どれほど苦しくて惨めで寂しくとも
前便 「《外部》 の体験、 その聖と俗」 より つづく
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- 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版』
- 田中ユタカ 『愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版』
さらに引きつづき 作者 田中ユタカさん のコトバを
引用紹介させていただきます
この作品は 大変な傑作だと思うのですが
その世界観、 SF的な設定云々ではなく
“セカイ” の現前の様態が どのようなものとしてあるのか
主人公たちがおかれる情況、 巻き込まれる力学
それによって練り上げられていく内面のセカイが
どのようなものとしてあるのか
作者と作品と読者とのあいだで おのずと共有されるだろう
そのような意味での セカイ観がどのようなものであるのか
田中さんご自身が 非常に的確に コトバにしておいでです
ちょっと長くなりますが、 どうぞお付き合いくださいませ
現代は、 万人に通用する既製品としての “しあわせ” や “生きることの意味” が役に立たなくなってきている。
神様や国家や会社やおカネ、 あるいは仲間や家庭や恋人、 正義や愛といったいままであった、 人を “しあわせ” にしてくれるもの、 “生きる意味” を与えていくものにかかっていた魔法が片っ端から解けていっているそんな時代だと思う。
足場が崩れてきている。 どこにも属するべきアテが見つからない。
そうゆうメンドクサイことはとっとと麻痺させてしまうのが世の中に適応するコツ、 だとか今が楽しけりゃそれでいいじゃんなんてのは、 今さらって感じがする。 なげやりで空疎な強がりだ。
もっとリアルで切実なんだ。
今やボクたちは自分の人生の結末についてかなりヴィジュアル的にさえイメージできる (事件や事故に遭わない限り) 老いて、 病んで、 死ぬ。 他にはないと知っている。 生まれる前から山ほどのハンディキャップを背負わされていると知っている。 癒えることのない傷を生涯抱えていく以外ないと知っている。 そこから目をそらせば卑しくなるとわかっている。 今日より明日が必ずよくなるということはないと知っている。 次の代が今より豊かになることはおそらくあり得ないと知っている。
逃げ場所はもはやどこにも転がっていない。
後戻りはない。
みんな魔法は解けてしまった。
もう、 知らないどこかの大きな立派な人が 「君はそこにいるだけで価値があるんだ」 などと安心させてくれることはない。
自信がなくても誰も保証してくれなくても遂に最後まで曖昧なのもの [ママ] でしかなくともひとりひとりが一度しかない自分の生涯を使って自分で探す以外の選択肢は残されていない。
どれほど苦しくて惨めで寂しくとも半歩間違えれば一生を役立たずのまま棒に振ることになろうとも自分で罪を背負って自分のしあわせは自分の現実は生きることの意味は自分で決めていかなければならない。 ボクもボクのマンガを読んでくれる人もそうやって今日生きている。
上巻 「愛 [AI-REN] 人2巻のためのあとがき」 468頁
旧版第2巻 (2000年9月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた
「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 上巻に再録されている
そこからの引用でした
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このような 《生》 のただ中から 作品のキャラクターたちは
どのような 《生・愛・死》 を 自らのものとして引き受けていったか
このこともまた、 田中さんご自身が
とても鮮明なコトバにしておいでです
次便にて!
<つづく>
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