本当に、 本当に そうなのだ

一人でも多くの日本人に この地域と国への関心をもっていただきたい

====================

http://www.asahi.com/paper/editorial20100131.html?ref=any#Edit2

以下引用

スリランカ ― 紛争後への新たな懸念

 インド洋に浮かぶ島国スリランカ。 この20年余り、 民族対立を背景に、 おびただしい犠牲者を出してきた内戦がようやく昨年終わった。 新生スリランカの再出発のための大統領選があり、 現職のラジャパクサ大統領が対抗馬のフォンセカ前政府軍参謀長を退け、 再選を果たした。

 日本政府は、 この国の安定のために10年近く前から紛争の調停に力を入れてきた。 7年前には復興開発への国際会議を東京で催した。

 内戦は反政府武装勢力タミル・イーラム解放の虎 (LTTE) が壊滅することで終わった。 今後の国づくりで日本が手助けできることは多い。

 両候補は共に、 LTTEを相手に戦ってきた指導者だ。 ラジャパクサ氏は多数派シンハラ人の支持を多くつかんだ。 フォンセカ氏は少数派タミル人の支持を得たが、 及ばなかった。

続きを読む "スリランカの現状 100131" »

マンガ強化月間 敢行中

漫画マニアでは 全然ッ ない!

そもそも あんまり読まない

が、 思うところあって マンガ強化月間 を自らに課してみた

この秋、 アニメ強化月間をやってよかったので 性懲りもなく

アンテナが反応した作品を ただいくつか読んだだけだが

あらためて ジャパンのMANGAはクールだ、 と

ログとして 読んだ作品を こちらにあげておきます

「読書メーター」 には ヒトコト寸評を書いていますので

あわせてご覧いただければ うれしいです

「mittskoさんの読み終わった本」 にあります

====================

  • 諸星大二郎 『私家版鳥類図譜』
  • 福満しげゆき 『僕の小規模な失敗』
  • 吾妻ひでお 『失踪日記』

  • 諸星大二郎 『彼方より ― 諸星大二郎自選短編集』
  • 諸星大二郎 『マッドメン (1)』
  • 諸星大二郎 『マッドメン (2)』

  • しりあがり寿 合本 真夜中の弥次さん喜多さん』
  • 弐瓶勉 『NOISE』
  • 弐瓶勉 『BLAME! 全10巻完結』

  • しりあがり寿 『弥次喜多 in DEEP』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
  • 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』

2010年2月 3日 (水)

自分の命の在り場所を見る ―私の革命

前便 「インドの神秘を売り物にするのは」 より つづく

====================

  • 藤原新也 『印度放浪』 (朝日文庫,朝日新聞社,1993年6月)

あとがきに当たるエッセイ 「熱球の下」 (418-25頁) より

この 『印度放浪』 は、 私が二十三歳の時、 はじめてその熱球の下の大陸に遊んだときの記録である。 はじめて、 その土地を踏んだ一九六〇年代の終りのころ、 日本はちょうど高度経済成長を最中だった。 物質的な豊かさを求めて、 誰もが一所けんめいに働いていた。 この国の近代化と、 経済の豊かさを求める過程において、 失われて行くものも多かった。 そして、 社会は管理化されつつあった。 管理化のシステムの中で人間的なる息吹は隠滅され、 それに対する抵抗もあった。 そういう状況の中で、 私は大学を捨て、 自分の経歴のすべてを捨て去るようなかたちでインドに行った。 この国は貧困であった。 ただ、 そこに私が見たものは、 その物質的貧困と同時に、 あの、 我我が今現在失いつつある、 熱、 であった。 つまり、 ちょうど日本では、 この熱という一つの生命の根本が、 何か巨大なものによって管理されて行こうとしている最中だったから、 私はその国の熱にうかされた。 そして地上における生きものの命の在り場所をはっきりと見たし、 合わせて自分の命の在り場所もはっきりと見ることができた。 それは、 私の二十代の一つの革命だった。

420頁

日付はありませんが、 この 「熱球の下」 の直前に

「あとがき (『印度放浪』 一九七二年版のものをそのまま転載)

がありますから、 1993年の文庫版のために、 つまり

初版から20年以上経った後、 当時をふり返って

書かれたもののようです

ともあれ、 ここでは インド体験を

「自分の命の在り場所をはっきりと見ることができた」

と要約する 藤原さんのコトバに注目しておきたいと思います

Twitter はじめてみました

どんなことがアレなのか・・・ よく知りませんが

とりあえず始めてみました

「読書メーター」「鑑賞メーター」 から同時投稿できるので

これはいいや、 と

【書評会】 『民主主義と宗教』 『アメリカの公共宗教』

粟津賢太先生 のブログ 『Lab: Kenta Awazu』 に

二つの書評会のお知らせが載った

http://www.scholars-net.com/lab/index.php?e=803
「書評会ふたつ」

これは 行かねば!

