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2010年2月13日 (土)

「国の事業仕分け」 着手の顛末

関連前便 「【フォーラム】 「事業仕分け報道」 を仕分ける」 も ご参照ください

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2010.2.15 付 AERA の人気コーナー 「現代の肖像」

仙谷由人
国家戦略・行政刷新担当大臣

が取り上げられていた

あおり文には こうある

異端から、 政権のど真ん中へ

新政権の公約 「刷新」 のイメージを広く知らしめたのが事業仕分けだった。

だが、 いま民主党は 「政治と金」 で揺れている。

発足から4カ月余、 国民が民主党政権を仕分ける時期。 鍵を握る人物である。

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この中に 「国の事業仕分け」 開始の顛末があった

政権発足からあまりに早く これが行われたので

僕は 枝野さんあたりが 自ら旗を振って

鳩山首相あたりを 直接動かしたのかと思っていたが

どうやら違うようだ

あのアジリティは 仙谷大臣から発したものだったようだ

新政権発足直後、 おそらく2009年9月中ごろのことである

以下引用

 […] 仙谷はお昼に議員会館にある枝野幸男の部屋を訪ねた。 「お待ちしてました」 と笑顔で迎える枝野。 共にかつて民主党の政調会長や憲法調査会長を務めた弁護士出身の論客であり、 渦中の人物小沢一郎に疎まれているという点でも共通している。 だからなのか、 枝野は閣僚にも問うの要職にも就かない無役のまま。 仙谷はそのことが気掛かりだった。 ただし、 それは同情ではなく、 「秀逸な人材が活かされてないのは国家の損失」 という思いからだ。

 ソファに腰を下ろし煙草に火をつけると、 仙谷はやや身を乗り出してこう言った。

「加藤秀樹さん (「構想日本」 代表) からの勧めもあってね、 近々、 国の事業に関して仕分けをやろうと考えているんだけど、 その取りまとめ役をやってもらえんだろうか」

 一瞬戸惑いの表情を見せた枝野だが、 その場ですぐ快諾した。

 翌11月、 足掛け3週間にわたって繰り広げられた事業仕分けの模様をメディアは大きく取り上げ、 会場となった体育館には続々と傍聴者が押し寄せた。 […]

引用おわり: 59-60頁 ルビはすべて省略した

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 ツィッター実験終了

 なかなかおもしろかったです。

 つぶやきと沈黙知の問題はもちろん(こちらは沈黙知について何にかの話題の時にでも)、特に自己と他者についてのインスピレーションをもらいました。
 自分ではとても見きれないのでフォローは2人にしておいて、あちこちのぞき見しましたが、実際すごく仲良しの友達ができるかというと、日本人の場合は仲間内で盛り上がる程度で、討論も外国人ほど盛り上がらないですね。(外人は国籍を超えて意見し合って、ちょっとびっくりするほど白熱してました。逆にホストは大変だなぁと思いました)

 日本の場合は、きっと開発者が予想していた使われ方とは違う使われ方をしていると思います。つまり、受け取る一方のメディアから参加型へ、そして発表型へという感じのもののなかで、傍観し同調する自分を体感するということです。ミクシーなんかとの違いは、空間を超えた時間と行動の共有をより多くのひととできるということですね。そこで結構満足している。別に、自分の行動について相手が大きく反応する必要はない。この時間違う行動をしている人の行動に自己をくっつけてみる。そして、その興味関心から自己の生活を変化させるか、あるいは字を見ることで自己の中でその人の体験を疑似体験し満足する。問題は後者です。

 生活圏の変化と言えるかもしれません。

 もともとあった私の中のわたしを表現していながら、さらに私の中のわたし以外のワタシを作っていく。

 この行動は実は実世界でない空間でなされると、結構危険なのかもしれないと感じています。
 日本人は他と比べてもともとたくさん顔を持って生活している。だから混乱が起きやすいのではないかと。
 
 ツィッターのなかの生霊と私の中のわたし。

 精神的に脆弱な世の中に生まれた異世界、なんていうとおどろおどろしいですよね。

(全く関係ないところでレスしてごめんなさい。また政治については違うところで)
 
 

yokosawa さん>

あら、これまたお早く 実験を切り上げられましたですね (*^m^)

おっしゃることは よぉーーーく わかります

僕はもうちょっと あの世界で何ができるのか、見極めたいと思っております

 ちょうど1週間なんですが、短いですかねぇ・・。
 でも、実生活を公表するのは恥かしいですよね。後から読むと、ゲゲって感じ。私って私生活ではほとんど食べ物に支配されてるのかなぁ。

