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2010年2月 8日 (月)

信仰と開発、 あるいは経済と宗教

mittsko うちのバス停の脇には馬頭観音の碑がある  完全な墓石仕様なのは、 地主が代々の家畜を祀ったものだから  地主はこの場所だけは決して売らない  おかげでバス通りは狭いままだが  林が残った

自分のつぶやき から再録

Photo_2

この一隅を手放さないと言い張っていた先代の地主は

数年前に 他界した

跡目をついだ息子は、 相続税対策もあるんだろう

最近ずっと 空き地や畑だったところを 住宅デベに売っている

今月に入って いくつかの区画で工事がはじまった

馬頭観音の霊力は 経済力学に勝てるだろうか

信心は 生活のなかで どう編成されなおすだろうか

家畜と縁のない世代の 世界観はどこへ向かうのだろうか

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コメント

>馬頭観音の霊力は 経済力学に勝てるだろうか

結局そういうことですが、宗教的施設の完全撤去や転用は、なんとなく(←ここを明確にするべきでしょうが、祟りが怖いとか)嫌だというのが人間で、経済的にやむにやまれなければそのままにしたい。
L.A.で小さなモスクを売りに出したとき、交渉がまとまったのは(買い手として喜ばれたのは)キリスト教会でした。世俗の肉屋などになるより良かったんでしょうね(笑)。

Waterman さん>

久々のコメント 本当にうれしく思います
今度は ツイッタ―流れですからね、 また新しい側面も見えてくるや、と

宗教施設(含む “塚” “碑”)の撤去――という局面について
これだけで どれほど立派な 宗教民俗(族)学のモノグラフが書けることでしょう…!

とても興味深い内容です。。
ツイッターの方では、これに触発されて宗教経済学なんて考えてしまいましたが、
人類学的モノグラフとして、宗教と経済と(そして開発人類学とも!)
切り結ぶような形にすれば成功しそうですね☆

この問題、またWatermanさんの言及しておられる問題とも合わせて
非常に興味深く思います!!

keikogk
 

Grace 馨子 keikogk さん>

コメント ありがとうございます

経済にそこまでの関心がおありだとは 知りませんでした
この領域は かなり成功の確率が高い! と踏んでおります

手前みそながら、 「宗教政治学」は ここを射程に入れないわけにはいきません

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