一つ目 2/26 は たまたま予定の谷間で 行ける (喜)

伊達さんの仕事っぷりは ホントにすばらしい!

こちら参照 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/kiyonobumie/20100202

  • マルセル・ゴーシェ 『民主主義と宗教』 (伊達聖伸+藤田尚志訳, トランスビュー, 2010年2月)

二つ目 3/10 は 別の予定とドンかぶりだが なんとかして・・・

以前 「アメリカの公共宗教」 というエントリ で紹介した本

インド研究者のとある先生からも この本の話題をふられたりして

静かに注目を集めている本なのだ!

  • 藤本龍児 『アメリカの公共宗教―多元社会における精神性』 (エヌティティ出版, 2009年11月)

====================

2010年2月 2日 (火)

インドの神秘を売り物にするのは

前便 「インドで自分探し ユーキャンCM」 より つづく

====================

  • 藤原新也 『印度放浪』 (朝日文庫,朝日新聞社,1993年6月)

から、 《神秘のインド》 という表象について

藤原新也さん が語るところの引用です

凡百の インド放浪者とは やはり違うなぁ――

そんな感想を 僕などはもちます

 つまりね、 七〇年代前半から中盤にかけて、 インド行きというのが非常にポピュラリティを持ってきた。 ちょうど 「自然に帰れ」 とかいう言葉が出てきて、 それに対応する形で 「安らぎ」 とか 「神秘」 という言葉も誕生した。 僕はそこからインドの解釈というのが、 世の中で崩れていったと思っている。 というのも、 インドのあの自然に触れるっていうことは、 安らぎを得るんじゃなくて、 逆にものすごくアナーキーな神経になっていくことだ。 あの自然を模倣すれば、 人間社会の官吏から全くはずれちゃう。 本当は非常に危険なわけだよ。 それが、 昔からどこの国の文化でも、 日本に入ってくると全部咀嚼されて可愛くなっていくということがあるでしょう。 今度はインドが、 全くそのコースにはまっちゃった。

31頁

「語録」 と題された章のなかの一節

いつの年のコトバなのかは 記録されていません

ところで、 藤原さんはここで 日本論としてまとめていますが

《神秘のインド》 という表象を ヨーロッパ史のなかでみれば

どうも同じようなことがあったように思われます

18世紀以降の欧州人により インドは ゆっくりと

「咀嚼されて」 いったようですから

====================

次も 「語録」 のなかの一節です

(したがって 発言の日付は書かれていません)

 インド、 チベットに行って来て神秘を売り物にするのは一種の詐欺だね。 瞑想ってのも好きじゃない。 神って言葉も好きじゃない。 そういう形式は信じない。 座禅組んで黙ってたら瞑想かっていうと、 そうではなくて、 知らず知らず瞑想してたってことが日常であるじゃない。 例えば、 火葬なんてのを二十日位、 撮り続けた事がある。 焼けてるのに近づいて焔でムチャクチャ熱い。 まゆげなんかがあとで見るとチリチリになっていたりね。 広角を持って、 頭なんか焼けてる処へ寄ってゆく。 煙の中に入って行っちゃう。 これを二十日間もやると死体の臭いが体に染み付いてしまう。 …… 写真を撮ることとは関係なく、 知らずに死臭がこびりつく。 そういうのも、 一つの瞑想だ。 知らないうちにやってるってのがいい。

48頁

====================

「神秘」 というコトバの皮相性に 藤原さんは

敏感に反応しておられるわけですが

もちろん 若き日の藤原さんにも 内面的なうずきや

衝動が ありありとあって、 それが氏を インドに

「なぜインドなのか」 は分析されないのですが、 ともかく

インドに 向かわせたのでした

で、 引用をしたいところですが、 例によって長い記事になりました

(長すぎれば しばしば読んでいただけないのが悲しいので)

次便にて その 「向かわせた」 ところのものとは何か

藤原さんご自身のコトバを引用紹介させていただきます

<つづく>

2010年2月 1日 (月)

インドで自分探し ユーキャンCM

「生涯学習のユーキャン」 ――

Photo_8

蒼井優さん のCM (2010年1月25日から放送…らしい)

《神秘のインド》 という表象

現代日本における ひとつの変奏としてみることができます

すでに 「ネタ」 と化している “自分探しのインド一人旅”!

