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2010年2月 3日 (水)

自分の命の在り場所を見る ―私の革命

前便 「インドの神秘を売り物にするのは」 より つづく

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  • 藤原新也 『印度放浪』 (朝日文庫,朝日新聞社,1993年6月)

あとがきに当たるエッセイ 「熱球の下」 (418-25頁) より

この 『印度放浪』 は、 私が二十三歳の時、 はじめてその熱球の下の大陸に遊んだときの記録である。 はじめて、 その土地を踏んだ一九六〇年代の終りのころ、 日本はちょうど高度経済成長を最中だった。 物質的な豊かさを求めて、 誰もが一所けんめいに働いていた。 この国の近代化と、 経済の豊かさを求める過程において、 失われて行くものも多かった。 そして、 社会は管理化されつつあった。 管理化のシステムの中で人間的なる息吹は隠滅され、 それに対する抵抗もあった。 そういう状況の中で、 私は大学を捨て、 自分の経歴のすべてを捨て去るようなかたちでインドに行った。 この国は貧困であった。 ただ、 そこに私が見たものは、 その物質的貧困と同時に、 あの、 我我が今現在失いつつある、 熱、 であった。 つまり、 ちょうど日本では、 この熱という一つの生命の根本が、 何か巨大なものによって管理されて行こうとしている最中だったから、 私はその国の熱にうかされた。 そして地上における生きものの命の在り場所をはっきりと見たし、 合わせて自分の命の在り場所もはっきりと見ることができた。 それは、 私の二十代の一つの革命だった。

420頁

日付はありませんが、 この 「熱球の下」 の直前に

「あとがき (『印度放浪』 一九七二年版のものをそのまま転載)

がありますから、 1993年の文庫版のために、 つまり

初版から20年以上経った後、 当時をふり返って

書かれたもののようです

ともあれ、 ここでは インド体験を

「自分の命の在り場所をはっきりと見ることができた」

と要約する 藤原さんのコトバに注目しておきたいと思います

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