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2010年3月25日 (木)

市民宗教の構想はフランスではまったく不可能である

  • マルセル・ゴーシェ 『民主主義と宗教』 (伊達聖伸+藤田尚志訳, トランスビュー, 2010年2月)

もう終わったと 前便 で宣言した 本書の紹介――

アネクドート的に ひとつだけ

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[…] アメリカの場合に古典的に見られることだが、 市民宗教とは、 キリスト教諸宗派の宗派的と受け取られる面を中立化した上で、 キリスト教を最小限の共通項に帰着させ、 そのようにして得られたキリスト教を市民社会に見合う形で公領域に転置することを指している ( […] 〔ロバート・ベラー 「アメリカの市民宗教」 『社会変革と宗教倫理』 河合秀和訳、 未来社、 一九七三年〕)。 アメリカでは教会と国家の分離が非常に早くになされ、 またこの分離は宗教的デノミネーション 〔教派〕 の多元性によって規定されていたので、 政治的権威と宗教的信念とが、 共通の根と残存物を基にして、 最終的に手を組む道が残されていた。 「ネーション・アンダー・ゴッド」 という表現に、 そのれが体現されている。 これに似たことをフランス共和国で構想することは、 まったく不可能である。 フランス国家にとっての問題は、 アメリカの場合のように 「諸宗派」 と手を切ることではなく、 「宗教」 自体からの分離を達成することであった。 「宗教」 自体と言ったが、 厳密に言うと、 これはヘゲモニーを握っていたカトリックの存在が厳然たるものであり、 またローマ教会の権利要求の性質から言って、 個別的であるあずの一宗教の問題が、 一般的な宗教そのものの問題にしばしばすりかえられていたからである。 これは極めて重い問題で、 解決のためには、 アメリカ流の解決法とはまったく別の手段に拠らなければならなかった。 フランスで要求されたのは、 宗教に対して非宗教的な代替案を見つけること、 宗教自体がその枠組みに入ることができるような代替案を見つけることだったのである。

原注(18), 189-90頁

「市民宗教」 概念の歴史化――

米仏の宗教政治学史の比較考証――

とても参考になる一節

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【メモ】 以前のエントリ二つ どうぞご参照ください

  1. 「市民宗教」
  2. 「市民社会と民俗」 

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