ユーキャンHP上のこちらの頁 から閲覧可能です

ぜひ ご覧になってみてくださいませ

====================

「自分探し」 とは なんでしょうか・・・?

はてなキーワード には こうあります

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%CA%AC%C3%B5%A4%B7

幸せと豊かさに麻痺して自分を擬似的に喪失した人などが長旅やボランティア等で本来の (もしくは新しい) 自分自身を発見する (と称する) 行為のこと。 主に、 金持ちは外国に行き、 貧乏人は新興宗教に入る。 若さゆえの存在証明としての青春の自分探しはヒッチハイクなどで一人旅をする傾向にある。

OLの間では仕事や生活から一時的に逃れるためのキーワードとして雑誌で取り上げられるほど流行しているが、 全員が全員何かを身に付けて帰ってきているのかどうかは疑問である。

対義語にみうらじゅんの提唱する 「自分なくし」 の語がある。

皮肉まじりのこの解説は、 上のCMとぴったりです

なぜインド・・・ なのでしょうか?

いつからインドは 「自分」 を 「探し出す」 ための場所に・・・?

いろいろな事情がありましょうが、 ここでは二冊の本を紹介します

一冊は

  • 沢木耕太郎 『深夜特急』

Wikipedia によれば 1970年代前半の旅の記録

初版は 1986年5月だったのだそう

ドラマにもなって、 今の若い世代にも

多かれ少なかれ 影響を与えつづけている本でしょう

文庫版では 第3巻が 「インド・ネパール」 編になっています

二冊目は

  • 藤原新也 『印度放浪』

以前のエントリ でも紹介したことがある この本

1969年からの旅の記録で、 初版は72年

しっかり調べたわけではないですが、 この本こそ

日本語で書かれた最初の “インド放浪もの” だったのでは・・・?

(1)

「放浪」 でないインド旅行記としては

  • 堀田善衛 『インドで考えたこと』 (岩波新書,初版1957年)

が 何といっても有名だ

インド体験により自己反省をする点では

堀田も、 《自分探し》 派と同じだが

探し出そうとするのが 《自分》 ではなく

《日本》 であるというところが、 精確にいえば

《自分》 とひとつながりのものとしての 《日本》 である

というところが、 本エントリの主旨からすれば 要注目

同書については Sightsong さんのブログ 『Sightsong』

エントリ 「堀田善衛 『インドで考えたこと』」

読みやすく ためになりました

********************

(2)

ちなみに、 下記の井上さんのご著書によれば

ビートルズがインドに惹かれはじめたのは 1965年ごろ

初のインド公演が1968年2月ということのようです

  • 井上貴子 『ビートルズと旅するインド、 芸能と神秘の世界』 (拓殖書房新社, 2007年)

さらに、 こちらのサイト によれば

1966年7月には 日本公演の後にインドに立ち寄っているそうです

放浪の地としてのインド――

異界としてのインド――

そうして 自分を見つめなおさせるインド――

====================

あらためて 「なぜ!インドなのか?」

この問いは残りますが、 ちょっと視点を変えて

《神秘のインド》 という表象に関して

藤原新也さん の言葉を引用してみたいと思います

<つづく>

イーココロ! 1100円!

右サイドバーの イーココロ!

1100円の募金を確認いたしました

ご協力ありがとうございます さんくす♪(o ̄∇ ̄)/

1000円の達成が 1月14日でしたので

18日間で100円の募金ができたことになります

これまでからしますと ちょっとペースダウンではありますが

(このところのアクセス数の上昇を考慮すれば なおさら ですが)

掛け値なしに 大変ありがたいことと存じます

これからも 皆さまのクリックをば よろしくお願いいたします

ポチッとな happy01 good

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Twitter


読書メーター

  • mittskoの今読んでる本
  • mittskoの最近読んだ本

鑑賞メーター

  • 最近観たビデオ
    mittskoの最近観たビデオ
2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

イーココロ

無料ブログはココログ