 最も仕事のことは書けないですから、衣食住でなければ、私の瞬間の考察ですよね。そんなの140字じゃ書けません。それこ瞬間的にいくつかの事項が出てきてくるくる回しているうちにまとまってくるのに、ツィッターに書いてて思考が止まっている間がもったいなくて。書いててさらに浮かぶことを取りこぼさないためには、やっぱり紙に書きたいかな。私の中の白紙の部分が、紙の白紙の部分に繋がって、書くという作業と消すという作業をしながらそれを埋める時、やっとそうかと気付かされる。
 即興は苦手ではありませんが、そんなことしていてもむなしくなりませんか。
 それなら誰かとおしゃべりしますよ。
 おいしいお茶と、共有された空間と時間。                      ここから外に出る価値は十分あると思います。

 それに、私は実は人見知り体質なのです。
 いろいろな人と話したい気はするけれど、その人のことをよく知りたいし、自分のこともきちんと知ってもらいたい。
 だから、私と向き合って話して下さる方がいらっしゃるなら、時間さえ会えばたぶん出かけていくでしょう。

yokosawa さん>

リア充なのではないでしょうか
なんやかんや言っても、僕も yokosawa さんも

非リア充の自己申告がどこまでホントかというのは さておき
リア充であれば ネット/ケータイの交流や自己表現は
実に 味気ない、おそまつな、断片的な、むなしいもの――
に感じられてしまうものではないでしょうか

 リア充じゃなくて、リア重なんですよ。
 リアルな生活がそんなに毎日充実してるなんてありえないでしょう。
いったいどうしたら毎日リア充になるのか、本当にそんな人が居るのか聞いてみたいです。
 しかし毎日の生活を生きることを大切に思えるかどうかは別です。普通は自分の現実から逃げ回って生きるなんてことできない。そこで、今を、この現実をきちんと受け止めて、その中で喜びを実感として感じるためには、努力しないわけにはいかないのです。
 ハグされたい欲求を、ハグしたい欲求を、仮想世界で味わった時と、現実世界で味わった時の違いを、私たちは知っているはずです。それは子どもの頃に普通に育った人ならば、誰もが体験していることだからです。
 でも、それは大人になると簡単には手に入れられない。それを得るためには責任と愛情が必要になります。忘れてはならないのは、私たちが知っているのはそうして与えてくれた誰かが居るからなのです。
 
 ちょっと説教臭いかな。

 私はリア重だから、先生のブログに書き込みするのも楽しいです。この行動がきっと私の何かに繋がるはずだから。
 それじゃ答えになっていませんか?

yokosawa さん>

コメント いつもありがとうございます

「リア重」も含めての リア充なんですよ、きっと (笑)

年がら年中 24時間 充実したヒトなんて 存在しないか
存在したとしても 病的な躁状態としか思えないわけですから

「リア非充」を自認するヒトたち (多くは 自己愛者にすぎません)が
リア充という概念で 多くのことを 語らないまますましている――
その意味で 自己卑下と他者構成による 逃避にすぎない――
このことは もちろん その通りなのですが
それにしたって つらいこと、大変なこと、苦しいことを
リアル・ライフで引き受けることができる僕らは
やっぱり「リア充」なんでしょうねぇ

仮想世界への没入は 僕にも 共感しきれません
ときどき そういうときはありますよ、僕にだって!

何にもしないで ひたすらゲームばっかりしていたことも 実際!

でも、それは 僕の人生のなかで 完全な「逃避」でした
イロニーで理論武装していましたが、やっぱり「逃げ」でした

いろいろある人生ですが、そこにこそ 生の実相はある!
そう言い切らなくては やっぱりダメなんだ、と僕も思います

説教くさいかな・・・ 僕も・・・

 《リア充》というよりは、居場所の問題じゃないかと思うのです。

 自分を確定できる居場所を求めるのは、誰にでもある欲求です。
 温かい場所が、かつては家庭に帰れば用意されていたのに、今ではどこに行っても自分を受け入れてくれない気がする。

 もちろん多様化する価値観に、多様化する居場所が必要というのは理解できますが、それよりなにより、ホームベース《温かい何処か》への欲求が人々を漂流させている気がします。

 その場所は仮想世界に出来るべきなのか。

 またちょっと興味がわいてきたので、ツィッター復帰するか思案中です。

 ちなみに今日の夕食はぶり照り。

yokosawa さん>

「居場所」 「温かい何処か」―― まさにそういうことでしょうね

ネット世界、仮想空間に それはないぞ・・・!
リア充(重)の僕には そう思えて仕方ありません が
ネットオタク、2Dオタク、ゲーム中毒、ケータイ中毒の皆さんも
もちろん そんなこと分かっているわけで・・・

どうしようもなさ みたいなものが 付きまとっているように思われます

(だから 「オタク論壇」 は どこかむなしいままなんでしょう)

=====

ツイッタ 僕もまだやめちゃったわけでは ございません (笑)

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