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2010年2月20日 (土)

見田宗介のコミューン経験

前便 「連載 見田宗介/真木悠介論 序」 より つづく

====================

前便 の最後に

見田宗介/真木悠介を引き継ぐ 宗教学とは

と書いた が…

<連載 中沢新一論> をはじめたときと同様

次の連続投稿をご参照ください

  1. 連載 中沢新一論 序
  2. 思想の罪、思想家の責任
  3. 暴力への異様な嫌悪

見田/真木先生について宗教学の立場から評価するにあたり

まずは 批判的なコメントをしておかなくてはならない

僕がここで確認しておきたい批判は

学説のレベルではなく (それはそれで今後書くこともあろう)

氏の著述作業外実践のレベルにある

見田/真木先生が、 思索と著述の実践を

対人関係の具体的な構築場面へ直結させてきたこと――

しかもそれが 「コミューン」 という内容と形態をもった

実際の生活共同体であるということ――

つまり見田先生が 自他共に認める 「学者グル」 であること――

ポスト・オウムの宗教学は、 この点に

きわめて強く敏感にならざるをえない

僕は 見田先生の学説から受ける刺激を

十全に展開しておきたいと思うのだが、 その学説自体が

コミューン運動の実践のなかにあるという点を

ちゃんと見極めておきたいと思うのである

<つづく>

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04E 連載 見田宗介/真木悠介論」カテゴリの記事

コメント

 『しかしあえて付言するならば、真木悠介名義で『自我の起源』という社会生物学の優れた啓蒙書をものした見田は、人文社会学系の論者としては、むしろ以上のごとき宇宙論的な思考に対して相対的に開かれた姿勢を有しているはずなのだ。『入門』の中で述懐しているとおり、彼の実存的な原問題(のひとつ)は「一人の人間の生はあまりにみじかいものでしかなく、そして人間そのものの歴史でさえ、宇宙のそれの中ではおそらくは一瞬に過ぎない。その中で人間の、そして個人の(究極的には自分の)生の意味とは何か?」ということであった。すなわち「個人はおろか人類そのものもまた有限で、いずれは滅びるであろう(しかし「必ず滅びる」とは言えない)存在なのであるから、個人はもちろん人類の存在の意味も、その無限の存続可能性に求めることは空しい」という程度のことは、先刻承知のはずなのである。にもかかわらず見田は『理論』『入門』においては、読者に遠慮してか、あたかも人間社会の永続を当然目視されるべき目標であるがごとく論じている。
 「持続的発展のために、将来世代の幸福のために、今現在の我々の生を見直す」と社会構想のオーダーで語ってしまえば非常にもっともに聞こえるテーゼがある。それと全く構造的に同一のテーゼを、個人の人生設計のレベルで述べてしまえば、ぐっと卑近になる。つまり「老後に備えて今は貯蓄を」とか「よいキャリアを積むためには今は勉強を」という具合だ。
 しかしここまで卑近にしてしまえば、そこには倒錯の芽がはらまれていること―それこそミヒャエル・エンデ『モモ』で寓話化されたように―ことは見やすい。見田も(真木悠介名義の)『時間の比較社会学』で同じことを論じていたはずだ。しかしそうなればこの倒錯は、個人の生のレベルでではなくマクロ社会レベルでの世代間関係についても生じうるはずである。それは宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のテーマでもあった。そこでは主人公ナウシカを含めた、汚染された地球環境の中で生きる全ての人々、のみならずその環境に適応した生きものたちの織り成す生態系すべてが、遠い過去のテクノクラートたちによる地球環境浄化計画のために開発された道具に過ぎない。ナウシカの最後の選択は、現在を縛る過去の計画そのものの拒絶だった。』
(稲葉振一郎 「社会学者はぜ革命の夢を見るのか?」『atプラス03』pp137~138)

 祝!ブログ再開。雨降って地固まるです。

 またまた長い引用で申し訳ないです。ほんとは見田先生のところはみんな引用したいところでしたがここまでで十分長い・・・ので。

 未来について希望を与えることは、矛盾に適応しなくてはならないこと。これは回避不可能な課題ですね。そこをグルがのたまうことによって不透明にしてしまうというのは、ある意味幸いであるが問題の本質に迫れない。ここのところは押さえておかねばならないと私も思います。
 宗教においても、一般社会においても。

 問題はそれで間違いは起きないのか。
 間違いが起きた時には何のせいにされるのか。

 ここですよね。

yokosawa さん>

コメント ありがとうございます

ココログの調子は、相変わらず ダメです (泣)
問い合わせても、なんかちゃんと応えてくれないし…
ちょっとがっかりしてます

=====

『at プラス』  まだ読めてないんです、 実は
手元に届かない、という… あらためて買おうかしら…

あちこちで話題になってますからね、何としても読みたいんですけど!

=====

《見田カルト》 という言い方が よくされます
表立ってどこまで批判されているかは 分かりませんが
学者サークルの内側では かなり苦々しい思いが
「カルト」というコトバに込められつつ 吐露されたりします

権威にすべてを明け渡したいという欲望は
人間にかなり基本的ですよね
「権威主義」ってやつですが、 それを僕も理解します

しかし大事なのは、近代社会において それは必ず失敗する、 と

見田先生が どこまでそれに敏感なのか…
ご自身の問題として どこまで引き受けていらっしゃるのか…

次は 見田先生のオウム論をフォローしていこうかな、と思ってます

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