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2010年2月17日 (水)

日本の針路 世界の行方

  • イミダス編集部 (編) 『imidas SPECIAL 日本の針路 世界の行方』 (集英社, 2009年11月)

思うところあって 軽い気持ちで手にしたら

思いのほか 面白くて びっくりした

この手の本自体 読むのがはじめてだったが

勉強にはもってこい! なんですね

「イミダス編集部」 編――

まさに 《その筋のプロの仕事》 という感じです

帯の一部に

小論文や面接、 就職・資格試験に!

とあるから、 まぁ そういう読者が多いのだろうが

なんのなんの! 勉強になることが多いぞ!

====================

いやぁ それにしても……

まともな宗教論は ここには一切載っていない…

イスラーム関連で紛争や戦争、 テロの話ばかり…

同時代史を語るにおいて 宗教論はまったく不要!

という判断が ここまで明確になされているわけですね

宗教学者の課題は 山積しております!

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コメント

 『内橋 新自由主義、そしてパックス・アメリカーナと経済学についてのお話を伺っていて思いますのは、これまでの経済学とは、まさに血みどろの宇宙だったということですね。それを「学問」という衣でくるんだ祭壇に祀った。敬虔な信者たちが跪き、神秘の香を焚いてお経をあげる、科学とは無縁の光景が浮かんできます。
 しかし、信者たちが礼拝しながら唱えていたのは、その時々の秩序形成者、つまりは権力の望むところを忖度しつつ編み上げられた経典だったのではないか、と。
 祭壇のうしろ側は「つぎはぎだらけのキャンバス」(芥川龍之介)ばかり。そういう悲しい夢想が胸に沈んできます。学問とはいったい何であるのか、と…。』
(宇沢弘文 内橋克人 『始まっている未来 新しい経済学は可能か』pp77~78)

 おくればせながら読ませていただきましたが、非常におもしろかったです。特に見田先生の社会学なんかとは対角にあって、世界を批判的にみる学者のそれは、宗教を敵視しているのかなと。もちろん科学=経済学=人間学というラインを維持することは共通するわけですから、その強弱によってここまで違うのだなと。

 私は、この人たちの考える未来は何によって形成されるのか、《正義》は人の何処で何によって形成されるのかということで、もうひとつ踏みこんでくれなかったのが残念です。《正義》がどのくらい破壊されてきたかについて書くのは、実は何によっても説得できる書き方ができるであろう。しかし、その先の、では私たちはどのような方法で《正義》を回復できるのかの考察が、ほんとうの意味で研鑽されていない。

 そこには《コモンセンス》や《国》や《共同体》や《宗教》や《政治》や《教育》が整理されて説明されなくてはならない。過去の経済学者や政治学者がしてきた、このような大きなセンテンスでの考察を、ある場所でできなくなってしまった功罪はどこにいってしまったのか。

 これからの人材にそれを求めるなら、それが可能な社会から作られるべきなんだろうな、と思いました。

yokosawa さん>

コメント ありがとうございます

まったく!同感です!
そして この筋で頼りになる唯一の先生が 見田宗介先生であること――
これも まったくその通りだと思います
もぉ ホントに 見田先生頼りです!

ちょっと 本エントリとして そのあたりをあげてみます、今晩にでも
またご覧くださいませ

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