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2010年2月18日 (木)

歓びと感動に充ちた生のあり方、 関係のあり方

こちらのエントリ で紹介した

  • イミダス編集部 (編) 『imidas SPECIAL 日本の針路 世界の行方』 (集英社, 2009年11月)

このムック全体を通じて 《宗教》 という視角が あまりに貧困だ

貧困なのは、 まぁ 仕方ないとして、 宗教学者は

それをそのままにしておいていいんだろうか――

と書いた

yokosawa さんが これに反応してくださり

非常に的確なコメントを入れてくださった

それへのお返事を兼ねて 本便を書きます

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 社会の理想的なあり方を構想する仕方には、 原的に異なった二つの発想の様式がある。

 一方は、 歓びと感動に充ちた生のあり方、 関係のあり方を追求し、 現実の内に実現することをめざすものである。 一方は、 人間が相互に他者として生きるということの現実から来る不幸や抑圧を、 最小のものに止めるルールを明確化してゆこうとするものである。 これは、 社会思想史的にいうなら、 そのどちらでもないようなもの、 プラトンからスターリンに至る、 さまざまなイデオロギーや宗教を前提とした社会の構想史があるが、 現在のわれわれにとって意味のある社会の構想の発想の様式は、 究極、 この二つに集約されるといっていい。

 前者は、 関係の積極的な実質を創出する課題。

 後者は、 関係の消極的な形式を設定する課題。

172-3頁

 〈交響するコミューン〉 は魂のことであり、 ルールは 「シーザー」 のことである。 [すなわち] 交響を強いてはならない他者たちの相互の共存の問題であり、 魂の自由を保障するシステムの構築の問題である。

 だからわれわれはもういちどあの逞しい魂の宣明者の声とはるかに呼応して言わねばならない。 魂のことはわれわれの内なる魂に。 シーザーのことはわれわれの内なるシーザーに。 と。

201頁: 傍点は太字で示した

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「連載 中沢新一論」 も ひと段落ついたことだし

ぜひ次にやりたいと思っているのは

「連載 見田宗介/真木悠介論」 なのだ!

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コメント

 ほんとうですね。見田先生の考察をすることが、中沢氏を超え、そしてもっと深く奥へ、先へ、人々の近くへ行けるステップになると信じています。

 しかし、私の現実は「あんたの考察じゃ、人は幸せになれないよ」っと年中警告が発せられている始末。
 近くもっと切迫した現場に行かされるようなので(笑)、心して勉強を重ねたいと思っています。

yokosawa さん>

考察や思索が 直接に 人を幸せにすることは
実際問題、 あくまでも実際問題 ほとんどないですよね

それでも 学を重ねる、 重ねつづける
学者として学問をやるという人生は、 業だ、 と思うんです

=====

やっぱり見田先生は きちんとやらないといけないですよね

少なくとも 宗教学サークルには それをやっている人は
ほとんどいません
皆な 読んではいると思うのですが…

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